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碧眼の彼女  作者: さんれんぼくろ
第二章 プレイゲーム
138/297

第一三四話 右腕の実態

前回、凪にタイムの報告がてら、遠征期間が延びた理由について聞きました。

 挿絵(By みてみん)


 電話を終えて地下へ戻ってくると、鍛錬場から出たところに、未来と長谷川が向かい合わせになって座っていた。

 どちらも俯いていて何をしているのかわからない。ただ、お互い何も喋ってはいないようだ。


「どうした?」


 俺が声をかけた瞬間、長谷川の肩がビクッと波打ったのを、俺は見逃さなかった。

 少し近寄って二人の見つめる先を覗くと、俺は……いや、俺も、動揺した。

 全員の視線が向かっているのは未来の右腕。

 いつもは長谷川がプレゼントしてくれたというジェルパッドタイプのケガかくしで覆われているから見えることはない、未来の、痛々しい古傷。

 一年とほぼ半年が経つにも関わらず、今現在深手を負わされたのではないかと錯覚するような、生々しい、肉が丸見えになった切り傷と、皮膚の内側が盛り上がってくっついたような、()()()()閉じたためにできた傷痕の混在。

 凪さんが血相を変えて俺のところに未来を連れてきた、あの残虐な事件があった日の光景が頭を駆け抜けた。


「隆、電話終わった?」


 かなり久しぶりに見た()()に、憎悪の気持ちが膨れ上がってくる。

 その傷痕を見て俺がどういう気持ちになってしまうのかわかっている未来は、早々に話を切り替えようとする。

 だけどごめん。ちょっと、無理だ。


「ああ、終わった。今これはどういう状況?」


 よくない。

 自分の口から出る言葉は、声変わりしたからなんて可愛らしい理由で誤魔化せないくらい低かった。

 長谷川に怒っているわけじゃない。この切り傷を付けた張本人に怒っていた。

 だけどあまりにも俺の態度かそれとも顔か、いずれかがいつも通りではなかったのだろう。

 長谷川はその傷を改めてまじまじと見ていた自分に怒っているのだと理解して、怯えた顔で俺を見上げた。

 違う、違うんだ。

 別にお前を責めようとなんてしていない。

 だけど――膨れ上がる憎悪の気持ちは止まらない。


 なんで、未来があんな怪我をすることになったのか。

 俺がそばに居なかったからか。

 いや、俺がそばに居たとして、未来をあいつから守れただろうか。

 あの凪さんが()()()()ような人物から、マダーになって三年も経っていなかった俺が、守れただろうか。

 ……無謀。そんな言葉が頭に張り付いた。

 そもそも未来が大怪我をする時点で俺に勝機など無い。

 あの頃の俺には、今ほどの強さもない。

 だけど、それでも俺は。俺は……。


「隆一郎」


 不意に、未来が少しいつもよりも低い声で名前を呼んだ。

 はっとして、その声の発された彼女の口、そのまま青い瞳に視線が吸い寄せられる。

 俺を見る未来の顔に、少し、焦りが見られたような気がした。


「落ち着いて、大丈夫だから」


 その表情は一瞬だけで、すぐに優しい微笑みへと変わる。

 俺の両頬に未来の小さな手が添えられて、温かい体温が伝わってくる。

 宥めるような声で……諭す。


「一旦鍛錬は休憩して、凛ちゃんにね、少し診てもらってたの。長谷川薬店にある薬でどうにかならないかなって話でね。傷痕を消す薬はないけど、内部の損傷はなんとかなるかもしれないからって」

「……そっか」


 ほんの少しずつ落ち着いていく自分の心に向き合いながら、温かい、女の子にしては少し硬めの未来の手の輪郭を感じる。

 今だけは、少し委ねてもいいだろうか。

 奴に向けられた恨みを押し出してしまわないように、安心できるこの子の手を、もう少し自分の元に置いておいてもいいだろうか。

 恐れながら、未来の手に俺の手を重ねる。

 少し押さえるように、小さな手をゆっくりと握った。

 俺の方が少し冷たい。

 未来の手が温かい。

 彼女の存在が……温かい。


 確認なんて一切とらず、俺は未来の小さな体を力一杯引き寄せた。

 覆い被さるように肩から抱き込んだ。

 長谷川の視線は、気にならなかった。

 ただただ、未来の体温を全身で感じたかった。

 驚いて硬直していた未来も、少しすると力を抜いて、俺が抱きしめることを受け入れてくれる。

 さらさらの黒髪を手で優しく梳いた。

 愛おしく思っていることは、悟られたくない。

 だから見えているはずもないのに、未来の肩に自分の顔を(うず)めていく。

 力を込めて包容し、その存在を喜んだ。

 ここに、未来がいることに。

 一度いなくなってしまった存在がここにいることに。

 俺が健在している理由がここにあることに。

 何より、彼女のそばにいることができる自分の生き方に。


 なぁ、未来。

 俺はずっと、ずっとお前と――。


「りゅ、隆、苦しい……」

「あっ……!」


 やばい、力を入れすぎたみたいだ。

 未来が苦しそうに手をわたわたと動かしてその意を主張してくる。


「ご、ごめん!」


 パッと引き寄せていた手を離すと、未来が一気にぷはっと息を吐き出した。

 よほど強く抱きしめてしまっていたらしい。

 思い出してはいけない記憶と感情に浸ってしまって、全然気が付かなかった。


「わ、悪い、未来。大丈夫か」

「だっ、大丈夫! 大丈夫だから、先に戻ってりゅね!?」


 噛んだ。

 そして顔が真っ赤だ。

 未来らしくないその反応に、自分が何をしでかしたのか自覚する。

 謝らなきゃと思った矢先、未来は耐えられないとばかりに勢いよく鍛錬場の扉を開けて中へと逃げ込んでしまった。


「や……っちまった」


 やらかした。

 完全にやらかした。

 これは俺が悪い。

 自制ができなかった俺が悪い。

 思い出しては自分の顔も熱くなってきて、何をしたのか認識して、恥ずかしさに手で顔を覆う。

 そしてはっと、その場にいるもう一人の存在に目を向けた。


「あ、あの、長谷川。今のはその」


 しどろもどろに言い訳しようとする俺に、長谷川も顔を真っ赤にさせながら一言。


「ごちそうさまです……」


 ああああああああああ!!


「やらかしたよな。俺完全にやらかしたよなぁああ!」

「た、確かに中学生とは思えない色気だったけど、まあいいんじゃない。未来ちーも受け入れてたわけだし、両思いじゃん、両思い」

「ダメだっ! 前にも言ったろ、俺らはそんな関係になっちゃダメなの!!」


 全く真実味のない俺の言葉に、長谷川はくくくと笑う。

 くそ、笑うなこのやろう。くそう。


「あー……やべぇなあ。この後未来になんて謝ろう」

「別に謝らなくてもいいんじゃない? 未来ちーも照れてただけだろうし」

「だといいけどさぁ!」


 あまりにも余裕のない俺に、今度はゲラゲラと笑い始める長谷川。

 笑うなクソやろう!!

 だけどさっきの怯え顔が消えているのを見て、少し安堵している俺がいるのも事実だ。

 こっちはさすがに謝らなきゃ。

 昂る感情を深呼吸して何とか抑えて、落ち着いてから長谷川に声を掛ける。


「長谷川。さっきの、ごめん。長谷川に怒ってたわけじゃないんだ。あの、ちょっと思い出しちゃって」

「あー、ううん。アタシこそごめん、嫌な思いさせちゃって。鍛錬中ね、未来ちーの遠距離攻撃、左手からは照準ばっちり合うのに右手は前後左右一センチずつぐらいズレてるなって思ったのよ。もしかしたらあの傷痕、内部の方まで影響があるのかなって思ったんだ」


 そうか。

 長谷川は未来のために……。


「ホント、悪かった」

「もういいって。でも、これではっきりとわかったよ。未来ちーが右手からの遠距離照準が合わないのは、確実にあの傷痕のせい」


 長谷川が自分が座る右手に置いていた、聴診器みたいな形をした機械のコードを巻きとりながら続ける。


「これで中を少し覗かせてもらってたんだけど、神経が()()()()()。神経を取り巻くみたいに二本の線があって、本来それがついていないといけないところに代わりにくっついてた。だから本体自体は全く機能してない。あれは……寧ろ、よくこの状態であそこまで照準合わせられるなって逆に驚いたぐらいよ」


 あ……。


腕神経(わんしんけい)叢損傷(そうそんしょう)、ですね。申し訳ありませんが、ここまで酷いとどこに行ってもきっと……』


 長谷川の言葉に、あの日告げられた未来の診断を思い出す。

 そこまで、わかっちまうのか。

 だったらあんまり無理に隠したりせず、少しだけ説明をしてからこの話は終わらせてもらおう。

 俺がまた憎悪に取り憑かれないように。


「……その二本の線のうちの一つは、あいつが自分で作ってるものだ。その、機能していない神経を無理やり動かすために。あいつの右腕自体は本物だけど、その二本の線がなければあいつは腕を動かすことができない。実質義手みたいなものなんだ」

「義手……?」

「ああ。傷痕の元になった怪我が、その……すごく、深くてな。麻痺が残って、力が入らないんだ。でも、悪い。未来の許可なしだとここまでしか言えない」


 実際未来は長谷川にあの事件のことを言っていない。

 俺からそれを伝えてしまうのは御法度ってやつだ。


「そうよね、アタシも聞くべきじゃないと思う」


 俺の考えを肯定してくれた長谷川の横に、一旦腰を下ろした。

 感謝を伝えるために。


「ありがとな。あいつに、ずっと聞かないでやってくれて」


 過去のこと、気になるだろうに。ずっと黙っていてくれる彼女は、間違いなく未来の心の支えだ。


「聞かないよ。未来ちーが言いたくないことだもん。……だけどさ」

「うん?」


 少し考えるような仕草をした彼女は、俺の顔を見た。


「あの右腕はもしかしたら、()()()があった時に致命的な弱点になるかもよ」

お読みいただいてありがとうございます。


未来の過去の表面に触れました。

腕神経叢損傷というのは、未来の過去編に入った時に詳しく説明する予定ですが、検索すると以下です。


損傷の程度に応じた運動麻痺、感覚障害、自律神経障害。肩の挙上と肘屈曲ができなかったり、肩から上肢全体が全く動かないなど。外傷後徐々に軽快するものから全く回復しないものまで、多岐にわたる。


但し症状が起きる理由としては、主に高速滑走のスポーツなどで腕が引き抜かれるような外力が働いたり、鎖骨上窩の刺し傷、切り傷、銃で撃たれたなどによるもの。

現状では未来の傷跡の外観と、理由が一致しない状態。この合わないという事こそが、未来が誰にも過去について言わないようにしている理由です。

徐々に明かされる右腕の全てについては、また次の機会に。


《次回 バシリスク》

彼の登場です。

是非またお読みください。


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