第十話 長谷川凛子③
前回、タイマーの死人との戦闘に入り、怒った敵によって、ぐしゃっと嫌な音が響きました。
グロ注意です。
「あああああああああ!!」
長谷川が喚く。目に大粒の涙を溜めながら。
目前に広がる無惨な光景に、俺の感情もぐちゃぐちゃになった。
死人の口周りには赤い赤い鮮血がベットリと、生々しい女の髪がまとわりついていて。足元には捕食しきれなかった四肢が二セット、あちらこちらを向いて転がっている。その切れ端から真っ赤な血がドロドロと溢れる。溢れる。溢れる。
奴の足を絡めとった炎が功を奏し、あとに放った【炎の槍】が、彼女らを襲うコンマ数秒前に追いついた。刺さった槍がその口の起動をわずかにずらしたことで全滅は免れたらしい。
だけど残ったのは、混乱して発狂している『風』の主と、戦う術がほとんどない俺の幼なじみだけだ。
ギリギリで避けた状態になった未来の鎖骨付近から右腕にかけて、服が引きちぎられていた。風にあおられて、その右腕の痛々しい皮膚が見える。
「エイコ……ナツ……ああああ……」
四つん這いの状態で彼女らの手足に近付いていく長谷川は、足に力が入らないのだろうか。かくん、かくんと体を大きく揺らしながら這って、まだ死人がいるそこで脱力した。
「長谷川さん、危ないから離れて」
未来が警戒した声で言う。奴はきっと、残る俺たちも食べるつもりだろう。俺も警戒しながら少しずつ彼女らの近くに寄った。
すると、長谷川の腕に展開して張り付いているはずのキューブが、大きく皮膚がむけるように剥がれているのが見えた。
「長谷川、気を抜くな。早く戦闘態勢になれ」
小声で長谷川に頼んだ。
人間の体とキューブは別物であるから、繋ぎ止めるために意識を集中していないといけない。わかっているはずだ。
だけど友だちを失い、狂ってしまった彼女にはそれができない。見る見るキューブが分離していく。
「長谷川!」
死人が目を大きく見開いて、カチッと秒針を鳴らした。
また、時を止められる!
「放て!」
ドォオオン!! 内臓が揺れるような音を鳴らして、死人の頭に強力な雷が堕ちた。
未来が体に纏っていた電気を奴に向けて撃ったらしい。
『キョエアァアアアア!』
何とも言い表せない耳障りな呻き声がビリビリと辺り一面に広がる。耳を塞ぎたくなるような、不快な音。
未来が長谷川を庇うように前に出る。続けて二発、奴の足元に当てて動けないよう麻痺をさせた。
「そうだよな。もうこうなったらやるしかねぇ」
思考を切り替えろ。
「【灼熱地獄】!」
未来に次いで俺は炎の竜巻を起こす。奴は熱さと痛みで絶叫し火花を散らせて焦げた音を出すが、そんな中でもこちらをギロリと見続けていた。
「おい、戦えないなら帰れ! 邪魔!」
厳しい言葉をかけたのは俺じゃない。
それは苛立ちと哀れみが混ざった未来の令。
その声に、長谷川が小さく反応を見せた気がした。
「忠告したからな!」
手足に電気を纏わせ一言言い残し、まだ動かないでいるタイマーに殴りかかる。
未来のあの力は元々死人の能力だから、直接奴らのダメージにはならないんだそうだ。つまり電気で怯ませることはできても、殴るというそれでしか未来は奴の体力を削れない。
それでも前に出ていく未来は、俺が有効打となる攻撃をするためのタイミングを作り出してくれる。
殴って、蹴って、肘で背中側から心臓部を突く。押し込まれた奴から電気が弾け、体が反らされた状態になる。
「【弓火】!」
弓道のように俺は火を纏った矢を神速で飛ばし、奴の心臓部を射貫く。貫通したそこから炎が巻き起こり、髪が焼ける独特の臭いがした。
「もう一発!」
持っていた弓を粒子状に分解して消去する。
心臓の直接攻撃でふらついたタイマーを押しやるべく、新たに【炎の槍】を作り出して投げ、突き飛ばした。
奴は数メートル吹き飛び、地面に叩きつけられた体からは砂埃が上がる。その視界が悪くなるタイミングを逃さず、俺は長谷川をとりあえず安全な場所へ連れていこうと思った。
「……は、あいつマジで帰りやがった!?」
さっきまで未来の後ろにいたはずの彼女の姿はそこにはなかった。
まさか、気付かない間に死人の餌食に?
だけど周囲を見渡しても視界に映るのはエイコとナツの手足だけ。長谷川が食われた痕跡はどこにもない。
「隆、いい。あのままおってもホンマに食われるだけや!」
方言に戻っている未来の言葉に、余裕のなさを感じた。
死人の力を使うのは自分で思っているよりもかなり体力を使うのだと、以前言っていたのを思い出す。よく見ると、肩で息をしていた。それに纏っている電気が先ほどよりも弱々しい。長期戦は無理そうだ。
「未来、お前も下がれ。俺がどうにかする」
一歩前に出ると、未来は素直に後ろへ回った。
「あのタイマーさんな、まだ正気に戻れると思うねん」
息が上がったままの未来に目を向ける。
確かに、時折奴の殺気が消えているのは俺も気付いていた。未来が話しかけていたときは特に、哀しいという気持ちだけがひしひしと感じられた。
でも正気に戻せるかと問われると、俺は正直、即答してやれない。一番の好機は逃してしまっているのだから。
「どうするつもりだ?」
作戦を聞く。
砂埃が、完全に消えた。
「もう一度、話す」
タイマーが、いや――。
「あの状態でか」
死人が、こちらを見ていた。カチカチと針を動かしながら、焼けた体が急速に元どおりになっていく。
「未来、無理だ」
「……そうやね」
もう戻れない。怒りと憎しみで溢れている。
ふぅ……と、未来が一つ息を吐いた。体に纏っていた電気が消え、その代わりに新たなガラス玉を割る。
「ごめん隆、多分、次の一発ぐらいで私は限界。ちょっと、使いすぎた」
申し訳なさそうに言って体に纏ったのは、花を豊富につけた植物の蔓。見た目どおりであれば、未来がいつも使っているキューブと一番似ている能力だろう。
「何ができる?」
奴の体はもう完全に修復された。
「あの力を、栄養分として吸い取る。そのあとの処理はお願い」
「わかった」
絶対にその一回で決めなければならない。
失敗すれば食われるのみ――だから。
「死ぬなよ。絶対」
未来は頷いて、死人目がけて走り出した。
向かう先では、秒針がカチカチと動いている。
時を止められたら終わり。右手の蔓を秒針に絡ませて動きを封じ、左手の蔓が周りにある木に巻き付いて未来は宙に浮く。
ぐるんぐるんと死人の前を飛び回って翻弄し、右へ左へ、悟られないように。死人の背面から、奴の半分ぐらいの大きさの花が姿を見せる。
それに気付いていない奴は大きな口を開く。煩わしそうに、自身の周りを飛び交う未来に勢いよく噛み付いた。肉を引き裂き、歯と歯が当たる二つの音が響く。
「少し掠ったか……! 【弓火】堕ちろ!」
邪魔にならない程度に牽制を。
火を纏う矢が死人の上から刺さるように堕ちた。体を器用にひねらせ避けられたが、それで十分。
未来が突き出した左手をぐっと握る。
「喰え」
命令を受けたのは死人の背面にいる牙を持った花。奴の心臓部に歯を突き立て、食らいついて放さない。ピシッと奴のヒビ割れる音が聞こえ、その隙間から死人としてのエネルギーを液体に変えて飲んでいく。
視界の端で未来が倒れるように膝と手を地面についた。
『キュエルルルル』
苦しそうな声。ごめんな。
「最大出力――【炎神】!!」
龍を模した炎を放つ。豪快に死人から炎が上がり、ヒビから中へ中へと侵入させて、外からも内側からも死人を壊していく。
再生するエネルギーは未来が奪った。
もう一度エネルギーを溜める時間はやらない。
パキッ、ビキッ。ヒビが大きくなって裂けていく。
このまま爆破させる。
心臓に亀裂が入ったその瞬間。
『キアアアアアアアアアアアッッ!!』
耳を塞ぎたくなる、甲高い頭に響くような咆哮。あまりに酷い音に、俺は一瞬炎を保てなくなった。奴はその瞬間を逃さない。
「未来!!」
叫んだときにはもう丸呑みできるぐらいの大きな大きな口が未来の目の前に。両者の大きな青い瞳が見開かれて。その光景がスローモーションのように、鮮明に映る。
「【鎌鼬】!」
突如、死人の顔半分が吹き飛んだ。それに伴って軌道が逸れ、未来は食われず尻もちをつくだけで済んだ。
「長谷川!?」
驚く俺が見たものは、帰ったはずの長谷川凛子。未来に向かって一つの物体を投げる姿だった。
手を伸ばし受け取ったその物体は植物を司る翡翠色のキューブ。未来のものだ。
「【風神の舞】」
長谷川の赤い強風が死人をさらに切り刻む。
「まあなんでもいいや。ありがてぇかぎりだよ。【爆破】!」
細切れになった死人を俺はさらに爆破で粉々にする。青い心臓が一つ、未来のほうへ飛んでいく。
あれはきっと、大雑把に切ったり燃やしたりじゃダメなんだ。だから。
「叩け! 未来!!」
重い体をどうにか立ち上がらせた未来はキューブを展開させ、左手に『樹』の文字を浮かべる。
小柄な体に似合わない大きな木製の【玄翁】を作り出し、高く振り上げ、目をゆっくりと閉じた。
「黙祷……」
――ドォオオオオオオオンッッ!!
振り下ろした玄翁というものは、頭部の両端が尖っていない金槌であるから、心臓を切るのではなく押し潰す。
地割れが起きる。
心臓に一筋線が入り、細かく割れて小さくなる。
「【育め生命よ】」
目の前が眩い光に覆われた。
植物の生命を宿す未来の技によって、地面は元通り平らになり、青い欠片は花の種へと存在を変える。
落ちたその場所から発芽して、死人は新たに植物としての命を受け、戦いに幕を閉じた。
【第十回 豆知識の彼女】
『黙祷』は、死人を倒す時の未来さんの口癖。
先日体調が悪かった時に、食べ残した食事に追いかけられる夢を見ました。しっかり食べなければ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 長谷川凛子④》
凛子の口から語られる、彼女の事情。
よろしくお願いいたします。