第一一六話 名前を決めよう①
未来さんの暴走により、バスケットボールの死人は無事、傷つけられることなく家へと連れ帰ることになりました。
「ごめん隆、怪我させちゃったね」
長い帰り道の電車の中で、未来が俺の右頬にふわりと手を当てた。そこにある切り傷は、思ったよりも深かったらしく、未だにピリピリと痛みを感じさせる。
車内は俺たちだけ。電車は無人の自動運転だから、完全に二人きりだった。……正確には、バスケットボールの死人も含め三人だけど。
「いや、大丈夫。お前は怪我してないか」
「私は大丈夫だよ。刃になってたの先の方の一部だけだからね……って、あっ、ごめん。勝手に決めちゃって」
未来は俺に左手を開いて見せたのち、はっとして今度は両手のひらを合わせた。
勝手に決めちゃって?
ああ、死人を家に連れ帰ることにしたことか。
「今更だ、気にすんな。おキクのときもそうだったし、今回もどうせ了承するだろうよ。今父さんと母さんにメールしてるから……っと、言ってるそばから」
メールを打ってる最中、それを見越したかのように電話が入った。
時間はもう深夜の二時。学校の帰りに来た事もあってずいぶん遅くなっちまったから、寝てるかもしれないと思ってたんだけど。
「もしも」
『まだ帰って来れないのかい不良我が子たちよ』
母さん、今日は先に連絡入れました。
「今本部から帰ってるところ。電車乗ったから、あと四時間くらい」
車内は他に誰もいないし、この時間から乗ってくる人も多分ゼロだろう。
未来にも聞こえるよう電話をスピーカーにして膝の上に置いた。
『片道が長いねー、朝になっちゃうよ。キューブ使って帰ってくるわけにはいかないの?』
「一応そういうふうに使っちゃいけないことになってるからな」
そりゃできる事なら早く帰りたいけども。
「それよりさ、ちょっと言わなきゃいけないことがあって」
『うん?』
「その……ちょっと条件反射で」
母さんが聞く態勢に入ってくれたとき、未来が隣から、申し訳なさそうな声でコトの経緯を話した。
勝手に決めてしまってごめんなさいと未来が謝ると、電話の向こうから母と、父も聞いていたらしくめちゃくちゃ笑い始めた。何を今更、と。
『その子の歓迎会をしてあげなくちゃね。明日は美味しいのたくさん作ってあげる。だから気をつけて帰っておいで』
相変わらず寛容な家族。何も考えてないだけか。
「あい。ありがとな」
「ありがとう由香さん、明さん」
電話を切って、ほっとした様子の未来に良かったな言うと、心底安心したように笑った。
「じゃあ、お許しももらえたことだし、あなたの名前を決めないとね」
未来が胸に抱えたバスケットボールの死人を撫でながら、うーんと悩み始めた。死人の単眼が未来をじっと見つめ、何度かぱちぱちと瞬きをしてみせた。まるで、名前をつけてくれるのかと驚いているように。
名前、ねぇ。
「おキクのときは、キクノサワヘビのキクか」
「そうそう。ゆかりのあるものにしてあげたくて」
なるほどね。
だとすれば……。
「この子の場合は、バスケットボールだから……んー」
「……ケト」
「ん?」
未来と、死人の目が同時にこちらを見た。
「ケト、どうだ? バスケットボールのケットのところ使って、ケト」
ゆかりがあって、呼びやすくて、あと多分、可愛い感じの名前にしたいんだろうから。
由来を説明してやると、なぜか未来は、にひひと笑って死人と目を合わせた。
「隆にしてはいいじゃん。ね? ケト」
なんだよそれ。
ふふふと笑いながら嬉しいねと。何度もケト、ケトと呼んでいるのを見る限り、どうやらこれで決定したらしい。
命名権を奪っちまったけど、よかったのかな。
「ところで未来さんよ。プロジェクト一緒にやるからには、帰るまでにいくつか聞いときたいことがあるんだけど」
「あっうん、色々説明するね」
電車に揺られながら、MCミッションの細かいところを教えてもらった。
なんで谷川夫妻は知ってるのに斎はそのことを知らないのか。凪さんのチームメイトは知ってるって言うなら、俺は秀には言っていいのか。実際に捕まえたい奴がいた場合どうすればいいのかとか。
頭の中を整理するために、一番俺が気になってた、斎がこのプロジェクトを知らない理由をざっとまとめてみる。
要は、『キューブは対死人用に作った兵器』だという認識を、斎に変えないで欲しいからということだった。
斎の考えは、キューブをより一層兵器として完成させることで、人を守るというもの。
死人と『共存』することに重きを置くと、もしかしたら、キューブを改良することに疑問を抱いてしまうのではないかという懸念だ。
――『共存』が確実にできる立証があるのなら、それでいいのだろうけど。
改良されるというのは、実際にキューブを扱う俺たちから見れば、とてもありがたいこと。討伐も、捕獲も、もっともっと安全にできるようになるだろう。
だから、その方向性を変えて欲しくないということらしい。
「それと、頑張りすぎるからね、斎は。だから谷川夫妻も気にしてる部分があるんだと思う」
斎と日常的に近くにいる秀には、俺がチームメイトだからといっても教えてはならないとのことだ。何かの拍子に斎の耳に入ることを避けるために。
だけどチームの中で、俺が捕獲をしたいと思っても秀にはその概念がないということになる。だからその時はできるかぎり情報を聞き出した上で討伐。
んで、討伐した他の死人の結晶、つまりガラス玉と混じらないように本部に持って行けばいいとのことだ。
「おっけー、大体理解した。けど、未来がケトをそのまま本部に連れて行ったのを鑑みるなら、ガラス玉よりはそのままのほうがありがたいってことだよな」
なんにせよ実際にやってみないことには、これ以上はわからない。実践あるのみか。
「でもって元に戻せる可能性がある死人は元に戻す方が優先。ということは……って」
寝てるし。
未来に確認を取ってる最中だったのだが、さすがに仮眠を取ってない状態での本部までの往復と、頭を使う話で疲れたらしい。ケトを抱えたままこくりこくりと頭を上下させていた。
「しょうがねぇな」
なんか羽織れるものあったかなと自分の鞄の中を覗く。
ラッキー。ちょうど大きめのタオルを入れていたのを発見した。今日の一時間目、本来体育の予定だったから汗拭き用に入れてたやつ。
ないよりマシだろうと思って未来の肩にかけようとして、ふと思った。
「臭くねーよな?」
今日使ってないし、大丈夫、なはず。ていうかそう思いたい。
でも一日中カバンの中入れっぱなしだったし一応確認……あ、大丈夫そうだ。石鹸の香りがする。
気になってタオルの匂いを確認してから未来の肩に羽織らせると、ケトがじーっとこちらを見ていた。それはもう、じーっと。
何を思っているのかは喋らないからわかりゃしないけど、何やってんだこいつ。みたいに思われてないといいな。
「なあケト。お願いしたいことがあるんだ。聞いてくれるか」
未来が寝てしまったのをいいことに、俺はケトに、一つの約束をしてもらおうと頭を撫でてやりながら願う。
「何があっても、たとえ今日みたいに何か耐え難いことがあって、殺したくなったとしても、未来にだけは手をあげないでくれ。こいつは絶対お前を裏切ったりしないから。その力は、傷つけるためじゃなくて、こいつを守るために使ってくれ」
本当ならこんなこと死人に言うのは違うってわかってる。だけど先生が襲われてる手前、釘を刺しておきたい気持ちがどうしてもあって。特に、一緒に住むのだから、これだけは。
「もちろん家族にも」
ケトは変わらず何も言わない。ただ大きな青い瞳で俺をじっと見ていた。
まあ、言葉がどこまで通じてるのかもよくわからないし、仕方ねぇな。
諦めて、帰りの残り二時間ほど、未来を見習って少し寝るかと体勢をリラックスさせた時。電車の扉に付いている窓ガラスが何故か気になった。
透明感がないというか、曇ってるというか……とにかく、窓の向こう側の景色が全く見えなかった。
不透明のガラスにでも変えたのだろうか?
ちょうどどこかの駅に着いて電車が停まったから、ちょっとした興味本位でそれを見に席を立った。
「液体か?」
近づいてわかった窓ガラスが不透明な理由。
それはなんらかのねたっとした透明の液体が、ぶちまけられたようにガラスを伝っていたからだった。
雨にしてはどろっとしすぎて、それこそ、何かの体液のような。
……体液?
「やばっ!」
そのものの正体に気づいた瞬間、視界を覆い尽くす青い瞳。
顔がひっつきそうなほどの距離に突如現れた、狂気の死人。
「くっ!!」
咄嗟に後ろに飛び退いて相手との距離を取ったとき、死人の口から何かが弾丸さながらの勢いで放たれた。
「【回禄】!」
間一髪狙われた俺の頭の前にだけ炎の盾を張り、飛んできた物体が当たって蒸発。
何だったのか認識できなかった。
次の攻撃に備え死人を正視すると、視界に入った駅のホーム。
それを見た瞬間、ドクっと……心臓が大きく波打つ感覚に陥った。
人の頭が、もう一体の死人に鷲掴みにされていた。
人の形をした死人が、人間の頭を掴み上げていた。
頭から下は一応全てがくっついてはいるものの、だらんとしていて動きそうにない。
生きているのか死んでいるのかもわからない状態。
楽しそうに、見せびらかすように、死人はその人を俺に見えるよう高く持ち上げた。
けたけたと笑う奇怪な声に、ぞわりとした不快なものが肌を撫でる。
顔は動かさずに未来の方を見ると、大して大きな音が鳴らなかったせいで起きなかったのかと思えば、耳を塞がれていた。
さっき変化した黒い右手を、今度は頑丈な網を思わせる形にして、未来を覆うように囲っていた。
つまり、ケトが守ってくれていた。
「……いい子だ」
ならば何も気にする必要はない。
俺を驚かせた方の死人には構わず、腰につけたキューブに手を当て、外の死人の目の前まで一瞬で駆け抜ける。
勢いに身を委ね体を大きくひねり、右足を死人の頭上から叩き落とした。
反応すらできず頭蓋骨を叩き割られ、いい音を鳴らした死人へ、もう一発。
「その人を放してもらえるか」
ヒュォッと空気が唸る音。
一瞬、死人の顔がめり込むのが見えた。
諸に膝蹴りを顔面に食らった死人はホームの壁に激突し、心臓が割れ、一気にガラス玉へと姿を変える。
自分のすぐそばにいる解放された人が、カタカタ震えているのを目の端で捉えながら、蹴り上げた足を地面に着けた。
お読みいただいてありがとうございます。
お名前が決まりました。
バスケットボールから生まれた死人、ケトです。
他にも面白がって色々候補が(バス、ぼーちゃん、すけじろう)などあったのですが、いや、真面目に考えようと思った結果、ケトに落ち着きました。
隆……こういう時のために上着を用意しておくんや。
去年今より暑い時期でも斎君はカーディガン持ってたぞ。
でもそんな隆一郎君ほくろは好きですぞ。
さて、当番でないのに戦闘に入ることになってしまいました。液体が窓ガラスについていたとのこと。今回の死人さんは誰でしょうか?
《次回 名前を決めよう②》
死人さんとご対面。隆一郎は新たな挑戦に出ます。
よろしくお願いいたします。