第八話 長谷川凛子①
前回キューブを長谷川さんたち三人に盗られてしまった未来。
返してもらうため、隆一郎とともに死人が生まれるゴミ箱へと向かいます。
見上げた夜中の空は、厚い雲に覆われていた。
街灯は沢山あるから真っ暗とは言わないが、もうほとんどの家から電気が消えて暗い町中を、俺は未来と二人並んで歩く。
時間は夜中の零時前。
誰一人すれ違うことのない『ゴミ箱』までの道のり。
それは誰もが死人と遭遇するのを恐れ、ほとんどの住民が『マテリアル』と呼ばれる爆破してもビクともしない、超頑丈な素材でつくられた建物の中へ避難しているせいだろう。
マテリアルは二〇三〇年、死人が襲来したのちに、谷川哲郎博士が対策として発案した特殊な素材なのだと親に聞いた。
見た目は特にほかの建築用材と変わらないけど、物で強めに叩いてみると甲高い音が鳴るから敬遠されるかと思いきや、実際今ではどこもかしこもそればかりだ。
俺たちが住んでいる家も、学校も、それこそ今向かっているゴミ箱と住宅街を隔てる安全のための壁でさえも。
だけどこうして死人の脅威から逃れるためにどんどん普及していくのを見ていると、結局同じことなのになと思い始めてしまう。
だって、見るもの全てがそれであるということは、コンクリートもレンガも、木造の建物なんかも使われなくなって、それだってゴミとなり死人へと変わっていくんだ。
朝三暮四って国語で習ったあのことわざは、つまりこういう意味なんだろうなと、俺は妙に納得していた。
「昼間の話、もう少し詳しく聞いていい?」
未来は前を見ながら悩むように指を顎先へ置いた。
「谷川君と朝話したときに、私を気に入らない人がクラスにいるって言われてね。私の目のせいかって聞こうとしたら、順番だって言ってたんだけど……つまり長谷川さんのことだったのかな。私が先にマダーになったから? なんでそれがそんなに気に入らないんだろ?」
眉に近いおでこにそっと手を添えて確認をしている未来は、プールで濡れた際に貼っていたガーゼを剥がしたらしい。指の間から見えたその傷はまだ痛々しく、周りは腫れていた。
「順番を気にする理由は俺もよくわからねぇけど、斎が言ってるのは長谷川で間違いないよ。前に斎本人から聞いたから」
今朝も随分気にしてたしな。
「未来。お前、俺が認識してるの以外であいつらから何もされてないか?」
それこそ俺が気付かないような、女子ならではの陰湿な何かとか。
「うん? 特に何かされたわけじゃないよ? ただそのキューブを持っていかれちゃったのがなんでかなって思ってるだけで」
返ってきた言葉に、俺はしばらく思考がフリーズしてしまった。
特に何かされたわけじゃない? それはつまり、プールでのことも、弁当のときのあれも、今回のキューブの件だってあくまで『なんでかな』程度の認識だったと言いたいのか?
こいつ俺が思っていた許せる範囲がどこまでかわからないんじゃなくて、ただ虐められてると認識してないだけだったのか。
「……なんだ。そっか」
「え、なに? なんでそんなに長いため息吐くの?」
今まで生きてきた中で一番長いのではないかと思うほど、大きく長く息を吐いた。
俺は……安堵していた。つらい思いをしていなくて良かったと。
「あ、でもね。筆箱の中に知らない派手なカッターがあって。刃が剥き出しになってたからびっくりし――」
「は!?」
俺は話を聞き終わる前に勢い任せに未来の両手をとった。手のひらにくい込んだような怪我がある。
「おま、これ、手当ては!?」
「や、待って待って、ちゃうから! それは私が勝手にやっちゃっただけ。カッターは当たらんかったし、それも誰のやろって思っただけやから!」
かなり焦って返答したのか、標準語の練習でずっと方言を禁止して話していた未来の口からは、早口の関西弁が出てきた。
「あ……あれか、これ。朝先生と話してたときの」
ホームルーム前の職員室で、未来が持っていたタオルにうすい赤色がついていたことを思い出した。
つらいのを我慢して手を握りしめた際、爪がくい込んで血が出てしまったんだろう。
「保健室の先生がおでこと一緒に消毒してくれたから、大丈夫だよ」
「ならいいけど……でも刃の出たカッターか。怪我しなくて良かったな」
これまた陰湿なやり方をしてくるなとは思うものの、俺はその『派手なカッター』を見ていないから誰の物かがわからない。
おそらく長谷川の物だろうけど、その件についてはちょっと気をつけろとだけ未来に促してから、ほかには何もなかったか聞く。
俺の知らないところでもし何かあったらと思うと、気が気ではなかった。
「あ、いる」
未来の声に、俺はまだ少し遠いところにあるゴミ箱へと顔を向ける。
高くそびえ立つその物体の前の階段部分で三人輪になった彼女らは、何かを話しているようだ。零時ギリギリに来るようなマダーがいる中で、意外と真面目な一面を見る。
感心していると隣にいた未来が走り出した。ダダダダダと効果音が付けられそうなほどの勢いで。
おい待て、俺を置いていくな。相手はキューブ持ってんだぞ。それこそ何かあったらどうするつもりだ。
後ろを必死に走る俺は速すぎる未来を追いかけるのに精一杯で、心中の叫びを言葉にできなかった。
「長谷川さん! エイコさんナツさん!」
未来は三人に近付きながら名前を呼ぶ。
その姿を認識した彼女たちは、遠目でもわかるほどゲッという顔をしていた。
「相沢ちんどうしたのー? こんな時間に危ないよ。ほら、もうすぐ零時。そろそろ死人が湧いてきちゃうからさー、ね? 早く帰りな?」
「キューブ、返して」
自分の腕時計を見せながら言う長谷川の言葉には反応せず、未来は手を差し出した。何とか俺も追いついて見えたその顔は、怒っているというよりは悲しんでいるように見えた。
懇願する未来を前に、長谷川はニヤニヤとするだけで全く動かない。
「返してください。お願いします」
「相沢ちん何言ってんの? そんな大事なものアタシらが盗るわけないじゃーん、悲しいなあ。仕事の邪魔になるから帰ってよー」
ああ、イライラする。
「なあ、時間ないんだろ。さっさと返してくれ。そしたら仕事の邪魔もしないしすぐ帰るから」
未来に任せたほうがこれ以上関係が拗れなくていいと思っていたが、あまりにも今日一日の長谷川の態度が気に食わず、俺はつい口を挟んでしまった。
「いやいや、持ってないからさあー。帰ってよ」
足下に何か冷たい感覚。やばい気がして俺と未来は同時に後ろへ飛び退いた。刹那、ボッ!! と大きな音を立て、今いた場所に身長の二倍ほどの竜巻が発生する。
――こいつ、生身の人間にキューブを使いやがった!
竜巻を作った際に翻された、長谷川の左手に刻まれている文字が見えた。その文字は、『風』。
「人にキューブを使ったら刑罰だよ!?」
未来が焦ったように諭した。
キューブを使うに当たって、決まり事が三つある。
ひとつ、使用は夜に限ること。
ひとつ、使用は基本的に対死人にとどめ、必要であればその他にも使うこと。
ひとつ、人間に対し傷つける意図で使用する場合は、重い罰を受けること。
それをわかっているはずなのに、未来の言葉も聞かず、長谷川は次々と竜巻を起こしてくる。確実に俺たちを狙ってくるその風を、右へ左へ避けて避けて、後ろへ宙返りしてかわし切る。
「【火の粉】!」
正当防衛だ、仕方ない。
俺もキューブを展開させ、自身の炎の能力を解放する。左手に『炎』の文字が刻まれるのは確認せず、すぐに戦闘へ入った。
竜巻の根元に作り出した火の粉が、巻き起こる風に吹き飛ばされてあちらこちらへと散る。避けるためにお互いが距離をとった。
「ねぇ、話し合おう? わざわざやり合う必要ないって!」
「はあ? 話してアンタに何がわかるっての!?」
未来の近くにある人工の木が、突如声を上げて大きく揺れた。
『オアァァア!!』
まるでバットを振りかぶるように太い枝が俺たちの頭を狙ってくる。
未来は木に手を付き軽やかに避けたが、俺は膝をついて避けたせいで、その下にある自分の影が蠢いて足を拘束された。
エイコやナツが参戦してきたみたいだ。
「凛子の邪魔はさせないから!」
「邪魔だ? こっちは話し合おうとしてんのに邪魔してるのはどっちだよ!」
モノに命を吹き込む能力に、影を司る能力か。面倒だな!
拘束された足から直接炎を出して照らし、影自体を無くす。影が消えればその場で操れるものはない。拘束から解放される。
隣にいる未来が、一応着てきた戦闘服の下に隠しているガラス玉を一つ、真下の地面に投げた。パリンと音が鳴って、周りに煙がたつ。
「あなたが何にこだわっているのかが私にはわからない。だから話そう、わからなかったらそれでいいから!」
未来が腕を広げると、急速に周りの明かりが消えていく。これは昨日拾った、白熱電球の死人が集結してできたガラス玉の能力。
並の人間には意味がわからないが、未来はそのガラス玉で死人の能力を自分の力として使うことができる。才能ってやつか。
エイコやナツは驚いていたが、一人、長谷川だけはさも当然のようにその様子を見ていた。
周りの明かりが全て消え、辺りは真っ暗になる。
お互い何も見えず、無理に力を使うと味方を傷つける恐れがあるから誰も動かない。ただ未来と長谷川の声だけが響く。
「いったい何をそんなに怯えてるの。何があったの?」
「怯えてるって? アタシが!? 何言ってんのよアンタ!」
「そう見えるの! なんでここまでするの!?」
「別に関係ないじゃん、いいから黙ってろよ!」
「良くない! マダー同士でなんて不毛な戦いするくらいなら、少しは――」
「うぜぇ……うぜぇ、うぜぇ! うぜぇな相沢未来! ああわかったよ、そんなに知りたきゃ教えてやるよ! アタシはな、ずっと前からテメーのことが嫌いだったんだよ! それも殺してやりたいぐらいにね!!」
俺の横で風の音と未来の小さな呻き声が聞こえた。
暗くて見えないのにお互いの位置を正確に把握してる。なんてやつだ。
これじゃ話そうとして見えないようにしているのに全く意味がない。
「なんでそんなに……!」
リーンゴーンリーンゴーン……。
ゴミ箱に備え付けられた、零時を知らせる低い音色の鐘が鳴った。
――死人が、生まれる時間だ。
未来の手が水平に弧を描いた音がして、それと同時に明かりが戻り始めた。
仲間割れなどしている場合じゃない。死人との戦闘に備え、全員がゴミ箱へ向き直った。
認識できるようになった未来の体には、風でできた無数の切り傷があった。
「相沢ぁ、さっさと帰れよ鬱陶しいからさ」
「キューブ返してもらえるまで帰れないよ!」
「だーから今は持ってないっての」
危険を考えてキューブを持っていない未来が後ろになるように俺は少し前に立つが、二人の言い争いは止まらない。
「本当に今は持ってないの? 家に置いてきたの?」
「さあねー。ま、なくても戦えるならそれでいいんじゃない? 問題ないじゃん?」
「あるよ、大事なものなの」
「ふーん? まあいいや。ちょっとそこでアタシの勇姿を見てなよ。あ、つっちーも参加しなくていいからね」
つっちーって、俺のことか。
そう思ったとき、ゴミ箱がカッと光った。その眩しい先に黒い点が見えて、次第に大きくなってくる。光るそれが段々しっかりと見えるようになって、全貌が見えると。
俺はその正体に驚きを隠せなかった。
【第八回 豆知識の彼女】
未来は標準語の練習中。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 長谷川凛子②》
ゴミ箱から現れた正体と、対死人戦。
よろしくお願いいたします。