第九十七話 願いを背負って
前回、凛子の心の内がわかりました。
「ナイスナイス!」
「未来先輩、ナイスです!!」
何とかシュートを決めて三点分の得点を取れたことにほっとした未来は、一回ずつハイタッチをして二人の状態を確認する。
「世良ちゃんも七瀬ちゃんも、大丈夫?」
汗だくの彼女たちは未来の問いに、にっと笑みを浮かべて頷いた。
「問題ありません。あと少しですから」
「残り三分、三点リード。このまま押し切るよ!」
その答えに安心して同じように頷くと、ふふと小さな笑い声が聞こえた。
「そう簡単には終わらせないよ。ねぇ、未来?」
声の主である凛子は未来の近くへ寄り、前向きな会話に茶茶を入れる。
意地悪そうな、だけど楽しそうな表情の凛子を見ながら未来は額の汗を拭った。
「そうだね。凛ちゃんが簡単に勝ちを譲ってくれるはずがないもんね」
変わらずギリギリの攻防であるともう一度頭に入れ、各自思い思いの場所で構えを取る。
「がんばれーっ!」
「がんばってー!」
応援の声を受けながら、須田が瀬戸へスローイン。
だが近くにいた七瀬が先に前へ出て、右手のひら一枚で遮った。
「さすが!」
やられたと言わんばかりの表情で、瀬戸は奪われたボールを捕り返そうと回り込む。
「世良!」
「はいっ!」
コートの中央付近にいる世良へパスをして、七瀬は攻撃の手段を渡さない。
真っ直ぐに飛ばされたボールをキャッチした世良はすぐさまゴールへと走る。しかし既に須田がそちらへ向かっていて、ゴール近くで追いつかれてしまった。
ボールを奪われてしまわないように須田を軸にして、くるっと回って躱す。
畳み掛けるようにシュートを打つが、バックボードに当たり、跳ね返ってしまう。
「ちっ」
珍しく舌打ちをした世良の横で、落ちてきたボールを捕らえた須田。妨害にあいながらも瀬戸へロングパスをする。
遮ろうと未来も七瀬も身を乗り出したが、未来は凛子に邪魔をされ、七瀬はすんでのところで間に合わず、瀬戸のレイアップシュートでゴールを決められる。
「すみません!」
「大丈夫! 切り替え!」
間髪を入れずに七瀬がそう叫ぶ。
凛子から少しでも逃れるため、スローインで未来がコート外に出る。
何度か細かく投げるフリをして、どこに出してくるのかと迷わせてから七瀬へ。
受け取った彼女はゴールに向かって一気に駆ける。
誰も追いつけないと気付いた凛子が止めるべく走り、進行方向を遮った。
「ほんっと、速いね長谷川さん!」
苦い顔をした七瀬は右へ左へと小さくステップを踏み、行く先と反対方向に顔を向けることで凛子のガードを突破する。
「マジか!」
驚く凛子の真後ろ、ゴールから斜め四十五度付近。
シュートを打つが世良同様、決められず跳ね返ってくる。しかし先程とは違い、落ちてくる位置に瞬時に移動する世良の姿。
「未来先輩!」
この試合中初めての、完全にフリーな状態での未来へのパス。バシッと音を鳴らして掴んだ未来はドリブルをしながら突っ走る。
全力で止めに来る瀬戸と須田。二人から同時に行く手を阻まれてしまうが、止まりはしない。
ボールは須田の足の間を通して、体を斜めに捻ってすり抜ける。
躱したすぐ目の前にはそびえ立つゴール。
シュートをしようと跳び上がった時だった。
「させないっ!」
視界に映る、瀬戸の必死な顔。
先ほど避けたはずの彼女がまた回り込んできて、ガードしようとジャンプしていたのだ。
そのことに未来は気付かなかった。
勢いのまま打ち込もうとしていた未来の体は跳びながらも前方に向かっていて、彼女の顔を認識した瞬間、勢いよく衝突した。
――ガンッ!
頭に広がる痛み。二人同時に尻もちをつく。
ジンジンするおでこを手で押さえていると、誰かがシュートを決めた音がした。
後ろから聞こえたので、相手側の得点なのだろう。
「ごめんっ! 大丈夫? 瀬戸さん」
結構な勢いだったので怪我をしていないだろうかと慌てて近寄り、確認する。
すると瀬戸は未来の顔をじっと見て、なぜか、泣きそうな顔になった。
「大丈夫。ありがとう」
表情が変わり、優しく笑って答える瀬戸。
少し安心した未来は立ち上がって手を差し伸べた。
「茜ーっ! 須田ーっ! そんなヤツに負けんじゃないよー!!」
瀬戸が手を取って立ち上がり、逆転された33対32の数字を未来が目にした直後。伊崎が大きな声で応援し始めた。
その必死な形相は、負けなんてありえないぞと言っているようにも見える。
「わかってるよね長谷川も! 絶対だよ! 勝ってよ絶対に! 負けるなんて絶対許さなっ」
「うるさい」
まだ叫んでいる最中だった彼女の声を遮ったのは、凛子ではなく、意外にも瀬戸の苛立ちだった。
えっというような顔をした伊崎に、突き刺すような視線を向けた瀬戸はもう一言。
「黙って」
二人の間に亀裂が入っていくような様子を見て、未来は心配と疑問を抱くが、試合終了まで残り僅か。しっかりと考える余裕はなかった。
「相沢さん……ごめんね」
聞こえたのが不思議に思うほど小さな声でそう言われ、大丈夫だよと笑って返す。
他にも何か言いたそうにしていたが、世良のスローインがあって今は話せない。
ボールを渡された七瀬と、すぐにコートへ入った世良が気持ちのいいパスを繰り出した。
コートの両端めいっぱい、全力で走りながら相手をかき乱す。
「ならこっちを守るまでだね!」
奪えないと悟ったのだろう。凛子はレイアップシュートをしようとしていた七瀬のブロックについて一緒に跳び上がり、阻害する。
「未来!」
すぐにゴール近くで踏み切った未来も七瀬からボールを受け取って、ダンクをする素振りをみせた。
「させない!」
瀬戸と須田も未来の前で跳び、ゴールを守る。
やはり凛子たちのチームはこちらの動きがよく見えている。
「世良ちゃん!」
ハッとする二人の顔が見えた時には、未来の持っていたボールは既にコートの中央にいる世良のもとへ。
七瀬と未来が点を取るフリをして、相手チームを引き付ける。それは、世良にいつもの安定したシュートを打たせるための二重の罠。
余裕を持って打つ世良のシュートは、ここにいる誰よりも美しい。
弧を描いたボールはネットをくぐり抜ける瞬間スパッと静かな音を鳴らし、33対35でバスケ部が逆転した。
残り、一分。
「いいねぇ! さすがだよ」
「いや、いやいや。長谷川さんたち凄いよ、マジで」
楽しそうに言う凛子の傍らで、七瀬はしんどそうに息を乱しながら答える。
「だけど、アタシらもね。負ける気はないよ」
口の端を上げた凛子は右へ行くように見せかけ左へ瞬時に移動して、マーク中の未来を躱してくる。
全力で走る彼女の俊足には誰も追い付けず、こんなにも簡単にやられるのかと思うほど、高く跳んでダンクを決められてしまった。
「かっこいいなあ……」
そのズバ抜けたセンスも、努力も、未来は心の底から尊敬している。
「あと三十秒〜!」
時間を告げる声。35対35の同点。
このままだと勝てない。
全員が焦っているのが見て取れる。
ボールがパスされていく中、その焦りのせいか珍しく瀬戸がドリブルをミスした。ボールが手から離れ、未来と凛子の方へ跳ねてくる。
絶好の機会だ。
二人同時に手を伸ばす。
先に触れなくては。先に拾わなくては。
そう急くために、足がもつれそうなのがわかる。
重心が前に行き過ぎているのがわかる。
もう、今すぐにでもこけてしまいそう。
だけどここだけは絶対に、今この瞬間だけは踏ん張らなければならない。このチャンスを、絶対に逃してはならない。
転びそうになりながら、バウンドするボールを先に未来がキャッチする。
目の前に人の壁は無い。
今この場でゴールに投げれば決められるだろう。
未来が苦手なロングシュートじゃないから。
周りにブロックができる人もいないから。
きっと、誰もが思う。
この絶好の機会、逆転の一手を打つのは未来だと。
その思考に陥った凛子はシュートを防ぐため、未来の前に立ちはだかる。
彼女の判断は正しい。
しかし、皆に願いを託され、責任を背負って一心にゴールへと向かって跳ぶべきなのは――。
「七瀬ぇぇぇぇえッ!!」
未来が指さす、その先へ。
意図を瞬時に理解した七瀬は、乳酸が溜まって疲れた重たい足に命令をして、ゴールのすぐ下から全力で跳び上がる。
眼前にいる凛子の、目を見開いた顔が見えた。
名前を呼んで、指をさして。
どこに行ってほしいのか、誰に決めさせようとしているのか。きっと彼女はわかっただろう。
その瞳には、今から起こる光景がもう見えているのだろう。
だけど、凛子は動けない。
ボールを投げる。
未来をブロックしようとしていた凛子の手は、それを掴めない。
だって、未来がシュートを打つと確信を持っていたところに、違う『可能性』を見つけてしまったから。
その瞬間の、瞬時の、刹那に行う判断というものを、彼女は苦手としているのだから。
未来が決めるとタカをくくってしまった凛子。
七瀬のもとへ今から駆けるという選択は、絶対にできない。
「はぁあああっ!!」
投げられたボールがゴールの真上に到達。勢いあまってこけてしまった未来は、床に体がついたまま声の聞こえる方を見上げた。
そこにいるのは、空気を切り裂き、腕を大きく振りかぶり、運命を背負って跳んだ七瀬の姿。
渾身の力をこめて振り下ろした彼女のシュートは、それはそれは大きな翼を持った、とても美しい鳥が羽ばたいたかのような錯覚を起こさせる。
「きれい……」
無意識に、そう呟いた。
自分の居場所は自分で守るもの。
自分たちの居場所は自分たちで守るもの。
それがどんなに苦しくても、どんなに危ない橋を渡る行為であっても、大事なものを掴み取るのは本人でなければならない。
未来は彼女たちの命運を決めるべきではない。
彼女たちの結果を決めるべきではない。
それは、みんなの努力の結晶であるから。
未来はただ、みんなが『この先』へ繋がるための、ひとつの架け橋でありたかったから。
ドゴォッン!!
一際、大きな音が鳴る。
この試合中、何度も何度も大きな音は鳴っていた。
シュートが入る時も、入らない時も。
何度もゴールを揺らしては轟かせた。
だけど今の彼女が立てた豪快な響きは、今までのどのシュートよりも気持ちがこもった、史上最強のダンクだろう。
ネットからすり抜けてきたボールがバウンドして、聞き慣れたタンタンという音がする。
体育館には、誰の声も、動く気配もない。
視線だけが彼女へと向けられる中、ピーッと、試合終了を告げる笛が鳴らされた。
「わああああっ!!」
唐突に体育館に沸き起こる大歓声に、未来と凛子は揃って得点ボードに目を向ける。
「……かっ、た?」
七瀬の小さな声。
「えぇ、キャプテン」
同じく小さな世良の声。
振り向いて目に入ってきたのは、ボロボロと涙を流し始めた二人の姿。
「勝った……うぁっ、勝ったよぉ!!」
ゆっくりと頷いて肯定する世良に、七瀬は嗚咽を漏らしながらそう言った。
結果は、35対37。
祈りに祈って手に入れた、バスケ部の優勝を告げる数字だった。
【第九十七回 豆知識の彼女】
未来と七瀬が行ったのは、アリウープシュート。
仲間がリングの近くにボールを投げて、空中でキャッチしてダンクシュートをするという方法です。
とても華やかでカッコいい、相手を信用しての連携プレーでした。
長くなりましたがバスケ決勝戦、決着です。
未来さん凛子さん、おつかれっした!
瀬戸と伊崎の間には少し距離が、というよりは文字通り亀裂が入った様子。伊崎は変わりませんが、瀬戸の方には何かしら思いの変化があったようです。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 改心》
試合後です。
よろしくお願いいたします。