第九十六話 罪滅ぼし
前回、体力の限界を感じたキャプテン。
それでも頑張る彼女と、「本気でやれ」と言われた凛子でした。
凛子は思い出す。球技大会前のある日を。
『凛ちゃん、加奈子。毎日ここまで来てくれなくてもいいんだよ? 靴履き替えたらそのまま帰っても……』
放課後、絶対に体育館まで送り届けてから帰路に就く凛子と加奈子へ、未来は不思議そうな顔をして言った。
事情を知らない彼女からしてみれば、『がんばって』でも『また明日ね』でも、別れの挨拶があればそれで良かったのかもしれない。
反対に、凛子たちは未来が一人になる時間を作りたくなかった。
二年の時のクラスや、前の学校のことがあるから。
自分たちがいないところで、もしもまた何かあったら。そんな心配がどうしても拭えなかった。
そしてこの日。予感とは、的中するものだと知る。
凛子にしては珍しく、携帯を教室に忘れて帰りそうになり、一度校門を出てから再度学校へ戻った。
回収したらすぐに帰るつもりでいた。
教室の扉の前で、不審な笑い声を聞かなければ。
『きゃはははっ! ほら、みんなもやっちゃいなよ』
中から響いてきたのは、去年、今年と同じクラスの瀬戸茜の声。その取り巻きの須田と伊崎、他にも数名いるようだった。
『ちょっと、やり過ぎじゃない? あっ、でも見てよこれ、傑作でしょー!』
『いいねいいね! 次はこれでどう? あははっ!』
――ああ、きっと何か、しょうもないことしてるんだ。
そう思いつつ何をしているんだろうと気になって、携帯を取ったらその様子を見てみようかなとも考えた。だけど、
『茜、本当に相沢さんのことキライだよねー』
その聞き捨てならない言葉が聞こえた瞬間、凛子は扉を開けられなくなった。
『嫌いっていうかさ、単純に調子のんなって話なんだよねー。加藤の一目惚れの件もそうだけどさぁ、土屋君といい、谷川や秋月。しかもウワサじゃ、高等部の弥重先輩にまで大事にされてるらしいじゃない。完全に――じゃん? 目が青くて酷い扱いを受けやすいってのを逆手にとって、男に媚びてるだけじゃないの! あははっ!』
目を見開かずにはいられなかった。
何を言っているのかと。
そんなこと、あの子がするわけないと。
好意を寄せている隆一郎や優はともかく、斎たちは友だちとして近くにいるだけだ。
目が青いというそれだけで、未来がどれだけ苦労してると思っているのか。
腹が立った。握った手に爪がくい込んで、痛かったほどに。未来を何と表現したのかをその場で記憶から削除したほどに。
だからだろう。彼女らが次にした話の内容に、凛子がここぞとばかりに首を突っ込んでしまったのは。
『そういえば、もうすぐ球技大会じゃん? なんかバスケ部の応援で出るんだってね』
『あーそうそう。でも絶対何かしらズルするよねー。キューブ使ったりしてさ、みんなにいいところ見せようとしてまた張り切るんじゃない?』
『えーウザー』
『でもさぁ、相沢が出るんなら、ウチら負けると思わない?』
『えー、尻軽女と弱小バスケ部には負けたくなーい』
『あはははっ』
『ねぇー、瀬戸さん』
勢いまかせで開けてしまった教室の扉。その先にいる瀬戸と須田、伊崎に向かって、凛子はある提案をした。
『そんなに未来に負けたくないんなら、アタシがチームに入ってあげようか』
ヤバいと焦る彼女らの顔と、ガキがやるようなマジックでラクガキをされている未来の机。それを目にした自分はきっと、ニコニコして言ったのだろう。
『その代わりに、もし未来のチームに負けたら――』
「長谷川! フォロー!」
彼女らとの約束を思い返したのち、背中側から瀬戸の声が聞こえた。
試合を始める前と現在の彼女では、明らかに顔つきが変わっている。おちゃらけた雰囲気は真剣へ。嘲るようだった態度は驚きと尊敬に。
未来に対しての感情が、急激に変化しているのが手に取るようにわかった。
「そうだよ。知れ」
知れ。もっと知れ。未来を悪く言うのはお門違いであると。
周りの人が未来を大事に思う理由は、好意を寄せる理由は、媚びるからではなく彼女自身の凄さに魅せられるからだということを。
地位を求めず、称賛の声すら欲しがらない。いつだって誰かのために行動するのだということを。
瀬戸の声を聞きながら、凛子は周りの状況をいち早く確認する。
目の前には大好きな未来がいて、懸命にこちらの動きを遮ってくる。
背中側からはボールが飛んできているらしい。未来に捕られないよう先に走り出す。
でも、彼女が簡単にそうさせてくれるはずもない。
凛子の横を全力で追いかけてくる未来は同じタイミングで手を伸ばす。
あと数センチ。あと数センチで届くボールは、未来がまた俊敏な動きを使ってかっ攫っていく。
だけど渡さない。
逃げるなら追いかけるのみ。
彼女が次に現れるであろうその位置まで、自分もすぐさま移動する。だけどやはり、それも考えて動く未来は凛子の一歩前をいく。
そこにいるはずなのに、気が付けば、凛子の背中側に彼女はいる。
「ほんっとに、強いなあ!」
怖さと喜びが入り交じった変な感情を抱く。
凛子を出し抜いた未来は自分の苦手要素と知りながら、ゴールから比較的離れた位置でシュートを決めてみせた。
そんな光景を見る凛子の心の中では、考えるべきではない色んな思いが渦巻いていた。
ずっとこうやって、普通の中学生として一緒に過ごせていけたらいいのにと。
死人なんて存在しない世界で。
マダーなんていう役割がない、平和な世界であったら良いのにと。
そうしたら、もっと普通に出会えていた。
そうしたら、あんな意地悪をすることも無かった。
そうしたら、あなたを傷つけなくて済んだ。
そうしたら、もしかしたら。
――アタシたちは、親友に……なれたのかな。
周りから見れば既にそうであるらしいが、凛子は自分への戒めとして、敢えて言わないようにしていた。
言えなかった。言えるわけがなかった。
『ねぇー、瀬戸さん。そんなに未来に負けたくないんなら、アタシがチームに入ってあげようか』
ヤバいと焦る彼女らの顔。不審そうな表情をした瀬戸に、凛子は更に話を持ちかけた。
『その代わりに、もし未来のチームに負けたら。……謝ってよ。今言ったこと、全員』
張り付けたような笑顔。冷たく殺気を放った声。
もちろん彼女らはそんな凛子を信用しない。
凛子が手を抜く可能性が高い、負けるように仕向けるつもりだと疑って、駆け引きを全力で拒否した。
信じられないのも無理はないだろう。
凛子は未来の友だちで、本当に本当に大事にしているのだから。いつだって味方でいるつもりなのだから。
だけど、彼女らが言うような手を抜くという可能性については皆無であった。
どんな状況でも、戦いで手を抜くなんて凛子はしたくない。
バスケ部の存続がかかった試合でも。
未来へ謝罪をさせたくても。
黙って敵チームに潜り込んで、本気で戦って勝ってしまえば、周りのみんなから疎まれるかもしれない。
それでも――。
『だから、信用できねぇっつってんの』
バシャッと、液体の感触を味わった。
『うわっ、きったなーい! 綺麗な顔が台無しだね? まぁ派手な格好から地味になった時点で、その見た目の良さも半減しちゃってたけどさぁ』
不愉快そうな顔が嗤う。瀬戸が手に持っていたジュースを頭から掛けられたらしかった。
お砂糖まみれのあまーい液体は、凛子の髪と顔をベトつかせながら流れて床へと滴っていった。
どうでもよかった。そんなもの。
それ以上に許せなかったのは、彼女たちの言葉。未来への害意であったから。
『本気でやり合えば、あの子のことがよくわかるよ』
相沢未来という存在を、のっけから否定していく彼女たちが許せなかった。
だって、かつての自分がそうだったから。
『知ったような口振りで罵る前に、あの子を正面から見てみなよ。そのために、ちゃんと平等な試合ができるようにアタシがベッタリくっついとくからさ』
今思えば、あの時あんなふうに提案したのは、凛子なりの罪滅ぼしだったのかもしれない。
初めて出会ったあの日、未来を傷つけてしまった自分を、未だに許せないでいるからかもしれない。だとしても。
「守るよ。どんな悪意からでも」
小さな声で呟いた。
自分は何をされても構わない。
だけど未来は守ると決めたから。
傷つけたはずの自分を許し、認め、共にいてくれる彼女を守ると誓ったから。
未来はまだ、右腕の傷痕については話さない。
過去の話は一切してこない。
それでもいい。
未来が話したくないなら聞かないし、話したいと願うなら全力で聞こう。
未来が負っている心の傷を、誰かに打ち明けたいと思う日が来るのなら、その全てを抱きとめられるような友だちでありたい。
おばあちゃんになっても傍にいたいから。
隣でずっと、笑っていてほしいから。
だからお願い。今だけは、悪役でいさせて。
【第九十六回 豆知識の彼女】
凛子の携帯電話の色は、ショッキングピンク。
見た目こそ落ち着きましたが、派手なものが好きなのは今でも変わりません。みんなで携帯持ってるイラストが描きたいなぁ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 願いを背負って》
堂々の決着です。
よろしくお願いいたします。