1.いちばん初めの記憶
にぎやかな大夕張を知る最後の年代なので記憶が残っているうちに書き残す。
いちばん初めの記憶は青葉荘の1番上の方にあった棟の横で転んだこと。
青葉荘は大夕張の千年町駅からバス通りをシューパロ川の方に行くと鹿島東小学校の近くにあって、道路が右にカーブするところの左手に3棟あったの。
詳しい場所が知りたいときは「ふるさと大夕張」で検索してね。
散歩道で地図見れるから。
近所の子は幼稚園に2年行ってる子が多くて、うちは保育士だった母親のポリシーだかなんだかわからないけど1年って決めてたみたいで。
知らない子と走ってて転んだ。
四才のまだ暑くないころ。
膝小僧から血が出て傷跡がずっと残ってた。
今は皺と肉割れでわかんなくなったけど。
すごくいい天気だった。
昭和40年から48年8月にかけてのこどもの頃の話だよ。
河岸段丘の下の方に住んでたから、炭鉱だの鉄道だのそんなのはないからね。
書こうと思ったのは頂き女子りりちゃんのTwitterがおもしろくて、こんなんでいいんだーと思ったら書けそうな気がしたから書いてみた。
誤字脱字とか日本語が変とか、その辺のおばちゃんの世間話だから、高尚なこと要求されても無理だよ。