悪役令嬢役は辞めました。7
ソフィアはヴェルヌ領に帰って来ていた。
ヴェルヌ領はアトラス王国の北に位置する領地である。規模的には中堅クラスであり、北に在りながら比較的気候が穏やかだった。ただし、ヴェルヌ領の更に北側は未開地と呼ばれ、彼の地より時折魔物や魔獣が南下して来る事があった。ヴェルヌ領はその防波堤という重要な役割を担っていた。
しかし、境界の多くがエルドリッチ峡谷と呼ぶたいりくを二分するかの如き巨大な峡谷となっている為、移動可能な場所が限られている。なお、エルドリッチ峡谷の僅かに陸続きになっている場所のヴェルヌ領側は魔境森林、至上森林、森林迷宮から構築された奇異な森林地帯であり、魔物や魔獣も抜けて来る事例は少なく被害も稀であった。
ヴェルヌ領は魔物が出る辺境地ながら、領主ロバートの人柄の良さと統治手腕の確かさから穏やかで豊かな領地である。
ソフィア一行は王都からここまで20時間で到着している。本来であれば2日は要する距離をである。全てエンデの手を回避する為の強行軍だった。
領の境で衛兵達と別れ、ミツセと2人きりとなった。
日は山陰に姿を隠し、徐々に夕闇が迫っていた。
2人が歩いているのは、領の西の外れ時折魔物が出没する森の近くである。ソフィアの産みの母マリーの墓へと向かっていた。
そして、別の思惑も。
「お嬢様。」
ミツセが小声で声を掛ける。
「ええ、来たわね。」
ソフィアも気が付いていた。
10名以上の集団が森側を除く半円形でソフィアとミツセへの包囲網をじわじわと狭めていた。
今度は不意打ちではなく、真っ向勝負を挑むという訳でもなさそうである。
包囲網は2人から人物がハッキリ見える位置で止まっていた。真に包囲する事が目的だった。それは後に分かる。
「お遊びはここまでよ。戻って来なさい、ソフィア。」
聞き覚えのある声。細身で長身の人物がフードを取る。それは紛れもなく義母エンデだった。
「すぐ私と王宮へ行って、婚約破棄を撤回して貰うのよ。話せば分かって貰えるわ。悪いのは平民の小娘なのだから。自分を聖女と言いふらし王子を誑かす。なんて太々しい泥棒猫。」
まるで速射砲の如く早口で力強い言葉を放つ。
「お義母様。私は戻りません。」
「何を馬鹿な事を言っているの。自分で幸福を手放そうとしているのよ。」
「私の幸福は私自身で掴みます。それに殿下は再び私を婚約者として迎える事は決してないでしょう。これは千載一遇のチャンスなのですから。貴女を王政から排除する。」
ソフィアはキッパリ言ってのける。貴女の悪巧みを知っている事を匂わせて。
「何の事かしら。」
エンデは余裕で返す。
「貴女は何故ここに居るのですか?」
「それはあなたの事が心配だから。」
「婚約破棄を聞いてから?」
「そうよ。あなたが泣き寝入りしない様に手助けする為に。」
ソフィアはそれを聞いてしたり顔で会話を続ける。
「それにしては随分お早い到着ですわね。」
「馬車を飛ばして来ましたから。」
「ふーん。休息もろくに取らず早駆けしてきた私達よりも、捕獲準備が出来る程早く到着するなんて有り得るのかしら。」
「それはその。そう、あなた達の馬より優れた馬だから。」
エンデの答えはだんだんと怪しげになっていく。
ソフィアは追い討ちを掛ける。
「お義母様。貴女が此処と王都、2つの屋敷の自室に転送陣を設けて行き来していたのを承知しておりますわ。此処を隠れ蓑に「貴族至上同盟」なる輩と密会を重ねていた事も。」
エンデの表情がみるみる険しくなっていく。
「まあ、はしたない。人のプライバシーにずけずけと入り込むなんて。そんなお行儀の悪い子にはお仕置きが必要ね。」
「彼等はお義母の思うような崇高な人間ではありませんわ。私腹を肥やす為には民を苦しめる事を厭わない奴らです。」
ソフィアの訴えエンデは鼻であしらい答える。
「でも、地位も財力もある方々よ。その様な方々にも私の王の妹という肩書きよりあなたの次期王の婚約者、未来の王妃という肩書きがあれば絶対的な支持を得られるに違いないわ。だから、戻ってきなさい。」
(他人を利用することばかり。)
エンデの言葉に反論しようと思ったソフィアだったが、心の中に留めた。
が、ただ一言
「嫌です!」
と言い放った。
その答えを聞いたエンデは軽く溜息をついた後、右手を高く挙げた。
瞬間、場の空気が変わった。
「こんな方法は取りたくなかったのだけど。恐怖に震えて反省しなさい。」
それを合図にソフィアとミツセを囲む輪のエンデのいる場所から反対側から嫌な感じが放たれ始める。
(召喚術?)
それが王宮で学んだ魔術に関する知識の中で最も感覚的に似ていると思った。
(何故、召喚士が。)
エンデの隠密に召喚士が居るなどと聞いていない。となると、おそらく派遣されてきたのだろう。
(目的は?実力は?)
分からない事ばかりで少々戸惑いを感じていた。
と、その時頭の中にあるイメージが飛び込んできた。そのイメージの送り主をソフィアは知っていた。懐かしさを誘発させるイメージだった。