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第三話

背表紙の文字を指でなぞると、銀糸や金糸で文字が縁どられているのがわかる。

どれも父の書斎では目にしたことのない本ばかりだった。

小さい頃に目にした本はどれも分厚い本ばかりで、不可解な言い回しのものが多く、最初は何も言われなかったが、あまりに入り浸るようになるといつのまにか母が書斎に鍵を付けてしまったようで入れなくなってしまっていた。

棚を移動すると、可愛らしいイラストや版画や切り絵などで彩られたたくさんの絵本や、動物や風景、世界の人々の暮らしや建物などの写真集などが収められていた。

高校生ぐらいの時に、美波が少しカメラに没頭している時期があった。

カメラとはいっても一眼レフなどの本格的なカメラが買えるわけもなく、バイトが許されていなかった私たちは、お小遣いを少しずつ貯めて初心者向けのデジカメを購入した。

大して欲しいものがなかった私は、少し美波に出資した。

『お姉ちゃん、いいの?』

『それじゃあ、少し私を記録してもらおうかな?私がこの時、確かに存在していた証として―――』

美波は毎日のように私を被写体に色々な風景を撮った。

ポーズにも服装にも色々と注文を出してくるようになった。

楽しそうな美波に私まで笑顔になった。

ただ、ある時を境に美波は急に写真を撮るのを止めてしまった。

理由を訊いても、何も答えてくれなくなった。

数か月後、母が買い物で不在にしているときに、リビングの隣の和室に置いてあるアイロンを借りようと入ったことがある。かすかに開いていた襖の先に見覚えのあるカメラが覗いていた。

何故そこにそのカメラが置いてあったのかは母に訊かずじまいだった。


その日から写真というものからは縁遠かったため、久しぶりに極彩色の世界を目にした。

その中に白いベールを被り、膝立ちをし、祈りを捧げる女性の写真が目に飛び込んできた。女性の先には白の大きな外套をまとった大柄の男性が立っている。

祈りを捧げる女性には恍惚とした表情が浮かんでいる。

私は妙な既視感を感じていたが、打ち払うかのように首を振った。

ふと気が付くとコーヒーのいい香りがブックカフェ内に立ち込めていた。

私は香りをたどり、ゆっくりと歩いていった。

本棚に隠れるかのように入り口からすぐのところに楕円型の隙間が存在していた。隙間にかかる白いレースカーテンをめくると、そこには先ほどの男性がコーヒーをいれていた。

「あ、ちょうどよかった。今声をかけようとしたんです。コーヒー淹れたのでよかったら一服しませんか?スコーンも焼いたのでどうぞ」

「いいんですか?ありがとうございます!」

男性は大きな丸いテーブルの上にピンクの花柄のカップに入ったコーヒーとスコーンを置いてくれた。

「スコーンはラズベリーとブルーベリーが入ってます。甘いもの、大丈夫ですか?」

「はい、でも、久しぶりに食べます……」

淹れたてのコーヒーも久しく飲んでいなかった。

母が用意してくるご飯を淡々と口にしていたので、自分からこれを食べたい、飲みたいと要望をいう機会がなかったことをふと思い出した。

「コーヒーはミルクと砂糖は入れますか?」

「はい、入れます」

まずはスコーンを口にした。外側はさくさくで中はふんわりとしていて、二種類のベリーの酸味であまり甘ったるくもなくとても美味しかった。

「とても、美味しいです」

「良かったです。実はブックカフェといいながらコーヒーとこのスコーンくらいしかなくて、本当はケーキとかいろいろと作りたいんですけど、まだ試作段階なんです」

「私、スコーンとかケーキとか作ったことないので凄いです」

実のところ、26歳にもなるのに料理もままならない。

でも、目の前の男性に幻滅されたくなったので、私は無言でスコーンを咀嚼した。


りーりーとかすかに虫の声が静かな店内に流れ込んできた。

こんなにも静けさに充ちているのに、たくさんの本に囲まれて、ゆっくりと時間が過ぎるのが勿体ないと思わせる夜は本当に久しぶりのことだった。

ふと横を見ると男性がパソコンを開いてキーボードを叩いていた。

私がじっと見つめているのに気付いたのか男性は顔を上げた。

「ああ、すみません。今日使う会議の資料を作成していて、気が散っちゃいますよね?」

「……会社にお勤めなんですか?」

「普段は食品メーカーに勤めています。夜11時からこのお店を開けているんですけど、残業が続くと終電に間に合わなくなってしまってお店を開けられないことがあるんです」

「大変ですね。会社とブックカフェどちらもやられてると、寝る時間があまり取れないんじゃないですか?」

男性は一瞬表情を曇らせると、口をつぐんだ。

「あ、ごめんなさい。余計なことを言ってしまって、すみません」

私は昔からこうだ。小さい頃から気を使いすぎて本当のことが言えなくなる、とか雫ちゃんがいると会話が弾まないなど言われ続けた。

そのため、相手の顔色を窺いすぎては駄目だと思った。

ある時、思ったままに口にするようにすると、周りの友人たちは波が引いていくように一様に私の傍から離れていってしまった。

母に相談したが、雫の思うようにしなさいと言われるだけだった。

美波は母や家に関わることを脚力控えていた時期だったのであまり接点がなく、一緒にテレビを見たりお菓子を食べたりすることも少なくなっていた。

自発的に何かをしようと心がけると、何かが正解か不正解か分からぬまま実行してしまうので、大抵なことは失敗で終わってしまうことが多かった。

私は小さい頃から何も変わらず何も学ばずここまで来てしまった。

「いえ、気にしないでください。そう思われることはもっともです」

男性ははあーと長い息をつくとゆっくりと話し始めた。

「このブックカフェに来られるお客様は、やはり心の片隅に澱を抱えた方が多くいらっしゃいます。私は、無意識に眠らないようにしているのかもしれません。眠ろうとすれば眠れるのかもしれませんが、意識の不在は、余計な感情を引き起こす……」

「意識の、不在?」

男性は彼方を見据えたまま、そのまま何も言わなかった。

私も目線の先の虚空を一緒に見つめるが、そこに彼が見据えるおぼろげは形を成すことはなかった。

「そういえば、もう深夜の2時ですが大丈夫ですか?」

「え!もうそんな時間!?」

少しだけなら、と母に言われていたことを思い出し、私は勢いよく椅子から立ち上がった。

「ごめんなさい、少しだけと言われていたのに、このお店が居心地がよくてすっかり長居してしまいました!」

「長居する方は閉店時間までいらっしゃいますから大丈夫ですよ。良かったらまた来てください」

「ありがとうございます!」

男性は店の扉を開いて見送ってくれた。

「自己紹介していませんでしたね。私はここの店長の宮原です」

「私は宇野雫です」

「雫さん……素敵なお名前ですね」

その時、ふみゃーおという声とともに足元に何か柔らかいものが擦りつけられた。

「あ、ヨルさん」

「雫さんをお見送りしてくれるみたいですね」

「また来るね」

そう言ってごろごろと喜ぶヨルの頭をゆっくりと撫でた。


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