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第二十三話

店に入ると、あからさまに不機嫌そうにこちらを見やる千里さんと目が合った。だけど、私の隣に立つ千紘くんに気が付くと、ぱっと花が咲いたような明るい表情に切り替わった。その切り替わり様に若干拍子抜けをしつつも、千紘くんを慕う気持ちが十分に伝わってくる。


「―――千紘!待ってたんだから!来るの遅いじゃない」


がばっと抱き着く千里さんを引き剥がすよう、体を押す力を込めていたがそれは徒労と分かったのかふっと力を抜いた。そして、何だか居心地悪そうにこちらを見た。


「雫さん、今夜はもう帰るよ。千里がいたらゆっくり出来ないだろうし、お店の迷惑にもなるし」


「えー!せっかく来たんだからいいじゃない。千紘も一緒に甘いもの食べようよ。すっごい美味しかったの!」


「そう、それは良かったな。宮原さんの手作りデザートは絶品だから」


かたん、とキッチンの方から音がしたと思うと宮原さんが心配そうにこちらを見つめている。


「梶くん、お仕事お疲れ様」


「宮原さん、すみません、千里が迷惑をかけたみたいで」


「……いや、うん、大丈夫だよ」


本心がにじみ出てしまうのか、宮原さんはどこか歯切れが悪そうに呟いた。


「夜遅くにやるお店だし、ゆっくりコーヒーを飲みながら本を読みたい人が行くブックカフェだから千里は一人で行かないで欲しいって、随分前から話していたんですけど……」


「あら、私だってゆっくり一人で本を読みたい夜もあるわよ。一人で家で待っていても、変な声が聞こえるし恐怖観念みたいなのが凄いし、誰かがいる方が安心することもあるんだから……」


後半、どこか寂しそうに小さく呟く千里さんに、私は思わず声を挟んでしまった。


「千紘くん、これから千紘くんも正社員で働くとなると帰りが遅くなることが多くなると思うし、千里さんも一人で不安になるようだったら【月夜の森】に来てもらった方がいいと思うの。私も、宮原さんもいるし。デザート以外の食事も今後考えていきたいと思っているから、食べたい軽食を出せると思うの。千里さんの希望をすべて叶えることは出来ないと思うけど、寂しかったり不安に押しつぶされそうな気持ちは、ただただ苦しいだけだって私もよくわかるから。だから―――」


私はそのまま言葉が紡げなくなり、下を向いてしまった。


整理できていない自分の感情をひたすらに吐き出し、息切れしまったようで呼吸が苦しい。すーはーと呼吸を整えて顔を上げると、優しく微笑む千紘くんの表情とぶつかった。


「うん、分かったよ。雫さんの好意に甘えさせてもらう。千里が家の中でしか暮らせないなんて、押し込んでいたのは俺だったのかもしれない。雫さん、ありがとう」


「う、ううん、私は、別に」


「ふーん、私のことを勝手に言って親睦をはかろうなんて、嫌なやり口。そんなんで千紘の感情を手玉に取ろうなんて思わないでよね」


「―――千里!」


千紘くんの声に、千里さんは一瞬怯んだがそのままぷいっとそっぽを向いてしまった。


「宮原さんもすみません。よろしくお願いします」


千紘くんは深々と頭を下げると、宮原さんは後頭部を掻きながらふうっと息を吐いた。


「僕も、接客業をしていながらあれは苦手これは大丈夫と勝手な線引きをしていたみたいだ。雫さんの言葉に気付かされたよ。【月夜の森】は、夜の世界を生きる万人に向けた憩いの場だってことをね」


その時、するっと生暖かいものが足元をすり抜けた。


下を見ると、黒い塊が寄り添っている。


私は黒い塊を抱き上げてお腹を撫でた。


「ほら、ヨルもいるし。皆、千里さんのご利用をお待ちしていますよ」


ふにゃーと鳴くヨルに千紘くんは目を輝かせた。


「ヨルー久々じゃないかー会いたかったよー」


千紘くんは両手を向けたが、ヨルはそれに応えず飛び降りて千里さんの方へ駆け寄った。


ヨルは千里さんの足元をくるくると回り、とても楽しそうだ。千里さんはヨルの好意に戸惑いながらもゆっくりと背中を撫でている。


千紘くんはあからさまにがくっと肩を落とした。その様子に宮原さんは後ろでおかしそうに笑っている。私も思わずつられて笑みがこぼれた。


「―――雫さん、前に話したお出かけの話、日取りとか決めてもいい?」


「はい。あ、でも千里さんの予定と照らし合わせてから決めましょう」


千紘くんと宮原さんはびっくりしたように目を見開いている。


「せっかくですし、千里さんと三人でおでかけしましょう。私、お弁当作ります。定期的に通っている病院の近くに大きな公園があるんですけど、そこに小さな動物園があるんです。そこに行きませんか?」


「あんたどこまでアホなの?さっきの同行させろっていうのはあんたたちの邪魔をしたいからに決まってるじゃない。私を連れて行ったら何もかも台無しにするかもしれないわよ」


「千紘くんが好きな千里さんはそんなことをしませんよ。千紘さんが悲しむ顔を見たくないはずです」


はぁ!?とばかりに眉を吊り上げながらも、千里さんは悔しそうに唇を噛みしめてそれ以上何も言わなかった。


その時、あはははと千紘くんが腹を抱えながら笑い声を上げた。


「雫さん、凄い。あの口達者な千里が何も言えなくなるなんて。何か、雫さん変わったね。パワーアップした感じ」


「パワーアップ、ですか?」


「そうそう。雫さん変わりましたよ。最初にこの店に来た頃は自分に自信がなくて、何かにずっと怯えているようでした。だけど、今は違う。自分を阻むものはなぎ倒していく、まではいかなくても目の前の脅威を理解して立ち向かっていこうという強さが感じられます」


宮原さんは目を細めてゆっくりとそう口にした。


「私が―――」


千紘くんと宮原さんは同時にゆっくりと頷いた。


喉元を得体のしれない何かがせりあがってくるようだった。私はぐっと抑え込むように口元を押さえた。だけど、それが何かは自分で分かっていた。


自然と目頭が熱くなる。


何故か最近の私は涙腺が緩くなっている。さっきだって夜の道で騒いで泣いてしまったばかりだ。ここでまた涙を流すわけにはいかない。ぐっとこらえる。


「……嬉しいなぁ」


思わず感情だけ言葉に出てしまった。


千紘くんはぽんぽんと優しく頭を撫でてくれた。


「雫さんは、そのままでいいんだよ。そのままの雫さんが俺も宮原さんも好きなんだから。千里だって、きっと好きになるよ」


「私は千紘みたいに単純じゃないんだから!」


千里さんの慌てたような声に、私と千紘くんは互いに顔を見やって吹き出した。




その一週間後。お店の定休日。私はほとんど眠ることなく朝から台所に立っていた。


まずは甘い卵焼き。母は昔から砂糖多めでとろけるチーズ入りの卵焼きを作ってくれる。コンビーフ入りの卵焼きも好きだけど、今回はスタンダードなものにしてみる。ウインナーも切り込みを入れてタコさんウインナーにした。あとはほうれん草とコーンのバター炒めと、母が昨夜作ってくれた筑前煮も入れさせてもらおう。何か物足りないような気もする。プチトマトも人数分入れる。あまり作れるおかずがないので、もっと小さい頃から母と一緒に料理をしておけば良かった。とはいえ、父が提示した禁止項目にそれも引っかかってしまうのかもしれないけれど。


鮭フレークと昆布があったので、二種類になってしまうけれどおにぎりもたくさん握ってみた。千紘くんと千里さんの苦手なものを事前に訊いておけば良かった。


「……雫?もう起きてるの?」


パジャマ姿の母が姿を見せた。


「あ、お母さんごめんね。起こしちゃった?」


「大丈夫よ。今日よね、ゆりが丘動物園に行くの」


「あそこの動物園、ゆりが丘動物園って言うの?」


「そうよ。六月ぐらいからあのあたりにたくさんの百合が咲くのよ。雫や美波が小さな頃に何度か連れて行ってあげたことがあったかな?」


「そうだったんだ……ごめんね、あまり覚えてない」


母は寂しそうに小さく首を振った。


「あそこは水生物園と動物園の二つに分かれているのよ。あと、確かちいさな遊園地も奥にあった気がする」


「え?遊園地もあるの?」


「人があまりたくさんいるところも、雫は連れていけなかったものね。でも、あそこのちいさな遊園地はお父さんに許してもらった気がする。千紘くんと千里ちゃん、だったわよね。楽しんでいらっしゃい」


私はこくっと頷いた。




ドアを開けると、すでに千紘くんが片手をあげて待っていた。


「おはよう。雫さん、少しは眠れた?午前中から動くの辛くない?」


「ううん、大丈夫。というより、今日が楽しみすぎて布団に入ってもほとんど眠れなかったの。あれ、千里さんは?」


「うん、先週カフェに行ったあたりから不眠や幻聴が酷くなってきて、掛かりつけの病院に行ったんだけど休息や安心感が必要だって言われたんだ。その後消耗期っていうのに入ってて今も眠ってる。消耗期は眠気が強い、体がだるい、意欲が出ない、自信が持てないっていうのが特徴で、規則正しい生活が大事みたいなんだ。千里は伯母さんに見てもらってる。本当は、今日はキャンセルさせてもらおうかと思ったんだけど、伯母さんが行ってきなさいっていうからさ」


「そうだったんですか……」


「ごめん、千里、今日のことは本当に楽しみにしていたんだ。口では悪態ついてたりしてたけど、スマホで動物園のこと調べてたりしてさ」


「それなら、ゆりが丘動物園は今度三人で行きましょう。千紘くんの家の近くに公園とかありませんか?」


「公園……?あ、千里が調子がいい時に散策する公園が近所にあったと思う」


「そこで、今日はピクニックをしましょう。千里さんが目を覚ましたら三人でシートを広げてお弁当を食べましょう。もし、千里さんがだるくて歩けなかったら、私と千紘くんで肩を貸してゆっくり歩いていけば大丈夫です」


「雫さん」


「お弁当も作りすぎちゃったんです。三人で食べましょう」


「ごめん、ありがとう」


私はゆっくりと首を振った。


「いえ、むしろ余計なお世話だったかもしれません。でも、卵焼きとか千里さんにもぜひ食べて欲しくて。あ、もちろん無理のないようにって話してください」


「うん、ちょっと伯母さんに連絡してみるよ」


千紘くんが小さな箱のようなものを取り出して操作し始めた。以前に話していたスマホという電気機器だ。


ずっしりと重みを感じる手提げを持ちながら、私は青々と広がる空を見上げた。


こんな晴れた空の下で食べるお弁当は、美味しくて仕方がないはずだ。



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