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二十話

家に続く坂の下まで千紘くんに送ってもらい、私は坂の途中で大きく手を振った。


坂の下に佇む千紘くんがどういう表情をしていたかは判別できない。


だけど、けして彼はこんな情緒不安定な私を無下に退けることはしないと思う。


多分、苦笑いをしながら小さく手を振ってくれている。


自然と足先に力が入る。仕事終わりに上るこの坂の傾斜に、よく息が切れていたけれど今朝は一歩一歩しっかりと踏み込んで上ることが出来た。


それもきっと、千紘くんの言葉があったからだ。


『そんな人の人生をめちゃくちゃにするような決まりなんて、そんな不条理なことはないことにしちゃえばいいんだよ』


そうだ、今まで頭の片隅にずっとずっと言葉に出来ないもやもやとした感情があった。幼い頃から父のいうように、自転車も服装も進路だって、すべて私の意思など関係なしに決められてきた。だけど、傍の母も見ているだけで何も言ってくれなかったので、そういうものだと無理やり納得させてきた。


でも、納得なんてしていなかった。腑に落ちることなど一片もなかったのだから。


「そうだ、これは不条理なんだ―――」


家の門を開き、ノブを強くつかんだ。


「お、お帰り。お仕事お疲れ様ー」


三和土に栄養ドリンクをちびちびと飲んで一人の女性が座り込んでいた。


「―――美波」


「凄いじゃん、夜勤の仕事始めたんだって?」


美波の後ろから、母が近づいてくると唇に人差し指をあててかぶりをふっている。


「え、何?どういうこと?しゃべるなってこと?」


母はこくこくっとしきりに頷いている。私も呼応するように頷くと、美波は訝し気に目を細めた。


「―――また、あいつが何かやらかしたの?」


母は急いでメモにすらすらと何かを書くと、美波に手渡した。そのメモに目を通すうちに、彼女の目に怒りと侮蔑の色がともった。


「わかった、じゃあ、外で話そうか。お姉ちゃんに、少し話したいことがあるの」


「あ、じゃあ、これ。さっきパン屋さんでたまごサンド買ってきたの。多めに買ってきたから、お母さんにも、はい」


母にたまごサンドを手渡すと、嬉しそうに微笑んだ。


「お母さんには、また別の機会に話すね。ちょっと急ぎだから、お姉ちゃんに先に話しときたくて。少し仮眠取ってから、また仕事に行かなきゃならないの」


「忙しいね。記者、なんでしょう?」


「……私、お姉ちゃんに職業のこと、話したっけ?」


昨夜、お客さんとして訪れた僚介さんに訊いたことを話しづらく、私は曖昧に笑って誤魔化した。


「ふーん、まぁ、別にいいけど。じゃあ、お母さん、お姉ちゃん借りるね」


「美波、体に気を付けてね」


「大丈夫、自炊はあまりしてないけど、家の近くに美味しい定食屋さんがあるから。そこできちんと必要な栄養素は摂取出来てるよ」


にかっと歯を見せて笑う美波に、母はほっとつかの間の肩の荷を下ろせているような安堵感を滲ませた。


私だけだと、母は常に緊張感に苛まれている。




「確か、歩いて5分くらいにあひる公園ってあったよね。まだあそこあるかな?」


「あひる公園?懐かしい。美波と小さい頃、よく遊んだよね」


「そうだね、お姉ちゃんが怪我をしないようにあいつの近習みたいな奴らがずっと張り付いていたけど」


「近習って……」


「そんなもんじゃん。私が転んで怪我をしようが、何の対応もなかったけど。お姉ちゃんが転んだり、ブランコから落ちたりしただけで大騒ぎだったじゃん。あれ、子供心ながら、結構傷ついてたよ」


「そうなんだ……」


力なく呟く私に、前を歩く美波は振り返った。


「でも、お姉ちゃんは悪くない。何の罪悪感も抱く必要はない。悪いのは、あいつらだから。生物学上は父親だけど、最初から最後まで、私にとっては異端で害悪でしかない存在だよ。お姉ちゃんやお母さんが対抗できないのは仕方ないの。お姉ちゃんは小さい頃からあいつに無知であることを刷り込ませられて、お母さんは大事な人を人質に取られているから。大きく動くこともできない。だから、内から対抗できないのであれば私は外から対抗してやろうと思ったの。そのために、記者になった」


さあ、っと心地よい風が髪を撫でた。美波のベージュカラーのショートの髪がさらさらっと揺れた。美波は幼少時からずっとショートヘアーだ。私は、父から短く切ることを止められていた。本当はもっと長く伸ばしなさい、と言いつけられたこともあったけど、昔読んでいた魔女の女の子が活躍するシリーズの主人公が肩までの黒髪だったので、いつの間にかその髪型でずっと過ごしていた。


「美波は、ずっとショートだね……」


私の呟きに、美波は「話を聞いてた?」とばかりに眉をひそめた。


「まぁ、ショートはお風呂でも朝のセットでも楽だからね。すぐに戦闘態勢に入れる。でも、2カ月に一度くらいは美容室にいってセットしないといけないから大変だよ。時間が取れない時は、高校の時の友人に出張カットをお願いしてる。今は売れっ子の美容師なんだ。全然予約が取れないの。だから、友人特権」


「私は、自分の意思で髪型も服装も決めてこなかった。何もかも、多分父任せだった気がする……でも、そうするべきだと思っていたの」


「お姉ちゃんは意思がないわけじゃないよ。そうすれば、波風が立たなくて家庭内が平穏に落ち着くだろうと思ったんでしょう?立派な自衛じゃない」


「自衛……そうなのかな」


「そうだよ。でも、今回あいつの束縛を抜けて一歩踏み出したんでしょう。凄いじゃん」


「あ、そうだ、美波に聞いてほしいの!」


ぐっと顔を上げて叫ぶと、美波は面をくらったような顔をしたが、その後に下腹部を押さえた。


「その前にさ、腹ごしらえしない?お腹減っちゃってさ。お姉ちゃんのお勧めのたまごサンドを食べながら話そう」


美波の視線の先に、小さな公園が見えてきた。


早朝という時間帯もあり、公園内には誰もいなかった。


あまり手入れをされていないのか雑草も伸びっぱなしで、滑り台やブランコも大分錆びれているようだった。大分腐食したベンチに二人で腰を下ろすと、美波は早速紙袋からたまごサンドを取り出した。


「へぇー分厚いたまごサンドだね」


「お店の常連の人が、美味しいたまごサンドって教えてくれたの」


「ねぇ、その常連さんって男?」


「え、う、うん……」


私がどもるのを見て、足を組んでたまごサンドを頬張る美波はにやりと笑みを浮かべた。


「若い男の人と見た。ついにお姉ちゃんにも人並みに恋をする時期が来たわけだ」


「こ、恋って……!そういうわけじゃ、ないんだけど。でも、ちょくちょく来てくれる男の子で。昨日も、一緒にお出かけしようって、誘ってくれた」


「ひゅうー青春だね!その甘酸っぱい気持ち、私にも分けてもらいたい」


太ももをばんばんと叩きながらそう話す美波に、私はふふっと笑みがこぼれた。


「いいじゃん、その感じ。普通の女の子って感じ。お姉ちゃんが夜勤でお店で働き始めたって聞いた時、大丈夫かなぁって不安だったけど、大丈夫そうだね」


「うん、だけどね、最近ちょっと色々あって―――」


それから、父のこと、病院でのこと、有沙さんの忠告のこと、パン屋さんでのことを洗いざらい話した。美波はうんうんと頷きながら聞いてくれたけど、いつのまにか額に深い皺を残していた。


「……私の知らない間に色々と動き出していたか。ごめん、お姉ちゃんとお母さんにあまり会いに行くと色々私の動きが勘付かれると思って避けてたんだ。だけど、それが思いのほか悪手だったのかもしれない」


「どういうこと?」


「さっき、お母さんが人質に取られているって話をしたよね?」


「え、あ、うん。それってどういうことなの?」


「それが、今話してくれた脳神経外科にずっと入院している宇野依月っていう伯父さんのことなの」


「―――え!?」


「今から30年前ほど前に、何らかの事件があって依月伯父さんは頭部に大きな損傷を受けた。そこであいつの兄にあたる人も亡くなって、あいつとお母さんが残された。他にも数人いたみたいだけど、そこからある組織が動いている。その組織の援助によって、依月伯父さんは一命を取り留めた。その組織はあいつの両親が多大な融資をして成立しているんだけど、ある病院の上層部ともつながっているらしいの。そして、依月伯父さんを生かす代わりに、組織を継続させるためにお母さんを利用した。そして、数年後に組織のトップになった父が組織の継続のために母と結婚した。母が少しでも父の命に背いたら、伯父さんの生命維持装置は切られる。そんな極限状態を強要されて、お母さんはずっと生きてきた。そして、組織継続のための後継ぎとしてお姉ちゃんと私が産まれた。だけど、私は望まれていたわけじゃなかったから、お姉ちゃんを自分の正式な後継ぎとして幼少期から制限され監視され生きてきたの。そんな恐ろしい環境下で、お母さんは生かされてきたんだよ―――!」


最後は悲鳴のようになりながら、美波はそう言った。


現実離れした話に、私はしばらく言葉を失っていた。


「―――私は、ずっとその組織を調べてきた。あいつに存在をばれないように水面下でひっそりと。だけど、あいつは疾うに私が真実を突き止めていることを知っているのかもしれない。知っている上で、泳がしているのかもしれない。そうだと思うと、すごく悔しい。だから、私はお姉ちゃんもその組織に取り込まれないようさらに全力で動く。お母さんも、あいつの管理下から救い出して自由にさせる。それが私の目標だし、生きる意味だと思っている」


「でも、美波一人じゃ危ないよ!お父さんは、何を仕掛けてくるか分からない」


「分かってる。あいつは病院にも多大な援助をしているから、病院側に取材したって白を切られるのが関の山だし。組織と病院がつながっていることも、絶対に漏れないよう政府やマスコミにも箝口令を敷いている可能性もある。多分、まわりは敵だらけだよ。でも、私はその不条理に負けるつもりはない」


(不条理―――そうか、美波も不条理に負けないよう動いているんだ)


「美波、私も私自身の人生をこれからも生きていきたい。お店も、ずっと続けたい。私自身でいてくれていいって言ってくれた場所なの。千紘くん……あ、そのお店のお客さんなんだけど、その人ともお出かけしてみたい!」


「いいね、やりたいことがたくさんじゃない」


「うん、やりたいことがいっぱいあるの」


「全力で応援する。不条理を受け入れちゃだめだよ。立ち向かわなきゃ。自分らしく、生きていけるように」


「うん―――!」


美波と一緒に私もたまごサンドを取り出して頬張った。たまごは濃厚でしっとりしていた。


「美味しい。美味しいね」


「美味しいものをきちんと美味しいって言えることは嬉しいよね。これからは嬉しいものは嬉しい、悔しいものは悔しい、辛いものは辛いって、自分の感情をそのまま出していけるといいよね」


美波の言葉に私は何度も頷いた。


誰もが制限されない、思うがままに笑顔で生きていけたらいいのに―――


でも、そう思うだけじゃダメなんだ。私も美波みたいに前を向いて立ち向かっていかなきゃ。


父の脅威に、毅然として抗わなければ、誰も幸せになんてなれない。


『自身の悔いのないよう、日々をお過ごしください。それが、雫さんのためですから』


――もちろん、有沙さん、そうするよ。


だけど、それはいずれ御巫になるための日々じゃない。私が私らしく、宇野雫として生きていくための日々だ。




事態が着々と動き出しています。

もう少し、雫たちを見守っていただけたら嬉しいです。

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