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第一話

カクヨムでも連載しています。


夜にしか息のできない女性が、頑張って生きていくお話です。

よろしくお願いします。

暗い昏い海の底に私は横たわっている。

これは夢だとわかっているのに、ひんやりとした質感を感じていた。

ずっとこうしていたい。

ずっとこうして息を殺して、意識を止めて眠っていたい。

だけど、それが長く続かないのは分かっていた。

私のからだの周りを覆っている膜が揺らいで、ゆっくりと裂けていくのが目の端に映る。

もうすぐ眠れない夜が来る。


「だからさ、このままお姉ちゃんの好きにさせといてもお姉ちゃんのためにならないって言ってるじゃん。いつまで甘やかさせとくの?」

「そろそろ雫が起きる時間だからあまり大きな声を出さないで」

ぼんやりとした意識の中、部屋の外で声がした。

「私だって夜眠れないことはあるよ。でも、頑張って会社に行ってる。もうお姉ちゃん26だよ?」

そっか、もう26なんだ、とどこか他人事のように聞いていた。

妹が下への階段を下りていく気配を感じてから、私はゆっくりと体を起こした。

机の上の時計に目をやると18:50と表示されていた。

もう少しで夕飯の時間だけど、普段あまり外にも出ず、夜になるまでは昏々と眠り続けているのでほとんどお腹が空いてこなかった。

起きている気配を感じたのかドアが開く音がした。

「雫、起きたの?夕飯、ハンバーグ作ったけど食べられそう?今日は仕事が早く終わったみたいで美波も来ているんだけど皆で食べない?」

部屋の中が真っ暗だからか母の表情がよく窺えなかった。

でも多分、無理に口角を上げて無理に笑顔を作って無気力に部屋で寝てばかりいる娘のご機嫌を取ろうと必死なのが分かる。

「うん…今はお腹が空いていないからあとで食べるね」

「わかったわ」

ほっとしたように母が息をついた。

母に引きこもりの姉にばりばり働く妹の三人が集まって談笑しながら夕飯を食すことは有り得ないことなので、胸をなでおろしているのだろう。

部屋の窓から二人の楽しそうな声が聞こえてくる。

それがいい。それが本来のあるべき食事の姿だ。

私はそう思いながら部屋から外の風景を眺めていた。


なだらかな坂の途中に建つ家の窓からは、煌々と光があふれる街を一望できる。

幼い頃は上っても上っても行き着くことのできない不便な立地だと思っていたけれど、今の私にはふさわしい立地だったなと思える。

かたん、がちゃ。

美波がご飯を食べ終わったのか帰ったようで階下はしんと静まり返っていた。

母としての役目を終えた母はそれから声をかけてくることはなかった。

私はそのままぼうっと窓から街を見下ろし続けていた。

夜10時頃を過ぎると段々と光が減り、闇を主とする夜の世界へと姿を変えていく。

光を消し、人々は眠りにつく準備を始める。

昏々と静まり返る夜の世界を一人見下ろしている時間はとても退屈だ。でも、私には光の世界を生き抜くことができない。数年前からそれが出来なくなってしまった。

数年前のことを思い出そうとすると頭の中に靄がかかり、息をするのが苦しくなってしまう。

だから、私は考えることをやめた。

思考を止めて、自分という存在を消して、そのまま闇の中に目を凝らす。


夜の11時ごろ、ぼんやりと街の中に小さな光が灯るのが見えた。

(こんな遅い時間から……?)

母にあまり窓から顔を出さないよう言われていたが、私は気になる心を抑えきれずに身を乗り出した。

昏い海に小さく光るそれは、普段から闇に身を委ねて虚ろな殻のまま生きる私に一筋の興味を与えてくれた。

(ここからじゃよく見えない。だったら、あの光の所在を確かめたい)

ああ、窓からあの光の場所まで飛んでいけたらいいのに。

私は足を引きずりながら部屋のドアに向かい、ゆっくりと開いた。

廊下はひんやりとした空気に包まれ、濃い闇に覆われていた。

私は窓から見下ろす夜の世界よりも濃厚な闇にぞっと寒気を感じていた。

壁に手を添え、感触を確かめながらゆっくりと進み、階段を一歩一歩下りて行った。

「お、お母さん……?」

奥のリビングに人の気配を感じるものの、テレビの音もせず静まり返ってた。

「お、お母さん」

喉の奥から必死に声を出すと、リビングのドアがゆっくりと開いた。

「…雫?どうしたの?」

幽鬼のような真っ白な顔の母にひっと声を出しそうなるのを必死でこらえた。

「ああ……夕飯、まだだったわね。今温めるから待ってなさい」

「あの、お母さん、お願いがある、の」

私を大きく唾を呑み込み、ゆっくりと息を吸った。

「少し、外を散歩したいの。すぐに帰ってくるから、ダメかな?」

母は無言で目を大きく開き、ふっと口元を緩め、

「お父さんに訊いてみるから、待ってなさい」

と口にし、スマホを持ってリビングに入っていった。

いつの間にかぐっと拳を握っていた私の手は緊張で濡れていた。

「雫、少しならいいそうよ。フード付きのパーカー、羽織っていきなさいね」

母の声に私はぱっと顔を上げた。

母は少し嬉しそうに、少し寂しそうに立っていた。

「足元に気をつけなさいね」


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