第三十話
メザン渓谷の入り口を見下ろすこの景色は二度目となる。
一度は無我夢中だった。ウィスタが動かせる以外手探りで、行き当たりばったりの立ち回り。今、思い返しても、よく何とかなったなと思う。
全てはファーニバルが竜馬の手足となってくれたからこそ。
そのファーニバルも今や、魔法が使えない竜馬を補う形で武器を手にした。更に限定的ではあるが、空を飛ぶことも可能になった。対抗する手段は色々と増えている。
あわよくば、彼の災獣と決着をつけたいところだ。
「リョーマ?」
決戦に向け、逸る気持ちを抑えていると、不意に声を掛けてきたのはミスカ。
踏み付ける者との戦いを前に、彼女も落ち着かないのだろうか。
「どうした? ミスカ。急に」
「うん、お礼を言っておきたくてさ」
「今かよ。そういうのは勝ってからじゃないのか?」
「ううん、今、言っておきたいんだ。今日があるのもリョーマのお陰だしな」
「俺のお陰?」
「そうでしょ。前回、リョーマがいなかったら恐らく踏み付ける者は追い返せていなかった。ってことは今日という日は訪れず、新しい魔法を覚えてもう一度戦う機会なんて得られなかったと思う」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって……、リョーマはロザリアムの皆の命を助けてるんだぞ? もっと誇っていいんだぞ?」
「そうは言われても正直俺も必死なだけだったし、実感がないんだよな。でも、ミスカにそう言って貰えるんなら、頑張った甲斐があったな」
「あたしに?」
「そうさ。この世界に迷い込んだ俺を助けてくれたのは誰だ? 全部ミスカじゃないか。これでもスッゲー感謝してるんだぜ?」
災獣に食われそうになっていた竜馬。住処すら無かった竜馬。食い扶持に困っていた竜馬。そんな境遇全てから救ってくれたのは間違いなく彼女だ。
「それは人として当然のことだと思うし……」
「当然のことでも、それを実行に移せる人って中々いないと思う。最初に出会ったのがミスカだったから、今、俺はここにいる。それは紛れもない事実なんだよ」
竜馬にとって元々は縁もゆかりもないこの街だが、奇縁が巡り巡って戦うことが必然となった。これもミスカの行動、選択が齎したものだ。
「守ろうぜ、ミスカ。俺たちの街をさ」
「……そうだな、リョーマ。あたしはもう自分の居場所を失いたくない」
覚悟染みた眼差しで両頬を掌でパンと叩き、気合いを入れる。
足裏に振動を感じた。
ゆったりとしたテンポで次第に強くなるそれは忘れようがない。
列を成す魔導師たちのウィスタが一斉に腕を持ち上げ、メザン渓谷の入り口に照準を合わせる。そんな中、一人その隊列から外れたミスカの声が響く。
「今から精神集中します! 魔法の準備が整ったら構えますので、目標周辺の視界確保をお願いします!」
その宣言後、間を置かずに渓谷から踏み付ける者が姿を現す。
顔に刻まれる傷跡から、先日と同一個体なのは間違いない。尤も、踏み付ける者が複数体確認出来るような事態となっては、この地方に明日はないだろう。
「撃て―っ!」
ヴァルカンドの号令と共に、十一機のウィスタが一斉に火を噴く。
全て巨躯を誇る災獣に着弾するが、相変わらず甲羅状の硬い皮膚に阻まれ、ダメージを与えられているようには感じられない。
竜馬も悪戯妖精を構える。
進行を僅かでも遅らせればと頭部や前足に狙いを定め引き金を引き続けるが、悪食を一撃で仕留める貫通力を以てしても違い過ぎる大きさの前には玩具同然で、気にも留めないその素振りが実に腹立たしい。
「くそっ、コイツ頑丈過ぎるだろ!」
そうした徒労感ばかりが募る頃、レーベインの腕が持ち上がる。
待ち侘びたミスカの準備が完了した合図だ。
「ミスカがブッ放つぞ! 邪魔せぬよう注意せよ!」
ヴァルカンドの注意喚起が飛び、投射される炎弾の数が目に見えて減少する。
中には魔力が心許なくなった魔導師もいるのだろう。
そんな者を含め、成り行きを見守るロイたちの期待を一身に受け、ミスカが必死の思いで会得した古の魔法が、今、放たれる――。
「蒼天の雷ッ!」
目も眩むような青白い閃光が迸る。
一条の雷撃が空を切り裂きながら、踏み付ける者の背に直撃した。
その一撃は巨躯を大きく揺るがす程の衝撃で、更に放電が包み込む。痺れるように全身を振るわせた後、力なく倒れ伏し、大地が揺れた。
両脚から伝わる振動の余韻を無意識に感じながら、竜馬は暫し言葉を失う。他の者も同じ反応をしているようで、一時戦場は静まり返っていた。
直撃による衝撃も凄まじいモノがあったが、電撃による追撃の二段構え。天災級相手でもその威力は絶大だったようで、流石は失われし魔法といったところか。
いや、そんな魔法を使いこなせるようになったミスカの才能と努力を褒めるべきだろう。
彼の災獣は微動だにしない。
偉業とも呼べるその光景に誰が最初に言い出したのか。「勝った」という言葉が味方の中に湧き上がる。
竜馬もそれを疑わず、素直に喜んでいた。
「ミスカ! すげー、すげーよっ! 一撃じゃねえか!」
と。
だからこそ己の目を信じられなかった。――再び動き出した踏み付ける者の姿に。
思い違いによる仮初の勝利に酔い痴れていたがため、目を覚ました瞬間は誰しも気付けなかった。
焦点が定まらない瞳に突如、生気が宿る。四肢に力が込もり、ゆっくりと巨躯が持ち上がる。
誰だったのか今となっては不明だが、ここで「お、おい!」と、狼狽える声が響く。
何事かと皆、視線を彷徨わせ、踏み付ける者が一歩踏み出している現実を目の当たりにするが、すんなり受け入れられた者など殆どいなかった。




