1-3 下水道突入
男爵の屋敷を出た二人は短い時間で準備を整えて、松明を片手に下水道への階段を降りていた。下に降りるにつれて下水道特有の臭いが鼻につき始める。
「うぇぇ。臭いですう。」
「てめぇが受けた依頼だろうが文句言うなや。つかそんなに鼻と口を保護してて弱音吐くなよ。」
「むしろシエナさんは、なんで何も着けてないんですか!」
マリアは空気を清浄する効果が付与された布を購入して口を覆うように装着していた。もちろん代金はシエナが建て替えている。
一方のシエナはなにも着けずに涼しい顔でどんどん下へ降りていた。
「ああ?魔樹棒が吸えねぇからに決まってんだろ。つかこんくらいの環境でギャアギャア言うんじゃねぇよ。そんなに嫌ならハンターやめて体でも売れや。」
「ググググ!そこまで言わなくても良いじゃないですか!私は最低ランクですけど年齢は私の方が上なはずです!もう少し態度を改めても良いんじゃないですか!」
「あ?」
「あば!いやっ、ですから私は一六歳なので年上を敬うようなですね…あばばばばば!」
いろいろな要因が重なってシエナがイライラしているのはマリアも分かっていたが、先ほどから続く罵倒に我慢の限界を超えて、ついつい言い返してしまった。しかし、シエナに睨みつけられてすっかり勢いを無くしてしまっている。
そんなマリアを見てシエナはため息を吐きながら後ろ頭を掻いた。
「うっせーな。アタシは多分一三だけどよ。年上だとしても、アタシより弱い奴への態度は変えねーよ。」
「…多分?」
シエナの意味深な言い方にマリアは首を傾けた。
「ああ、アタシは捨て子だからね。スラムでおっさんに育てられたのさ。」
「…そうだったんですね。…すいません軽率でした。」
「別に気にしちゃいねぇよ。つかお前だって両親いないだろうが。」
「なっなななななな何故それを⁉」
マリアは動揺してたじろいだ。
「お前については、少し調べたからな。両親が魔物に殺されてから遠縁の貴族のとこに引き取られてんだろ?ったく。そこでぬくぬく過ごせば良いものを」
「…っ!それはダメなんです!私にはハンターになって成し得たいものがあるんです!」
「無し得たいものぉ?」
「馬鹿にしてますね!でもこれだけは譲れません!私は、立派なハンターになって私のような境遇の人をこれ以上増やさないようにしたいんです!」
「それを成し得るどころかハンター資格を失いそうだけどな。」
「むむむぅ。」
「オイオイそんなに頬を膨らませんなよ。ほら着いたぜ。」
シエナはそう言うと、背中に背負っていた三本の剣に手を伸ばし、一本を手に取った。マリアも腰に携えたレイピアを引き抜く。
「おうおう。最低ランクの癖に無駄に良いもん持ってんな。」
「はい。お父様が旅立つときにくれた武器なんです。私の宝物です。」
「それ売ったら三か月は餓えなくてすむぜ?」
「冗談でもそんな事言わないでください!流石に怒りますよ!」
シエナとマリアが持っている松明の明かりで、レイピアは煌々と輝いていた。レイピアには魔力が込められており、血糊や固いものへの接触などで刃こぼれ等を起こしにくい性能が付与されている。
「ですが、シエナさんは三本あるとはいえ、その剣で大丈夫ですか?さっき偶然見つけた武器屋で買った中古品ですよねそれ?」
「あ?問題ねぇよ。お前は自分の心配してろ。」
シエナの剣はマリアの武器とは違い光沢がなかった。武器屋が適当に研ぎなおした中古の剣なので当然である。シエナはそれを玩具のように振り回しながら、口に咥えていた魔樹棒を通路に吐き捨て、松明で全体に火を点けた。
「あ!ごみ捨ては良くないですよ!」
「ちげぇよ。これは『餌』だよ。」
「…餌ですか?」
「今回の依頼は大鼠の討伐だ。それは一四日前から受注可能になっていた。そうだろ?」
「…はい。私が受注したのはちょうどそれくらいの時です。」
マリアはバツが悪そうに俯いた。シエナはそんなマリアを無視してさらに説明する。
「大鼠の繁殖力は異常だ。すでに個体を確認してそれだけ経っていれば二〇体以上はいるだろうな。」
「うええ⁉ににに二十体ですかぁ⁉依頼主さんは一〇体って」
「そりゃ知識がない奴の憶測だ。ちなみに幼体から成体になるまでは一〇日だからな。お前はハンターなんだからこれくらいは覚えとけ馬鹿。」
シエナはそこまで言うと、新しい魔樹棒を咥えて、ぶらぶら振り回していた剣を構えた。
マリアは急に臨戦状態になったシエナに困惑したが、無数の足音ですぐにシエナの意図に気づいた。足音は一方向からではなく様々な場所から聞こえてくる。
「え⁉大鼠が一斉に⁉なんで⁉」
「簡単なことだ。大鼠が繁殖した結果、下水道だけじゃ食料が足りなくなる。まあ、それで市街地まで出てくるようになるわけだが、人間も警戒して食べ物を隠す。やはり外でも満足な食糧が手に入らない。そんな状態でこの匂いをばら撒けば。」
「まさか今捨てた魔樹棒は⁉」
「ああ、匂いでおびき寄せるために捨てたのさ。さあ食べ物と勘違いした馬鹿共が来るぜ。」
「びえええええ!一気に呼び寄せる必要ないじゃないですかああああ!二人じゃ無理ですよう!一旦逃げましょう!」
レイピアを構えもせず逃げることを提案してくるマリアを無視して、シエナは獰猛な笑みを浮かべて口から盛大に煙を吐いた。その煙に引き寄せられるように大量の大鼠が闇からシエナに向かって飛び出してきた。
「さて、仕事の時間だ。」
シエナはそのおぞましい光景に怯みもせず、最初に飛び掛かってきた鼠の腹を横なぎに掻っ切った。飛びちる鮮血を浴びながらも、冷静に後ろへ飛び退く。
すると、大鼠たちはシエナを追わずに、絶命した死体に群がって貪り始めた。
「ほらプレゼントだ。受け取れ馬鹿共が」
シエナはそこにポケットから取り出した赤い液体入りの小瓶の蓋を開けて投げつける。鼠たちは食べることに夢中で投げた小瓶に気づかない。
シエナはその光景を鼻で笑うと、咥えていた魔樹棒を手に取り鼠の群れへ投げた。
「火炎液だ。普通の炎よりも早く飲まれるぜ?あまり苦しまずに死ねるんだから感謝しろよ?」
シエナが投げた魔樹棒は死体を中心にまき散らされた赤い液に引火し、鼠たちを飲み込んでいく。燃え盛る仲間に気づいて他の個体が後退し始めるが、逃げ遅れた数匹は命もろとも炎に燃やし尽くされていく。
炎に怯えて遠ざかっていた鼠だったが、炎が消えていくにつれてどんどん、死体の山に近づいていく。すでに飢餓の状態である鼠たちには理性が無く、『敵』が見えていない。
そして炎が消えた瞬間、鼠たちは我さきへと炭と化した肉片に飛び掛かって行った。シエナは炭を貪る鼠を後ろから心臓めがけて剣を刺していき、順番に絶命させていく。食事に夢中な鼠たちは仲間の死に気づくどころか、その死体を新たに貪る始末だった。
「ほら、これが生まれたての魔物の対処法だ。生まれて一〇日も経ってない個体は、とりあえず食べることを優先するからな。まあ他にも方法はあるが…っておい。」
「うううううううう!」
シエナがマリアの方を見ると、マリアはレイピアを抱き込むようにして床に伏せっていた。シエナは鼠狩りを中断して、マリアの元に行き、背中を踏みつける。
「なにやってんだお前?」
「ギャン!魔物に踏まれましたあああ!シエナさん助けて下さあああああい!」
「踏んでる奴に助けを求めてどうすんだよ。」
「んひいいいいい!…え?シエナさん?なんで私を踏んでるんです?」
「お前がクソの役にも立たずに蹲ってるからだよ!お膳立てしてやってるんだからさっさと立って殺せ!」
「うひいいい!すびばぜんん!」
マリアは半泣きで立ち上がると鼠の方を見た。しかし、共食いの現場を目の当たりにしたマリアはすぐに腰を抜かしてしまう。
「おい!なに腰抜かしてんだ!さっさと…あ?」
「うきゅう…。」
「気絶してやがる…バカ使えねぇ…。」
マリアはあまりにもショックが大きかったのかそのまま気絶してしまっていた。シエナはため息を吐くと、残りの鼠も自分で処理していった。