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知られることのない恋話

作者: 神楽
掲載日:2022/09/29

 沈む、沈む。海面に射し込む陽光に追い立てられるように、水底へと堕ちていく。

 首と胴を別たれて尚残る意識。怪物と化したこの身は随分と生命力が強いらしい。

 嗚呼、願わくば彼女のこれからの人生が、幸せでありますように。






 彼女と初めて出会ったのは、白砂の美しい入り江だった。生まれてからそう時が経っておらず弱く矮小だった私は人間の漁師が仕掛けた罠に絡め取られていた。動けば動くほど身体に巻き付いた糸が食い込む悪循環。水霊といえど力無き私にはどうすることもできなかった。

 もがき苦しむ私を救ったのは、一人のまだ幼い少女だった。彼女は優しい手つきで身体に絡む糸を取り外すと、そっと海の中へ私を戻した。


「もう引っ掛からないようにね」


 そう言って微笑み手を振る心の美しい少女に、愚かな私は、心を奪われてしまった。

 人間と精霊。生きる時間も住む世界も全てが異なる存在。結ばれることなど決してありはしない。例え結ばれたとしても、互いにとって苦しい結末を迎えるだけだ。

 故に私は、結ばれることは諦め彼女と彼女の愛するこの国を守ること、ただそれだけを心に誓った。彼女の幸せこそが私の幸せなのだと。そう、信じて。


 しかし、その為には力がいる。この非力な姿で何を為せるというのか。精霊はこの世に存在する時間が長いほど力を持つ。されど悠久の時を生きる我等にとっては人間の一生など瞬きの間に過ぎず、私が十分な力を持つ頃には彼女は既に天命を迎えているだろう。それでは遅すぎる。


 そんな折だ。力を得る術を模索していた私に、一体の風霊が囁いた。


「星の力が集まり噴き出す龍穴に留まれば、素晴らしい力を得られるらしい」


 それは私にとって願ってもないことだった。短絡的な手段には得てして代償が伴う。だとしても彼女を守る力を得られるのならば、どんな困難も耐え抜き打ち勝って見せよう。


 海流に流され荒波に揉まれ、漸く辿り着いた龍穴。ここまでの道程も険しく苦しいものだったが、龍穴に入った瞬間全身に走った苦痛はそれを凌ぐ程だった。

 身体を一から作り替えられているかのような痛み。思考も感情も、全てがぐちゃぐちゃに掻き回されているかのような感覚。自分が何者か、何のためにここにいるのかすら曖昧になりそうな中で、記憶に残る柔らかな笑顔と彼女を守るという誓いが私を私たらしめた。


 どれ程の間苦痛に耐えていたかは定かではない。しかしふと、あれ程この身を苛んでいた苦痛が消えていることに気付いた。その時、私はかつての私ではなくなった。

 本来ならば長い年月をかけ蓄積する力を無理に短期間で取り込んだ故か、苦痛に耐えている間彼女の姿を思い浮かべ続けていたが故か。私の身体は元来の水霊としての姿と人間の姿を混ぜ合わせたかのような歪なものとなっていた。

 されど見目の変貌など些細なこと。それ以上に水霊として扱える力が格段に強くなっていたことが嬉しかった。この力があれば彼女を守れると、そう信じていた。




 久方ぶりに見た故郷の海は目を疑うほどの瘴気に満ちていた。何故、このようなことになったのか。理由はすぐに知れた。

 洋上に浮かぶ二隻の船。その上で繰り広げられている争い。一方的に行われるそれはまさに蹂躙と呼ぶに相応しい。流れた血が物言わぬ骸が、次々に海へと落ち沈んでいく。未練か憎悪か、それらが発する陰の気はその身を異形へと変え、その末に瘴気を産み出していた。

 襲っている船は恐らく、いつか聞いた海賊と呼ばれる者達だろう。彼奴等を野放しにしていては際限なく穢れが広がってしまう。今はまだ彼女の国から離れているが、それが何時彼の国まで届くか分からない。


 不安要素は排除しなければならない。たとえ人間と交わるべからずという精霊の不文律を侵すことになろうとも。

 そう決意を固め船へと泳ぎ始めた私の眼前で、異形と化した亡骸が海賊共を次々と海へ引きずり込んでいった。それはまるで、精霊の介入など不要と示すかのようで。


 しかしそれは、瘴気を産み出す異形を増やしただけに過ぎなかった。原因となる海賊が消えたとしても、今度は彼等が変じた異形が生者を殺め、次なる原因と化す。そして加速度的に増した瘴気はやがて海を満たし大地を呑み込み、現世を生物の棲めぬ異界へと作り替えることだろう。それを許すわけにはいかない。

 幸いにして水霊の持つ権能は浄化。異形をその身に纏う瘴気諸共祓い清めれば、この海も彼女の国も守れるはずだ。その為の力だ。


 手始めに目の前を横切った異形に手を掛ける。刹那、身体から力が抜ける感覚がした。浄化の権能は消耗が激しい。それは承知の上だった。しかし予想以上にかかる負荷は重く、私は己の見立てが甘かったことを知った。

 祓えた数は片手で足りる程度。それなのに全身を襲う倦怠感。視界には未だ多数の異形が映っている。この様では私が浄化するよりも彼女の国が侵される方が早いだろう。それだけは絶対に許されない。なにか、なにか手はないものか。


 浄化せずその身を滅ぼす。──既に命なき存在に対しては浄化より消滅の方が手間がかかった。

 彼女の国へ近付かせないようにする。──本能で動く彼奴等を誘導することは困難であり、時間稼ぎにもならなかった。


 手を替え品を替え力を尽くした末に、私は一つの方法に辿り着いた。


 視線の先で、今にも船を襲わんとする異形達。その一体の身体に食らい付く。叫び抵抗するその身を押さえつけ欠片も残さず飲み込んだ。

 刹那、脳裏に流れ込んだ負の情念が思考を焼き付くさんと襲いかかる。憤怒、憎悪、悲嘆、羨望、渇望。思考を感情を乱し渦巻くそれらを、さらに上回る意志を以てねじ伏せた。権能を使っているわけではないため消耗は軽く、その上異形の力は私の力となりこの身を満たす。どれ程穢れた力を取り込もうとも、この身が瘴気を放つことはない。海にどれ程雨が降り注ごうと淡水にならないのと同様、どれ程瘴気を取り込もうとこの身が精霊という枠組みから外れることはない。

 さりとて全く影響が無いわけでもなく。私の姿は見るもおぞましい醜悪なものと成り果てていた。だからどうしたと言うのか。この身が彼女に見えることはない。重要なのは彼女を守れるか否かだけなのだから。その力を術を得られるのなら、たとえ怪物に成り果てようとも悔いはない。


 日毎夜毎異形を食らい続ける日々。飲み込む毎に爪や牙は鋭さを増し、今や異形を引き裂き噛み砕くことも容易となった。この調子ならば彼女の国を海を守ることができる。そう確信した矢先、ソレは現れた。


 幾十幾百の異形がひしめきもつれ一体の巨大な怪物と化した姿。身の丈は私を優に超え、放つ瘴気はこれまでの比ではなく、ソレの通った跡は一瞬で穢れで染まる程。それを一目見て、思ってしまった。勝てないと。

 死ぬこと自体は怖くなどない。しかし、死ねば彼女を守ることはできない。それが私には何よりも恐ろしかった。


 だからソレの存在から目を逸らした。他の異形の討伐を優先した。それが間違いであったと知ったのはそう遠くない未来のこと。

 いつぞやの風霊が伝えた風の噂。


「彼の国の王が、災厄から国を守るため姫君を生贄に差し出した」と。


 それを聞いた瞬間に悟った。私は選択を誤ったと。彼女を守れなかったのだと。

 後悔している暇などない。私は風霊に言伝てを頼み、一心不乱に海を駆けた。例え間に合わずとも、足掻けるだけ足掻け。絶望するのはその後だ。


 辿り着いた先で見付けたのは、岩礁に鎖で繋がれた彼女の姿。彼女が私を見た。生きている。間に合ったのだと、心が歓喜でうち震えた。怪物と化したこの身を見て尚怯えることも臆することもない彼女の姿に、その高潔な魂は変わらぬのだと思わず笑みが溢れる。


 しかし、それも束の間。耳障りな叫声が響き、醜悪な異形どもが彼女をその手に掛けんと集い始めた。私を見た時とは一転し青ざめひきつった彼女の顔とその眼に滲む涙をみとめ、胸の奥で燻っていた激情が激しく燃え上がるのを感じた。

 衝動のまま、異形どもを貪り食らい屠る。見るなと、目を閉じろと言いたかった。しかしこの喉は人間の言葉を話すようにはできていない。視界の端で頬をしとどに濡らした彼女が真っ青な顔で頽れる姿が見えた。恐ろしいだろう、おぞましいだろう。本当はこの様な姿を見せるつもりはなかったというのに。見てしまえば最後、優しい彼女の心に癒えぬ傷が残ることは明白なのだから。


 全ての異形を食らい、横たわる彼女にそっと触れようとして踏みとどまる。異形の黒い体液に塗れた、鋭い鉤爪。このような手で触れては彼女を傷付け汚してしまう。伸ばした手を戻し空を仰ぐ。立ち込める暗雲は光を阻み、一向に薄れる気配がない。


 さて、この先はどうするか。これ程瘴気に侵されていては、新たな異形が集い始めるのも時間の問題だろう。彼女を逃がすことができれば話は早いが、恐らく鎖を解いたとて彼女が逃げることはない。未だ曇らぬ魂の輝きがそれを示している。

 ならば私にできることはただ一つ。救いが訪れるまで彼女を守り抜くだけだ。


 彼女が眠っているうちにと異形を手当たり次第に食らっていた時、ふと人間は食事をしなければ生きていけないことを思い出した。彼女が何時から彼処にいるのかは分からないが、そろそろ食物が必要な頃ではないだろうか。幸いにして彼女に惹かれた異形は粗方食い付くした。少しならば彼女のそばを離れられるだろう。


 瘴気に侵された海では人間が口にできるものを探すのも至難の業だった。それでもなんとか見付けた魚介類を手に彼女の元へ戻ろうとした時、背筋が凍る程のおぞましい気配がこの身を襲った。

 間違えるはずがない。これはあの怪物と化した異形の気配だ。

 疎みそうになる身体を叱咤し気配の元へと急ぐ。アレの行き先など一つしかない。この海唯一の生者である彼女の下だ。


 嗚呼、私はまた間違えたのだ。手にした物も投げ出し無我夢中で泳ぐ。


 漸く辿り着いた時には既に、異形は彼女の眼前にいた。歪で醜悪な腕が、彼女を手に掛けんと伸ばされている。させるものかと、背後から異形の胸を貫いた。

 刹那、響き渡る絶叫。しかしこの程度の傷、異形には致命傷足りえない。腕を引き抜く間もなく身を翻した異形。いつの間にか掴まれていた腕がその勢いで肩から引き千切られた。文字通り身を裂く痛みに堪らず叫ぶ。

 やはりこの異形は強い。正直に言って勝てるかどうかは五分五分だ。否、むしろ負ける確率の方が高いだろう。しかし退くわけには、負けるわけにはいかない。例えこの身が朽ち果てようと彼女を守り抜くと誓ったのだから。


 自らを鼓舞するよう咆哮をあげ、異形へと打ち掛かる。腕をもがれたならばこの牙で。牙を折られたならばこの鰭で。鰭を削がれたならば水を操り刃に変えて。私の持てる全てを以て異形を攻め立てた。



 どれ程時が経っただろうか。最早痛みも疲労も感じなくなった頃、気付けば異形の姿は無くなっていた。辺りに散らばる肉片とどす黒い血溜まり。それらを見て漸く、私はアレに打ち勝ったのだと知った。

 抉られ半分となった視界の中に、彼女の姿が映る。血糊に塗れその顔は蒼白となっているものの、生きて、動いている。あの異形を討ち取ったが故か、この地に満ちていた瘴気が徐々に薄れていくのも感じた。


 私は……彼女を守れたのか。過ちばかりだった、この私が。


 地に伏せた身体はもう殆ど動きそうにない。それでも彼女を少しでも安心させようと、顔を上げ笑みを浮かべる。例え届かなくても、伝えたい。もう、大丈夫だと。


 腕を伸ばし口を開いた、その瞬間。目映い閃光が閃き、衝撃が身体を襲った。首を斬られたのだと気付いたのは一拍置いた後。勢いに押され海へ落ちる直前に見えたのは、白銀の剣を掲げた一人の青年の姿だった。






 沈む、沈む。海流に流され深い深い水底へと堕ちて行く。

 彼女の下へ向かう際、彼の風霊に託した願い。それは彼女を救える者を──勇者を呼ぶこと。神の寵愛を受けた者ならば、きっと彼女を守り幸せにできる。それは怪物の私には出来ないから。故に、託す。


 名も知らぬ勇者よ、どうか──。

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