2.立ちはだかる従者
「ぴぃぴぁーー!」
私の名を呼んでいる可愛らしい声が聞こえるけれど、私からはその姿は見えない。
あの従者が私と殿下の間に立ち塞がったままだから。
イザク殿下を守るという意味では優秀な従者といえるだろう。でもこの私が殿下に危害を加えようとすると疑われているなら心外だ。
そもそもあんなに可愛らしい生き物を害することが出来る人なんてこの世の中にいない。
『可愛い』とは無敵と同義語、つまりひよこ殿下は最強かつ尊い存在だ。
――目的は愛でることのみ。
「退いて頂けませんか?イザク殿下に呼ばれておりますので」
「…殿下に呼ばれている?」
「はい、ぴぃぴぁー(久しぶりだね、リラ。こっちへ来てくれ)とおしゃっているのが聞こえないのですか?」
「……聞こえない」
私が必死にそう訴えても、従者は微妙な表情を浮かべ微動だにしない。
たとえ呪われて姿形が変わっていたとしても、自分が仕える王族の言葉を無視するなんてことは決して許されない。
それなのにこの従者は平然と殿下に逆らっている…。
まさか…、そんな…?!
私はもしかしたら殿下に掛けられた呪いの真実に辿り着いてしまったのかもしれない。
「これは王家への反逆?あなたが殿下を呪ったの…?」
「……違います」
私は後ずさりながらも毅然と言葉を紡ぐ。
怪しすぎる従者は否定の言葉を口にしたが、答えるまでに少し間があったのを私は見逃しはしなかった。
王族の従者たるもの、後ろめたいことがなければ即答していたはずである。
――それに私はこの従者の存在を知らない。
王都へ滅多に行くことがない私は、中央の貴族達と面識は殆どない。
けれども貴族名鑑を暗記しているので、この国の貴族の名と爵位と姿形くらいならば私の頭の中にすべて入っているのだ。
でも彼の容姿に一致する高位貴族は載っていなかったはず。
第二王子の従者に抜擢されるような人物だけを私がたまたま覚え忘れている?、…そんなこと考えづらい。
兄から才能の無駄遣いと言われるくらい、私は記憶力は良いのだから。
もし彼が平民だとしたら私が知らないのも納得ができる、でも王族の従者や側近は高位貴族から選ばれると決まっている。
この従者は怪しいわ…。
暫し沈黙がその場を支配する。
「くっくく…」
私達のやり取りを黙って見ていたもう一人の従者が肩を震わせている。どうやら笑いを堪えきれず声が漏れ出てしまっているようだ。
この緊迫した場面の何がおかしいというのか。
彼は確か、ゼイロ公爵家の嫡男エレン・ゼイロ、頭脳明晰で将来有望と評される人物、そして殿下よりも5歳年上だ。
「エール伯爵令嬢。なにやら疑っておられるようですがすべて誤解です。その顔では私のことはご存知のようですね。改めまして私はエレン・ゼイロで、第二王子に従者として仕えております。そして貴方の前に立っているのは――」
「同じく従者として仕えているイーライ・ゴサンです。帰国する殿下と一緒に隣国から来ました」
エレンが紹介しようとするのを遮って、イーライは自ら名乗ってくる。厳つい見た目とは違って、その声音はとても優しげで言葉使いも丁寧だった。
「あー、イーライは殿下が隣国での留学中に親しくしていた者で、呪いの件も彼は知っているので護衛兼従者としてそばにおります」
隣国の貴族名鑑までは流石に把握していないけれど、ゴサン公爵家は王妃様の妹の嫁ぎ先のはずだから、イーライ・ゴサンはイザク殿下の遠縁に当たる人物なのだろう。
名推理だと思ったけれど、……どうやら私の勘違いだったらしい。
イーライは不敬な真似をしようとしている私から、純粋に殿下を守っていただけの忠実な従者だった。
どうしよう、余計なことをしてしまったわ。
また兄に叱られる未来がほぼ確定してしまった…。
「大変失礼なことを言って申し訳ございませんでした。どうかお許しくださいませ」
「いや、気にしていません。悪気はないのは分かっていましたので」
イーライは真面目だが、根に持たない性格のようでホッとする。
これなら兄に告げ口をされずに済みそうだ。
それならば駄目もとで、もう一度だけお願いしてみよう。
「では誤解も解けたことですし、イザク殿下をお慰めしてもよろしいでしょうか?」
先ほどよりも明るい口調で、ちょっとだけ言い方も変えてみた。
「…お慰めとはどのようにでしょうか?」
「えっと、こう優しくぎゅっと抱きしめてから、ふわふわの金色の羽毛に顔を埋め思いっきり息を吸い込んで、お慰めしようと思っております」
今度は断られなかったので、私はより分かり易いように身振りを交えて話してみる。
「はぁ……」
「なんか最高だな。あっははー」
イーライはため息をつき、エレンはなぜか声を上げて笑い、ひとしきり笑ったあとに話し出す。
「あっは、は…。まずは状況を整理しましょう。エール伯爵令嬢はイザク殿下を抱きしめてお慰めしたい。そしてひよこになった殿下の言葉が分かるのですか?先ほどそのように発言されていたようですが…」
「えっと、分かるというか…、感じる?のです。殿下とは幼い頃に一緒に遊んだからでしょうか…。おっほほほ」
淑女の微笑みと笑い声はすべてを曖昧にする効果があると教わっている。
今こそ試すときだろう。
「流石です、幼馴染みの絆というやつでしょうか」
「え、ええ、その通りです!ゼイロ様は噂通り頭の回転が速い方ですわね」
イーライは微妙な表情のままだが、エレンだけは『特技ですね』と言ってくれているので信じているようだ。
なんとか誤魔化せたようで安堵する。
動物好きの私だって、本当に動物の言葉を理解しているわけではない。でもその仕草や鳴き声や訴えてくるような目でなんとなく分かるのだ。
――感じ方は人それぞれ、誰にも確認できない。
だから半分は本当で、残りの半分は私の願望と妄想で訳しているのだが、…たぶん問題はないから秘密にしておこう。