0-0,覚醒
木々の葉が擦れる度に、そこに僅かな光が射し込む。
人の生活領域から大きく外れた、ある樹海の中、そこには漆黒に塗られた1つの棺桶が転がっていた。
そのほとんどは腐り、所々崩れ落ちている。
けれどその中身が露出するような、大きな傷は無かった。
一際大きく木々が揺らめきだす。
その瞬間、1つの突風がその棺桶を強く撫でた。
すると棺桶の表であろう、十字架の刻まれた面で、1枚の札が大きく揺れた。
赤い文字でなにかが書かれているその札は、何度も何度もその身を捩り、やがて棺桶から離れ飛んでいく。
十字架の刻まれたその面には、幾つもの、札が貼られていたような痕跡が残っている。
飛んだ札はやがて、木々の間の暗闇に飲まれ、風も満足そうに止まり始める。
鳴いていた鳥は羽ばたき、小さな獣が走り逃げ出す。
そして、そこには静寂が訪れる。
その瞬間、1つの音が鈍く響き渡る。
棺桶が小さく揺れ始めたのだ。何度か揺れた棺桶は、僅かに赤く発光した。
そして十字架が動く。棺桶の一面が横にズレていく。
病的にまで青白く、そして細い指が棺桶の縁にかかる。
黒く、どこまでも黒く濁った髪が、空いた隙間から覗き見える。
顔も首も青白く、骨が浮き出ている。
一見、死体のようにみえる。それも棺桶の中に居るのだから。
しかし、棺桶の仲の住人は瞼を重々しくも、開き始める。
長いまつ毛を揺らし、くすみきった肌や髪とは対照的に輝く、赤い瞳を露見させた。
完全に開ききった蓋は、役目を終え地面に転がり、崩れ落ちている。
棺桶に眠っていた男は、まだ眠たげに体を起こす。
何年眠っていたのだろうか。
黒い髪は腰の辺りまで伸び、零れ落ちた前髪は、唯一輝いているその赤い目を隠してしまっている。
男は棺桶の中で立ち上がる。
その動作により、棺桶は蓋と同じように土に還っていく。
次に男は空を見上げる。
木々の葉に拒まれていながらも、明るい光は男の顔を照らす。
前髪の隙間から入ってくる光は、それでも眩しくて、男は目を細める。
小鳥がまた鳴き始めた。小さな獣たちも興味を示したように男を覗き見ている。
そして風が男を撫でた。
「腹が、減った。」
男は思い出したように、呟いた。
僅かに開いたその口から、異常に発達し、尖った犬歯を覗かせながら。