ゼノ
村へ行こう!
あの夜からイナニスは、どうにも心が落ち着かず、常に不安が傍らによりそっているような日々を過ごすことになった。
日中であれば家事などの作業や、兄妹と会話を交わすことでいくらかまぎれるところもあるが、日が沈みはじめると背後から影が忍び寄るように、ゆるゆるとあの晩の映像が焦燥を掻き立ててくるのである。
(一刻もはやく子をみつけなければならない)
(でなければいずれ守れなくなる)
そのように囃し立てるものが、イナニスのなかに漠然とあった。
(手がかりのないものを、どう探せというの)
思わずため息をつく。
あの夜から連夜、森を探索しているが、カラスどころか、夜鳥の一匹も見当たらない。
村があるので、ひとの気配が濃い森にそのような獣が住み着かないのだろうか、とも考えたが、そう決定するには不自然に感じる静けさがあった。
では、もしかするとこちらにはフクロウやミミズクのような、夜に行動する鳥がいないのではとおもい兄妹に訊ねてみたが、イナニスの言葉ではうまく伝わらず、しかし、すこし考えて、今度はカラスについて聞いてみることにすると、こちらは正しく伝わったようでアルガルドが答えてくれた。
「とりは、くろ、とぶします、よる」
「黒…スガラのことかなぁ?」
「すがら」
「そう。でもスガラは夜には飛ばないよ。飛ぶのはウローブとかヨツガとかで…この辺りにもいるはずなんだけど、そういえば最近は声をきかないな……あ、いま言った鳥は食べられないからね。ラズゥとかジキが一番捕まえやすくて美味しいんだよ」
そうして話題は「食べられる鳥と食べられない鳥」の話に変わってしまったのだが。
ふ、とイナニスは意識を手もとに戻した。
いまは、ペルシャが採取した薬草の下処理を手伝っている。
花と、草と、茎を選り分けるだけの単純な作業であるので、先程から件の鴉のことばかりを思い出しまい、その都度、頭をふってはまた、同じことを延々と繰り返しているところであった。
「イナニス?」
呼び声に引かれて、はっと意識を呼び戻すと、水汲みからもどったペルシャが桶を抱えて玄関で首を傾げている。
「どうしたの?なにかわからない作業があった?」
ペルシャはイナニスのそばまで来ると、わ、と声を上げて「そんなに細かくより分けなくても大丈夫だよ」とわらった。
テーブルには、花と草と茎を選別し終えたものと、さらに花弁を毟り、茎も太いものと細いものと長いもの短いものとを選り分け、そこからなお萼も分け、雄蕊と雌蕊のようなものまで一塊りにわけて並べている。
考え事に没頭し過ぎてやりすぎた、とようやく気づいてイナニスは眉を寄せた。
「ごめんなさい、ぺる」
「謝ることないよ、イナニスのおかげですごく質のいいお茶が出来そう。これは村で売る用にしようか」
ペルシャは笑って、瓶に汲んできた水を入れたあと「今日は村へ品卸しにいくよ」といった。
「傷薬と、香と、あと薬茶」
「はい」
「イナニスがいると荷車に積むのも早いし、運ぶのも早いしで大助かりだよ〜」
「ぺるうれしい、イナニスうれしい」
前日に梱包した品の数を確認しながら、ペルシャの読み上げる品物を荷台に積み上げていくと、量が少なかった事もあり、数分も経たずに支度が終わってしまった。
アルガルドは少し前にリストを書き出した端切れを握りしめて村へ買い出しへ行っている。品物を卸したあと空の荷車に荷物を積めばよいと、店を回ってくれているようだ。
「はやくいこう」
ペルシャに促され荷車を引き、言葉の勉強という雑談を楽しみながら村へと向かう。花の名前、色の名前、覚えなければならない事は山ほどある。
「これはカラウラ、これはマルビナ、カラウラの葉っぱには毒があるよ。お腹を壊すから食べちゃだめ」
「からぅら、まぅびら」
「…ねぇイナニス」
「はい、ぺる」
ペルシャはすこし戸惑ったようすで、口の中で何事かを呟くと、あのね、とたよりなくいった。
「あんまり早く覚えないでっていったら、怒る?」
「なぜ?」
「…ひとりでなんでも出来てほしくない…だって、そうしたら…」
イナニスはここから居なくなっちゃうんじゃないの。
不安に瞳をゆらすペルシャに、イナニスはいいや、とも、そうだ、ともいえない。
今のイナニスの目の前には常に霧があり、先のものの予測がつかない。右に行けばいいのか、後ろに戻ればいいのか、はたまた、此処に停まればいいのか。
ペルシャに嘘は吐きたくない。けれども、幼い子供の心を踏み荒らしたいわけでもない。イナニスはすこし考えて、ペルシャのちいさな頭を撫でた。
「イナニスは、だいじ、ぺるとるど、すき、泣く、ないする」
「私たちがすきだから、泣かせることは、しない?」
「はい」
ペルシャはやはり少し寂しそうな表情をして、しかし、うん、と頷きイナニスの腰に抱きついた。
「イナニス、大好きだよ。にいちゃんもイナニスが大好きだよ」
「はい」
抱きつくペルシャの背を柔らかく抱きしめると、腰に回った力が強くなった。それが、まるで置いていかないでと伝えているようで、イナニスはあの日みた夢の自分と重なるような心地がした。
目的の商店に着くと店主が「お疲れさん」と出迎えてくれた。ペルシャが数を書いた紙と品物を指して、店主がそれを確認していく。
数え終わった品物をイナニスが指定された場所へ運び入れていると店のお手伝いの女性が「あっ、イナニス!」と慌てて声をかけてきた。
「さっきまでメリンの店にゼノがいた!」
イナニスは渋い顔をする。女性は、あからさまに眉を寄せたイナニスに同情するように「そういうことだから、気をつけて」と肩を叩くとまた店の奥に戻っていった。
イナニスは小さくため息をはくと、ペルシャの側へ寄り「ぜの、いる」と伝えた。
「えぇ?!ど、どこに?!」
「あらま、珍しい。三週間ぶりの買い出しかね」
「見つかったらしつこいもんね。早く帰ろう」
「キライ」
「あっはは!流石のイナニスもゼノにはお手上げかぁ」
「おばさん!笑い事じゃないよ!」
「るど、さがす」
「イナニスはここにいて。私が探してくるから!おばさん、いいかな?」
奥で休んでな。と快活に笑った店主の言葉に甘えてイナニスが荷車を店の端に寄せている時であった。
「やっぱりいた!!!!俺の女神!!!!!」
ペルシャが、げぇ、と悲鳴をあげ、イナニスは嗚呼、と眉間を抑える。店主は、あれまぁ、と目を剥いて声の主を見やった。
長い黒髪を編んだ丸メガネの男は、瞳を輝かせてうっすらと頬をあかく染めている。
「イナニス!俺の女神!嗚呼、やはり今日は開運日だ!だって天気は快晴だし、朝ごはんの目玉焼きは双子だったし、適当に掴んだ靴下はお揃いで、眼鏡も指紋がついてない!!!素晴らしい!!矢張り今日は外に出て正解だ!!」
なんか言ってるよ、とペルシャにしては珍しく冷めた口調でいった。
それもそのはず。
このゼノという男。初めて会った時から、何故かイナニスへの熱量が高いのだ。
初対面は、お世話になったエブリンへお礼をするために初めて村を訪れ、店先で彼女と話しているときであった。突然肩を掴まれ、驚いたイナニスは相手の手を捻り地面に叩き伏せた。エブリンはイナニスの流れるように繰り出された技に眼を剥き、しかし男は、肩を掴んだ相手に倒されたことなど全く気にした様子もなく、地面に伏したままとにかくひたすら何事かを早口で捲し立てており、その異常な態度にイナニスはひどく驚いたものであった。
「俺の女神!!貴女を俺はずっと探していた!いつか出逢うだろうと来る日も来る日も部屋に篭り、眠り、起きて、部屋にいた!まさか!本当に貴女にあえるとは!ああこれはゲニウス・プーパの御導きかも知れないな!!素晴らしい!女神よ、貴女の名前をお聞かせ願いたい!どうか頼むよ!!!」
「ゼノ!あんたはまた訳のわからない事を言って!!」
「いってぇ!!!」
そうして、ぽかんと額を叩かれたゼノが、ようやく人間らしい反応を示したことに安堵したのを憶えている。
今ではイナニスを見かけるたびに、このように大声で騒ぎ立てて着いて回るので、村人の中では親切心からイナニスへ「ゼノはいま何処何処にいるよ」と忠告をしてくれるものもいる。有難い事ではあるが、恥ずべきことでもあり、イナニスな心境は複雑である。それ程にゼノの態度は傍目からみても不審で、明らかにイナニスは被害者なのである。
「でもゼノって、イナニスの事を『俺の女神』だーとかいう癖にひとしきり騒いだらすぐ家に引き篭もっちゃうんだよね、へんなの」
「女神の金魚のフン一号か。いたのか」
「いたよ!なんだよ!感じ悪いな!!」
「俺は女神と四六時中一緒にいるお前と、お前の兄貴は敵だと認識している」
店主が「器量の狭い男だねぇ」と苦笑いを浮かべていうと、ペルシャが意気込んで声を上げた。
「そうだそうだ!そんなんだからイナニスに嫌われてんだよ!ばーか!!」
「浅はかなクソガキよ、優しく賢い俺が教えてやろう。愛とは求めるものではなく与えるものである」
「賢い大人のくせに、一方的な愛は犯罪なんだって知らないの?だっせ〜!」
「この餓鬼!!」
「なんだよ!!」
「あんたら!喧嘩なら他所でやんな!」
店主が声を張り上げて怒鳴ったところで「なんか煩いとおもったらゼノがいたのか」と荷物を抱えたアルガルドとハビオンがやってきた。
ペルシャが「にいちゃん!」とアルガルドに駆け寄り、ハビオンが「お前はまた迷惑かけて」とゼノに呆れた目を向ける。
「なんだ優男、金魚のフン二号と一緒に女神の株上げか。涙ぐましい努力だな」
「なんとでも言ってくれ。お前はイナニスが絡むと途端に面倒くさくなるな」
「金魚のフンって俺のこと?」
「私が一号で、にいちゃんは二号らしいよ」
「いいからさっさと散んな。他の客が入ってこれないだろう」
「ごめん、ください」
「ああ〜!女神のカタコト!癒されます〜!」
「こーゆーとこがキモいんだよなぁ」
「んだと!!」
「事実だもん!!」
イナニスは、さっとペルシャの前に立ち、彼女を抱き上げて荷台に乗せると、ハビオンは荷物を運び、アルガルドは自ら荷台によじ登ってペルシャの隣に座った。
「お邪魔しました」
目を白黒させているペルシャの隣で礼儀正しく頭を下げたアルガルドに、店主は「お疲れさん、また頼むよ」と笑って手を振る。
ハビオンが荷台を引く役を請け負うらしく、イナニスにも乗るように声をかけた。
「俺の女神」
振り返るとゼノが、これまで見たこともない静かな眼差しでイナニスをみていた。
「夢を見た。雪のつもった夜に、黒いローブを纏った騎士が君の元へ訪れて、滅びゆく王国の後継者を探せと告げる夢だ。心当たりはあるかい?」
息をのむ。
イナニスは静かに頷いた。
「では、あそこの優男にその事を話すといい。その答えの一つはあれが導く。けれど、覚悟もしておかなければいけない」
「ーーるど、ぺる」
ゼノは優しく笑んで頷く。
「いずれ、別れが訪れる。後悔の無いよう、過ごして」
ありがとう。とイナニスが告げるとゼノはにっこりと笑い「妻神の思召しのままに」といって去っていった。
動き出す