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異世界転生ハッピーライフへの道のり  作者: 竹ノ内 ワビ
8/9

夜の鳥



風が窓を叩く音で目が覚めたイナニスは、少しぼんやりしたあと、今は何時だろうか、と腕を上げた。

あたりはまだ暗く、深夜であることがわかる。

イナニスはベッドに横たわったまま、小窓に手を伸ばしてそっとカーテンをめくった。

その隙間から、ほんのりとした光が差しこみ、今夜はずいぶん月があかるいのだなとおもう。

目だけで光源をさがすと、夜空の一番高いところにわずかに欠けた月が浮かんでいた。


(つくよか)


イナニスはまたぼんやりとして、しばらくしてから気怠げに身を起こすと今度はしっかりとカーテンをひらいた。

庭に佇む物、すべてが青白く煌めいているのに対比して地面の影は濃く、まるでうっすらと雪が積もっているようにも見える。

イナニスは、このような夜が好きであるので、なんとなく外へ出たくなった。

寝衣のまま、音を立てずに部屋を出る。

深海を泳ぐさかなのように、悠然と暗闇を歩き外へ出ると、ひとつ深呼吸をした。

夜の冷えた空気に草木が混じった、埃っぽい土のにおいがする。

寒くは無い。そして、


(静かすぎる)


夜半である。

当然といえばそうなのだが、イナニスの肌を刺すなにかがある。


(凪いでいる)


窓を叩くほどの風は吹いていない。

では、イナニスを起こしたあの音はなんだったのか。

踵を返し、イナニスは滑るように部屋へもどると、サイドボードの上に置いてあった剣を掴みまた、外へ出た。玄関の扉をそっと閉めると、顔をあげて周囲を警戒する。

家のまわりを一周したあと、今度はひとまわりぶん範囲を広げて歩く。

そうやって、月がやや傾くまでの時間をつぶしていたがこれといった変化もなく、イナニスは直感が外れたことに息をついた。


「【気の所為みたいね】」


ただの一人芝居になってしまった気恥ずかしさを独り言で誤魔化したイナニスは、もう寝よう、とまたひとりごちて、不意にでた欠伸を咬みしめた。


[ 嗚呼 ]


イナニスが弾かれたように振り向くと、庭の、いっとう開けた場所にちいさな黒いかたまりがあった。

なに、と目を凝らす。

するとそれはまた、嗚呼、と鳴いて大きく羽をふった。


「【ーーー鴉?】」


こんな夜更けに鳥が?と訝しむが、そういえばこの世界は自分の常識とちがっていることが間々あるので、これもイナニスの知らない『普通』の範疇なのかもしれないと考え直した。

先ほどの歎くような音もこれの鳴き声か、と釈然として、肩の力を抜く。


[ 真逆また妻神へまみゆることになるとは ]


一瞬、身体が浮いたと錯覚をした。

そしてすぐに、この浮遊感は底知れない恐怖を感じている所為だとイナニスは気づいた。


[ さぞ、わが失態をいふかひながりておはすることならむ ]


鴉はその場でしゃがみ込むと低頭して[ 言ひ訳はたてまつらず ]といった。


[ されど、いかでか、聞きやりたまへ ]

[ かのわらはは、逃げいださず ]

[ ただ、迷子になりにけるばかりなり ]

[ 己の影にさえ、怯えむ心の弱きわらはなり ]


そこで鴉は頭をあげると、


[ 妻神の御慈悲を賜るべくば、いかでかかのわらは見つけ給へまほしく存ずる ]


とイナニスを凝視める。

いったいなにが起こっているのかイナニスにはわからないが、先ほど感じたつよい恐怖心は過ぎ去ったようであった。

そうして目の前にいる、イナニスの理解が及ばない存在が、何事かを請うている、というのは間違いないのだろうとおもった。

ただ、なぜ自分に、といった疑問がイナニスの身体を鎖のように絡めて動けない。

イナニスの一挙一動で取り返しのつかないことが起こるのでは、といった張りつめた気配が、月明かりの美しい庭に充満していた。


イナニスの答えを静かに待っていた鴉が突然、


[ ほど無し ]


と呟きその場に蹲った。

イナニスは、はっと緊張して剣の柄を強く握り鴉の挙動を瞠るが、予想外に鴉はずっと弱っているようだった。

地面を叩くように一度だけ羽ばたくと、それ以上は動く力が残っていないのか全身を痙攣させている。


[ いかでか、かの国に眠る死者どもの料にも、わが願ひ聞きやりたまへ ]


鴉の輪郭がぼやけていく。

徐々にからだの向こうの景色が見えるほど薄くなり、やがて黒い煙が、鳥を象っただけのかたまりとなった。


「テネブラエ」


イナニスはいまの声は誰だろうとおもい、しかし、すぐに自分が言ったのだと気づいて驚いた。

が、不思議と、奇妙だとはおもわなかった。

あれほど得体が知れないと不気味におもっていた鴉であるのに、いまは【あるがまま其処に存在するもの】と受け入れている。

恐ろしいとも憐れだとも感じないが、このまま虚しく消えて逝くさまをただ眺めるというのは、なぜか躊躇われる気持ちがある。


「【安らかに眠れ】」


嗚呼、と鴉が泣いた。

このうえない、喜びと安堵がこめられたこえであった。

イナニスはそれを、なんの感情もうごかない気持ちでみていたつもりであったが、その心とは別のなにかが、小石ひとつぶん軽くなったような心持ちがして、これはなんだ、と戸惑った。


記憶のすみで埃をかぶっていた約束を果たせた。

言葉でいい表すならば、それが一番近い感情である。


イナニスが困惑しているわずかなあいだに、ふ、とため息ほどのささやかな風が吹いた。イナニスがそのことに気づくと同時に、鴉であった靄のかたまりは、微動な空気に流されて空中に溶けていった。







【真逆、再び妻神さまへ、まみえることになるとは】

さぞ、わたくしの失態を不甲斐なく思っていらっしゃることでしょう】

【言い訳は致しません】

【ですが、どうか、お聞き届けください】

【あの子供は、逃げ出したのではありません】

【ただ、迷子になってしまっただけなのです】

【己の影にさえ、怯えるような心の弱い子供なのです】

【妻神さまの御慈悲を賜れるなら、どうかあの子供を見つけて頂きたく存じます】

【どうか、あの国に眠る死者達の為にも、わたくしの願いをお聞き届けください。】


ねこいりねこ様 : JavaScript現代文を古文訳より


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