閑話して休題
おしゃべりしましょう
盗賊騒動の一件は、あっという間に村中に知れ渡り、兄妹をよく知る者たちは一同に青褪めてやはりこちらに移り住んだ方がよい、と強く勧めた。
とくに親と仲のよかった市場の女主人などは、以前から『うちで一緒に暮らそう』と熱心に声をかけていたらしい。
しかし兄妹が、
『お父さんとお母さんと一緒に過ごした家だから』
と、笑って返すので、流石に無理強いはできず、困った事があればすぐにいいなさい、と会話を締めくくることが多かったという。
「今日こそは引かないよ、ルド、ペル。明日にでもこっちに引っ越しなさい」
「でも、」
「あの晩、どんなに皆んなが心配したか!あんたたちの気持ちもわかるけど、もう駄目だ。今度また同じようなことがあったら、あたしはあんたたちの両親になんて謝ればいいの」
捕物があった当日、皿洗いをしていた彼女はふと、表が騒がしくなったことに気がついた。
すでに夕食も終えて、家でくつろいでいるような時間帯になんだろうか、と手を止めて窓からのぞくと、村の男たちが慌ただしく広場に集まりはじめているところであった。
顔ぶれは自警団に所属しているものばかりで、一同、険しい顔で武器を手にしており、なかには帯剣している者もいる。
これは只事ではない、と野次馬のひとりを捕まえて事情を尋ねようとしたとき、彼らを率いるように小さな影がひとつ飛び出した。
それは村外れに住む兄妹の兄、アルガルドであった。
「うまれて初めて気絶したよ。目が覚めたら後頭部にたんこぶまで出来て、枕に当たって痛いったらありゃしないわ」
まだ腫れが引かないのか、眉間にシワをよせて患部を摩る彼女に、申し訳なく思ったアルガルドが「本当にごめんなさい」と身を縮める。
兄のとなりに並んで説教を受けていたペルシャも、恐縮しながら「こ、これ、作った薬、です」と軟膏を差し出してくるので、再度、彼女はため息をはいた。
「せめてあたしらが安心出来るような歳になってから家に戻りなさい。こんな寿命が縮むような思いは二度とごめんだ」
「あの、それが」
「ちょっと事情ができて、今すぐには無理っていうか」
困り果てた兄妹が、女主人の顔色をうかがうように「実は、」と弱々しく話し始める。
その話を最後まで聞いた彼女の、今日一番の怒鳴り声が村に響き渡った。
「エブリンさんは、怒らせるとおっかないからね」
「えふりん さん おこえるる おっかいない」
「イナニス、エブリンさんだよ」
あと、後半は絶対言っちゃだめ。
ペルシャが真面目な顔をして人差し指をたてる姿を真似て、イナニスも指を立てて唇にそえた。その様子が面白かったのか、ペルシャは楽しげな声をあげる。
あの後、たっぷりとお説教を受けたアルガルドとペルシャは、エブリンに頼み込んで家に来てもらったらしい。
というのも、自警団の男たちにベッドまで運んでもらうことはお願い出来ても、イナニスが着ている血まみれのドレスを着替えさせてもらうのはさすがに躊躇われたからである。
もちろん、兄妹でやってみようかと考えてもみたが、イナニスは女性にしては背が高く、また、幼い兄妹が意識を失っている大人の身体を支えるには少し無理があった。
そもそもワンピースドレスの脱がせ方すらわからないので、事情を説明してエブリンに手伝ってもらった、という経緯である。
事前に話を聞いていたとはいえ、やはり実際に目の当たりにすると衝撃があるようで、エブリンは目を剥いて驚いていた。
色々と思うところもあっただろうに、それでも何も言わずにエブリンはイナニスの服を着替えさせ、濡れタオルで身体を清めるなどの看病を積極的に手伝ってくれた。
熱が下がると、今度は滋養のつくレシピを教え、彼女が歩けるまでに回復すると「よかったね」と屈託なく喜んでくれた。なのでイナニスもエブリンには頭があがらない。
「だけど、イナニスはずいぶんお喋りがうまくなったね。こっちにきてまだ1ヶ月くらいでしょ?」
「るど、ぺる、のおかげさま、だよ」
「でも違和感がすごいんだよなぁ。こんなに強くて格好いいのに、喋ったら赤ちゃんみたいなんだもん」
「あかちん」
「ほらー!もーー!!」
アルガルドは不満の声を上げるが、ペルシャはそこが気に入っているので「いいじゃん!」とご満悦である。
イナニスはいま、同居人、兼、用心棒という形で兄妹とともに暮らしている。
一般常識を知らないやたらと腕の立つ謎の外国人、という怪しい肩書きは村の皆に不審がられたが、賊を倒したこと、兄妹がすっかり気を許していることに加え、たどたどしく話す彼女に毒気が抜かれた、というところが大いにあるようだ。
「そういえばあの盗賊って、元々は北の兵隊だったんだって」
「へーたい?」
「そう。州境に配置されてた民兵らしいけど、隊から脱走したんだって」
「脱走兵?」
ペルシャが吃驚して言う。
アルガルドは、うん、と頷くと、
「影からいっぱい難民と魔物がきてるんだってさ。だからノッカでは徴兵令がでたんだって」
と続けた。
イナニスにはまだ、この世界の仕組みがよくわからないが、どうやら魔物とやらと戦を起こっているらしいと理解する。
ペルシャが、こわいね、と不安げな声をもらした。
「この村はノッカに近いから、またこないだみたいなことが起こるのかな…」
アルガルドも険しい顔をして「昼間でも1人で森に入るのはやめた方がいいかも」と言った。
「でも自警団が見回りの回数と範囲を広げるって言ってたから、そんなに深刻にならなくても大丈夫さ!いまはイナニスもいるし」
ね!と信頼しきった眼差しをアルガルドから向けられたイナニスは、微笑みながら大きく頷いた。
「ボコす」
「イナニス、そんな言葉どこで覚えたの?」
「めーそん」
「メイソンさん、口悪いからなぁ」
アルガルドが草をちぎりながら苦笑いを浮かべた。
今はペルシャと約束をしていた身隠しの香を作っている最中で、薬草の根と茎と葉を分けているところだ。
ペルシャの作る香は村でも評判がよく、兄妹の収入源のひとつになっている。
以前作った香をきっかけに、ペルシャに魔力があるとわかると母親は、塗り薬や湿布などの薬の作り方を教えるようになった。
一般家庭で作られるそれらは、基本的な材料は変わらないが、家庭により効能や作り方に微妙な差がでる。分かりやすく例えるなら料理の味付けのようなものであるが、魔力持ちが作ると効能が桁違いに上がるらしく、場合によっては店に並べても遜色ないものが出来上がるので、もしものことが起きても困らないようにと母親が指導してくれたらしい。
無情にも、その「万が一」が起こってしまった訳ではあるが、母のおかげで多少の不便はあるけれど不自由のない生活が送れている。
他愛のない会話を続けながら作業を進めていると玄関から、たのしそうだな、と声をかけられた。
「ハビオン、いらっしゃい」
ハビオンは自警団のひとりで、最近この村に移住してきた男である。
年も若く、快活な性格の男なので村人からの評判もよく、ついでにいえば、目鼻立ちが整っているので村の若い女性から熱い視線を向けられることも多いようだ。
兄妹の暮らしを気にかけて、なにかと世話をやいてくれる兄のような人物らしい。
「ご近所さんからオレンジを大量にもらったから、おすそ分けにきたぞ」
「わぁ!ありがとう!」
ペルシャが飛び跳ねて喜んでいる。彼女は果物が大好物なのだ。
「で、何の話をしてたんだ?」
リビングに迎え入れられたハビオンが雑談に加わりながら薬草の根をちぎる。手伝ってくれるらしい。
「イナニスがメイソンさんの所為でへんな言葉を覚えちゃったんだよ」
「あのおじじか。口が悪いからなぁ。ちなみにどんな言葉を教えてもらったんだ?」
イナニスが少し考えて「けつのあおいわかぞう」というと、ペルシャが悲鳴をあげて、ハビオンは苦笑いをこぼした。アルガルドは頭を抱えている。
「だめーー!!!そんな言葉つかっちゃ駄目!禁止!」
「こりゃあ、さすがによろしくないなぁ。しかもイナニスは雰囲気のある美人だから、破壊力がすごいな」
「わかるよ、俺、未だに慣れないもん」
「るど、えーっ、ていう」
「えーって言うのか」
「いうます」
ハビオンが面白そうに笑う。引き合いに出されたアルガルドは拗ねたように、だってさぁ、と声をあげた。
「こないだ、森ででっかい猪が襲ってきたんだけどイナニスが一撃で倒したんだ。それで、俺がすごいねって言ったら、なんて言ったと思う?」
突然のクイズにペルシャとハビオンは考え込む。
「楽勝、とか?」
「イナニスだから、ばんごはん、じゃない?」
「どっちも不正解。猪を指差して『ぶーぶー?』って」
イナニスとしては名称を教えてもらうために尋ねたつもりであるが、アルガルドはお気に召さなかったらしい。「えぇ…」と困惑の言葉を漏らしていたが、2人は、成る程、と大いにはしゃいでいる。
ひとしきり笑ったあと、ハビオンが「でも、確かにすごいな」と頷く。
「それだけ腕の立つお嬢さんなら、何処かで噂くらい耳にしそうなもんだが」
「外国だからこんな辺境までこなかったんじゃない?」
「いや、俺は此処に来る前は帝国に仕える仕事をしていてね。そういう噂はよく流れていたよ。どこの誰が喧嘩で騎士を倒しただの、えらく腕の立つ奴があの国にいるだのってな具合にね。女性であれば尚更珍しいから話題に上りそうだし、イナニスは言語はあれだが、所作がとても民間人とはいえないくらいに綺麗だろう?何処ぞの貴族階級に在籍していたといってもおかしくないと思うんだが」
「ハビオン、兵士だったの?!」
アルガルドが驚いていると「内緒にしてくれよ」と、ハビオンは笑った。
「実は此処に来たのも、そういう理由だ。ここがウスタとはいえ、ノッカに近いからな。今は平和なもんだが、いつ状況が変わるか知れない。そうなった場合、すぐに各国へ連絡がつかなきゃ大惨事だ。水と金と砂も他人事じゃないから此方に協力的ではあるが、平行線の戦況にいちゃもんつけてきて面倒なんだ」
はぁ、とため息をはいたハビオンに兄妹は困惑している。
「そんな大事なことを俺たちに愚痴って大丈夫なの?」
「このくらいは市民に知られてることだからな。ノッカに隣接しているウスタとイスタの町村には俺みたいなのが何人か派遣されてるし、多少の危機感を感じてもらえれば自衛に繋がる」
そう言ってハビオンは肩をすくめた。
兄と慕う男のカミングアウトに兄妹は驚いていたが、イナニスはやはりそうだったかとひとりで納得していた。
ハビオンがイナニスの所作を褒めたように、イナニスもまた、ハビオンの平民らしからぬ行動に疑問を感じていた。
粗野に振る舞うくせに、やけに気配は透明で、わざとらしく足音を立てて歩き、民間人というわりには帯剣した動きに慣れている。
(けれど帝国が、しかも辺境の村に兵士を派遣するなんて、余程のことなのね)
それほど戦況があぶないのか、それとも影からくる魔物とやらの攻略が難攻しているのか。
あまり楽観視してはいられない状況であるのはイナニスにも理解できた。
家周辺の警戒を強めた方が良さそうだと考えて、罠でも仕掛けるかと構想しているとふと、ハビオンが此方を観察している事に気がついた。
どこか探るような視線にわずかに眉を顰めるが、イナニスはなにもいわず、薬草の葉をちぎった。
「やっぱり、イナニスは令嬢というよりは武人に近い雰囲気があるな」
感心したようにハビオンが言う。
「イナニスは強くて美人で可愛いんだから!」
「でも、喋ると赤ちゃんだから!」
「あかさん」
ほらー!とアルガルドとペルシャが言うと、ハビオンが大声をあげて笑った。
そうしましょう