兄妹の話 2
信頼できるかの 有無
「異人さんには悪いけど、元気になったら出て行ってほしい」
そう言うと、女の人はしっかりとこちらに視線を定めて静かに頷いた。
先程の頼りない表情ではなく、意思を持って頷いた事に一先ず安心して詰めていた息を吐く。
もしかすると、一方的に追い出すような事態に腹を立て、暴れるのではと心配をしていたのだが、女の人は不機嫌にも困った顔をするでもなくただ、事実だけを受け入れているようだった。
帰る家はあるのか。
頼る当てはあるのか。
お金は持っているのか。
言葉もろくに喋れない外国人を追い出す事に、罪悪感を感じないわけではない。しかし今思いついた言葉を口にしたところで、何ひとつ自分たちも分け与えてやれないのだ。
家は此処しかないし、紹介してやれる親戚や大人はいない、お金は、渡せる余裕があるほどもっていない。
仄かに浮かび上がる気まずさを振り払うように、ペルシャを連れて納屋を後にする。
扉に鍵をかけて、一瞬、迷ったが念の為にと近くに積んであった木箱を扉の前に置いた。
明日、自警団を連れて来た時に居なくなっていたら困ると思ったのだ。
大人たちに『嘘をつかれた』と思われるのが嫌だった。
「どうしようか」
ペルシャが不安そうに言う。
「だから、あのときに言っただろ、やめとこうって」
意図せず、責めるようなセリフになってしまったことを反省して眉根を寄せると、怒っている、と勘違いをしたペルシャが気まずそうに俯く。慌てて「そんなつもりじゃなかったんだ。責めるみたいな言い方してごめん。」と言った。
「うん、でも、時間が巻き戻ってもたぶん同じことするとおもうから」
「俺たちちゃんと話し合って、納得してあの人を連れてきたんだし、だからそれは、もういいんだ」
明日はやることがいっぱいだから今日は早く寝ような、とペルシャの頭を撫でてやると、ようやくはにかんでくれてほっと息をついた。
「あ、瓶の水汲み、忘れてたかも」
「まだ残ってるから、明日でいいよ」
「うーん、朝から汲みにいくの面倒臭いからやっとく」
キッチンに置いてあるバケツを持って井戸へと走るペルシャに、その一杯だけでいいよ、と背後すがたに声をかけて、キッチンへむかった。
残っている水を鍋に張り、昼間に約束した干し肉を大きめに切って放り込む。タマネギとじゃがいも、乾燥させたハーブと味付けに塩とコショウ。
棚からトマトのオリーブ漬けをだして、折角だからミルクも使ってしまおうか、とキッチンマットをめくって床の小さなくぼみに指をひっかけた。
うんっ、と力を入れて持ち上げると、土を掘りくり抜いただけの簡易な貯蔵庫がみえる。
物干し竿がはいるくらいの横長な作りで、高さは大人が屈んで歩ける程度、幅は樽が二つ並べて置けるくらいになっており、チーズや足のはやい果物などをしまう保冷庫のような役割を兼ねている。また、一番奥にはレンガを組んで藁で覆った氷室があり、中には冬の間に取ってきた氷や雪をしきつめて、特に傷みやすいものを保存出来るようにしていた。
さてどれくらい残っていたかな、と思い出しながら氷室に手をかけたところで、真っ青な顔をしたペルシャが駆け込んできた。
「どうした?」
こちらの問いかけには反応せずに、切迫した表情のままキッチンマットの端を挟まないよう丁寧に、ペルシャは扉を閉めた。
地下貯蔵庫は土を掘っただけの巣穴の様な作りであるので当然、隙間など無く、明かりを取り入れるものが出入り口の扉しかない。
途端に真っ暗になってしまった室内は涼しいはずなのに、汗が流れ出て首筋をつたう。
なにか異常事態が起きている。
ペルシャが隣に座る気配とともに、縋るように身を寄せてきた。触れた身体が小刻みに震えて緊張している。
まさか、と最悪の事態に身体を固くした。
「香は焚いたか?」
「戸棚の裏と、ここに」
「金庫は」
「少しだけ残してあとは全部持ってきた」
暗闇に目が慣れてペルシャを見ると、左手で香炉を握りしめているのがわかった。焚いているのは身隠しの香だ。
『身隠しの香』とは、その名の通り焚いた煙と匂いで視覚を狂わせ、外敵から身を隠すものである。
だがペルシャが作ったものは追加効果があり、些細ではあるが幻覚を魅せる事もできた。
昔、ペルシャが母とつくったものを試しに焚いたとき、いつの間にかテーブルの上にガチョウが座っていたらしい。捕まえようと手を伸ばすと通り抜けてしまったと母が驚いた様子で教えてくれた。そうしてそのときに『ペルシャには魔力があるのだろう』という事に気がついたのだ。
なんでガチョウ?と不思議に思ってペルシャに聞くと「晩ごはんの事を考えながら作った」と言っていたので作り手の意思に反応した幻覚がみえるのだろう。
それを利用して作った香は『人影が玄関や窓から見える』というものなので、上手くいけば相手が勘違いをして逃げてくれるか、そうでなくても辺りを警戒して家から離れてくれるはずだ。
その隙に鍵をかけて締め出すか、逃げればいい。
無言でお互いの手を握りしめた。
ペルシャの手はひどく冷たかったが、きっと自分もそうなのだろうと思う。
暗い中で耳だけをそば立てて、張り詰めた空気にひたすら耐えた。
心臓の音が外に漏れないだろうか。
自分の呼吸の音がいつもより大きく感じる。
突然、数人分の足音が聞こえて肩が跳ねた。
思わず漏れそうになった悲鳴を必死で抑えて片手で口元を覆う。そうしないと歯が鳴る音が聞こえてしまうと思った。
ペルシャは、と気にかけるのだが恐怖で身体がこわばって視線すら動かせない。
ただ、止まらない震えが繋いだ手から伝わってくることだけはわかった。それを抑える様に強く握りしめる。
足音はリビングルームをぐるぐると回っているようだった。きっと不審者たちは各部屋を覗いているつもりなのだろう。
このまま諦めて帰ってくれないだろうか。
そのために大事なお金を、金庫に少し残しているのだ。成果が少しでもあれば、無いよりはましだと思って離れてくれる率も高い。
どうか、どうか、と祈る気持ちで願う。
が、その願いは神には届かなかったらしい。
回る足音に混じり、窓が開かれるような音が聞こえてきたからだ。
開けっぱなしの玄関から順番に、窓を探して開けている。
一ヶ所でしか聞こえなかった足音が、輪を広げる様にまばらになっていく。
キッチン近くに来た足音の持ち主が「香を探せ」と言っているのを聞いて一瞬、意識が真っ暗になった。
(なんでこんなに執拗に探すの?)
(金庫を見つけていないから?)
(他に欲しいものがあるの?)
(なんでも持っていっていいから早く出て行けよ!)
ペルシャの震えが止まらない。
自分が守ってあげなくてはいけないのに、励ましてやらなきゃいけないのに、怖くて動けない。
聴覚だけが異常に上がって、心臓の音がひどくうるさい。
ひときわ大きな物音が聞こえて、痙攣のように身体が跳ねた。
途端、一斉に足音が強くなり怒声が上がって、とうとう耐えられずに「ひっ」と息をのむ悲鳴をこぼしてしまった。
ペルシャも「にいちゃん」と硬い声でしがみついてくる。それを守るように抱きしめて、貯蔵庫の扉だけを必死で見つめていた。
頭上からは男の怒声と倒れる家具の音がして、侵入者たちが揉めているのだとわかった。
家が軋み、なにかを引き摺る様な音がして、そのあとは、なんの音もしなくなった。
(今のうちに家から逃げた方がいいのかもしれない)
覚悟を決めて扉に近寄る。自分がなにをしようとしているのか察したペルシャが強く腕を引いた。暗がりでもわかるほど真っ白になった顔を左右に振って、だめだと訴えている。
「様子をみてくる。お前はここで待ってろ」
「やだ、にいちゃんが行くなら一緒にいく」
掴んだ腕に力がこもるのをみて、わかった、と頷く。
ここに置いておいても安全とはいえないのなら、一緒にいた方がいいかもしれない。
音を立てずに扉を少し開き、周囲をうかがう。誰もいない事を確認して先ずは自分が、それからペルシャを呼ぶ。
玄関はキッチンの近くにあるが、玄関をあけた目の前がリビングルームになるので、どうしても争っていた彼らのそばを通らなければならない。
死角になるように注意して、そっとリビングを盗み見ようとしたとき、近寄ってきたペルシャがつま先を床に引っかけて音をたててしまった。
はっとして庇うようにペルシャを背後に隠すが、リビングルームからはなんの反応もない。
真っ青になって涙を浮かべている妹を抱き寄せて、今度は2人でリビングを覗いた。
初めに、寝転ぶ男の頭が見えた。
同時に、納屋へ閉じ込めていたはずの女の人が蹲っているのが見えて、肩を跳ね上げた。
なんで、と思っていると、その女の人の隣に縛られた男が見えて、目を丸くした。
女の人は昼に見た時よりもずっと青白い顔をしていて、滴るほどの脂汗をかいていた。
身体全体で喘ぐように呼吸をしており、今にも倒れてしまいそうだった。
驚きすぎて声も出ずに女の人を見つめていると、ふ、と彼女が安堵したように笑った。
「〆*€ーーございませんか?」
えっ、と目を見開く。
いま、たしかに。
「ごぶじでよかった」
そう言って、糸が切れたように女の人は崩れ落ちた。どさり、と倒れた音にようやく気を取り戻した自分とペルシャが慌てて駆けより、怪我が無いかをたしかめる。
「怪我はないけど、熱がひどい。汗もたくさん出てるから水を飲ませないと!」
「お水!もってくる!」
「ペル!氷室の氷!ダメならタオルに染み込ませて飲ませるんだ」
「わかった!」
「俺は村に行って誰か呼んでくるーーすこしのあいだ1人にさせるけど、大丈夫か?」
自分のことばに、身を固くしたペルシャは息をのんだが、すぐに力強く頷いて「早く帰ってきてね」といった。
わかった、と頷き返して、全速力で村を目指して走る。
すっかり陽の落ちた道は知らない場所のようで、獣や野鳥が鳴く声も聞こえるが、先ほどの恐怖に比べたらなんてことない。
「無事でよかった、なんて」
女の人の、ほっとしたような笑顔を思い出す。
自分は剣を向けたのに。
扉に鍵をかけたのに。
捨てておこうと、いったのに。
何故かとても悔しい気持ちがした。
今までの行動が間違っていたとは思わない。
守るために最善を尽くした。自分はよくやったと誇れている。
でも、ただ、あの言葉が、絶え絶えの中で「よかった」と笑ったあの女の人に対して、なにか、ひどく悔しくて、悔しくて涙が出そうになった。
「ちゃんと、謝って、ありがとうって言うんだ」
もうすぐ林を抜ける。
村の灯りは、きっとすぐだ。
信頼できるかの 答え