兄妹と異邦人
戦闘シーン多め
「今日は身隠しの草をさがそうよ」
「先に剣の稽古だよ。昨日やくそくした」
「昼になる前に集めておきたいの!野盗が来たときに使っちゃったじゃん」
「眠り草があるだろ?ペルはあれを粉にして使えるようにしてろよ」
「昨日もおんなじこと言って夕方までずっと稽古してたじゃない!にいちゃんばっかりずるいよ!」
「るど、ぺる、だめ」
子犬が吠えるような言い合いを始めた二人の間に手を翳し、距離を取らせる為に身体も滑り込ませると、だって、でも、と言い募りながら、ひとまずは落ち着いた様子をみせた。
ずいぶん懐かれたものだ、とおもう。
表面では苦笑いをしてみせて、その内では心が躍るように跳ねてしまうのは仕方がないだろう。
心根の優しい幼いこどもに疑心暗鬼で満ちた目を向けられ過ごした時間は、流石に心に爪を立てられる息苦しさがあったのだ。
「異人さんには悪いけど、元気になったら出て行ってほしい」
初見の警戒は少しばかり緩んだが、未だ得体の知れない外国人である。固さの含んだ声音で、背後に妹を庇いながら言われれば素直に頷くしかなかった。
兄妹は要求が通ったことに、詰めていた息を少しゆるめた表情をする。
断られたらどうやって追い出そうか、と考えていたのかもしれない。
こちらも僅かばかりだが、二人の心労を取り払う事ができた、と気付かれないように安堵の息をはいた。
部屋を退出した二人が立て付けの悪いドアを閉めたあと、扉の奥で金属がかみ合う音と、なにか重いものを引きずる音がした。鍵と、樽かなにかでドアを塞いでいるのかもしれない。
音が消えて、どうしようか、だからあのときに、というような会話が漏れ聞こえてくるが、次第にその声も遠ざかってしまった。
用心深いことは良い事だ、と感心する気持ちもあるが、否応なく傷付く心もある。
これは仕方がない事だと無理やりに納得をして【さみしい】という名前の箱に蓋をした。
改めて周囲を見渡すと、六畳ほどの広さの室内には壊れかけの鍬やら、シャベルやら、バケツが転がっている。
むき出しの地面の上に戸板を敷いた簡易な寝床、ほつれのある毛布一枚、それが自分に与えられた部屋である。
これから、どう生きながらえるか。
約束も、役目も、叶えたい願いも、全てあちらに置いてあるのに、このおかしな世界で希望を持って明日を生きるなど、今は無理だ。
生きる目標もなく無為に過ごすなら、いっそのこと死んでしまいたい、と願ってしまう。
(あなたたちには、幸せに生きろと言っておいて、わたくしは身勝手ね)
自嘲して目を閉じると、あの日の光景が蘇る。
警笛が近づいてくる。
舟が軋む音、波がはねる音。
濃霧に吸い込まれてゆく小舟がみえる。
いかないで
と、囁く声がきこえた気がした。
うつら、うつら、と夢に落ちる途中で、あの声は誰のものだったろうか、とおもう。
震えて掠れた声は、今にも泣き出しそうだった。
あの日別れた、二人のものだろうか。
いや、違う。
あれは。
(嗚呼、あれは、わたくしの声だった)
髪を掴まれ、後ろへ引き摺り倒された。
武装した兵士が何事かを喚いて、剣をこちらへ振り下ろす。
それを剣でいなして、髪を掴んでいる相手の脇を狙い、衝いた。
甲冑の隙間を抜けた鋒が肉に埋まる感触を柄に伝えると同時に、獣の咆哮のような悲鳴が上がる。
刺された男は掴んでいた髪を手放して後ろに引き、入れ替わるように再度、腹を狙ってきた男の二打目を横に転がり回避する。
泥を掴み顔面に投げつけ、怯んだ男の膝頭を蹴り転倒させると、兜と胴着の隙間に刃を押し込む。
すぐさま引き抜き、次の相手へ視線を向ける。赤く濡れた刀身が翻り、ひとり、ふたりと倒れていく。
囲まれないように必死で走り、斬り結ぶ戦闘は避けて一撃で致命傷を負わせられるように。
初めに足をやられ、
次に腕をやられ、
目を片方やられ、
腹をやられ、
遂に、首を落とされた。
「悪魔め」
と憎々しげに怒鳴る声が耳の奥で響いた。
汗だくで目覚めると、すでに日は暮れて夜が訪れていた。
暗闇の中で周囲を見渡すが、眠る前と変化はない。
長い、ため息とも安堵ともつかない息を吐き出して手のひらで首の汗を拭った。
今は何時だろうか。いったいどれくらいの間眠っていたのだろう。
そんなことを考えていると、腹が小さく鳴った。
こんな状況下でも腹は減るんだな、と虚しさを感じて目を瞑る。体は怠く、腕も足も鉛をくっつけたように重い。早く体力を回復させて此処を出なければと思うが、ここを出た後どうするかが思い浮かばなかった。
ふと、扉の奥で物音がしてそちらに目を向けると人の騒ぐ声が聞こえる。
兄妹か、と思ったがどうも様子がおかしい。
声は複数で、男のようだった。
なんにもねえな。
そっちはどうだ。
耳を澄ませていると、そのようなやりとりが聞こえる。
(もの取りか?)
扉の物音が鍵を壊そうとする音に変わる。
身体を起こして、近くにあった鍬を手にとり、息を潜めて扉に耳を傾ける。
「ガキはどうした」
「探してるんだが、見つからねぇ。村の自警団を呼ばれたら厄介だな」
「村まで距離がある。二人探しに向かわせろ。残りのやつは家を探せ」
「ガキ二人だけ、と村で聞いたから『身隠しの香』を焚いて隠れてんのかもな」
「成る程。なら煙と匂いが流れるように家の窓を片っ端から開けていけ。匂いと煙が消えりゃあ、惑わされなくなる」
「俺たちが見つけられないぐらいの効果なら、ガキのどっちかが魔力持ちかもしれねぇな」
「そいつはいい。高く売れるぜ」
会話の様子から、ドアの外には二人、捜索に二人、残りが家にいるようである。
会話の内容はほとんどわからなかったが、確かである事は兄妹が狙われているということだ。
金具が壊れる音がして、扉が動く。納屋のドアは外開きになっているので、扉が開く瞬間に合わせて、思い切りドアを蹴飛ばした。
突然開いた扉に対応できなかった男が、強かに顔面をぶつけてよろけた。その腹と肩を狙い鍬の柄で打ち、事態に混乱したままの二人目には肘で顎を殴って昏倒させた。地面に伏せてうめく二人を納屋に引き摺り込むと、梁に吊るしてあるロープを解いて、二人の手足を絞め上げる。
「てめぇ!!」
仲間は残り何人だ、と問いかけて、そう言えば会話が出来なかったのだと思い出す。
騒がれて家の中の奴等に気付かれるのもまずいので、近くに落ちていた麻袋を頭に被せておいた。
扉から外を覗き、仲間が見当たらないのを確認して建物の影に移動する。
捜索隊の二人はもう出たのだろうか。
家の中には何人残っている。
兄妹は無事だろうか。
急に動いた所為か、眩暈がひどい。空腹と具合の悪さで吐き気がする。相変わらず身体も重く、あまり長くは動けそうにない。
納屋から数メートル先の平屋が、2人が暮らす建物らしい。素朴な木造家屋で、中はあまり広くは無さそうである。
灯りはついており、全ての窓が開かれている。
そういえば、先ほど匂いがどうのと言っていたなと思い出した。
(『身隠しの香』?『魔力』?)
まるでお伽話だわ、と苦笑いをこぼすが、そんなものが一般的に使われる世界なのだと思うと、改めて、ここが自分が知る常識が通用しない場所なのだと思い知らされて、言いようのない焦燥感が募る。
(いまは、考えないようにしなければ)
兄妹を助けるのが先だ、と気持ちを入れ替える為に大きく深呼吸をする。
姿勢を低くして窓の下へ移動すると、室内からクローゼットや扉をなどを開けている音がしている。
「全然見つからねぇ、どこに隠れてやがるんだ」
「屋根裏部屋がないか探せ。もうそろそろ匂いも消えるだろうから絶対に見つかるはずだ」
「外に逃げたんじゃないだろうな?おい、納屋に行った二人はどうした?」
口ぶりから、納屋に捕縛している男の指示は届いていないようだと察する。と、いうことは室内にいる三人で全員か、と考えて、直ぐに玄関へ移動した。
わざと音を立てて注目を引きつけ、三人が身構える前に一人目を鍬で殴り倒した。
倒れた男の足を踏み抜き、無力化させる。
「てめぇ、ふざけやがって!!」
奥にいた男が剣を構える前に、鍬を投げつけ距離を詰める。鍬を避けた男の腹を思いきり蹴り床へ転倒させると、男の剣を奪い、三人目へ視線を走らせる。
「こいつ!!」
近距離にいた事に冷汗をかきながら、横払いの一撃をかわし体当たりをくらわせ、倒れた相手の頭に一撃をいれると、男は白目を向いて昏倒した。
納屋から持ってきたロープで縛り、ようやく一息つく。
(兄妹は…!)
立ち上ろうとするが、急に膝から力が抜けて尻餅をついてしまう。
身体が小刻みに震え出して、体力の限界がきたのだと気づいた。両手をついてひどい眩暈に耐えていると奥の部屋から音がした。
(もう一人いたの!?)
まずい、と必死で上体を起こすが、もう一歩も動けない。脂汗がにじみ、呼吸が短くなる。
脳裏にはあの日の、死ぬ直前の情景が浮かび上がっていた。
(もういらないわ)
死ぬなら、今度こそちゃんと殺してほしい。
そう願いながら奥の部屋を睨んでいると、開け放たれた扉から姿を表したのは、この家の住人二人だった。
血の気の引いた顔色で、お互いを抱きしめあって震えている。
荒らされた部屋の隅に転がっている侵入者と自分を見つけると、肩を跳ね上げて怯えたが、彼らが縛られていると気づくと目を見開いて驚いていた。
その様子に場違いな笑みが浮かぶ。
(ーー懐かしいわ)
何故か兄妹が、あのときの二人に見えたのだ。
あちらの世界の幼い記憶。
三人で遊んだ思い出。
尊い身分の彼を狙った賊を、返り討ちにしたあの日。
大事ございませんか、と振り返り二人を見ると、とても驚いていて、目をまん丸にしてこちらを見ていた。
「君ってば、本当に強いんだね。吃驚した!でも、危ないことはしないで、頼むから」
彼が駆け寄って、そっと手をにぎってくれた。
それを呆然と見ていた。
「君が無事で良かった。本当によかった」
ありがとう、と頭をさげられてようやく目が覚めたようで、今度は自分がひどく驚いたのだ。
どうか顔を上げて下さいとおろおろしている自分をみて、彼は「こんなに強いのに、俺の握手で狼狽えちゃうなんて!」と面白そうに笑っていた。
嗚呼、懐かしい。
「だいじ、ございませんか?」
えっ、と兄妹が息をのむ気配がする。
顔だけを上げて二人をみると、ひどく驚いているようだ。こんなところまで同じだなんて、不思議な偶然もあるものだと嬉しくなる。
具合の悪さに頭がおかしくなっただけだ。
兄妹に二人を重ねて、幸せであった時間の『ままごと』をしている自覚はある。
どうせ言葉も通じないのだから、これくらい許してほしい。
知らない場所で、今だけが、あちらに残した幻影に縋れる瞬間なのだから。
「ごぶじでよかった」
ご無事でありますように。
幼い頃に守りきれたように、濃霧の先に消えていったあの人が無事でありますように。
困惑してこちらを見つめる兄妹に二人を重ねたまま、意識を手放した。
2021/08/12