ある夏の記憶
茹だるような暑さの中をえっちらほっちらと歩くと、かつて自分が通っていた学び舎が見えてきた。
碌に管理もされていないような林道からぽっかりと校庭や校舎が見えるのは、なんとも爽快な気分だ。とはいえ今日の気温は10時現在で35℃を上回っていて、遮蔽物のない校庭は陽炎の揺らめきが見えていた。
かつては子供たちで賑わっていた小学校。僕が通っていた頃からすでに分校扱いで全校生徒は7名という少なさだった。
当然ながら、少子化と公立校統廃合の波に呑まれてあっさり廃校となってしまい、今は朽ちるに任せた廃墟と化している。遠目に見える体育館などは屋根が落ちていたり、校舎を蝕むように葛が蔦を伸ばしていたりと、時代の流れを感じさせる光景だ。
子どもの時分にしてすでに限界集落であった故郷は、大半がダムの底に沈んでしまったこともあってすでに離散している。
ならばなぜ僕がこんな山奥まで分け入ったかといえば、理由は一つ。
「同窓会、か」
胸ポケットにねじ込んであったはがきを引っ張り出せば、なんとなく黄ばんだはがきには、パースの狂った落書きと子供特有のつたない文字で今日の年月日と、同窓会が行われる旨が記されていた。
微かな記憶を辿れば、道徳だったか図画工作だったかの時間を使って20年後の自分宛に案内状を書いたような気もする。当時ハマッていたテレビアニメのキャラクタは名前すら思い出せなかったけれど、どうにも郷愁を感じてしまった僕は夏季休暇を使ってここまでやってきたのだ。
たった6人の同窓生が一人でも待ちぼうけしてしまったら可哀そう、という思いもあった。
当時、教鞭をとってくださっていた清水先生はお元気だろうか。
この葉書を取って、投函してくださったのだから壮健だろうとは思うけれど、当時で50近くだったはずだから、20年も経った今では相当な高齢だ。車も入れないようなところを掻き分けて校舎内で待っているようなことはないだろう。随分と可愛がってもらった記憶があるので、できればお会いしたかった
恰幅の良いシルエットと、パワフルな笑顔を思い出しながらも敷地へと足を踏み入れる。
生徒が長年にわたって踏みしめ続けていたからか、校庭はそれほど草が多くない。まぁ、だからこそ暑いんだけれども、小学生の時分を思い出して何だか可笑しくなる。
「イチマン! 遅いぞ!」
唐突に呼ばれた懐かしい綽名にどきりとして振り向けば、そこには三人の男女が立っていた。ギリギリ日陰になるところでたむろしていたらしい三人は、僕と同じように汗まみれだけどどこか見覚えのある顔をしていた。
「翔ちゃん! カズ! それから、えと……愛莉、だよね?」
「何で疑問形なのよ」
くすりと笑ったのは三人の中の紅一点。毛先に軽いパーマをかけたセミロングの茶髪はどこかあか抜けていて小学校の頃とはずいぶん雰囲気が違っていた。愛莉は僕と翔ちゃんの一個下で、カズと同い年だっただろうか。なんとなくの記憶は酷くぼんやりしているはずなんだけども妙に鮮明だ。
「イチマン、変わんねぇな」
「イチマンは止めてくれよ。もういい年だぞ」
「いやでもなぁ。愛莉ちゃんもカズも覚えてるっしょ?」
「うん。もちろん」
「あのドッヂボール、楽しかったよなぁ」
ドッヂボールと言いつつも、人数が少ないこともあって実際には中当てと呼ばれるゲームだった。正方形の中を逃げる者と、外からボールを投げる者に別れた外遊び。当てられた人たちがどんどん抜けていく中で、最後に残った僕は翔ちゃんを始めとした投げるのが得意な連中に狙われてしまったのだ。
避けて、避けて、避けて、バランスを崩して転んだ僕は命乞いをした。
『見逃して! 一万やるから見逃して!』
丁度盆暮れで祖母からお小遣いをもらったのが、咄嗟に口をついて出たのだ。
もちろん見逃してもらうことはできずに負けてしまったけれど、そこから僕のあだ名はイチマンになった。なんともコメントし辛いエピソードではあるけれど、今となってはいい思い出だ。流石にこの年になって呼ばれるのは恥ずかしいけれど。
「ま、良いじゃん。せっかくの同窓会だし」
「って言っても、多分これで全員かな。ヨッちゃんと静香ちゃんは来れないって連絡があったよ」
「マジか。そもそも連絡取ってたの?」
思いがけずここにはいない級友の名前が出てくるけれど、愛莉が言うにはダム建設で引っ越すことになった後も手紙でやりとりをしていたらしい。やがてやり取りはメールに代わり、今でもメッセージアプリで繋がっているらしい。
ヨッちゃんは僕よりも三つ下だけど、結婚して子育ての真っ最中で、静香ちゃんは都内でバリキャリをやってて暇がないんだとか。
カズもハシこと橋口とは連絡を取っていたものの、やはり参加はできないとのことであった。ヨッちゃんが翔ちゃんとカズとも連絡が取れていたとのことなので、僕以外の全員が何らかの方法で繋がっていたらしい。
僕だけハブかよ、と少しクサクサするけれど、当時の我が家は転居先がなかなか決まらずてんやわんやだったこともあって連絡先の交換ができなかったのだから仕方あるまい。
「まぁ、しょうがない。住所が消滅してるってのに葉書が届いただけで奇跡だろうよ」
「それもそうだ。郵便局に感謝だなー」
「ね、中入ってみない?」
「おお、良いね」
「危なくないか? 木造だし、そこかしこが腐ってるかもよ?」
「昼間だし大丈夫だよ。もし暗くてもスマホで照らしてけば危ないのは避けれるっしょ」
「そもそも入れるかどうか。鍵とかかかってんじゃない?」
「ちょっと見てみよっか」
とりとめのない話をしながらも、翔ちゃんに引っ張られる形で校庭に向かって歩き出した。茹だるような熱気を抜けて校舎にたどり着くと、校舎のドアなんてものは存在すらしていなかった。
月日というものは残酷だ、なんて笑いながらぽっかりと空いた出入口を潜る。
「うわ。下駄箱ねぇじゃん」
「ホントだ! あ、でも標語は残ってる」
「懐かしい……流石に読めないね」
「あれいつから貼ってあったんだろ」
視線の先にあるのは、酷くかすれて読めなくなった貼り紙。学校の標語だか目標だか、よく分からない何かが貼ってあった気がする。内容は欠片も覚えてないけれど、何かしら掲げていたのは覚えている。
伽藍とした昇降口を抜けて、おっかなびっくり中へと入っていく。
「こわいなー。まるでお化け屋敷だ」
「でも意外と綺麗じゃね?」
「綺麗っていうか、何もないっていうか」
三々五々、キョロキョロと辺りを見回す面子たちだが、不意にカズが口を開く。
「なんか、七不思議思い出すな」
七不思議、と言われて思い出すのは、どこの小学校にもあるような、ないような。どこの地域でもちょっとしたバリエーションがあるだけで似たようなものが伝わってる子どものお楽しみといった程度の都市伝説だ。
「『歩く二宮像』に『歌うモーツァルト』だっけ。そもそもうち、二宮像なんてなかったのにね」
「ハシの父ちゃんの時代にはあったとか言ってなかった? ほら、歩いてったから消えたとかなんとか」
怪談というには随分締まらないオチに思わず笑ってしまうけれど、そんな話もしたな。今日は欠席だけれど、ハシは怪談とかUFOとか、そういうのが好きだったイメージがある。
「あー、ハシはそういうの好きだったよね。『プールの手』とか夏になる度に話してた気がする」
「あと何だっけ? 『カタカタ』?」
「『テケテケ』な。『走る人体模型』、『校庭の人面犬』、あと『隠れた鬼の子』だっけか」
テケテケは廊下をダッシュで駆け抜ける妖怪だか幽霊だか。人体模型や人面犬に至っては説明するまでもなく言葉の通りの存在だ。
ただ一つ、耳慣れないものが混じっていたので視線をそちらに向けると、カズが視線に気づいてくれた。
「あれ、覚えてない? かくれんぼしてて、鬼になったまま行方不明になった児童がいるってやつ」
「記憶にないなぁ。普通なら隠れたまま行方不明とかじゃない?」
「七不思議に文句つけられても……そんで、時々『もういいかい』って聞こえてくるんだとさ」
言い終わった直後に、ブツリと音がした。
ザザザ、とホワイトノイズ混じりに聞こえたのは、放送の始まりに掛かるピンポンパンポン、というコール音である。
おかしい。
廃棄されて久しいここに、電気など通っているはずがない。
愛莉たちを見れば、戸惑ったような表情で見返されてしまった。
『もう、良いかい』
ぶわりと背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
『隠れた鬼の子』。
聞き覚えのなかったはずのその怪談が脳裏をよぎる。
『もう、良いかい』
「まっ、まあだだよーっ!」
二度目の問いかけに、カズが大声を出した。同時に僕たちへと視線を向ける。
「逃げるぞ。『まだ』って言い続けて学校から出るんだっ!」
我先にと逃げ出すカズに続いて、翔ちゃんも脱兎の如く駆け出す。僕もそれに続こうと踵を返す。
「あっ!?」
「愛莉っ!?」
バランスを崩したのか、愛莉が前のめりに倒れ込んでしまう。
「助けて! 足が!」
「愛莉ッ! 今行くっ!」
急いで駆け寄って助け起こす。足を挫いてしまったのか、引きずるようにして僕にもたれかかってきた。とてもじゃないけれど、歩けるようには見えない。
『もう、良いかい』
「まだだよっ!」
ヤケクソ気味に怒鳴り返すと愛莉の膝に手を回す。お姫様抱っこをしてこのまま駆け抜けてやるっ!
「掴まって!」
『もう、良いかい』
「まだだぁーっ!!!」
『もう、良、ぷくく……あははっ!』
校内放送が、笑った。
よくよく見れば、校舎から一歩出たところで翔ちゃんとカズがニヤニヤとこちらを見ていた。
思考が追い付かない事態に動きが止まってしまう。
「は……? え?」
「ごめんね。でも助けようとしてくれてありがと」
「愛莉?」
僕の腕からするんと抜けた愛莉は、さっきまでの態度が嘘のように堂々と立った。
同時、校舎の奥からはヒョッコリと一人の男が顔を出す。
「ハシ!?」
「いやぁ、悪い悪い。翔ちゃんとカズに悪乗りしちゃった」
ひょいっと物陰からスピーカーを拾い上げると、そのままスタスタと近づいてくる。
そうか、そういうことか。
ブルートゥースとスマホか何かで演出して、僕をハメたということなんだろう。当然ながら僕以外は全員が知ってたはずだ。
つまるところ、これは全員で僕をターゲットにしたドッキリだったんだろう。
「いやぁ、最高だったな。ドッヂボールで一万円差し出して命乞いしてた奴とは思えない男らしさだ」
「『まだだぁ』はかっこよかったぞ」
「お前ら……!」
怒りがフツフツと湧き上がるけれど、ニカッといたずらっ子のように笑う愛莉を見て何となく気持ちがしぼむ。
「本気で助けようとしてくれてありがと。かっこ良かったよ」
「いや、まぁ、そりゃ当たり前でしょ」
「いやー、俺だったら見捨ててたね!」
「俺も。やっぱりイチマンの愛が為せる業だね」
「そうそう。昔、両想いだったもんな、お前ら」
「っ!?」
思いもよらない話題になってしまって言葉が詰まる。
ニヤニヤしながらみんなで思い出話に花を咲かせるけれど、僕にはそんな余裕はない。顔から火が出そうである。
「いやぁ、懐かしい。お前ら、夏祭りのとき――」
「あー、ヨッちゃんに目撃されて――」
「それよか席替えで――」
「あははっ。懐かしいねぇ」
あー!? マジでヤメテ!?
死ぬほど恥ずかしい……!
愛莉は当たり前みたいに話に混ざってるけど平気なの!?
夏の茹だるような暑さに加えての羞恥に、僕の頭は沸騰しそうになってしまう。とりあえずは強引にでも話を逸らさないと!
木陰に向かってゾロゾロと歩きながらも、必死に話題を変えようと試みる。
「そ、そういえば何で僕が来るって分かってたの? 皆して僕がくる前提で仕込みをしてたんでしょ?」
スピーカーを仕込んだりハシが隠れたりと、僕が来ることが分かってないと到底できない所業である。
「はぁ? 何言ってんの?」
「お前が葉書出したんだから、来るに決まってるだろ?」
「葉書? 僕が?」
僕の疑問に、皆がちょっと変な顔をする。
「いやだって、イチマン以外はみんな繋がってて、誰も葉書出してないって言うし。そしたらイチマンしかいなくね?」
「そうそう。わざわざこんな僻地に集まったのだって、イチマン一人を待ちぼうけさせるのが可哀そうだったからだし」
ケラケラ笑うカズと翔ちゃん。
「いや、清水先生でしょ。僕じゃないよ」
「なに、やり返そうっての? その手には乗らないよ」
「何が?」
質問を質問で返して申し訳ないけれど、本気で意味が分からなかったので訊ねる。どうやら僕が本当に理解していないことを察してくれたらしく、今度こそみんなの表情が困惑に染まる。
そうして聞かされたのは、さっきの羞恥も、猛暑日の熱気さえも忘れてしまうような事実であった。
「清水先生、一昨年亡くなってるよ」
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