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貴女のヒーローになりたくて

作者: 八橋 箏

 

 今でもふと思い出す、学園の卒業パーティーの日のこと。

 思い出す度に、実はあれは夢だったのではないかと思ってしまうほど、僕にとって何もかもが変わった日。

 でも、


 「夢じゃないわ。何回言えばわかってくれるのかしら?」


 と言って隣で微笑む彼女の言葉が、笑顔が、あれが紛れもない現実だったのだと僕に教えてくれる。


 それは我が国の恥で、僕と彼女の馴れ初め。


 巷で「王子殿下婚約破棄事件」なんて捻りもなにもない名前で呼ばれる事件は、あの夜、パーティー会場のど真ん中で起こった。



 ○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 僕は、しがない伯爵家の三男で、平凡を極めた様な男だった。

 それゆえに陰が薄くて、この日も、誰からもダンスに誘われること無く、かといって誘うような人も居ず、ホールの隅で同じ様な境遇の男友達数人と他愛もない話をしていた。

 そんな僕たちとは反対に、ホールの真ん中にはキラキラとした王子と、男爵家の養女と、その取り巻きたちと、


「はあ、今日もフィーネ様はお美しい。」


 王子の婚約者で、侯爵令嬢、フィーネ・エリアス様がいらっしゃった。


 すらりとしたスタイルに、さらりと揺れる烏の濡れ羽色のストレートヘア。憂いを帯びたヘーゼルの瞳は、優しげながらも、芯の強さを感じさせる。そして何より__


「まーた始まった。コーダのフィーネ様語り。」


「この次は、なんだっけ。えっと『その立場に驕ることなく、誰にも優しく厳しく接し、それは婚約者を奪った男爵令嬢にも及ぶ、聖女の様な御方なんだ。』だろ?」


 友人たちは、苦笑いしながら僕の台詞を先回りして潰していく。覚えられてしまう程、僕はいつもフィーネ様を見るたびに同じことを言っていた。

 改めて考えると本当に気持ち悪い。

 だが、いくら僕が気持ち悪い根暗だとしたって、フィーネ様の輝きが揺らぐことはない。


「ああ、あんなに素晴らしい女性を邪険にするなんて、王子の目は節穴としか思えない。」


「事実でも言ってやるな。皆心の中で思ってるよ。」


「あ、見て、なんか始まったみたい。ん?フィーネ様がいじめられてる?」


「な、なんだって!?」


 そう言われてホールの真ん中に目をやる。

 そのただならぬ様子に、僕たち以外も気づいたようで、ホールの全員の視線が中央に集まっていた。

 すると、それを待っていたのか、あのバ…王子は大声で話し始めた。


「フィーネ・エリアス侯爵令嬢。お前は在学中、このメリア・フェロー男爵令嬢に嫌がらせをしていたらしいな。」


「何のことを仰っていますの?私は、そこの礼儀のなってない娘に、マナーというものを教えてあげていただけですわ。何か問題でも?」


「大有りだ!マナーを教えると言いながら、リアに暴言を吐き、階段から突き落とし、俺がプレゼントしたドレスを破いたらしいじゃないか!これをいじめと言わないで何と言うのだ!この悪女め!」


 大声で捲し立てる王子と、表情一つ変えないフィーネ様。王子の隣には涙目の奴がいて、後ろには取り巻きの皆さま方。

 この場面だけ見れば、どうしたってフィーネ様の方が悪者だ。

 けど…


「フィーネ様がそんなことを?」


「私なんかにもあんなにお優しいフィーネ様が?あり得ない。」


「というか、婚約者のいる殿方と親密にするなんて、あの平民上がりの貧乏令嬢の方がずっと常識はずれだってわかってるのかしら。」


 会場のあちらこちらでそんな声が聞こえてきた。

 そう。この場では、王子よりもフィーネ様の味方の方が多かった。

 当たり前である。

 あのプライドだけ高く、綺麗事の大好きな王子は元々人気がなく、婚約者のフィーネ様がいなければ今の立場はなかった。その上、そのフィーネ様を蔑ろにし、平民上がりの男爵令嬢にうつつを抜かしていると来ている。

 人々の彼に対する信用は底辺だったのだ。

 それでも彼は理解できないのか、はたまた正義感故か。言葉は更にヒートアップしていく。


「そんなに王妃になりたいか!権力が欲しいのか!マナーだなんだと言う前に、お前こそメリアを見習うべきだ。この綺麗な心をな!」


「権力?そんな物要りませんわ。私は、この国の為を思って行動したまで。あなたの言う綺麗事だけでは国は回りませんのよ。」


「ええい、うるさい!お前がやったという証言も、証拠も挙がっているんだ!…そうだよな、リア。」


 証言と証拠。もし本当にフィーネ様がやったことを裏付けるものなら、最悪、投獄まであり得ることになる。

 会場中の皆が固唾を呑んで彼女を見つめた。


「そ、そうなの。私は、何度もフィーネ様に暴言を吐かれた。本当に辛かった。けど、それだけじゃない。この前は階段から突き落とされて怪我をしたの。最初は誰が犯人かわからなかったけど、その場所でこんなものを拾ったの。」


 そう言って、彼女は周囲に紙を見せた。

 そこには、


『メリア・フェローを階段から突き落として王子から引き離せ。』


 と書いてあった。

 正直、僕にはこれがどうしてフィーネ様が犯人だという証拠になるのかわからなかった。


「フィーネ、このインクに見覚えはないか?」


 けれど、そう王子に問われたフィーネ様は、


「なぜ、そのインクが?あり得ません。どうして…。」


 酷く動揺していた。

 今までずっと毅然とした態度を崩さなかったフィーネ様の動揺に、人々の中に、これは本当にフィーネ様が?という疑念が生まれ始める。

 そこに、王子が追撃をかけた。


「そう、このインクは光に当てると青みがかった色になる。エリアス侯爵家の特注品だ…そうだろう?」


「で、ですが、私の物はこの前無くしてしまって、」


「そんな言い訳が通用するか!いい加減に認めたらどうだ!」


 完全に形勢は逆転していた。

 家の特注品は、自分の身分の証明ともなり得る大切な物。王子の言う通り、それを無くしたなんて、そんな言い訳は通用しない。


 …けど、僕は知っている。

 …ずっと彼女を目で追っていた僕だけは。


「認めないのだな。そうか、ならば。エリアス侯爵令嬢フィーネ。お前との婚約を破棄させて貰う! そして、お前をリアへの暴行容疑で__」


 その時、僕の頭の中で、何かがプツッと切れる音がして、


「ちょっと待ったー!」


 気づくとそう言ってフィーネ様の前に立っていた。


「僕がフィーネ様の潔白…とまではいかないけれど、彼女の事を証言します。いいですよね、殿下?」


「あ、貴方は…」


 フィーネ様は全く知らない僕の事を、助けに現れたヒーローを見るようにに見つめてきた。

 全く知らない男がいきなり現れて証人になるなんて、何この人気持ち悪いと思うはず。

 嫌われてしまう…。そう考えると、今すぐこの場から逃げてしまいたくなる。

 でも、そんな顔をされたら、もう後戻りは出来ない。嫌われるのだって、どうでもよくなってしまった。

 誰に気持ち悪いと言われようが、やってやる。

 そして、そんな僕を王子…クズは馬鹿にするように、


「やれるものならやってみろ。何をしても証拠は覆らないがな。」


 と言った。

 その見下した様な目が、本当にムカついて、ムカついて。


 __絶対、こいつをギャフンと言わせてやる。


「では、暴言の事からいきましょうか。…じゃあそこの尻軽女。フィーネ様に言われた暴言とやらをなるべく再現しろ下さい。」


「尻軽女だと!こいつっ、リアになんて事を!謝罪しろ!」


「はあ?何言ってるんですか、事実でしょう?フィーネ様という婚約者がいる殿下に、身の程も弁えずにベタベタと…」


「いいんですっ、アル様。私が悪かったから…」


 あの人は悪くないの。そう言って涙を流すアレ。王子はその様子に心惹かれたようで、僕たちへの視線が一層険しくなる。

 そういうところだよ、尻軽女。と言ってやりたい衝動を抑えて再度尋ねた。


「で、何と言われたんですかね?」


「え、えっと…。アル様と話していると『人の婚約者とベタベタするなんて、マナーの一つもわからないのかしら。これだから平民は。』と言われたりとか、…あと『今日も田舎臭いわねぇ、貧乏人。もう少し身だしなみに気を使ったらどうなの?ああ、ごめんなさい。そんなことに使う金なんて無いわよね。』何て言われたことも…」


 悲しそうな顔をしながら、こいつは言った。

 何も知らない人が聞いたら、なんて無礼で酷い言葉なんだと思うだろう。

 だが僕は、偶然にもその場を見ていたから知っている。


「ふむ、確かに言ってましたが、それには続きがあったような。えっと…『貴族令嬢にとって外聞は最も重要なの。人目のある所では控えなさい。ただでさえ敵が多いのだから、これ以上増やしたら大変よ。』と、…あと、『人の印象は見た目で決まるわ。これは高級品を使えば良いってものじゃないの。毎日の手入れの積み重ねよ。自分の容姿を磨くのも、私たちの大切な仕事。手を抜くんじゃないわよ。』でしたっけ?」


 冷たいように聞こえるけど、元平民で貧乏人だからといってコイツが浮かないように、精一杯アドバイスと注意をしているようにも聞こえる。

 その証拠に、この発言の真意をわかっていたであろう奴は、うつむいて黙ってしまった。

 人々もそれに気づいたようで、少しフィーネ様への視線が柔らかくなったような気がした。


「お、おい、リア。それは本当か!…何とか言わないか!」


「彼女の様子を見ればわかるでしょ。あと、インク壺を盗んだのもそいつだと思うよ。…あのさぁ、誰も見てないとでも思った?何してるかまでは分からなかったけど、お前がフィーネ様の周りでよく不審な動きをしてたの、僕は知ってる。他にも見てる奴いるよ。あの時、盗んでたんだな?まあ、犯罪の摘発は僕がすることでもないし、専門家に任せるよ。さあ、これでわかったか?こいつは、全部分かっててやったんだよ。ねえ、この節穴王子。」


 女は、もう何も聞きたくない、というように耳を塞いでその場でうずくまってしまった。

 そんな女の様子に動揺している王子に追撃をかけるべく、僕は挑発するようにニヤリと笑った。

 みるみる顔を真っ赤にさせた王子は、僕の思い通り激昂した。


「貴様!俺を誰だと思って発言している!王子なんだぞ!」


「僕にとって貴方は、僕の憧れの女性に無礼を働く、紳士の風上にも置けない様な男です。王子とか以前に、男として軽蔑していますよ。」


 クスクス、と所々から笑い声が聞こえてくる。

 チラリと後ろを見ると、床に座り込んだフィーネ様はこちらを驚いたように見ていた。


「くっ、だがそいつがリアを…」


「そもそも、フィーネ様の人となりを知っていれば、彼女がそんなことするような人じゃないというのは分かるんですよ。…ですよね、皆さん。」


 そう言って僕は周りをぐるっと見回す。

 すると、皆こちらを見て頷いてくれたり、微笑んでくれる。誰もが、フィーネ様の事を良く思っている証拠だった。

 けれど、王子だけはこの期に及んでも、理解出来ない様子だった。


「そんなはずがないだろう!大体、そいつは無表情で、なにを考えてるかわからない、不気味だろうが!」


「はあ。本当に貴方は、自分の婚約者の事を何も知らないんだな。」


「何が言いたい!」


「フィーネ様はな、意外と表情が変わるんだ。普段は表情が固いけど、面白いことがあると皆と一緒になって笑っているし、文化祭の劇の成功に感動して、クラスで一番泣いてた。誰かを注意するときは少し嫌みも言うし、無表情だから怖がられてるけど、絶対に直す為のアドバイスまでしていく。昼休みは一人で裏庭に行って、用務員さんの飼っている猫と笑顔で戯れてる。誰かが困っていれば一番に手を差し伸べるし、ルールやマナーを律儀に守る優等生だ。そして何より、王子の婚約者として相応しくあろうと人一倍努力していたのを、僕たちは知っている。けど、お前は何一つ知ろうともしなかったんだ。」


 僕が話すほど、王子への敵意の視線が増えていき、遂に王子の顔は真っ青になってしまった。

 取り巻きたちにまでも哀れみの視線を向けられ、正に四面楚歌だった。


「貴方が逃した魚は本当に大きかった。婚約者に、世間の信用。取り戻すには、相当な時間がかかりますね。まあ、自業自得ですけど。」


 王子は膝から崩れ落ちた。

 そして、横の女を見て更に絶望したような顔をすると、すがるようにフィーネ様の方に向いた。


「な、なあ。フィーネ。」


「気安く私の名前を呼ばないでくださる?」


 立ち上がったフィーネ様は、ぴしゃりと言った。


「私は、ずっと貴方に相応しくあろうとしてきました。面白くない女だと言われればその通りでしょう。でも、私なりに最善を尽くしたつもりです。…それを、貴方は受け入れてくれなかった。つまりは、そういうことなのです。」


  「待ってくれ、俺が心を入れ換えるからっ、だからっ」


「二人は永遠に交わることはない。…今まで、ありがとうございました、殿下。今日の事は、私から陛下に伝えます。」


 フィーネ様は王子の方に向かって優雅に一礼すると、僕の方を見た。

 その顔はとてもスッキリとしていて、僕は彼女のいつもとは違う美しさに、つい見惚れてしまった。


「コーディ・ロイス様。助けて頂き、本当にありがとうございました。何とお礼を言ったら良いのか…。」


「僕の名前、ご存知で…」


「勿論。私、同級生の名前も覚えていないような薄情者ではございませんもの。」


 フィーネ様が、僕なんかの名前を知っていてくれた。それだけで、十分に満たされた気分だった。3年間で、一番幸せだった。

 そんな僕に、ほんのりと顔を赤くしたフィーネ様が更に続ける。


「あ、あの、私、婚約破棄されてしまって今、フリーなのです。女性から誘うなんて、しかも先程まで婚約者がいたなんて、は、はしたないとは分かっています。けれど、わ、私と踊っては頂けませんか?」


 その時僕は、今死んでもいいとさえ思った。

 フィーネ様と踊る。想像したことはあったけれど、現実では絶対に叶うことのない夢だと思っていた。

 それが現実になっている。

 もう、幸せ過ぎて完全にキャパオーバーだった。


「も、勿論です、フィーネ様。お、お友だちからお願いしますっ!」


 混乱して、手を差し出しながら、訳もわからないことを言ってしまった。

 けれど、そんな僕に、フィーネ様は優しく微笑んで言ってくれた。


「はい、喜んで。」



 ○●○●○●○●○●○●○●○●


 それから月日は過ぎ、僕とフィーネ様は恋人、婚約者、と関係を発展させ、遂に結婚した。

 あの頃から考えれば信じられない事だけれど、この幸せこそが現実。夢なんかじゃない。


「当たり前よ、夢なんかじゃないわ。私は、他の誰でもなくて、あのヒーローを好きになったの。そう。私を助けてくれた、貴方にね。」


 フィーネ様…フィーはにっこりと笑って僕を指差した。


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