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九 天才少年、友の恋を歌う

 石井先生は、放課後や休み時間に、僕が英語のことで質問に行くと、こころよく迎えてくれて、僕が疑問点を理解できるようになるまで、辛抱強く教えてくれた。

「僕には、英語をマスターするように君をたきつけた責任があるからね。それに、君の上達ぶりを、時々クラスのみんなにチェックしてもらえば、みんなも英語の事が、もっと好きになってくれるかもしれないし。」

 石井先生はそう言って、その後も英語の授業の時に、折を見て僕にみんなの前で演奏する機会を与えてくれた。

 そして、演奏の前後には、きまって英語歌詞の内容を、中学一年生でも分かるように、やさしく解説してくれたのだけれど、これが、直訳や文法の説明だけではなく、曲が作られた当時の風習や、時代背景など、参考になる話を交えた、とても興味深いものだったので、みんなが惹き込まれたのはもちろん、僕がブルースをより深く理解する上で、どんなにありがたかったか知れなかった。


 そんな石井先生の授業に感化されてか、しだいに新藤がブルースに興味を持ち始めて、「俺、ハーモニカやりたいわあ。」と言いながら、僕が弾き語りをしている横で、自由奔放な踊りを披露するようになった。

 それは、身振り手振りでパントマイムをしているような、こっけいな踊りだったのだけれど、みんなは笑いながらも、その踊りを毎回楽しみにするようになったし、僕は僕で、新藤が躍り出さずにはいられない演奏を心掛けるうちに、リズム感に力強さや、感情を乗せることが、以前にも増して、意識的にできるようになっていった。


 そんな充実した日々が、駆け足に過ぎて、早くも六月に入り、中学生になってはじめての衣替えがあって、間もなく、気がもめる長い梅雨がやって来た。

 気がもめるというのは、この時期、雨が心配で、家からギターを持ち出せなかったり、屋外でギターの練習をするのが難しくなるので、いつも天気予報とにらめっこしていなければならなくなる、という意味だ。


 その日も、朝からしとしと、止みそうで止まない雨が降り続いていた。

 僕と新藤は、その週の音楽室の掃除当番で、音楽の西野先生から、準備室の隣の倉庫を、年末の大掃除に向けて、少しずつ片づけ始めておいてくれ、と頼まれていた。


 倉庫の、雑然とした埃っぽい部屋を、腕組みして見回した新藤は、「どうせなら、ダスキンみたいに徹底的にやろうぜ。」と、部屋の壁に並んだスチール棚から、折り重ねて詰め込まれた段ボール箱を、一つ一つ強引に引っぱり出しはじめた。僕は、「そんな時間ないよ。」と面倒くさそうに言ったけれど、新藤は単に、面白い備品がないか調べるのが目的だったらしく、段ボール箱の中の、中身が空のマラカスや、ゴムのゆるんだカスタネットや、細々書き込みのある古ぼけた楽譜の束を、「二束三文ですなあ。」と、鑑定士よろしく評価しては、僕の方に次々と押しやりはじめた。

 僕は、箱の外側を乾いた雑巾で拭いては、元通りの場所に戻す、という損な役回りを、いつの間にか引き受けさせられる羽目になった。

 新藤は、窓際のスチール棚の天板に載せてある、ひときわ色あせた小ぶりな段ボール箱に目を付けると、「あれには、吹奏楽部秘伝のお宝が隠してあるに違いない。」と言いながら、隣の部屋から運んで来たパイプ椅子に登って、天井とのすき間に押し込んであるその箱を、背伸びしながら何とか引っぱり出した。

 箱にまとわり付いていた蜘蛛の巣が頭に降って来たので、僕はたまらず部屋を逃げ出したけれど、新藤がすっとんきょうな叫び声をあげたので、何事かと思ってすぐに部屋に戻った。

 すると、新藤は僕の方に、ふたを開けた段ボール箱をかたむけて見せて、中にたくさん入ったハーモニカをゆさぶりながら、「見ろ、宝の山だぞ!」と、まるで埋蔵金を探し当てた探検家みたいな喜びようで言った。

 そのハーモニカには、ここの中学と同じ、『青星』という名前の小学校名が、側面の青いプラスチック部分に、滲んだ油性ペンで書き込まれていて、金属部分がはげたり錆びたりしているところを見ると、よほど昔から、誰にも使われることなく、放置されていたのだろうと想像できた。

 新藤が吹いてみようとしたので、僕が、「汚い!洗ってからにしろよ!」と注意すると、ちょうど、掃除時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 僕らは出しっぱなしの段ボール箱をあわてて部屋の奥に押し込むと、ホームルームに間に合うように駆け足で教室に戻った。


 放課後、新藤が珍しく、僕の家に遊びに来ると言うので、帰りに用事があった僕は、新藤を連れて駅のそばの行きつけの楽器店に寄って、ギターの弦を買い、防水仕様のギターケースを眺めて、ギター関係の雑誌を立ち読みしてから、家に帰りはじめた。

 新藤が、「ギター用品ってけっこう高いんだな。お前、小遣いで買ってんのか?」と聞いた。

 僕がそうだと答えると、新藤は、「俺ん家は小遣い無しだからなあ。買いたい物があったら、昼飯代を浮かせて金を工面するしかない。」と言った。

 新藤は、よく僕の弁当やパンを分けてくれと頼みに来るけど、それには、けっこう切実な事情があったようだ。


 雨がやんだので、僕らは公園の東屋に寄って、僕が買った缶コーヒーを分け合いながら一休みすることにした。

 すると、新藤はポケットをもぞもぞと探って、あの音楽室の倉庫のハーモニカを、取り出して見せた。

 僕ははっとして、

「盗って来たのか。」

と聞いた。

「どうせ誰も使わないんだし、たくさんあったから、一つくらいいいだろう。」

 新藤がにやにやしながら言った。

「備品っていうのは、帳面で数が記録されてるんだぞ。」

「あんなにほこりだらけだったんだから、数なんか誰も数えてやしないって。」

「学校名が書いてあるだろ。人に見られたら盗んだ物だってすぐにばれるぞ。」

「溶剤とかやすりとかで消すさ。消えなかったら、上から油性ペンで塗りつぶしとけばいいよ。」

「ハーモニカくらい、昼食代を浮かせた金で買えよ。僕も弁当分けてやるからさ。」

「弟と読む漫画を買ったり、ダチと遊びに行ったりしてると、すぐに無くなっちゃうもん。」

「お前なあ……。」

 僕は、新藤が盗みを悔いてくれるような事を言わないといけないと思ったけど、新藤は、

「俺、ハーモニカが吹けるようになりたいんだよ。お前と一緒に演奏できるように、教えてくれよ。」

と、えらく真剣な顔つきで言うので、何だか言葉に詰まってしまった。

「あれ、お二人さん、いま帰り?」

 とつぜん後ろから声をかけられたので、僕らがぎょっとして振り返ると、淡いクリーム色の私服のカーディガンを着た七海がエコバッグを提げて、にこにこ笑いながら近づいてきた。

「帰宅部なのに、なんで帰りが遅いの?」

「ちょっと買い物があって、駅の方の楽器店に行ってたから。」

「ああ、鳥夫君、ギター弾くもんね。新藤も何か弾くんでしょう?」

「うん、だけど……まだ内緒!」

 いつの間にか、新藤は、七海に見えないように、ハーモニカを後ろ手に隠していた。

「鳥夫君に習って、上手に弾けるようになったら、約束した通り、私に最初に聴かせてね。」

 新藤が低く吠えるように「おうっ。」と答えると、七海は、

「私、お母さんから買い物を頼まれてるから、もう行くね。ばいばい!」

と言って、軽く手を振りながら、駅の方へ歩いていった。

 僕らは、そのうしろ姿をぼんやりと見送ったけれど、不意に新藤が、「俺、学校に戻るわ。」と言って立ち上がったので、

僕は、「え、なんで?」とおどろいて尋ねた。

 新藤は、すでに全速力で駆け出しながら、

「ハーモニカ、返してくる!」

と言って、まるでハードル競争の選手みたいに、垣根をひとっ飛びに飛び越えると、早くも通りの向こうへ走り去ってしまった。

 新藤は結局、その日はうちに、遊びに来なかった。


 僕はその夜、ふと思い立って、〝ハーモニカ泥棒〟というブルース曲を、辞書を首っ引きしながら英語で作詞、作曲した。これが、僕が生まれて初めて作った、本格的な自作のブルースだった。

 梅雨が明けて、むし暑く晴れた日、僕は久しぶりにみんなの前で演奏する、英語の授業の時に、英文に間違いがないかを石井先生に確認してもらってから、この新曲をお披露目することにした。

 歌詞の内容は、こんな感じだ。


〝ハーモニカ泥棒〟


あいつはハーモニカを盗んだね

あいつはハーモニカを盗んだね

だけど

街であの娘に出会ったら

あわてて後ろに隠したね


悪びれてなんかいないはず

悪びれてなんかいないはず

だけど

あの娘の前に出りゃ

後ろから手は出せないね


あいつがハーモニカを盗ったのは

あの娘に聴かせたかったから


あいつはハーモニカを返したね

あいつはハーモニカを返したね

これで

街であの娘に出会っても

笑顔であいさつできるだろ



 新藤は、この時ばかりは、神妙に自分の席に着いて、みんながいくら求めても、気まずそうににやにやするばかりで、踊りを披露しようとはしなかった。


 そして、それから何週間か、新藤はみんなに弁当やパンを分けてもらっては、昼食代を根気強く浮かせたすえに、やっと念願の、自分のハーモニカを、自分のお金で手に入れた。



挿絵(By みてみん)






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