七 天才少年、シングル盤におどろく
小学校の卒業式が終わって、中学校の入学式を待っている間に、戸敷さんと僕のシングルCDが完成したという電話が、サン企画の佐元さんから入ったので、僕は戸敷さんに電話をして、戸敷さんの仕事が終わる夕方の五時に、一緒にサン企画に行こうと約束した。
戸敷さんが家まで車で迎えに来てくれて、二人で中野の事務所に行ってみると、佐元さんともう一人、社長の日野さんという年配の人が待っていて、僕らを事務所の奥の社長室に案内してくれた。
「若いのに、九ちゃんの曲が好きだなんて感動したよ。九ちゃんが生きてたら、さぞ喜ぶだろうな。俺は、二人を応援するつもりで、今回のシングル制作を決めたんだ。二人には、昭和の歌謡曲をリバイバルヒットさせる路線が合っているんじゃないかと思うよ。」
皮張りのソファにくつろいで座った日野社長は、卓に置かれた段ボール箱から、僕と戸敷さんが録音する姿がジャケットにあしらわれたシングル盤を手に取ると、中のCDを取り出してから、ジャケットを僕らに渡して、「佐元君、聴かせてあげて。」と言って、CDを佐元さんに渡して部屋の隅にあるCDプレイヤーで再生させた。
僕は、本当に信じられない気持ちで、その再生音を聴いた。
なにしろ、僕ら二人の録音に、誰だか分からないドラムス、ピアノ、シンセサイザーの録音がかぶせてあって、そのせいで、全体がいかにも安っぽい、と言っては失礼だけれど、近所のスーパーマーケットで流れているBGMみたいに、耳あたりは良いけれど無個性な、なんとも退屈な演奏になってしまっていたからだ。
「歌とギター伴奏だけだと物足りなかったから、知り合いのスタジオ・ミュージシャンに協力してもらったんだ。いい感じだろう。これはサービスだから、追加料金は心配しなくていいよ。」
社長がこう言うので、僕は戸敷さんの様子をうかがったけれど、戸敷さんは、「すごく良い感じです。ありがとうございます!」と満面の笑みで答えていた。
僕は、〝上を向いて歩こう〟を、わきの下に冷たい汗を感じながら聴き終えた。そして、〝てぃんさぐぬ花〟では、さらに大きな失望を味わわされることになった。
わざとつっかえるように弾いた僕のギター伴奏は、音量がものすごく小さくされて、代わりに、シンセサイザーののっぺりした演奏が、グルーヴ感のないピアノやドラムスの演奏と共に、前面に出た編集が行われていたからだ。当然、僕と戸敷さんだけの演奏で感じられた、あのおかし味は失われて、良く言えばなめらかな、悪く言えば印象に残らない演奏になってしまっていた。
「蒼井君の演奏は、他のミュージシャンがリズムを合わせにくいという事で、申し訳ないけど音量を小さくさせてもらった。このアレンジの方が、分かりやすくて俺は良いと思う。」
日野社長が僕に話しかけたので、僕はどうにか悲しい気持ちを抑えて、「分かりやすくなったと思います。」と答えた。
佐元さんが、シングル盤は千枚ほどプレスした事、大半は流通業者に渡すという事、流通業者に渡す前に、僕や戸敷さんが手売りしたり知人に配ったりする分は、今ここで購入しておいてほしい、という事を僕らに伝えた。
僕は、正直に言うと、一枚も欲しくなかったけれど、残念ながら、お母さんから十枚買ってきてと代金を預かっていたので、仕方なくそれを渡して、シングルの束を受け取った。
戸敷さんは、なんと百枚下さいと言って、代金と引き換えに、箱ごと商品を受け取った。
サン企画を出て、戸敷さんの車で家に帰る途中、僕は、「百枚も、自分でさばけるんですか?」と、心配になって戸敷さんに聞いた。戸敷さんは、「一生の記念だからね。それに、毎日一枚配ってたら、百日でなくなっちゃうよ。」と答えた。
そして、「蒼井君は、たぶん勝手にアレンジを加えられたことにがっかりしたんじゃないか、と思うけど、僕はこれで満足してる。ずっと歌ってきて、やっと認められて作ってもらったCDだからね。蒼井君のおかげだよ。ありがとう。」
と言って、気遣うようにちらっと僕を見た。
僕は、「戸敷さんが満足なら、僕は良いんです。」と答えた。
戸敷さんは、しばらく車を走らせてから、急にあらたまった口調で、
「僕、東京での仕事を切り上げて、以前住んでた沖縄に戻ろうと思ってる。向こうで知り合った彼女が、ずっと僕を待ってくれていて、ご両親の豆腐料理店を手伝ってほしいって、以前から言ってくれているんだ。」
と話した。
僕は、戸敷さんが今回のシングル盤の成功を期待していると思っていたので、意外に思えて、
「CDは、沖縄で配るんですか?」
と尋ねた。
戸敷さんは、「そうなりそうだよ。沖縄の歌を練習してるうちに、帰りたくなっちゃったのもあるかも。」
と言って、朗らかに笑った。
そして、
「ほんとを言うと、蒼井君の才能や、好きな音楽に対するこだわりを見て、プロの歌手になる夢はもういいかなって、思えたんだ。」
と言った。
僕は、戸敷さんという人が、どんなに善良な人だか、その時ようやく、すっかり分かった気がした。
僕が何も言えずに黙っていると、戸敷さんはまた気遣うように笑って、
「沖縄でも、路上ライブはやるけどね。」
と、おどけて肩をすくめながら言った。