四 天才少年、路上ライブに飛び入る
その日から、僕はお父さんのバンドとの練習もやめてしまって、来る日も来る日も、過去のブルースマンの名演の数々を聴き続けた。
ブルースだけではなく、ジョージ・ルイス、ビリー・ホリディ、ウッディ・ガスリー、ハンク・ウィリアムズなど、黒人白人問わず、ブルースの影響を基礎に持つバンドやミュージシャンの演奏も聴きあさった。
いろいろ聴くほどに、あらためて戦前ブルースの良さが分かって来るけど、それでも、ブルースに影響を受けたからといって、優れたミュージシャンたちが、独自の技術や味わいを持っていないのではなくて、決して過去の演奏や歌唱を模倣しているだけでもない、という事も分かって来た。
彼らがたとえ、過去の名演と似通った旋律を奏でたとしても、そこにはたしかに、その人独特の魅力ある個性を感じ取ることができる。
そのもっとも大きな違いは、リズムへの乗り方、つまりグルーヴ感の違いなのだ。
それにしても、エルモア・ジェームスのような強烈なクルーヴ感を、エルモア自身は、どうやって身につけたのだろう。
彼の演奏を年代順に聴いて行くと、五十年代初頭にはリズムを強調するために前面に出ていたギター・サウンドが、晩年の六十年代に近付くほど、音楽に溶け込んで、リズムの内側から勢いや変化を与える存在になっていく。
これ以上うまく説明できないけれど、今の僕には絶対にまねのできない表現だ。
そして、あんな演奏ができたなら、きっとハードロックを聴きに来たお客さんだって、あっと言わせることができるはずなんだ……。
僕はあまりにすごい演奏にひたり過ぎて、自信がなくなって来たので、ギターケースを背負って、気晴らしに野外練習に出かけてみることにした。
目的地は、立川の多摩川の土手。なんだか、今はそこしかないような気が、僕にはするのだった。
中央線に乗って、となりの武蔵境駅に来た時、電車の扉が開くと、外からかすかに生歌らしい歌声が聞こえてきたので、僕は思わず席を立って、閉まりかけた扉をすり抜けてホームに飛び出すと、南口の改札を通って、弓なりに曲がった歩道を見渡した。
二十代後半くらいのかりゆしを着た男の人が、ラジカセでカラオケを流しながら、独唱を聴かせる路上ライブを行なっていた。
曲は、何年か前の流行歌で、その人は、素晴らしく上手な歌、というわけではないけれど、とても気持ちよさそうに歌っていた。
立ち止まって聴いているのは僕ひとりで、他の人はちらっと横目で見るか、まったく見向きもせずに通り過ぎていた。
聴きはじめたからには、途中で立ち去るのも気まずくなったので、僕は一曲終わるまで待ってから、頭を下げて、駅に戻ろうとした。すると、その人は、「聴いてくれてありがとう。」と丁寧にお辞儀をして、「君、ギターやるんだね。今から路上ライブ?」と聞いた。
「いえ、多摩川の土手で練習です。」と答えると、その人は、「聴きたいなぁ。良かったら、お互いが知っている曲で、今からセッションしてみない?」と提案した。
僕は、面白そうだな、と思ったので、その人の声質に似合いそうな、〝上を向いて歩こう〟ではどうですか、と聞いてみた。
すると、その人は、にこにこ笑って、「いいね。大好きな曲。」と言ってくれた。
ギターのチューニングをはじめると、通りかかった人の何人かが足を止めて、僕らが演奏を始めるのを待ってくれた。
ブルースにはまり出してからは、単調なリズムの曲を演奏することを、避けるようになっていたのだけれど、もともとスイング感のある曲調の〝上を向いて歩こう〟は、無理なく演奏できる格好の選曲だった。
かりゆしのお兄さんは、まったくスイングしない平坦な拍子で歌ったけれど、僕のスイングを意識した伴奏と合わさると、不思議とお互いの持ち味が強調された、面白い演奏になったような気がした。
お客さんも、その感覚を楽しめたようで、演奏が終わると、笑顔で拍手をしてくれた。
かりゆしのお兄さんは、「ギター上手いねぇ。よかったら、今度老人ホームでやるボランティアの演奏会に参加してみない?」と聞いてきた。
僕は、「Jポップは弾けないですけど、それで良かったら。」と答えた。
かりゆしのお兄さんは、戸敷と名乗って、「お年寄り相手だから、昭和の古い曲の方が喜ばれるよ。」と言って、電話番号とメールアドレスを交換すると、「あとで、僕が歌えそうな曲のリストをメールで送ってね。練習しておくから。」と言った。
僕は戸敷さんと別れて、立川の練習場に向かいながら、縁っていうのは不思議で、思い掛けないものだよな、とつくづく思った。