三 天才少年、ブルースにまよう
それから一月くらいして、お父さんは聴かせたい演奏家がいると言って、突然僕を新宿のライブハウスに連れて行った。
駒野強さんという、ブルースギタリストのワンマンライブだった。
駒野さんの演奏は、豊かな和音と旋律で、とてもモダンな、大人の色気を感じる素晴らしいものだった。
アコースティックとエレキ、どちらのギターも使ったけれど、リズム隊が居なくても問題ないほど演奏が緻密で、ロックに負けない華やかな迫力も感じられた。
「ああいうのなら、俺たちのバンドの演奏の合間に弾いても、違和感がないと思うよ。」
ライブが終わった後で、お父さんが僕に言った。
お父さんは、僕の戦前ブルースへのこだわりを、やんわり現代の一般聴衆向けの音楽に軌道修正しようとしているらしかった。
確かに、お客さんも立ち見が出るほど多かったし、人気が出るのもうなずけるかっこいい演奏だったけれど、僕にはやっぱり、高谷さんの演奏の方が魅力的だと思えたので、
「おしゃれな音楽ではあるけど、いつか飽きられるんじゃない?」
と答えた。
するとお父さんは、僕の言い方が高慢に思えたらしく、ちょっとムッとして、
「戦前のブルースだって、当時の人からすれば、最新のおしゃれな音楽だったんだろう。だとすれば、今の人が、最新のおしゃれなブルースに惹かれるのは当然だし、演奏者だって、聴衆の求める最新のおしゃれなブルースを追求するのは、当然じゃないか。」
と言った。僕はその事についても、以前考えたことがあったので、
「昔も、底の浅いブルースから、より深みのあるブルースまで、いろいろあったと思う。そして、聴き継がれて今も高く評価されているのは、深みのある本物のブルースの方だよ。」
と言った。
お父さんはうーんとうなって、
「本物の、しかも戦前のアコースティックなブルースの良さが分かる人なんて、戦前当時ならともかく、今じゃほんの一握りなんだろう。だとすると、本物っていうのは、ごく少数の愛好家の間だけの本物であって、そのほかの大多数の聴衆にとっては、偏った価値基準に基づいたうさんくさい本物っていう事になるんじゃないか?」
と聞いた。
僕はこのおかしな理屈にすぐ反論しようとしたけど、一方で、全部が全部間違っているわけでもない気がして、口をつぐんだ。
だって、客観的に見れば、アコースティックなブルースの聴衆は、エレクトリックなブルースの聴衆に比べて、圧倒的に少ないし、それが戦前のブルースともなれば、愛好する聴衆の数は、頼りないほど限定されてしまうのが確実だったからだ。
それに、戦前ブルースを愛好している人の価値判断が正しいと思うのは、僕が彼らと同じ少数派に属しているからで、お父さんたち大多数の聴衆からしてみれば、僕らの価値判断は偏った、特殊なものに思えてしまうのも当然と言えば当然だった。
僕らはそれ以上ブルースについての議論をすることはなく、小腹がすいたので、西新宿のタイ料理屋で、今人気だと雑誌で紹介されていたバーミーに舌鼓を打った後、電車に乗っておとなしく家に帰った。
それからしばらく、僕は高谷さんに連絡を取らないで、一人で昔のブルースマンのCDを聴きながら練習することに没頭した。
自分の熱意が、単なる一過性の好奇心に過ぎないのか、それとも、人生をかけて追究するに値する価値があるものなのか、見極めたいと思ったからだ。
でも、そんな迷いは、本物のブルースマンを前にしては、すっかりちらけて無くなってしまう。
チャーリー・パットンの濃厚さ、サン・ハウスの実直さ、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの生命力、そして、ロバート・ジョンソンの鮮烈さ……。
僕はギターを抱えて、時に模倣するのも忘れながら、疲れて寝入ってしまうまで、彼らの作り出す豊かな音世界にどっぷりとひたって過ごした。
高谷さんに久しぶりに連絡したのは、中学への進学を控えた、寒いさかりの二月の事だった。
高谷さんは正月にこじらせた風邪がまだ治りきっていないという事で、少し鼻声ではあったけれど、「退屈だから遊びに来いよ。」と言ってくれたので、僕は遠慮なくお邪魔させて頂くことにした。
それまでにも、ギターの練習の行き帰りに、お宅に寄らせて頂いた事もあって、僕は高谷さんの奥さんともすっかり仲良くなっていた。
奥さんは福岡の人で、高谷さんとは、大学進学で上京した時に、同じ大学に高谷さんも在籍していた事から知り合ったのだそうだ。
「気が付いたら、サラリーマンの奥さんになるつもりが、ブルースマンの奥さんになっちょったんよ。」
などと、奥さんが皮肉とも冗談ともつかないことを僕に言うと、きまって高谷さんが真っ先に大笑いした。
その日は、鍋をみんなでつつこうという事で、奥さんが僕の分まで食材を準備してくれていた。高谷さんはというと、綿入れを着て、こたつに座って、焼酎の水割りのグラスを持って、すっかりおとなしくしていた。
食事が進んで、奥さんが鶏つくねを僕に取り分けながら、
「どうね、演奏は上達しよるんね?」
と聞いた。
「うーん、どうなんだろう。練習は毎日してるけど……。」
じっさい、僕はまた、自分で自分の演奏の良し悪しが、よく分からないという状態におちいっていた。それで、高谷さんに演奏を聴いてもらおうと思って連絡した、というのもあった。
「鳥夫君に教えるのはこの人のはり合いでもあるんやけんね。また教えてもらい。」
奥さんはそう言って、「ねぇ!」と言いながら高谷さんの背中を叩いた。
でも、高谷さんは、きっぱりした調子で、
「いや、鳥夫はもう俺から卒業!」
と言った。
僕はびっくりして、つくねをつまんだ箸を止めて高谷さんを見た。
奥さんは口をとがらせて、
「なんでぇ。」
と聞いた。
すると、高谷さんは奥さんと僕を交互に見て、
「これ以上俺から教わると、鳥夫は俺になってしまうよ。」
と言った。
「演奏が似て来るっちゅうこと?いいやんね。弟子なんやけん。」
奥さんが取りあおうとしないので、高谷さんは僕に、
「だめだよな。鳥夫には、わかるよな。」
と同意を求めてきた。
僕は、高谷さんが、僕の模倣の才能と、ご自身の模倣の才能を、重ねて見ているんだと気が付いた。
そして、僕には自分のようにならず、模倣を越えて成長してほしいと願っている、という事も、伝わってきた。
僕は、「分かります。」と答えた。
「まだ小学生やんか。真似くらいいいやんねぇ。」
奥さんは不満な様子だったけれど、たぶん、それは僕の本当の気持ちを察してくれて、代弁してくれているのだ。
僕はやっぱり、高谷さんの考えが正しいと思ったので、
「なんとか一人でやってみます。」
と言って、すっかり冷めた鶏つくねを、から元気でほおばってみせた。