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十一 天才少年、師匠を見舞う

 その週の初めから終わりにかけて、僕は何度も高谷さんの家に電話をかけてみたのだけれど、高谷さんも奥さんもどこかへ出かけているらしく、一度もつながることはなかった。


 僕はそれが何となく、気になったものだから、日曜日の新藤との練習を取りやめて、電車で立川まで行って、高谷さんのお宅を訪ねてみた。


 すると、家の前に、見た事のないオレンジ色のフォルクス・ワーゲンが停まっていて、奥さんが大きな手提げ袋を持って助手席から降りようとしているところだった。「お久しぶりです。」とあいさつすると、奥さんは、「あれ、来てくれたん。いま鳥夫君のこと話しよったとこなんよ。」と言って、運転席から降りた、カンカン帽のおしゃれな男の人に、「ほら、これが鳥夫君。お父さんの一番弟子よ。」と、僕を紹介した。

 その人は、軽く会釈をしながら、「初めまして。高谷公吉の息子のひびきといいます。」と名乗って、にかっと白い歯を見せて笑った。

 高谷さんが、身につけるものに一切構わない人だったので、黒革のジャケットとグリーンのジーンズを着こなした響さんは、何だか全然似てないような気がしたけれど、その繊細そうな笑顔だけは、確かに高谷さんの面影が重なって見えた。

 奥さんは、僕に家に上がるように勧めながら、「あの人ね、いま入院しとるんよ。」と言った。

 僕が驚いて、「高谷さん、どこかお悪いんですか?」と聞くと、奥さんは、「お風呂場でのぼせて、気を失ったんよ。たまたま、私がのぞいたから良かったけど、危なかったんよ。」と、その時のことを思い出したらしく、最後の言葉に、少し力を込めて言った。

 そして、戸惑う僕を居間の座卓につかせると、戸棚から急須と湯呑を持って来ながら、

「鳥夫君には、風邪って言っとったけどね、あの人、正月にも倒れて、救急車で運ばれたんよ。」

と打ち明けた。

 僕が返事もできないでいると、奥さんは、てきぱきと三つの湯呑にお茶を注ぎながら、

「お酒の飲み過ぎで、肝臓が弱っとるのもあるんやけど、もう年なんよ。仕方ないんよ。」

と、僕に言い聞かせるように言った。

「昨日まで、上野の病院に入院してたんだけど、母が見舞いに通いやすいように、近くの病院に転院させてもらったんだよ。」

と、響さんが教えてくれた。

 僕は、高谷さんの居る病院と、病室の部屋番号を聞いて、奥さんから借りたメモ紙に書き込むと、「これからお見舞いに行って来ます。」と、お茶を少し頂いてから席を立った。

 響さんが、

「車で送ろうか。」

と言ってくれて、奥さんも、「乗せてってもらい。喜ぶけん。」と言って、響さんと一緒に僕を送り出した。


 車で病院に向かう途中、響さんは、自分がソロのミュージシャンだという事、高谷さんの影響で音楽を始めた事、最初はブルースやフォークを演奏していたけど、それでは人気が出ないので、今はポップス寄りのロックを演奏している事などを話してくれた。

「僕がブルースとは別の道に進んだから、父は内心がっかりしただろうな、と思うんだよ。だから、鳥夫君が父にブルースを習いに来てくれて、僕も嬉しい。」

 響さんは、そう言ってくれたけど、僕が高谷さんからギターを習っていたのはほんの半年くらいで、僕が自分の都合で連絡をしなくなった間に、高谷さんは体調を崩して大変なことになっていて……。

「父はああ見えて、人付き合いが苦手だから、弟子をとって教えるなんて、本当に珍しいんだよ。」

 僕は、何か答えなきゃ、と思ったけど、何にも言えなかった。しゃべったら、涙が出そうだった。


 やがて、病院に着くと、響さんは、

「僕はさっき会ったばかりだから、鳥夫君だけで見舞いに行ってあげなよ。」

と言って、僕を正面玄関で降ろすと、車を駐車場に停めに行った。


 僕はメモした病室の番号を、何度も確かめながら、エレベーターに乗って、不安な気持ちで五階の一般病棟にのぼって行った。


 高谷さんの病室は、エレベーターを降りてすぐの、ナースセンターの向かい側にあった。僕が病室に入ると、入り口近くのベッドに、水色の病衣を着た高谷さんが、点滴の管を腕につながれて、いかにも所在なさげに寝かされていた。

「あれ、いらっしゃい。今日は学校休みか。」

 高谷さんは、灰色の髪がぼさぼさに伸びて、それに以前よりもやせていたので、僕には最初、本当にこの人が高谷さんなのか、見分けがつかないくらいだった。

 でも、優しい声は高谷さんその人だったので、僕は、

「今日は日曜です。」

と教えてあげた。

「そうか、病院にいると、日にちや曜日が分からなくなるからな。」

 高谷さんは、そう言って、部屋のすみの椅子を持って来て、座るように勧めた。

「具合はどうですか。」

と聞くと、高谷さんは、悲しそうに笑って、

「死にたくないなら、禁酒だって。情けないね。俺ももう年なんだよ。」

と、奥さんと同じ言葉を、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 僕は、何と答えたらいいか分からなくて、うつむいてしまった。それに、高谷さんが、ひとまわり小さくなったような気がして、それが無性に悲しかった。

「なんだ、元気がないじゃないか。お前が入院してるみたいだぞ。」

 高谷さんは、僕を心配して、神さまみたいにおだやかな声で話しかけてくれた。だから、僕はだんだん気持ちが落ち着いてきて、「今月末の文化祭で、吹奏楽部とブルースを演奏することになったので、高谷さんに見に来てもらえたらと思って。」

と、思い付いた事を話した。

「いいね。退院して、歩けるようになったら行くよ。会わない間に、ずいぶんと腕を上げただろうな。顔つきで分かるよ。」

 高谷さんが嬉しそうに言うので、僕は高谷さんと連絡を取らなくなって以降、僕に起きたいろいろな事、戸敷さんとの偶然の出会いで実現した初めてのシングル盤作り、英語の石井先生から頂いた、授業の中でのブルース演奏会の時間、わがままな新藤との、まだるっこしいけれど効果的なハーモニカ練習の方法の事などを、求められるままに話し続けた。

 そして、文化祭で演奏する曲目のところまでを話し終えると、高谷さんは

「よかったなあ。鳥夫には、俺よりもいい先生がたくさんいるんだから。」

と言って、満足そうにうなずいた。

 そして、しばらく黙り込んでから、

「鳥夫くらい、本物のブルースに迫れる日本人はいないよ。俺は、鳥夫の演奏家としての成長が、本当に待ち遠しいんだ。」

と言った。

 僕は、高谷さんの期待の大きさを感じて、

「自信がないんです。まだ、真似ばかりしているし。」

と、弱音を吐いた。

「真似かどうかは、一番大切なことじゃないんだ。」

 高谷さんは、あの大きな力強い目で、僕を見据えた。そして、

「もし、現代に、ロバート・ジョンソンの歌や演奏を、完全に再現できる人が現れたら、俺は何をおいても聴きに行くよ。」

と言った。

 僕は、それを聞いて、やっぱり高谷さんよりいい先生は、いそうもないな、と思った。

 そして、高谷さんに、早く良くなってもらって、僕の精いっぱいのブルースを聴いてもらいたいな、と思いながら、

「僕もです。」

と胸を張って答えた。


挿絵(By みてみん)




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