ある日、グレンと鮫島と訓練。
〜ある秋の日〜 探索者表彰会よりも前。
探索者街、アメリカ人街 探索者専用トレーニングルームの貸し切りリングにて。
……
…
「うぼげ!」
腹から背中に突き抜ける衝撃が味山の身体をくの字に折り曲げる。
ヘッドギアをつけた完全装備の味山は空しくリングに沈んだ。
「あ、やべ。いいの入れちまったす。わり、タダ」
味山の鳩尾に拳を突き入れたグレンが爽やかに笑う。
完全装備の味山とは違い、ヘッドギアはつけていない。ラフなスポーツシャツに短パン姿。その軽装は絶対的な格闘戦への自信からくるものだ。
「ご、う、げほっ、がは、あ、ああ、気にすんな、こんなもん屁でも、あ、やっぱ無理吐きま。うぼろろろ」
味山が立ちあがりながらカッコつけて笑い、そして胃の中身を全てぶちまけた。
「うおわ!? タツキ! バケツ! タダが吐いた!」
グレンがスパーリング中に一切見せなかった焦りを始めて顕にする。リングの外でベンチプレス機に陣取りながらダラダラしている鮫島竜樹に助けを求めた。
「うわ、汚ねえ。ほらよ、バケツ。……ああ悪いなあ、一姫ぇ、ちょっとこっちの汚ねえ連中が汚ねえことしててな、話を続けてくれえ」
ぽいっと、バケツを放り投げた鮫島はすぐに端末に話しかける。どうやら誰かと通話しているらしい。その声色は優しい。
「うおええええ…… サンキュ…… 鮫島…… あー、死ぬかと思った」
「そりゃ死ぬだろうなあ、冗談でもグレンの野郎とスパなんて俺なら絶対お断りだあ…… ああ、それで? 一姫、続けてくれえ。あ? 大丈夫だよ、お前との電話の方が大切だあ」
「うえ、グレン、あの姪コン、感じ悪くねえか? 人と喋りながら通話とかマナー違反じゃね?」
味山がキラキラしたものを片付けながらひとりごちる。汚れに反応してロボット掃除機のランバがクルクル回転しながらリングを洗浄していく。
「まあまあ、タダ。多分一線は超えてないから大丈夫っすよ、多分」
グレンがリングの隅の椅子に座りつつ言葉を返す。その顔には汗ひとつない。
対して味山は冷や汗からガチ汗、身体中びしょ濡れだ。
シンプルに味山とグレンでは格闘戦においてそれほどの差が存在していた。
「にしても、タダ。珍しいっすね。俺とスパーリングしたいなんて。こりゃ明日は雪っすか?」
「いいだろうがたまには。最近よく絡まれる事あるからよ、いざという時のためにな。それに2度目がないとも限らないしよ」
味山はあの旅館の地下道場、貴崎凛との模擬戦を思い出す。もし、鬼裂がいなければどうなっていたか。
鬼裂なしでは味山の先の貴崎凛への対応は1か100、つまり何もせずにあのまま負けるか、"耳"を使って殺すかのどちらかしかなかっただろう。
「ああ、あの貴崎凛に絡まれた奴すか。あの子もすごいっすよね。アレタさんにも真正面から行くんすから。恐ろしくて真似できないすよ」
「そのすごい奴に困らされてんだよ。で、グレン、俺実際格闘戦どう? 鍛えたらまだいけそうか?」
「んー、微妙っすね。こう、基礎的な体力はまあそこそこはあるんすけど、それもこう、普通の中ではまあそこそこ的な。かといって動体視力とかが良いとかもないんで…… うーん、ほんと微妙」
「マジか…… まあわかってたけど、お前が言うんなら間違いないんだろうな」
「まあでもタダのすげえ所はセンスとかじゃないんでいいじゃないすか。探索ではクソ度胸とイカレ具合とたまに見せる火事場のクソ力でカバーしてるんだし。筋トレで基礎体力上げつつ、健康的食生活で維持してりゃ、ジワジワとは強くなると思うすよ」
「センスか…… あー、欲しかったなあ、センス◯」
「あ、でも一つだけ。タダとこうしてスパーリングして1つ引っかかるというか、なんか不思議なことに気づいたっす」
「なんだそりゃ。隠されしパワーの気配とか?」
「いや。違うっす。んー、タダ、お前なんか中距離で戦う癖ないっすか?」
「は? 中距離?」
「うん。中距離。えーとだいたい8メートルくらいっすか? なんかその辺の距離の時だけ妙に反応がいいんすよね」
「あー? 8メートルって、えらく具体的だな。でも普通にほら、おれのメインウェポンの手斧ちゃん届かないけど?」
「んー、そうっすよね。8メートル、なんかアレ。この距離に気をつけないと行けない敵がいたような……」
「8メートルだあ? おい、グレンよお、そらあれだろお、怪物種15号じゃあねえかぁ?」
電話を終えたらしい鮫島が涼しい顔でリングロープをくぐる。
よっこらせといいながら隅の椅子に座り、話に参加してきた。
「お、姪との電話は終わったのか、姪コン」
「いくら可愛くても甘やかしすぎはダメっすよ、姪コン」
味山とグレンが同じテンションで鮫島に言葉を向ける。
「てめえらなあ…… はあ、悪かったよ、電話が長かった。つーかそれよりよお、ほら今の話。グレン、8メートルに注意と言えば、灰ゴブリンだろぉ?」
鮫島が顔をしかめる、しかしすぐにこいつらに何言っても無駄と悟ったようだ。話を続ける。
「灰ゴブ? なんで? アイツらこそ近距離戦主体の怪物でしょ? ナタやらなんやらの」
「あ、鮫島、もしかしてアレか? メスにたまにいる特異個体。この夏そういや駆除の時に遭遇したぞ」
味山はあの夏のことを思い出す。遺品捜索依頼、灰ゴブリンの駆除、"耳"との遭遇戦、アレタとの出会い。
その中での戦い。灰ゴブリンの家族グループを駆除した時に、木の根を操る特異個体と交戦している。
「おー、それそれ。少ししかいない上になかなかトリッキーだからなあ。割と死傷率高いんだぜえ、灰ゴブリンの特異個体。確かそれの有効射程が8メートル弱だったろ?」
「灰ゴブリン、あー、なんかそんなのいたっすね。木の根をグネグネしてくる奴。なんかセンセイがウヒョウヒョ言いながら解剖してるの手伝ったことあるっすわ」
「うわ、えぐいなあ、指定探索者。戸締りしとこお」
がっはっはっ。鮫島とグレンがここにいないソフィの話題で呑気に笑う。
その中で、味山は1人首を捻っていた。
中距離、木の根、操る。
あれ、待てよ。8月、夏の"耳"戦。ほかになんかなかったか?
つーかそもそも。
味山は自分の心臓の辺りを撫でる。今でこそ神秘の残り滓や、"耳"の耳糞のおかげでまあそれなりに生き残る確率が高くなってきているわけだが。
「おれ、どうやってアシュフィールド来るまで持ち堪えたんだ?」
ぽつりと呟いた言葉はしかし、鮫島とグレンの呑気な声にかき消される。
アシュフィールドがたまに言う"ニンポー" なんか外国人がニホンに持っている妙な勘違い的なものだと思い大して触れてなかったけど、何かがおかしい。
違和感。
最近、公文書館で見つけたあの本の一節を思い出す。
何かが違う、あの何の変哲もない本のあとがきにはそんなことが書かれていた。
あの夏のことを思い出すと、同じことを考える。違和感、ほんとにそうだ。
何かが違う。
「ーーしんーーげーか」
ぼーっと、しつつ。唇が言葉をーー
「おい、タダ? お前なにぶつぶつ言ってんすか?」
「なーんか目つきやばかったぜえ? じゅしん?なんとかって言ってたな? 自分の手のひら撫でながら、じゅしん、ぶほっ!! なんだあ? 必殺技でも思いついたか?」
「ブフ、必殺技! ふふふ、あの真顔でっすか? じゅしんーー」
「やめろやめろお、グレン。ほら、そう言う時期は誰でもある。味山くんはそれが遅れてきただけだあ」
ぎゃはははと汚い顔で笑い出した2人を、味山は笑って受け入れる。
うん、友達が笑ってるのは良い光景だ。それはそれとして笑顔が汚くて不愉快だ。
よし、潰そう。
味山は鬼裂の動きに慣れる為にその身体に神秘を廻す。
「よし。見せてやるぞ。必殺技。名付けてキラキラ鳩尾パンチだ」
うえっぷ。腹のダメージがまだ消えない。
口からわずかにキラキラを溢しながら、味山はバカ笑いを続ける馬鹿2人に突撃した。
味山の口から今にも漏れそうなキラキラを見て鮫島とグレンが真顔に変わる、その瞬間が面白くて違和感はいつのまにか消えてしまっていた。
そんな、秋のある日。
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<苦しいです、評価してください ありがとうございます> デモンズ感