66話 深い夜
苛立っていた。
その男は苛立ち、怒り、後悔し、呪い、恐れ、そして苛立っていた。
「くそが……」
あらゆる負の感情を抱きしめて、夜の道をゆく。
洗練されていた。
自分の人生は、洗練されていた。
生まれも、容姿も、頭脳も、才も、全て揃っていた。
旧家の出、父親は国の要職を経て探索者組合のニホン支部の理事メンバー。母親の毛並みはかの貴崎の家に侍る、永く続く侍従の血。
容姿も、自分が笑えばそれだけで女は皆、顔を赤らめ、ヒソヒソと話を始める。初めて女を知ったのは13歳、自分よりも年上の美しい女ですら、彼は手玉に取った。
人生のコマの進め方も、周りの人心の取り込み方も誰に教えられることなく、わかっていた。
何をしても、人より上手くできる、人に負けない、特別な存在。
生まれながらの勝利者、成功者。それが坂田 時臣という男だった。
「味山……」
洗練、されていた。彼の人生は洗練されていたものだった。
「味山…… 只人……」
あの男と出会うあの日までは。
今でも覚えている、探索者になったあの日のことを。
幼なじみの貴崎凛。
他の凡百の女とは違うあの女。
人を斬る為に作られたニホン刀、人を撃ち殺す為に作られた銃。何かの目的の為に作られたモノは美しい。
貴崎凛も同じだ。血の営み、古くから続く目的の為に在る一族の完成形。優秀な血が完成させた芸術品、それが貴崎凛。
自分と同じ、特別な存在。自分に相応しい女。
坂田時臣は、貴崎凛の瞳が好きだった。いつも何かに退屈して、退屈して、退屈しすぎてこの世に絶望している啖い瞳が好きだった。
なのに。
「味山……」
あの日から、貴崎凛の眼は変わった。
今でも思い出す、あの光景。
生まれて初めての探索、凡人の引率で向かった神秘の地、現代ダンジョン。
怪物種、あまりにも強大な生命、リアルな生命に触れて動けなくなっていた自分と貴崎の目の前で。
泥だらけになり、生々しい命の危機に動けなくなっていた自分の前で。
笑いながら瀕死の怪物へ向けて粗末な手斧を振り下ろすあの忌々しい凡人の顔が。
そしてそれを、今まで自分には見せたことのない顔で見つめ続けていた幼なじみが。
あの、焦がれるような、想うような、憧れの顔をしていた貴崎凛が離れない。
「くそ!!」
がいん、がいん。
手近なゴミ箱を蹴り飛ばす。
チームのスポンサーとの会食、接待を無事終えた坂田は人通りの少ない路地にたどり着いていた。
「あの豚どもには、適当な女を充てがった。何も不備はない、今日の予定は大成功だ、なのに…… くそ、気分が悪い」
女殺油地獄。坂田は自分の左小指につけている指輪を眺める。
チーム運営は順調、遺物も手に入れ、リーダーに至っては世界最短で上級探索者になった。
全て順調。思い通りに人生は進んでいる。
なのに。
ーーお前、次は殺すぞ
「っっそがぁ!! くそ! くそ!」
ゴミ箱をまた蹴飛ばす。なぜ、なんであの時一歩退いた? なんで、ひるんだ? 一度負けたから? 関係ない、結果的には味山をチームから追い出し、ソロに追い詰めることか出来たのだ。
だが、それでも味山はしぶとい。死なず、今や探索者の間ではアレフチームのメンバーとして味山を知らない方がモグりだ。
貴崎凛も、益々味山に惹かれていっている。
煮えくり返るのは、貴崎が話す味山の話題、味山の話をするときだけ、貴崎凛はまるで年相応の少女のような顔をする。
似合わない、あんな顔は貴崎凛には似合わない。
「クソクソクソクソ!! クソ!」
答えのない苛立ちを坂田は隠そうともしない。ここでは誰も自分を見ていない、演じる必要はない。
何故何故何故何故。
味山只人。あんなのより自分の方が優れている、それは間違いない。
なのに、何故退いた?
なのに、何故貴崎凛はあんなのに惹かれている?
何故、何故何故何故何故何故?
「……味山…… いっそ、アイツが死ねば……」
洗練されていた。
坂田時臣の人生は洗練されていたのだ。
そこに敗北はなく、そこに屈辱はなく、そこに苛立ちもない。あるのは優越感、万能感、愉悦。
それだけで洗練されていたのだ。それまでは洗練されていたのだ。
探索者になるまでは。
「くそが……」
味山只人と出会うまでは。
「おばんです」
「……あ?」
街灯が、坂田を照らし、影を落とす。
蹴飛ばした路地裏のゴミ箱。それの底に何かが張り付いている。
「おばんです」
「……誰だ?」
声が聞こえた。辺りを見回しても誰もいない。
「おばんです」
「……チッ」
嫌な予感がする。何度も命がけで化け物を殺している探索者に備わる自分の危機への嗅覚、坂田にももれなくそれが存在していた。
「おばん、で、す」
しゅ。
蹴り飛ばしたゴミ箱、その底に張り付いていた黒いゴミから管が伸びた。
「は?」
ぷつ。当たり前のように伸びた管は、踵を返しこの場を離れようとした坂田の後頭部に刺さる。
「ぷえ?」
頭をどつかれた衝撃、同時に手足から感覚が消えた。ぬいぐるみのように手足を放り出し、坂田がその場に座り込む。
「ば、え、あ?」
「おばん、です」
じゅる、じゅる、じり。
管が膨らむ、そのふくらみを通じて、管を通じて何かが坂田に注ぎ込まれる。
それは偶然だった。
その夜、その場所、その感情。どれか1つが違っていれば、これは起きることはなかった。
流れる、流れる、流れ混む。
管を通じて坂田の体内に、脳みそに染み込む物質が坂田を変えていく。
身体はばたばたと痙攣する、手足が吹き飛びそうなほどに跳ねる、跳ねる、
「ぷ、ふ、お、ええおお」
叫びをあげようとしても、空気が抜けたような声しか出ない。
「おばんです」
聞こえるのは自分の声、そして訳の分からない言葉を繰り返す何かの声。
どくり、どくり。うなじに刺さった管から通るドロドロが坂田を溶かす。
溶かして固まり、1つになる。
「あ、あ、だ、だれえ?」
力を振り絞り、声に向けて問いかける。
「じん、ち、りゅう、おばんです」
「あーー」
どぷん。流れ込み終わった。ぷしっ、炭酸飲料の気が抜けた音とともに、坂田のうなじに刺さっていた管が抜ける。
黒い粘液が地面に散り、すぐに蒸発した。
「おばんです」
声が聞こえた。
「おばんです」
坂田が答える。
「おばんです、ひとをしり、たい、きみをしりたい。お、し、えて、ひとをおし、えて」
坂田の口が勝手に言葉を紡ぐ。それと坂田が混じり合う。
坂田の記憶、人格、精神性、それをそのままに坂田は生まれ変わった。
「おばんです、さか、さかさかたたた、ときおみ、こんにちは、おはよう、こんばんは、おはよよう。おれ、ぼく、きみわたし、さかた。きさきら、りんりんりんりんりん、あじじじじじじやああまあまあまああまあまありま」
坂田とドロドロが混じる。一度死んだ脳味噌がデータを飲み込み、処理していく。
坂田が再構成される。
「ぶ、あああ、れ坂田、ときおみみみみ、さかた、時、おみみみみ耳。逆さ坂逆さか、坂田坂田坂田坂田坂田坂田時おみみみみみみみみ」
「おばんです、坂田、ときおみ」
黒いゴミが肉人形に問いかける。
肉人形は自分を再定義した。
「坂田、時臣、ああ、そうだ。おれは、坂田時臣」
歪に、坂田が立ち上がる。記憶も人格も精神性も生前の坂田と全て同じ。
違うのは1つ。
「じんち、りゅう。ほんたい、本体、違う。人知竜、坂田、時臣だ。本体、何が欲しい」
それは端末と成り果てた。
現代ダンジョンに巣食うある怪物、異なる場所からやって来た異分子。
全てを、知ろうとする恐ろしき知識欲の塊。
全てを知ろうとするために、人を知る竜。
坂田の中に竜の全てが流れ込む、竜の中に坂田の全てが流れ込む。
坂田は知った。本体は人を求めている、本体はやり方を学習している。
死体を操るやり方の次は生きたままの人を肉人形にしてみる実験を試している。
自分はその試作品、素晴らしい。
恐怖も後悔も怒りもない。もう坂田には坂田だけのものは何もない。
味山に抱いていた憎しみも、今は本体への資料に過ぎない。
「く、ふ、はははは、坂田、時臣。じん、知竜。ははは、こりゃいいわ」
竜の力が、知識が流れる。普通の人には得られない特別な知恵。
同時、本体からの指示が出る。
ひとを、もっと、おおくのひとを知りたい。
これは、いい。これは素晴らしい。
耳をすませば、自分と同じ本体の端末の存在が至る所に感じられる。
本体からの指示が出る。
進化せよ、人を知って、進化せよ。
本体からの指示が出る。
備えよ。戦いに備えよ。
坂田は笑う。嗤う。
路地裏の出口に向けて歩き始める。これまで感じたことのない高揚を抱えて笑い続けた。
深いその夜に、坂田時臣が死んだ。
人間ではない、それによく似た肉人形。心臓は動き、脳味噌はめぐり、顔は嗤う。
それでももう、その存在の生の自由は全て奪い取られていた。
深い夜、坂田時臣が死んで、坂田時臣が生まれた。
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