5話 渓流の夢
うおえ、気持ち悪。
味山は闇の中にいた。
気付けば、酒場の喧騒は遠く、頭には柔らかな枕の感触を感じる。
ああ、そうか。あの後アシュフィールドと飲んで潰れかけで家に帰ったんだ。
ぼんやりとした頭で自分の状況を思い出す。
目を開く。闇の中にぼんやりとした光。豆電球のぼやけたオレンジ色が揺れていた。
「ねむ……」
味山は自分がベッドで寝そべっている事に気付く。記憶が定かではないが、帰巣本能や習慣が無意識に、自分を家に帰らせて、ついでにシャワーも浴びて部屋着に着替えさせたのだろう。
洗いたてのジャージから僅かに香る洗剤の匂いが心地よい。
そのまま脳みそに絡みつく眠気に身を任せ、味山は静かに寝息を立て始めた。
……
…
せせらぎ。
林の奥から高く響く小鳥の鳴き声。
山の上、悠久の時より湧き出る水が絶えず岩を叩き流れ続ける。
「ん……あ?」
味山は気づくと、どこかの山、渓流のたもとに座り込んでいた。
目の前を渡る渓流、ピチリと小魚がはねとぶ。
「また、この夢か……」
あぐらをかいて慣れた様子で味山はあくびをした。
味山 只人は最近、よく夢を見る。
ともすれば現実と全く差が分からぬ妙な夢を。その夢は決まって静かな山の中、渓流の光景が広がる。
「やあ、こんばんは」
ふとかかる声、いつのまにかその渓流に味山以外の人影が現れる。
「……またお前か」
「また私だとも。人間」
この夢はいつも同じだ。コイツが必ず現れる。
味山はその声の響いた方を見つめる。
その姿は普通ではない。
黒いモヤだ。ガス状の黒いモヤが奇妙なことに人の姿を形作る。
黒い人影に馴れ馴れしく話しかけられる奇妙な夢。
「まあそんな怪訝な顔をするものではないよ。おっと、これは大物かな」
黒い人影が気付けば、釣竿を手に取り魚と格闘している。
気づかなかった。佇んでいたと思えば次の瞬間には移動している。
「……釣れそうか?」
「ああ! これはかなりのものだ。人間、そこのたも網で掬ってくれ」
ふと気付けば味山の足元に釣り堀に置いてあるたも網が現れる。
まあ、夢だし、なんでもアリか……
「へいへい、ちょっとまってろよ」
味山は素直にたも網を持ち上げ、黒い人影の元へ足を運ぶ。
「フィッーシュ!!! この手応え! これは間違いないぞ! 人間、たも網を岸辺に!」
「あいよ」
揺らぐ水面にたも網を差し出す。濃い魚影を掬うとしっかりとした重みが腕に伝わる。
「素晴らしい!!」
奇妙な声、それが響いた瞬間に味山が握っていたたも網と、魚の重みが消える。
ぱちり、ぱちり。
背後で響くのは火の弾ける音、場面が切り替わるように黒い人影がいつのまにか焚き火を熾し、魚を焼いている。
「かけたまえ、人間」
焚き火の脇にある切り株を黒い人影が指差す。味山は促されるままにそこに座る。
「これ、夢だよな」
「ああ、まごう事ないキミの夢だとも。おっと、そろそろ焼けたかな」
呆然と呟く味山の向かい、焚き火の向こう側で黒い人影が串に刺した魚を火に翳す。
ぱち、皮の弾ける音、魚の脂が火に溶ける。
「……俺の夢の中で釣りしてるお前は誰よ」
「ふむ、誰か。なるほどそれはキミにとっても私にとっても重要な疑問だね」
黒い人影が焼き魚をおもむろに口元に運ぶ。そしてピタリと動きを止めた。
「ああ、クソ。まだ口が揃っていないのか。鼻もないから匂いも分からない…… 人間、これはキミが食べるべきだ。どうせなら味わって食べれる者の方が良いだろう」
黒い人影が焼き魚を味山に差し出す。夢の割にはその焚き火の匂いが染み付いた魚のかおりは現実と変わらない。
「どうも。……おお、夢のくせに美味い」
差し出された串刺しにされた焼き魚にかぶりつく。なんの魚かは分からないが美味い。
気をつけないと火傷しそうなほど熱いのに焦げていない。ほくほくの白い身が噛みしめるとほぐれていく。
「む、羨ましいな。美味そうに食べるものだ。……人間、キミが耳以外を揃えてくれるのが楽しみだ」
「……あ?」
焼き魚から口を離す。今、コイツ何を言った?
「キミの中には耳がある。あとは口と目と鼻と皮と骨と心臓と内臓と脚と、腕だ」
黒い人影が味山を見つめる。
あ。
味山はその黒い人影、ソイツの頭の左右に付いているものに気付いた。
それは、黒いモヤではない。
黒いモヤで形作られる顔、そこに2つ、耳がついてある。
人間の肉で出来たお耳が、黒い人影についていて。
「全てを揃えてくれよ、人間。君が私になる事を私は望んでいる、彼女の箱庭を下れ。耳に打ち勝ち、部位を平らげ、化け物を殺せ。その先にこそ、君の人生がある」
気づけば、手元にある焼き魚が消えている。焚き火も何時間も経ったあとのように灰になっていて。
「お前は、誰だ」
「それは君が探し索めたまえ。探索者」
意識が遠のく。夢の中でさらに眠気が深まる。
「今日の狩りは良かった。その調子で存分に狩り、殺し、食い、集め、貯めて、強くなれ」
もう、川のせせらぎが聞こえない。
身体が動かせない、黒い人影がポツポツと喋るのだけがわかる。
「生き残る為の手段を集めろ。どんなモノに頼っても強くなれ。死なぬために努力しろ、化け物から奪え、化け物から学べ、化け物を超えろ」
モヤに象られた指先が味山を指す。その言葉だけが味山に刻まれていく。
「それがキミの人生だ。キミはライフを全うしなければならない。キミが出会い、生き残ってしまったが故に」
金縛りにあったように味山は動けない。
「ではまた次の夢で。アジヤマ タダヒト。その調子で耳を澄まし続けたまえ」
ブツっ。
テレビの電源が切れたように、味山の意識は真っ暗に消えた。
あとはもう、何もなくなった。
残り2年と11ヶ月
……
…
「ああ、ワタシだ。委員会の連中に伝えておいてくれ。アジヤマの拉致監禁は当面見送りだ。星の不興を買いたくない」
くらい部屋で赤い瞳が灯る。
「ああ、それと追加の調査だ。血液のサンプルを送る。前回のものと、彼が社会人時代に献血したものと比較しろ。ワタシの勘が正しければ面白いモノが観れるはずだ」
闇の中ですらその病的に白い肌はうすらと輝く。
「いや、アジヤマを壁画に連れていくのは早い。星と我々の意見が平行線のウチは刺激したくないものだ。……それとアジヤマの周囲を嗅ぎ付けている赤色の星がついたイヌやネコがいる。余裕があれば始末しておいてくれ」
口にくわえた紫煙が部屋の天井に溜まる。
「それがキミたちの仕事のはずだ。少なくとも彼は有益な検証対象であるとともにアレタの仲間だ。いらぬ危険は遠ざけたい」
足元のカーペットの上で寝転び、呑気にいびきを立てる灰髪の美丈夫の顔を、細い脚の指で撫でる。
「ああ、それでいい。ワタシの言う通りにしていれば貴様ら合衆国が最も早く、計画を進める事が出来るさ」
端末に響くその声は怪しく、儚い。
「ああ、"Lプラン"は順調に進んでいる。アジヤマの解析はそれを更に進捗させるだろうよ」
「ああ、わかっている。それじゃワタシは眠るよ。こう見えても探索者、身体が資本なんでね」
ぷつり。端末の光が消えた。
くらい部屋に響く声が止む。
紫煙が燻り、ぱたりと軽い身体がベッドのシーツに沈み込む。
「……ふん、ラドンめ。面倒な事だけ置いて死ぬとはね。天災が聞いて呆れる…… バカ親父……め……」
その悪態だけはきっと彼女のこころからの言葉。
しばらくして、規則正しい寝息が響く。
時折、床から響くグレンのいびきや寝言に邪魔される事なく、赤い瞳はゆっくりと閉じていった。
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