29話 味山の夜
クソ喰らえ。
味山只人の脳裏には、あの赤い空が今でも焼け付いている。
神秘種。
明確な人類の敵、ダンジョンから這い出た夷狄。
「必要……なんだ、貴崎凛」
お前の剣が。
お前の強さが。
味山只人は凡人である。
耳の力を操り、残り滓と協力し、化身に至り、新たな力を手に入れ、神を殺した。
だが、足りない。
まだこれでは足りない自覚がある。
耳の化身。
自分が確かに辿り着いた究極の力。下手をすれば、神秘種全てを相手取る事も可能なあの力に、今は遠く届かない。
「必要……私、が、味山さんに……?」
「そうだ、貴崎。お前がいないと……」
勝てない。
戦力が必要だ。
もう二度と、あの空は見たくない。
そして、もう二度と化身の力に頼る事は出来ない。
敵を殺す。
人生に何も目的を持たない男は目の前の事しか考えない。
「……貴崎、俺が、この先どうなるか。未来をがどうなるかを知っているって言ったら信じるか?」
「信じます」
「ああ、分かってる、こんな事急に言われて信じられる訳ねえって、だが――うん? なんて?」
「だから、信じますって」
「……え、なんで?」
味山が今度は固まる番だった。
IQ3000の話術を用いて貴崎凛にいろいろ説明するつもりだったが、貴崎は異様に物分かりが良く……。
「貴方が……私を必要って言って、くれたから」
馬乗りになった貴崎がこぼすように呟く。
味山は混乱する、どういう理屈で?
「味山……さん。これでも、私、もう、大人なんです……さっきの、必要って、つまり、その……」
言葉をよどませる貴崎凛。
必死に頭を回す味山。
「そういう事って理解して、いいんですか……。私が、必要だっていうの」
「……???」
味山只人は考える。
貴崎凛の発言、"そういう事"とはなんだろう。
TIPS€ 思考ロール開始 INT”2”――マイナス補正 技能”完成された自我”により更にマイナス補正 技能”耳の血肉”による思考ロールへのマイナス補正 ――思考ロール失敗
その時、味山に、閃きが。
貴崎凛の異常な物分かりの良さ、必要という発言へのこの反応。
そして、貴崎凛という超一流の戦闘の天才、血の芸術品。
女子高生の時点で果し合いを挑んでくる戦闘狂っぷり。
ここから導き出される結論は1つ。
――貴崎凛は闘争を求めている。
神との更なる闘争を。
見上げたものだ。この状況でなんと頼もしい。
味山は少し、感動していた。
貴崎凛の戦闘への思い。
流石は鬼裂の子孫。
そういうブレないものはとても、尊いものだと思った。
「言葉は、不要か……」
「それって……」
「ああ、貴崎、野暮な事はなしにしよう。お前の求めるものは必ず手に入る。俺が用意する」
貴崎がその業を存分に振るえる舞台。
それは必ず現れる。
「よ、用意……そ、それって、その、祝げ……いえ、ご、ごめんなさい、気が、早いですよね」
「いや、そうでもない、その時は必ず訪れる。だが、俺はお前を死なせるつもりはない」
「え……死なせる? あ、そ、そっか。……今はまだ、そうですよね。ニホンが、世界がこんな状況じゃ……でも、味山さん、その、彼女はいいんですか? あの、金髪のきれいな方は」
「アシュフィールド? ああ、あいつは大丈夫だろ。いや、少し目を離すと暴走する奴だが、この前だいぶ痛い目みせたはずだし……それに、俺がいる間はあいつは大丈夫だ」
「……やっぱり、貴方にとって、あの人は特別なんですね……でも、貴方は、味山さんは、私、を選んで……」
「今はアシュフィールドの話はしてない。俺とお前の話だ、貴崎。いつか来るその日の為に、お前が必要だ」
「味山さんは、どうして、私を……」
「未来で、お前は独りで戦った。もう二度と、そんな事はさせねえ、やるなら全員で、一緒で、だ」
「……そっか……私、戦ったんだ……」
貴崎の味山を抑える力が弱まる。
味山はあらん限りの腹筋の力を利用し、起き上がる。
貴崎との距離が近い。
血筋からして出来が違う良血の造りの顔が、間接照明に照らされて。
「貴崎。今度は、一緒にだ(探索を全うするぞ)」
「はい……一緒に……」
完璧なコミュニケーションを決めてどや顔の味山。
頬を染めて、目を逸らす貴崎。
完全にすれ違った2人、しかし奇跡的に刃傷沙汰にはなっていない。
なんで?
「よし、楽しく話せたな……まあほら、なんだかんだ言ったが、また会えて安心したよ、貴崎」
「……は、はい……えっと、味山、さん。あの、私も……色々急なので、驚いてはいますが、その、嬉しい、です……」
嬉しい? なにが?
味山は喉まで出かけた言葉を飲み干した。
時刻はもう、朝の4時近い。さすがに疲れていた。
「うわ、こんな時間か。悪い、そろそろお暇するわ」
「え、いえ、そんな……そ、その、味山さん……きょ、今日の事って、まだ、他の方には内緒にする、感じですよね」
上目遣いでこちらを見上げてくる貴崎に味山が怪訝な表情を浮かべた。
今日の事。戦闘狂で体が闘争を求めている事だろうか。
味山は元サラリーマンの自負を以て貴崎の言葉を咀嚼した。
「ああ、そうだな。あまり人に言う事でもないだろ。大事なものは自分がきちんと持ってればそれでいい」
「大事なもの……そ、そうですよね……! で、でも、その、絶対に口の堅い、少し頼りになる先輩、あ、その、もちろん、同性で、名瀬さんって言うんですけど、その人には言ってもいいですかね?」
「珍しいな、貴崎が上下関係作るなんて。そういうのしないタイプかと」
「もう! 私の事なんだと思ってるんですか。先輩と後輩関係くらいあります。すごく、良い人なんです。今度味山さんにもぜひ紹介させてください」
「お、おー」
なぜだか分からないが、嫌な予感がする。
味山は生返事を返しながらベッドから立ち上がる。
そろそろ帰ろう、明日は、というか今日はアレフチームとミーティングをする予定だ。
「じゃあ、そろそろ帰るわ、貴崎。あ、コーヒー。悪い、せっかく淹れてもらったのに。頂いてから流しに置いとけばいいか?」
味山が机に置かれたカップを手に取る。
いつの間にか冷めたソレ、しかし、眠気覚ましにはちょうどいいだろうと。
「あ――待って、味山さん! そのコーヒー、私っ」
「ん?」
ぐいっ。
味山が温くなったそれを一気に飲み干して。
TIPS€ 警告 睡眠導入剤の混入コーヒー
「あ……」
「は? 睡眠薬……なん……で?」
「あ、味山さん! ごめんなさい、私、さっき、その――」
味山の頭に直接、がつんと眠気が襲ってくる。
激動の日中、深夜のあれこれ、疲弊、睡眠導入剤。
眠気に抗えない。
味山只人は知らなかった。自分が先ほどどれだけ危ない橋を渡っていたのかを。
貴崎凛がヤバモードの時に無意識に味山のコーヒーに入れていた睡眠薬。
貴崎のスイッチの入れ替わりに睡眠薬が置き去りにされたのだ。
そう、詰んでいたのだ、味山は最初から!
「どう、して……」
「あ、味山さ――」
がくり。
味山の意識がぶつり、途切れた――。
◇◇◇◇
座座座座座ananas
zazazaza。
ざ、ざざ、ざざざざざざ。
暗い。
何も見えない、頭が軽い。
動けない。
身体を打つ感覚は雨粒だろうか。
私は1人、その時を待つ。
ああ、それにしても腹が立つ。
何に腹を立てていたのか、何が気に入らなかったのか。
思い出せない、だって私には頭がないのだから。
やれる事は全部やった。滅ぼすべきものはすべて滅ぼした。
むかつくものは全部、壊したはず、だった。
なのに、私はまだムカついている。何に?
ああ、全部だ。
敵は全部殺した。人も社会も探索者も、免疫も。ダンジョンも、そこに潜む怪物も、深淵から這い出た神も。
全部殺して、壊し尽くした。
全部、全部破壊した。
なのに、おれはまだ、ナニカにムカついている。
まだ、壊すべきものが残っている。
ああ……でも、それが何か分からない。
おれ、は何がそんなに気に入らなかったんだっけ。
おれは、何を壊したかったんだっけ。
おれはなんのために壊したんだっけ。
おれは――誰の、為に??
――おれって、なんだっけ。
わからない、わからない、わからない。
ああ、あたまがないからだ。
くちもはなもめも――みみもない。
あたまがあったらおもいだせるのか?
あたまがあったらうごけるのか?
ああ、わからない、わからない。
だけど、奴らの気配がする。
むかつくにおいだ、むかつくこえだ。
神秘ども。性懲りもなくまた来たか。
――そう、お前ならこう思うのだろうな。
お前ならきっとそう思うのだろう。
私はお前だ、お前は私だ。
私だけがお前を覚えている。
私だけがお前を知っている。
お前には頭がない、口も鼻も目も、耳もない。
だが、お前にはそれ以外がある。
そう、お前にはまだ私が残っている。
哀れじゃないか、あまりにも。
お前のたった1人の探索の結末がこれだなんて。
お前の孤独な道の行く先が、こんなものだなんて。
誰にも覚えられず。誰にも讃えられず。
お前が良くても私は認められない。
お前の事なんて嫌いだ、お前の事なんて大嫌いだ。
矮小な存在、取るに足らない羽虫。
だが、お前はこの私と最後まで――。
……もう少しだ。
機会は必ずやってくる。ああ、お前も私も得意ではないか。
勝てるはずのない勝負、分の悪い賭けに身を投じるのが趣味だろう?
だから待とう、その時を。
*我らの狩りは終わった。しかして約定は終わらず*
*我々の探索はまた、始まる*
◇◇◇◇
「うお!?」
ぴちちちちちち、ぴぴぴぴぴぴぴ。
ざあああああああああああああ。
ざわざわざわ。
風が頬をかすめる、
透明な空気が体を包む。
水の砕ける音、木々の葉がこすれる音。
渓流の夢。
味山はまた自分の夢の光景の中にいた。
「……うお、頭いてえ……貴崎の奴……まさかあんな自然にコーヒーに睡眠薬入れてるとは……」
石砂利の上で座ったまま、味山がぼやく。
この夢の世界では感覚や思考もすべてがクリア、現実となに1つ変わらない。
おそらく自分はあのまま貴崎の部屋で眠りについてしまったのだろう。
ソフィやグレンの記憶とここで再開してからもうずいぶんと経ったような感覚に陥る。
しばしの間、ぼんやりと川の流れをただじっと眺める。
――やあ、人間。ちょうどいい所に。良い魚が釣れた。火を熾してくれないか?
錯覚。
ついこの間まで、この夢にいたある存在の事を思い出す。
ガス男。
TIPSのヒントから察するに、恐らくは自分に何か深く関係していたあの妙な奴の姿。
「……湿っぽくなるな」
味山は岸辺の方へ足を運ぶ。
よく夢の住人達で囲んでいた切り株の椅子。
そこの傍に積まれた、名前のない積み石の墓碑。
「……妙な感覚だな、自分の夢に出てきた奴の墓に手を合わせるなんざ」
ぼやきつつも、味山は静かに手を合わせる。
別に悲しくも寂しくもない、だが、少し、鼻と眉間の間がつんとした。
「……そういや、九千坊達いねえな」
あたりを見回す。
いつもであればマスコット水属性が川を泳いで魚を追いかけたり、追いかけられたり、マスコット骨属性が木によりかかって昼寝をしたり木彫りをしたり、マスコット火属性はなんかを焼いたりしてるものだが。
「九千坊、どこだ?」
「ジャワー! 焚火しようぜー」
「鬼裂先生ー、アンタの子孫やべえぞー。強制昏睡コーヒーかましてきたぞー、先祖の教育と女の趣味が悪かったんじゃないかー」
辺りを歩きながら呼びかける。
だが、いつまで経っても彼らは出てこない。
「……んー? クソ耳、聞かせろ」
味山が首をひねってヒントに呼びかける。だが……。
TIPS€ 神秘の残り滓保有 ”九千坊”、”鬼裂”、”ジャワ”
「……いるには、いる……のか?」
何か気に入らない事をしたのだろうか。
もしかして最近、耳男を使いすぎたりとか?
味山には神秘の残り滓達の機嫌損ねる心当たりしかなかった。
「……まずいな、ストライキなんてされると非常にまずい。おーい! 返事してくれ、労使関係に何か言いたい事あるなら積極的に聞くぞー!」
だがしかし、やはり、返事は――。
「労使関係に文句を言っていいなら~今すぐここから出してもらえませんかね~これは~不当な監禁ですよ~」
「……あ?」
間延びした――少年の声。
声変わり前の、舌足らずさと小憎らしさが同居した声だ。
振り向く。そこには。
「こんばんは~味山只人~い温泉に入り、美食に舌鼓を打ち、その後は鬼裂の子孫と共寝とは、良いご身分ですね~」
少年。
潤い、透明な肌、小さな唇、はっきりした鼻。
顔は手でつかめるほどに小さい。
肩まで伸びたおかっぱの白髪。
白い和服、陰陽師が着るような袴と袖広の着物は腹が見えるように丈が短い。
きゅっとくびれた縦長の臍がはっきりと見える。
そして、糸のように細い目から覗くは虹色の虹彩が覗いて。
「ねえ、味山只人、我があるじ――」「うわああああああああ! 糸目の怪しい美少年!! 敵っ!」
「えっ、ミギャあああああああああああ!! 顔! つぶれ!」
味山が発作的に少年の小さな顔をアイアンクロー。
「飛んでけ!!」
「嘘っうそっ!? ちょ、待っ、話ををををををおおおおおおおおおお!? 聞いっ」
「うわああああああああああああ! 美少年が交渉してくる! 敵っ!!」
そのまま耳の大力を発動し、川に放り投げた。
いったいなんだったのだろうか。
味山がふうと息をついて
TIPS€ 保有神秘 ”天邪鬼”
「……あ?」
どっぽーん!
川に放り投げられた美少年――天邪鬼がそれはもう見事な水しぶきをあげて川に落ちていった。




