5話 "U R MY SPECIAL"
「……あ? は?」
「何が、起きた……?」
「前鬼と後鬼が動かないぞ……」
陰陽師。
ニホン、古くは平安の世より存在するこの国の神秘を守護し管理してきた由緒ある特別な存在。
そしてサキモリ。
最も新しき護国の輩。そして人類最大、国家最悪の災禍に抗うべくある男の号令により集められた特別な者達。
人の願いを聞いた者。
人の祈りに答えた者
人から外れし、優れた者。
”選ばれた達”
彼らは目撃する事になる。
「おっほ! やっり~! マジで出来た! これ、色々悪さできそうだなァ~。じゃあ、とりあえず」
何にも選ばれなかった者が”たどり着いてしまった”先の光景を。
大いなる責任を伴わない、大いなる力の発露を!
「ひざまずけ、耳鬼共」
『yes、マスター』
『まあ、お耳なんで……』
跪くは1000年に渡る神秘の研鑽。
凡人の思いつきの前に特別な者達が心血を注ぎ、幾人もの生涯をかけて生まれた物がひれ伏す姿。
味山の両腕の輪郭がおかしい。
ぐねり、ぐねりと不定形。
まろび、溶けた肉が揺蕩う。
「うわ~……アジヤマ、君、それ腕の辺りどうなってんだい?」
「うっわ、タダ。お前軽く人間やめてない?」
「お~、これか。なんかどろどろしてんな……最近なんかこういうドロドロした感じの奴との戦いが多かったからかなァ~、よっと」
じゅるり。
明らかに人体からしてはいけない音と共に味山の腕が元に戻る。
「あっ、すごい、戻ったわ。タダヒト、痛くないの?」
「ビビる事に痛くはねえな、なんかそれはそれでまずい気がするけど」
凡人、味山只人。
部位戦争にて血肉は耳と交じる。
終末の世界にて化身を経て、その肉体は耳の写し身として完成した。
生物の進化とは常に危険と共にある、だが、これは進化ではない。
「えっと、あ~、こうか? おっ、また出来た」
じゅるるるる。
味山の変形した腕。
スライムのように流動化し、また固形化する。
自在に動く肉体。
魂の形を認識し、血肉になじんだそれを操作する技術。
数千年後まで人類が生存し、特異な進化を遂げた先にある1つの可能性に、今、味山は至った。
「なんだよ……それは」
零れたつぶやきは、陰陽師、神坂の長子より。
己の目の前で起きた事を、その優れた陰陽師の血は決して認める事は出来ない、だが――。
「お前!!!! 何を、何をしたァァァァ!!?? 前鬼と、後鬼をどうやって!?」
優れた陰陽師の血と才故にこの事態を誰よりも深く理解してしまう。
「どうやって、調伏した!!??」
すでに前鬼と後鬼の支配権は、あの男に奪われている、と。
「前鬼と後鬼?」
「そっ、そうだ!! 呪式が使われて形跡はない!! そもそも式神に干渉できるのは、俺達の式だけだ! 味山なんて家系聞いた事もねえぞ!!」
「前鬼と後鬼ってなんだ?」
「は? いや、それだよ!! それ! 今お前が調した式神!! ありえない!! それは俺達陰陽寮が1000年を懸けて創り出した――」
「前鬼と後鬼……? いや違う違う」
「は?」
「良い見た目じゃん、耳だろ、お前ら」
『……はい、耳です』
『はい……お耳です』
味山の言葉に力無く頷く前鬼と後鬼。
顔に張り付いた耳の面が力無くびよん、びよんと揺れて。
「だってさ」
「――ふざけるな!!」
怒号と共に放たれる陰陽師の一撃。
焔に変換された呪が味山に向かって。
だが。
「防御」
『『はい』』
呆気なく防がれる。焔を手のひらで受け止めたのは耳を生やした霊的兵器。
陰陽師達は唖然とする。式も呪いも用いず、只声による指示に前鬼達が従った。
それはつまり。
「完全にコントロールしてる……?」
「ぎゃっはっは。良い感じじゃねえか。――耳鬼ども」
『『は』』
「奴らを足止めしろ、誰一人殺さずにな」
『『ご命令のままに』』
対神秘種霊的防衛兵器の2体は完全に敵の手に堕ちた、という事だ。
『耳です』
『まあ、お耳なんで』
「う、うわあああああああああああああ!!??」
「前鬼と後鬼が寝返った!? 陰陽寮の奴ら何してんだ!?」
「うろたえるな!! 遺物持ちは前に! 対神秘種仮想戦闘を思い出せ!!」
「おいおいおいおいおい、陰陽寮の作り上げた化け物がさらに化け物になってんじゃん、神坂のボンボン、お前あれどーすんのよ」
「あ、ありえない……神坂家の継承式が……呪が反応しない……? いや違う、呪による乗っ取りや、式の逆算ではない……? わからない、いや、わからねば!!」
反応は様々。
サキモリの経験豊富なものはすぐに対応を始める。
そして、神坂。
その陰陽の才に恵まれた天才は己が才を以て、土壇場で式神の捜査式を改良。
「警備部隊!! 前鬼と後鬼の操作を取り戻す、援護を――あ?」
式による再操作。
奪われたのなら奪い返せばいい。
若き天才は至極当たり前な発想を才能をもって行動に移した。
式を持って、神坂の意識と耳の血肉、いや味山の魂に侵された式神が繋がって――。
「え」
神坂の脳内に流れ込んだのは、河の音。
森、河、そして夕焼け。
ひぐらし、鐘、鴉。
墓場が、見える。
墓場が見える。
墓が見える。
いくつもの、墓じまいされた墓石の更に奥、奥、奥。
夕日すら届かない、暗い場所にひっそりとたたずむ小さな墓石。
墓石には名前が彫られている。
『味山只人、享年55歳』
――何見てんだ。
「あ――」
ぼんっ。
神坂の鼻から血が噴き出た。
目がぐるりと周り、瞼の裏側に引き寄せられて。
神坂はだらりと脱力して、落ちていく。
「坊ちゃま!! お気を確かに!! 」
「そんな!! 坊ちゃまが呪い比べに敗れたのか!?」
「神坂家始まって以来の神童だぞ、そんな馬鹿な!!」
慄く陰陽師。
そして、耳鬼達がサキモリと交戦を開始する。
「わお、やるわね、あの2体。普通に強いわ」
「アジヤマ、君、なんかできる事増えてないかい?」
「トラウマ並みのパワーアップイベントあったからな。ま、詳しい話はおいおいで。てか、今のうちに行こうぜ、地上へ!」
「了解、ハートマン、出してくれる?」
『了解だ!! アーミー!! 全員掴まれ!! 愉快な遠足はまだまだ続くぞ! シートベルトを忘れるな!! オレンジジュースなどの柑橘系のものは車酔いするからやめておけ!!』
「タダヒト、銃座席についてて、ソフィ、グレン、車内ではシートベルト着用ね! 舌噛まないように!!」
「アレタ!? キミ、いつまでハートマンのルーフに立ってるつもりだい! いやそんな体幹が強靭なキミを素敵だが!!」
車内の窓から身を乗り出して、ソフィが叫ぶ。
確かにそうだ。
味山は銃座席に座りつつ、未だに長い脚で空飛ぶ装甲車のルーフに突っ立っている。
なぜだ?
「アシュフィールド、クラークの言う通りだ、お前も車内に――」
「見られてる」
「え?」
「嫌な視線を感じるわ。湿っぽくて、じっとりしてる」
「ええ……なんだよ、またお前の厄介ファンか? クラークに正しいファン仕草を……いや、あれが増えるのも嫌だな」
「アジヤマ、喧嘩を売ってるならもっとわかりやすく売ってくれないかい?」
呑気にソフィが味山に軽口にこたえる。
いつものアレフチームの呑気な雰囲気、だが。
「あれ、でもおかしいな、今まだアシュフィールドはあの、アムネジアなんとかかんとかの影響で俺達以外から忘れられてるよな? クラークと同等に気合の入ったファンでも――」
「違う」
にこりともせず、アレタが明後日の方向を見ながら呟く。
「あ?」
「視線の先は、あたしじゃない」
アレタの碧い瞳に移るのは銃座に座る――。
「誰かがずっと、貴方を見てる、タダヒト」
「は、そりゃ一体」
TIPS€ あっ
その瞬間だった。
耳に届くヒントが妙な響きを漏らして。
「あ?」
「っっ!! タダヒト!!!! 首!! 伏せて”!」
「うお!!??」
ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!
風が悲鳴を上げる。
アレタのストーム・ルーラーが何かに干渉し、捻じ曲げて――。
「させない!!」
ばちん!! そのまま何かを跳ね上げる。
何が起きたかわからない味山とアレフチーム。
でもアレタだけがそれに反応し、何かを防いだ。
何か――。
「いてっ」
つー……。
味山は今更気づいた。
血だ。
自分の首にいつのまにかかすり傷がついて――。
「うわ!! せ、センセ!! タダ……う、後ろ! 壁、壁見て、壁!!」
「な、なんだい、これは」
「おいおいおいおい、マジかよ」
亀裂だ。
アレフチームが目を丸くするのは、亀裂。
広い地下空間、その空間を仕切る壁に入る一筋の亀裂。
さっきまで、なかった。
これは――。
TIPS€ 首を狙われている、せいぜい断頭には気をつけろ、どっちでもいいが
「あ……これ、さっきの?」
アレタが防いで、逸らした攻撃の余波。
味山は静かに戦慄する。
その攻撃の規模や、あと一瞬、アレタの言葉が遅れていたらこの攻撃は自分の首にあたっていたかもしれない事実はもちろんだが、何より。
「アシュフィールドが、逸らすの精いっぱいて事かよ」
シンプルな事実。
遺物も現代兵器も神秘もすべてその圧倒的な力で真正面からねじ伏せた英雄。
彼女が、ここにきて初めてパワープレイで防げなかった攻撃をする奴がどこかにいる。
「っ、クソ耳!! 攻撃はどこから来た! 教えろ!!」
TIPS€ …………あっちかな
「どっちだよ!!!!」
何かがおかしい。
嫌な予感がしてきた。
味山の脳裏に、あの最悪の未来の光景がリフレインする。
仲間の死、それはまだ起こり得る事だ。
「アシュフィールド!! なんか、なんかやばい! クラーク、グレン、窓から顔出すなよ!! ハートマン、ここから最大速度で離脱を――」
味山が下した判断はこの場からの撤退。
1人の時の味山なら自分の命を賭け、いや何個か使い潰すの承知で脅威を排除しただろう。
でも、今は違う。今は、アレフチームの味山只人だ。
「アシュフィールド、お前も車内に! 大丈夫だ! 俺はなんか知らんがすげえ残機あるから――」
味山はアレタに声をかける。
52番目の星は現代最強の異能だ、だが不死身でも無敵でもない。
それは味山が一番よく知っていて――。
「狙った……な」
「……あ、アシュフィールド?」
あれ、なんだ。
すごく背筋が寒い。薄着だったかな。
味山がなんかよくわからない思考にとらわれる。
「今……今、完全に、タダヒトを、タダヒトだけを狙ってた……このあたしの目の前で……」
アレタがこっちを見てくれない。
俯いたままぶつぶつを声を漏らしている。
「あ、あしゅふぃーるど、さん? その……」
蒼い瞳が、ぎゅんっと。
味山だけを。
「ひゅっ」
こっわ。
「味山只人を、殺そうとしたな!!!!!!!!!!!」
世界が揺れる。
彼女の頭上に現れるのは、白と黒が混ざり合った球体。
嵐の調停者、ストーム・ルーラーの真体。
それがどろりと、溶け、アレタの頭のてっぺんのすぐ上に浮かぶ。
形を変え、わっかのようになったそれは、まるで――。
「わあ、アレタ……マイアークエンジェル……」
天使のわっか。
TIPS€ アレタ・アシュフィールドの特性”半神”が発動
世界は知る。
ヒトから神に至れてしまう、しまった英雄の暴を。
「誰だ……あたしの、補佐を、あたしの探索者を、あたしから奪おうとしたのは」
ぶ、ぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶ。
明滅している、アレタの蒼い瞳が金色に代わり、また蒼色に、金色に。
「誰……今、あたしのタダヒトを殺そうとしたのは――」
手を翳す。それだけで。
TIPS€ ”アレタ・アシュフィールド、神性(未完成)”による人類への絶対優位発動
「あ、ああああ……」
「無理だ、か、敵うわけない」
「あ、足、足が勝手に……」
「こ、これ、神秘種の……」
「き、綺麗……」
「か。かみさま……」
サキモリの誰しもが、陰陽寮の誰もが、警備部隊の誰もが、膝をつく。
あるものは恐怖を、あるものは諦観を、あるものは崇拝を。
星が、人間を魅せる。
「あはは……ちっさいなぁ――で、誰?」
金色の目が、すうっと細まる。
どんどんアレタの目は蒼色でいる時間が少なくなっていって。
「タダヒトを殺そうとした人は誰? ――殺したいから出てきて」
生来のアレタ・アシュフィールドの素が漏れる。
英雄として、自分の衝動のままにそうあれかしと望み、望まれた在り方。
しかし、それは今不安定な状態に。
バカに完全否定された英雄としてのありよう。
只の人だといわれた、言ってくれた事実。
だがそれは、彼女の枷を外す行為でもあった。
「出てこないなら――、ああ、仕方ないわね」
嵐が、ここに。
天体現象を操る神の御業。
英雄が、神としてそれのタクトを振るう。
世界を救える者は、つまり、世界を壊す事も出来るのだから――。
「もう二度と、あたしは、あたしの仲間を――あたしの補佐を、タダヒトを―ー」
彼女はきっと殺すだろう。
彼女を星から堕としてくれた仲間を奪おうとする者を。
それがたとえ、世界であっても――。
「ひ、こ、殺され……」
「嘘、ここで終わり……」
「なんと……このような者が、まだ在野に……」
「……」
「綺麗」「お星さま」「輝いてる……」「サイン欲しい」「アクスタ欲しい」
人間が、英雄の、星の、怒れる半神の力の前にひれ伏す。
「ばいばい」
致死の威力を持つ嵐が、アレタの手から放たれ――。
「クラーク先生!! グレン君!! バカ一丁亀甲縛りでよろしくお願いしまァす!!」
「「はいよ!!!!」」
「えっ」
TIPS€ はいよ、じゃないよ
瞬時に英雄の身体に巻き付くのは虹色の紐。
「っ、邪魔しないで、ソフィ!! っえ!!?」
しかし、半神と化したアレタを拘束するのは心もとない。
彼女の身体に沸く嵐が紐を吹き飛ばそうと――
「どっせい!!!!」
「きゃっ!!!!」
だが、そうはならない。
ここにはバカがいる。
バカはバカなので、思いついたのだ。
「クラーク!! 俺ごと縛れ!!!!」
「は!!!!???? うらやましすぎるんだが!!!! ワタシも後でしよ!!!!」
ぎゅっと。
銃座から飛び出した味山がアレタに抱き着く。
「あっ、ちょ、タダヒト、近っ……」
すんっ。
アレタの目が瞬時に蒼色に戻る。
同時にふっと、頭の輪っかも消えて。
「キャッチザレインボウ!!!!!!」
ぎゅっるるるるるる。
虹色の紐が、アレタと味山を巻き付け、笠巻にする。
ミノムシみたいで可愛いね。
だが。
「あっ、やべ」
「え、嘘」
半神たる英雄を膂力で抑えようと、味山が使用したのはすっかりおなじみになった技能。
耳の大力。
なんとか踏みしめたハートマンのルーフを砕かないように手加減出来たが、そこは味山。
器用な方じゃないので普通にやらかす。
「え、嘘、タダヒト、あなた」
「すまん、ミスった、でも、アシュフィールド君がさあ、すーぐなんか自分の世界に入るか、らあああああああああああああああ!!??」
ひゅー。
もうほぼタックルみたいな勢いでアレタを羽交い絞めにした味山。
そのまま見事なタックルを決め、ハートマンのルーフの外、つまり普通に足場の外、落ちる。
おまけに虹色のミノムシで互いにぐるぐる巻きになってるので――。
『まずいぞ!!! アーミーダウン!! アーミーダウン!!!』
「嘘おおおおおおお!! ふ、普通、こういうときってなんかいい感じにうまくいくよね!? ああ、しまった、そうだった! アジヤマだった!!」
「タダが器用にヒーロームーブできる訳なかったす!!! 御覧センセ!! ヒロインを止める為に容赦なく低空タックル決めて落ちていくっすよ!!」
うわあああああああ。
半狂乱のソフィが虹色の紐を伸ばす。
だが、それも届かない。
「やべ!! アシュフィールド! お前、なんか風とか嵐で空飛べないっけ!!??」
「あ……顔、近い、いいいいい……、息、くすぐったい……」
「今そのテンションでいれるの!!?? なんなのお前!!!」
ぎゅっと目を瞑って、顔をそむけるアレタ。
駄目っぽい。
見る見る間に、地面が近く――。
ふと、味山は思う。
なんか最近、こんな感じで落ちるの多いなァ。
そうだ、この前も、すっげえ落ちたり、飛んだり。
「――アサマの時もこんな感じだったなァ」
虹色のミノムシが、地面に落ちっ。
TIPS€ 権能の発動条件を満たした
「――おやま、あじやま」
ばさり。
白い翼が舞う。
「あさまを呼んだ、みーつけた」
ミノムシは落ちない。
何かが地面に落ちる寸前でミノムシをキャッチ。
そのまま吊られるように持ち上げられて。
「「えっ」」
凡人と英雄。
虹色のミノムシ2匹が目を丸くする。
黒と金の交じった髪は、小さな背丈の足元にまで伸びるほど長く。
「……あじやま、行きたい所あるんだね、いーよ、あさまが連れてってあげる」
「は? あさま……アサマってお前、まさか!!??」
少女が、あどけなく、乏しい表情で。
「……にへへ、ひさしぶり、……あいたかったから、あいにきた、よんでくれてありがとう、あじやま……ううん」
長い前髪の隙間から、人形のような美しい顔の少女が微笑んで。
「――ぱぱ」
「えっ」
味山が、固まり。
「――は?」
アレタが表情を無くした。
がこん。
誰しもが状況を理解できないままに、現れたのは”扉”。
翼をはやした少女と、にじいろのミノムシは、その扉の向こうへ消えた。
◇◇◇◇
「……総理、本当にここでよろしいのですか」
「ああ、問題ないよ。――封印を解いた彼の目当ては私だろう。彼はきっと不義理を果たした私を許さない、彼は恐ろしい男だからね」
首相官邸の中庭に、その男はいた。
曲がり始めた腰、生え際が後退して久しい頭。
柔和でいて、ふとした時に老獪さをにじませる味のある顔。
「彼は、味山只人は敵を許さない、――私はどこで間違えたんだろうね」
ニホン第99代、総理大臣。
多賀影史は死を覚悟していた。
芝生に腰を下ろし、高い空の上にぽっかりと浮かんだ羊雲を見上げ、その時を待つ。
「貴方は、何も間違えておりません、総理」
「間違えたさ、イズ王国を解放した彼に仁義を欠いた。ただ、私は私の臆病さゆえに選択を見誤った。その結果が、これだ」
イヤホンを通じて流れてくる戦況報告。
「サキモリは、ニホンはきっとあの男を止める事は出来ないだろう、上沼君、君もここを離れたまえ、護衛の諸君もだ。貴重な我が国の若者をこのような老害の失敗に付き合わせるのは忍びない」
「そんな……ここは、ここは法治国家です、総理……たった1人の人間が、そんな、バカな」
「上沼君、世界は変わったんだ、社会はいまや強大な個の力を抑えることはできない。そんな世界でこれから君達は生きねばならない。……命令だ、逃げなさい。ここで死ぬのは、恐るべき凡人の怒りを受けるのは私1人だけだよ」
「……貴方の元で働き始めて、もう8年です、その間、私は貴方の期待に応えてきた自負があります、総理」
「ああ、君ほど優秀な男を私は知らない。君は実に誠実で、この国の良い所をすべて併せ持った人物だった。君が私の、僕の期待に応えなかった日はないよ」
「なら、申し訳ありません」
びっ。
上沼と呼ばれたスーツの男が、胸についていたバッジを外す。
「今日、初めて私は総理の期待に応える事、出来かねます。そして、誠に勝手ながら職をこの場で辞ます。もう、私は貴方の命令を聞く義務はありません」
「上沼君…君は」
ばっ、ばっ。
多賀の周りにいる他のスーツの護衛もまた、上沼と同じ。
バッジを芝生に投げ捨て、直立不動で立ち尽くす。
「総理、いえ、多賀影史。あなたが私達をここまで連れてきてくれた。貴方が私の国をここまで守ってきてくれた、たとえその選択を一回間違えたとて、それでも貴方の全てが否定されていいわけがない」
まっすぐ、多賀を見つめる上沼。
誰もこの場から逃げ出そうというものはいない。
多賀影史は空を見上げる。
「……良い天気じゃないか。まったく自分の人望のなさが嫌になるね、誰もいう事を聞いてくれないときた」
「貴方が選んだ部下ですので」
「耳が痛いよ。まあ、……あの男もあれで妙な情がある。私の首1つで勘弁してもらうよう、最期のお勤めを頑張ろうとしようか」
がこん。
その時だった。
空に扉が現れる。
西表の力を理解している多賀にはその扉がなんであるのか予想がついた。
「やれやれ、神秘種まがいのこともできるのかい、味山只人、本当に君って奴は」
「……あれが」
「来たか……」
緊張が走る。
ここに現れるのは異常存在。
特急指定封印、国家の崩壊を可能せしめる存在として封印された恐るべき凡人。
ぎいいいいいいいいいいいいいいいいい。
扉が開く。
多賀が、上沼が、護衛が、その圧力に、その神秘に脂汗を流す。
だがそれでも、誰一人逃げ出そうとする者はいない。
老人は覚悟していた。
己の最期の仕事を。
この場に残った勇気ある愚か者達、この先必ずニホンの存続に必要な若者を生かす事と定め、その男の怒りを一身に背負おうと。
若者達は覚悟していた。
己の最期の仕事を。
この老人の命を一分でも一秒でも長く生かす事だと。誰よりもこの国に必要な、自分達のちっぽけで、しかし偉大な指導者を命を賭けて守ろうと。
「やあ、味山君。久しぶりだ――」
さあ、笑え。
さあ、覚悟しろ。
全てを台無しにする最悪が現れ
「パパってどういう事なの!!!!!!!!!! 説明してよ!! タダヒト!!」
「……ぱぱ、この女、なに。ぱぱにふさわしくない、絶対重いよ」
ぽいん、ぽいん、ぽいん。
扉から転がってくるのは、虹色の笠巻にされた男女。
そして翼をはやした少女。
少女と女は、もう聞くに堪えない口喧嘩。
そして、笠巻にされてる男は。
「――あ、ちょうちょ」
空を見上げて。
多賀と、若者達は互いに顔を見合わせて。
「「「「「ほんとだ、ちょうちょ……」」」」」
ちょうちょ、綺麗だった、
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
次にくるライトノベル大賞に凡人探索者、ダンワル両方ノミネートされました。
良ければ下記サイトから是非皆様のご投票頂ければ幸いです。
ありがとうございます。
https://form.tsugirano.jp/




