154話 IQ3000
「全部壊す……?」
「君にはもう飾らず伝えようと思ってね。人類は、ニホンは敗北した。だが、このままじゃ終われない、このまま終わっていいはずがない……ぐ、む」
多賀が膝を折って、その場に屈む。
カンテラに照らされた脇腹部分、血がにじんでいる。
「アンタ、その傷……おい、無理すんな、拡がるぞ」
「……いや、構わない。仕事の話を続けよう、探索者」
「話って、アンタ……。はあ、状況に振り回しっぱなされだ。目を覚ましたら仲間が死んで、世界はめちゃくちゃ、むかつく連中が仲間のガワを着て暴れてる……悪い夢だ、ほんと」
「それだよ、味山只人、それ全部壊してきてくれないか?」
「あ……?」
「大変恐縮なのだが、時間がなくてね。十分な説明と完璧な引継ぎまで出来そうにない。だから、要点だけ伝えようと思う。あとは君が判断してくれ」
その場に多賀が座り込む。
見えない壁に背中を預け、ひどく疲れた様子で息を吐いて。
「今回の敗因ははっきりしている、”私と西表君が味山只人を恐れすぎた”事だ」
「俺を……? ああ、封印……あの棺桶はアンタが用意したのか」
「陰陽寮の子孫、公安が秘匿する超常現象対策部、ニホンのオカルトや怪異に関係するありとあらゆるエキスパートたちの手を借りて用意させた特注品だ。君以外にも厄介なのをすべて封印してくれていたよ」
「……バベル島で会った時、そして、あの夜。アンタはどっちかというと味方をしてくれてると思ってたけど」
「時と場合によるね。あの時はそうするべきだった。アレフチームがバベルの大穴に進む事で、委員会の一強状態を防げる、それでニホンの解体は防げると思っていたんだが……神秘種とはね、まったく、世の中クソゲーだ」
「アンタ、何を知ってる?」
「……これを、君に」
多賀が胸ポケットから取り出したのは、古ぼけた茶色革の手帳。
油や水を吸って変色している、とても使い込まれたものだ。
「受け取ってくれ。2689回分の攻略チャートをまとめている」
「……2689回? なんの数字だ?」
「ああ、私の死んだ回数だ。3000回まで頑張ろうと思ってたんだけど、今回が最後みたいだね」
「……なんの、話だよ」
味山の問いに、多賀の小さな手の中で小さな灯の煌めき。
紫煙が、昇る。
「手短に話そう、――凡人探索者」
タバコを咥えた多賀が煙をふうっと吐き出して。
「タイムスリップ。あるいはタイムリープ。私にはそういう力がある」
「……SFの話か?」
「現実の話さ。信じないとは言わさないよ。嵐を支配する英雄や、決して死なない耳男、そして神までいる世界だ。そんな能力、珍しくもないだろう?」
「いや、でも、それはまた別格だろ」
「そうでもないさ、凡人探索者。世界には不思議が多い。時間や世界なんて案外あやふやで、いい加減なものでね」
「じゃああんた、マジの時間遡行者……ってことか?」
「おお。いいね、理解が早くて。その通り。私はある一定の時期をセーブポイントとして何度も何度も人生をやり直している」
「……証拠は」
「耳に聞いてみればいい、できるんだろう?」
「――!」
衝撃。
アレフチーム以外にはいっていない味山の秘密。
それを言い当てられた。その瞬間。
TIPS€ 多賀は1945年8月15日に委員会の日本担当者より時をつかさどる大號級遺物”観弥勒菩薩上生兜率天経”の力を引き継いでいる
TIPS€ 多賀はこれまで2688回のやり直しを経ている、今回は2689回目だ
「……大號級遺物? おい、それって」
「おっと、そこまでわかるのかい? はあ~、腑分けされた部位”耳”の力か。恐ろしいものだ、数ある凡人探索者の中でも、君だけに備わった異常の力、厄介だったよ、本当に」
「厄介だった……実感のこもったセリフっすね」
「ああ、前回は私。君に殺されたんだよ、君が世界丸ごと滅ぼすついでにね」
「……えっ」
多賀の言葉に味山が固まる。
「はははははは、その顔……ああ、しくじった。今回のキミは前回とは本当にちがうね、ああ、人間性はまるで同じだが、環境かな。アレフチームは君の弱点であると同時に、君を人間たらしめる楔でもあったようだ」
どきり。
心臓が、跳ねた。
それはまるで小学生の頃、自分が行ったいたずらがばれた時のような緊張。
「えっと、それはつまり、あれか? ゲームの周回プレイ、二週目とか強くてニューゲーム的な……え、前の俺、なにしたの?」
ドキドキドキドキ。
らしくなく心臓が跳ねる。
この感覚。
会社の監査で数年前に塩漬け放置した案件が時を超えて掘り返されているときのような非常に最悪の感覚で。
「世界を滅ぼしてたよ、多分」
けろっと多賀が呟く。
「多分……?」
「ああ。だって私はきっと君の世界滅亡チャレンジのかなり序盤で殺されたからね。見届けてはいないんだ。君が最終的にやり遂げたかどうかまでは」
「いや、それめちゃくちゃすぎだろ……」
「いや、本当なんだよ。まあ、その時使っていた力と今の力は別物みたいだが……ヒントを聞く力は確かに持っていたよ? まあもうあれのおかげで何しても君、すぐ対応してくるんだもんなぁ、最悪だよ、本当に」
「いや、いやいやいやいや、ありえねえ、俺には常識があるし、良識もある。そんなイかれた事する理由がねえ」
「ははははは。事実だからねえ、こればっかりは。おっと、つい話が脱線してしまった。まあ、つまりだね、君は、私にとってトラウマなのさ。私のやり直しのルールまで君にめちゃくちゃにされてしまったしね」
「なんだ、そりゃ」
「君はおそらくだが、世界を壊して何かをしたんだ。――君だけ、2週目だ」
「は?」
「これまで何度やり直してもね、52番目の星の補佐探索者は皆、変わっていた。なのに2688回目と2689回目だけ。前回と今回だけ、”味山只人”のままだ」
「何を言って……」
「味山只人、君はきっと何かの目的のために世界を滅ぼした。つまりだね、君は経験者なんだよ。この世界で唯一、世界を殺した事のある経験者だ」
「いや、でも、俺、そんな事するわけ……」
「アレフチームが世界に殺されたとしたら?」
「え……」
「想像してみたまえ。前回はアレフチームはあの夜を超えれなかった。君は2028年の時点で1人になった。アレフチームが世界に殺され、1人になったキミは何をする?」
多賀の細い目が、味山を見つめる。
問いかけの言葉。
考えるよりも先に、味山の口は勝手に動いていた。
「あ、やるわ。俺多分」
こぼれる言葉、味山はすとんと納得する。
もしも、あの日、アレタを連れ戻せず、アレフチームを全員失っていたとして。
もしも、あの日、それの原因が世界にあったとしたら――。
「出来るのなら、やるな、俺」
「ああ、その通り、君にはそれが出来てしまったんだ。恐ろしいね、わかるかい? これまでやり直しの原因になっていた戦争や遺物、そして外宇宙からの侵略、怪異の放出、それらの原因を2688回目でようやく潰せたと思って油断してたら、最後の最期にキミだ! もうほんと、その暴れっぷりと言ったらないよ! ――おっと、すまない、興奮してしまった」
「あ、ああ。なんか、ごめん」
「いや、良い。今回は、私の失策だ。君への恐怖をぬぐい切れなかった。――まあ詳しい話は、次の私に聞いてくれ。きっと、今の私より如実に語ってくれるはずだ、味山只人の恐ろしさを」
「――次……?」
妙な言葉。
だが、聞き覚えのあるセリフ。
そうだ、西表も、同じ事を――。
「仕事の話だ。第99代”日本”内閣総理大臣、多賀より、アレフチーム探索者、味山只人への”指名依頼”だ」
「――」
多賀の口かた黒ずんだ血がこぼれる。
息は荒いのに顔色は悪い。
血の気が失せた顔に、まぶたの部分だけ赤みがさしている。
「依頼内容はシンプル……駆除依頼だ。――敵を滅ぼしてくれ、まだ取返しが付く。今なら全部やり直せる」
「やり直すって、まさか……」
「ああ、君を過去に送り込む。味山只人、もう1回、戦ってきておくれよ」
かちっ。
多賀が懐から取り出したのは古い懐中時計。
何の変哲もない時計のねじが回された瞬間。
「これは……」
「遺物、反芻」
暗闇の空間。
上、空に何かが浮かび上がる星々のごとき煌めき。
それはよく見れば文字盤、長針と短針。
空に時計盤が広がって。
「ああ、畜生……やはりか、かなり壊されてる……」
欠けた長針、短針、えぐられた文字盤。
その時計盤はひどく痛んでいた。
「……あんたじゃダメなのか。やり直すのは」
「……年は取りたくないね。人の心は不思議なものだ、折れた時には気づかない。痛みもなく、気づいたときにはもう、何もできなくなってしまった。……彼女の気持ちが今ならわかる……」
「おい、あんた、目が……」
多賀の目、瞳孔が開いている。
黒目の色もどんどん薄く。
「本当なら、君に継いでほしかったけど、無理、みたいだね」
TIPS€ 元委員会所有大號級遺物”観弥勒菩薩上生兜率天経”の引継ぎに失敗。
TIPS€ この遺物は”救世主”、”英雄”、”王”のいずれかの特性を持つ者でなければ引き継げない。
TIPS€ ”凡人”技能により”観弥勒菩薩上生兜率天経”の引継ぎがキャンセルされた
「あ、なんか、そのすんません」
「ははは……いいさ、君は何にも縛られるべきではない。未来に現れるとされる救世主の力。これは、もうとっくにすり減っていたのだろう」
ぼそぼそになった煙草を多賀がくゆらせる。
広がる紫煙も、もはや力なく
「――引き金だ。奴らが私の事をそう言った」
こぼれるような言葉だった。
老人が縁側から落日を眺めながらつぶやくような言葉。
「ならば、君は弾丸だ。化け物を殺す唯一の武器。ああ、引き金の役割は弾丸を恐れる事ではなかった。弾丸を敵の元に届ける事こそが、その使命だったのにね」
「……じゃあ、安心だな。アンタは確かにその役割を果たした」
「……それは、君の働き次第だ。――ああ、申し訳ない、申し訳ない……私のせいで、私のせいで、また失敗した……たくさん死なせた、たくさん悲しませた……申し訳ない……」
命の尽きるその時、疲れ果てた老人が小さく、小さく泣き始める。
「申し訳ない……彼女に託された国を、約束したのに守る事が出来なかった……子を思う親も、親を思う子を、この国の営みをすべて終わらせてしまった……すべて、私の臆病さゆえに……」
味山は黙ってその様を見つめる。
決して手を伸ばす事なく、決して慰める事もなく。
「申し訳ない……兵士を、若者を無駄死にさせた……親御さんから預かった彼ら彼女らの命に、なんと謝ればいいのだろう……皆を死なせた私が最後まで生き残ってしまった……」
がちゃん。がちゃん。がちゃん。
暗闇の上の時計仕掛けがゆっくり、ゆっくり動き始める。
もの哀しくなく老人、時計の音、暗い闇。
TIPS€ 遺物は大きく損傷している、発動まで時間がかかる。所有者も限界のようだ
「……」
「……ああ、――さん。申し訳ない……貴女が愛した国を、稲穂の光景を、祭りの光景を、春を、夏を、秋を、冬を――日本を守れなかった……」
錆びた引き金の最期。
弾丸がその景色を見つめる――。
「違うな、これは」
味山がぼそりと呟く。
「今から俺がやるのは、一世一代の大戦だ」
この男は決して弱ったものに同情しない。
決して手を差し伸べたり、慰めたりしない。
「最悪最低の事をしでかそうとする正体不明の化け物の皆殺しだ。だから、違う、これはこんな悲壮感あふれる雰囲気で行う事じゃあねえ」
「味山……くん? ――っ」
唐突に何か言い出した味山に向けて、多賀が目線を上げ、息を呑む。
そこには多賀のよく知る味山の顔があった。
2688回目を滅ぼした意味の分からない存在の、表情。
滅ぼすものの顔だ。
「クソ耳――残り時間は、やり直しまでの残り時間はどれくらいある?」
TIPS€ 遺物の発動まで残り、1200秒
「ああ、サウナ1セット分の時間はあるじゃん」
「……待て、君、何をしようとして」
「年寄りが泣いてる所なんて見たくねえ。――気分悪い、年寄りはなァ、若者の前では不敵に、腹立つくらい余裕もった姿でいてくれなくちゃいけねーんだ」
味山の脳裏に浮かぶのは、祖父の姿。
なぜだろう、こんな世界になったのにアレが死んでいる姿があまり想像できない。
「これからすげーバチあたりな事やるんだ、復讐だ、仕返しだ。でも暗い事を暗い気持ちでやるのは健康的じゃねえ。ろくでもねえ事ほど、楽しんでやらなきゃなァ」
「いや、何を言って」
わずかに、多賀の顔に生気が戻る。
それは生き物の本能。
意味不明の存在を目の前にしたとき、めそめそと泣いてる場合じゃなくなる。
「そもそもだ。俺は常々、思ってた。こういうやり直しとか死に戻り系のシステム。理屈ではわかるんだ。やり直して結局うまくいけばオールオッケー、その過程で死んだ奴とかもやり直す事で助けりゃ、なんかまるっと救われて世は事もなし――」
味山がその場でせわしなく歩きまわり始める。
あまり中身のない脳みその入っている頭蓋骨を人差し指で何度もたたきつつ。
「ほんとにそうか?」
ぴたっと。味山の動きが止まる。
その目は、ぎょろりと見開いていた。
「いや、いやいやいや、違うだろ。大事なのは、今だ。俺にとったらよー、よく考えたら、いるんだよ、まだ、この世に。のうのうといるんだ奴らが」
ぐるり。味山が無意識に上を向く。
その目が見つめるのは、空に浮く大號級遺物、そのさらに向こう側。
「待て、あ、胃が痛い、なんか急に嫌な予感がしてきた……味山くん、味山只人くん、落ち着くんだ。もうそろそろ、遺物が発動――」
「俺のIQは誤魔化せない」
もう、こいつは人の話を聞く気はない。
「次じゃだめだ、やり直しだけじゃだめなんだ。――貴崎は死んだ、グレンも死んだ、クラークも死んだ、奴らに殺された。――これはもう俺の中でどうしようもない事実になった。いくらやり直しても、もう、これは変えられない事実だ、なあ、なあ、なあなあなあなあなあ……それってよ~、なんかよ~」
どろり。
味山の脳みそを満たす暖かさ。
酔いが回る。
あの顔、貴崎の、グレンの、ソフィの顔で嗤う神秘共の顔が離れない。
「ああ、その顔……あの時と、同じ――君はやはり」
多賀が、片目を見開き。唇を歪める。
5メートルくらいのゴキブリを見つけたような顔を味山に向けて――。
「くっっっっっソ、ムカつくよなああああああああああああああああああアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!??? あいつらさあああああああああああああ」
揺れる、揺れる。
時間をつかさどる大號級遺物が揺れる。
「よく考えたらよお!! このままァやり直しても、クラークやグレンや貴崎をぶっ殺した奴らに直接やり返すっつーチャンスは逃がしちゃいねーかァ!?」
「いや、落ち着け、落ち着くんだ、それはない、やり直すことで彼ら彼女らを喪う前に戻れば――」
「そうだとしても気分的に無理!! なんかさぁ!! 俺、タイムリープ物の映画とかアニメ見たとき、たまにさあ! モヤるんだよ!! 繰り返して繰り返して何度もやり直したその世界ってさあ! ほんとに元いた世界なのかァ!!?? あ、やっぱ、うん、SFの話は難しいからこの辺にして」
「うわ」
急にスンっとした味山に、多賀が本気で怯える。
狂人とは常にテンションが高いタイプよりも、急にスイッチが入ったり切れたりするのが一番不気味なのだ。
味山がぶつぶつと頭を押さえてもだえる。
そして、爬虫類のような無表情で。
「俺は今、ここで俺の仲間の顔をしてる化け物を殺したい」
「うわ」
爬虫類の何考えているかわからない無表情とまったく同じ顔で、味山が呟く。
「ははは、そうじゃん、そうだよ。ああ~待て、待て、出来るンじゃねえかァ!? 今なら、ずっと、ずっとやってみたかった事がさあ!!」
またテンションのスイッチが入る。
社会が崩壊し、アレフチームを壊滅した今、この男が帰属する集団はなくなった。
味山が割と気にする世間体や常識、それがもうこの世界にはない。
世界は味山只人をもう縛れない。
背中を震わせてバカが嗤い出す。
「ああ、そうだよ、出来ちまうじゃん! ぎゃは、ぎゃはっ、ギャハハ!! クソ耳!! ここにいなくても多賀の総理の遺物は俺に適用されんのか!?」
TIPS€ ”大號級遺物・観弥勒菩薩上生兜率天経”の適用範囲は世界全体だ。問題ない
「ならよし!! 発動時間までもう少しだけ遊べるドン!!!!」
「待て、待て、待て待て待て待て待て待て!! 味山只人、何を、しようとしてる!? 何を考えているんだ!?」
「――総理、俺は冷静だ、そしてIQも高い」
「そのセリフは冷静な人間のものじゃないが!?」
「息してるのすら、想像したらムカつくんだよなァ」
「な、に?」
「何様のつもりだ。あいつら。誰の許可得てまだ生きてんだ。腹立つほんま。今、殺す、――今殺しに行きます」
多賀の静止を無視して、なんか味山がずんずんとどこかへ向けて歩き出す。
「やり直しをしたらセーフ? 死ぬ前に戻ればなかった事になる? それは、雑魚の考えだ」
「お、おい、待て、待てって! おい、――馬鹿!!」
人はバカを前にした時、もうバカとしか言いようがなくなるのだ。
「よく聞くんだ! 味山くん! 意味がない! この大號級遺物はすべてをやり直すんだ! 今君が敵を仮に殺したところで、それすらもなかった事になる! 君は、また同じ敵と戦う事に!」
「マジで!? おいおいおいおい、ワクワクさせんなよ! むかつく奴を2回、ぶっ殺せるって事じゃん!」
「うおおおおお!? あ、頭が痛い!! 吐き気もする!! 話が通じていない!? 今!? 今じゃないだろ!? 君、は理解してるのか!? 今からね! やり直す所だろ!? 気持ちはわかる! だが、今このタイミングで普通そんな事するか!? 今からね、やり直しをね! しようとしてるの!? わかる!?」
死にかけていることも忘れて、多賀が唾を飛ばして叫ぶ。
だが、もうこのバカには届かない。
「もちろん、俺は地頭が良い! やり直すのはやり直す! やってやろうじゃねえか、強くてニューゲームをよお! だが、それはそれ、これはこれ! 今、やり残しのゴミ掃除が急にやりたくなったんだ!!」
「待っ―― そもそもここは、西表君の異界だ! 出る方法なんて――」
人類軌跡”勤勉”が学習した神秘種の固有技能、”異界”。
それは主の意思によってのみ出入りが出来る隔絶された空間。
それに干渉できる方法は、人間には――。
「報酬接続」
「え……」
多賀をぷいっと無視して、味山が右手を前に。
TIPS€ 報酬・熾天使召喚により、セラフの使役が可能です。
TIPS€ 警告・セラフが他神性により摂食されています、消滅の危機です
「――セラフ。聞こえるか? もしまだ聞こえるなら、ここを開けろ」
「え」
がちゃん。
一瞬の間もなく。
味山の目の前に立派な扉が現れる。
「な……異界へ、干渉した……?」
目を見開く多賀。
「なあ、多賀総理」
「――」
ぎいいいい。
開いた扉の前、味山只人がたった一人で滅びに立ち向かった老人へ声を。
決して振り返らない。
「期待しとけ、引き金殿。てめえが引いた弾丸の威力を」
「は――」
多賀が、言葉を止める。
味山の背中に無意識に伸ばしていた手、それが少し震えて。
下がった。
「それを楽しみに、1人で誇って――1人で逝け」
「はは――はは……ははは、はあ、なんだ、それ……ああ、でも。確かに。それは、楽しみだ」
ずず。
呆気なく、二度と振り返る事なく、味山只人が扉をくぐる。
人類軌跡が遺した不可侵の異界。そこに1人だけ残された男。
「はは、ははははは……ははははははははははは!!!
気づけば、多賀は笑っていた。
ああ、なんと愚かで、なんと度し難く、なんと――。
「あれは、勝てないな」
血が垂れる。命が燃え尽きる。
生物が最も恐れるべきその瞬間が、多賀に刻一刻と近づいていく。
だが、その表情に恐れや悲しみはもうなく。
「はあ……あ、しまった、手帳の日記、あれをそのまま渡してしまった……まあ、いいか」
その場に座り込む。
ごほっとむせた咳に交じる血の色。もう手遅れだ。
だが、問題はない。
空には崩れかけの時計盤、時を刻む。
「いや、いやいやいや、いやいや、参ったね。どうも。――少し、羨ましいな」
その言葉は、きっとやり直しの中で味山と出合うだろう自分への言葉。
「君は敵に回すのでなく、味方にするのが一番面白かったな……」
力の抜けていく身体。
耳を澄ませば、夏の音。
青く実る田畑の上を、風が踊っていく音がする。
あぜ道を流れる水路、風鈴の透き通った歌。
――少年、頑張ったね
顔も思い出せない彼女の声だけが、彼に届く。
終わる。
誰も知らない多賀慎二の物語は、ここでおしまい。
しかし、確かに彼はしっかりとあの男を送り出した。
故に彼の負けはもう、ない。
「凡人ソロ探索者、いや、今はもう、違うか」
震える手、抜けていく魂。
死に向かっていく多賀が、仰向けのまま空に手を伸ばす。
「頼んだよ、凡人探索者。すべてを壊して、全部、台無しにしておくれ」
その手の形。
人差し指を前に、親指を立て、それ以外の指を折り。
ピストルの形。
「ばぁん」
弾丸は、放たれた。
引き金はその役目をしかと終えたのだ。あとはそれが撃ち殺すだけ。
楽しみに、楽しみに。
多賀は目を瞑った。
――第99代日本内閣総理大臣、多賀慎二。
死亡
◇◇◇◇
ぐつぐつぐつ、ぐつぐつ。
「あ、クリさん、そこの肉もう煮えたんじゃないの?」
「あ~まだだ、まだ。鶏肉はよく火を通さねえとあぶねえ」
「……ふむ、熾天使の翼は鶏肉判定でいいのか?」
「まあ羽毛あるし、そうなんじゃね。お、こっちはもうよさそうだ。人類軌跡の●●だ。女の形をしてたからな、珍味だぞ」
「あら~、ほんとだ、不思議な味だけど、おいしいわねえ……」
死の香り。
人の形をした神が、何かを大鍋で煮ている。
空の色と同じ、真っ赤な色の鍋だった。
ばちゃん!! ばちゃん!
鍋の中、ナニカがもがいている。
それは、人の形をしているようなーー。
「おお! イキがいいな!」
「ふむ、さすがは神秘種。混ざり物と言え頑丈なことだ」
「凄いね〜冥界の火と血湯で茹でられてもまだ命運が尽きてない」
ばちゃばちゃばちゃ。
ぱく、ぱく、ぱく。
探索者の顔をした神達が、口を開けたり開いたり。
それだけで。
「〜〜〜!!??」
ばちゃ、ばちゃ。
大鍋で煮られるナニカの体積が減っていく。
ぱく、ぱく。
口を咀嚼するだけで神は喰うのだ。
肉を、魂を、全てを。
「〜〜!?」
「あは、踊り食い〜たのしーですね」
ペルセポネと呼ばれる神秘種もまた、いつのまにか人の皮を被る。
緑の髪、混じる金髪。
かつて、星見と呼ばれた指定探索者、スカイ・ルーン。
そのガワ。
「ペルさん、残酷〜。あれ、その見た目、結構強かった指定探索者じゃん」
「そうよ〜、この子、すごくかっこよかったから気に入ったの。人一倍臆病なのに、最後まで虚勢を張る姿、良かったわ〜」
スカイ・ルーン本人がしないであろう顔で神が笑う。
「……不思議だね。ペルセポネ、君がその姿をしてるのは違和感しか無いなずなのに、悪い気がしないよ」
「あら〜貴方、どうしたの。ふふ、口調、変わってるわよ〜」
「ーーチッ。擬神の体は弱い。あまり、神体を取り戻すまではあまり人間のガワは被らない方がいいかもな」
「……かも、しれないな。擬神体といえば、斉天大聖はどこに? この鍋を作った後、姿が見えないが」
「ああ、孫さんなら暇だから深淵の耳長を狩りにいくって。お気に入りの桃の飴を舐めながらもう行ったよ」
「あいつも自由だな」
「それより、どうする? 逃げた引き金と味山只人。あれ、ほっとくの嫌な予感するけどさ」
「ふむ、人類軌跡の異界か。巧妙に隠されている。見事だ。彼女がもし、あの異界の形成に使う力を戦闘に使っていたとしたら、我々の食事はもう少し、遅れていたかもしれないな」
貴崎の顔をした神秘とグレンの顔をした神秘が鍋を囲みながらしたり顔でしゃべる。
「あ~まあ、そろそろ長耳狩りを終えた奴らが帰ってくる。異界や境界が専門の神性もいるからよ、そいつらに任せて――」
「「「――」」」
食餌の時。
神秘達の動きが止まった。
ぷるぷる。
彼らは認める事が出来ない。
この星において最強の存在たる自分たちが。今、なぜか震えている事など。
科学を持たない彼らは知らない。
その反応は擬死反応に近かった。
自然界の中で、被食者が捕食者と出会ったときに無意識に行う反応。
「え、なに、これ」
「……これは」
「良くねえ、これは、よくねえ」
ソレと先ほどまで退治していた3人の神秘が、とてつもなく嫌な顔を浮かべて――。
ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。
扉が開く音だ。
赤い空に、扉が浮かんでいる。
「あ」
「……驚愕だ」
「おいおいおいおいおい、マジかよ」
彼らが見たもの。
開いた扉の隙間から、黒い、黒いタールのようなものが垂れ堕ちる。
どちゃ。
それに混じって何かが落ちてきた。
黒い泥の中から這い出たもの、それは人間。
「あ~なんだよ、この演出……うわ、きたねえ、あ! パンツ溶けてんじゃん!!」
男がいた。
只の人間、神秘にあらがった指定探索者たちと比べるべきもない凡庸さ。
だが、ひときわ神たちの震えは増していく。
「あ、いたァ」
どろり。
泥をかき分け、廃墟を進み。
朽ちた建物の屋根の上から男は神を見下ろして。
「よお、クソ野郎ども。ご無沙汰ァ、突然で悪いんだけどよお、服よこせ。その後ーー」
どちゃっ。
粘着質な音の後、男の姿が消える。
掻き消えた、直後男が足場にしていた廃墟が崩れて。
「えっ、どこに? えっ?」
「糸紡ぎ!! 上だ! 避けろ!!」
「えっ――ぎゃっ」
どちゃ!!
跳躍、着地。
味山只人の下敷きになった神秘が1人。
ぺしゃんこに。
「全部死ね」
貴崎の顔が溶ける、味山に踏みつぶされたのはひどい顔をした金髪の美少年。
「虫けらどもが」
”銃弾”が放たれた。
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
凡人探索者2巻、来週発売されます。
お忙しい中恐れ入りますが、本屋さんなどで見かけたら是非手に取って頂ければ幸いです。
多分、紙書籍についてる帯に少しサプライズのお知らせあります。




