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過去は奴隷、未来は贖罪  作者: 海豆陽豆
第二章『新たな贖罪』
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第二章2

 市場から出ると、僕は二人を後ろに連れて街を歩いていた。

「鎖でつないだりしないんですか。」

 明らかに敵意をにじませながら栗色の髪の少女は口を開く。

「そんなことしたら悪目立ちするだろ。」

「逃げますよ。」

「逃げたらあの檻に逆戻り。次はその傷じゃすまないぞ。」

 その言葉に彼女はびくりと肩を震わせる。

 彼女の背中にある大きな傷は、調教時につけられたものだと支配人は言っていた。

 けれど売る側も調教で商品になるべく傷をつけたくはない。なぜなら傷が一つと皆無では値段に大きな差が生まれるからだ。

 ならばなぜ彼女の背中に傷をつけるまでに至ったか。それは単に彼女に恐怖心があまりなく、反抗心が強かったことが原因だろう。

 故に逆らったら痛い目を見る、という恐怖心を植え付けなくてはならなかった。

 恐らく、肩甲骨付近から錆びついた切れ味の悪いナイフを入れ、ゆっくりと下におろしていったのだろう。

 最初は痛みを認識しない。そして背中の中心あたりで背骨をつつく。そこで自分の肉が切られ骨が露出していることに気づき、認識とともに激しい痛みに襲われるだろう。痛みを感じて初めの頃は反抗心が勝っていただろう。痛みによる苦しみを凌駕するほどに。しかし徐々に痛みを伴う部分が広がっていく。そして次に死への恐怖が襲ってくる。このあたりで彼女は暴れたことだろう。恐怖を振り払うために。だが拘束は解けず刃は下におりていく。そして言われたはずだ。「これから何本も君の背中に傷をつける。」と。「死と服従。どちらが早いかな?」と。そして彼女は一本目で服従を選んだのだ。

 肩を震わせたのは、そのときの恐怖心がしっかりと根を張ってしまっている証だろう。

 彼女はその光景を思い出したのか歩く速度が遅くなり、代わりに呼吸の速度が速まっていく。目の焦点も合っていない。

 このまま放っておくと彼女はどんどん恐怖の深みに落ちていくのだろう。

 そのため何か話しかけることにした。

「そういえば、名前聞いてなかったな。なんていうんだ?」

 すると彼女は我に返る。少し離されていることを確認すると足早に歩いて追いついた。

「リリーです。あなたはなんていうんですか。」

「アステルだ。それと――」

 視線を自分の後方にずらす。ホワイトは目が見えないため、僕の服の裾を掴んで歩いていた。

「リリーと一緒に買われたこいつがホワイトだ。」

「よろしく。」

 ホワイトは振り向くとリリーに声をかける。その動作には迷いがなく、さながら見えているようだった。

「よ、よろしく、お願いします。」

「ちなみに私は目がないから。」

 流れるようにホワイトはリリーに対して自身の不自由な体をカミングアウトする。

 対してリリーはその言葉を聞いて強い憎悪をにじませた。

 そしてすぐに恐怖に染まり切った表情をする。

「それって……」

「ああ、そうだよ。前の主人に――」

「おい、曲がるぞ。」

 会話に熱中するあまり自分を見失わないように警告しつつ、裏路地に入っていく。

 そして数分後、ステラの家の前にたどり着いた。

「ここがアステルさんの家なんですか?」

 目の前の扉を見つめながらリリーが問いかける。言外に小さいと言っているようだった。

「違う。ここは仕事仲間の家だ。一緒に住んでる人を預けてるからここに寄ったんだ。」

 木製の扉を開け、中に入る。すると扉についた呼び鈴が音を鳴らした。

すると奥からステラが姿を現す。

「はいはい――って、アステルさんじゃん。待ってたよー。今ちょうど義眼の調整が終わったところなんだ。」

「そうか。なら丁度良かったな。シロエは?」

「奥にいるよ。……でさ、」

 そこで彼女の視線が自分の後ろへと向かう。

「この子たちかー。次のアステルさんの奴隷は。」

 じろじろと嘗め回すようにステラは二人を観察する。

 リリーは僅かに恐怖をにじませ、ホワイトは平然とした様子でその場に立っていた。

「ほら、自己紹介。」

 二人に挨拶するように促す。

「リリーです。よろしくお願いします。」

「私はホワイト。よろしく。」

「ん、私はステラ。君たちの主人の元――」

 そこでステラに視線を送る。その先はあまり言ってもらいたくはなかった。

「元、同居人。今は仕事仲間だよ。こちらこそよろしく。」

 そして彼女は二人に握手を求める。

 リリーは手を差し出されたときに僅かにびくついたが、それに応じた。

 しかし、当然というべきか、ホワイトは握手に応じなかった。

「ホワイト、握手だ。手を出して。」

 そこでたった今流れた沈黙の理由を理解したのか、彼女はステラの手と少しずれたところに手を差し出す。そしてステラが迎えに行く形で二人は握手を交わした。

「よし、次はシロエだな。」

「おっけー。じゃあ行こっか。」

 魔具が並ぶ棚の間を抜けて、奥の部屋に向かう。

 すると書類の積まれているテーブルの椅子にシロエが座っているのが確認できた。彼女はテーブルの上に置かれた義眼をじっと見つめている。

「シロエさーん。アステルさん帰ってきましたよー。」

 前を歩くステラがシロエに声をかける。

 するとシロエは視線をこちらに向けた。

「お帰りなさいませ、アステル様。」

 彼女は立ち上がると一礼する。

「ただいま。別にわざわざ立たなくてもいいからね。」

「はい。それで――」

 短く返事をすると後ろの二人を見つめる。その瞳には僅かに驚愕が混じっているように見えた。

「私はシロエといいます。アステル様のご自宅にて……メイドのようなことをしています。生活するうえで何かあれば私へ。よろしくお願いします。」

 そして二人に向かって一礼する。

「リ、リリーといいます。よろしくお願いします。」

「私はホワイト。よろしく。」

 自己紹介を全員が終え、早速帰ろうかと話を切り出そうとするとシロエが口を開いた。

「それとアステル様、ステラ様、一つお願いがあります。」

 そして彼女は片目で真っすぐ見つめてくる。

「なんだい?」

「この義眼を彼女――ホワイトに渡してほしいのです。」

 その言葉に僕は驚きを隠せない。なぜならもう片方の目が見えるようになることは彼女にとっての数少ない楽しみの一つだったからだ。

 一方でステラはホワイトの事情を知らないため困惑の表情を浮かべる。

「え? どうして?」

 その問いは目を既に持っているのになぜ、という問いであろう。しかしホワイトは奴隷なんかになぜ、と解釈した。

「シロエ、私は奴隷。ステラが正しい。」

 と、彼女の言葉に誤解が存在すると気づいたステラが口を開く。

「あー、そういうわけじゃなくて。だってホワイトちゃんって目見えてるでしょ?」

 その言葉をホワイトは首を横に振って否定する。

「いや。私の目はない。」

 ステラが僅かに目を見開く。

「それは――」

「奪われた。」

 ホワイトはステラの言葉を遮ると帽子を外し、包帯の結び目を解く。

 二つの空洞をステラを見つめた。

「……ごめんね。不躾な質問しちゃって。」

 ステラはホワイトの前で腰を屈めると彼女の頭をなでて謝る。

「だから私はど――」

「それと一つお願いがあるんだけど。」

 そしてホワイトの言葉を遮り、話を続ける。

「自分を卑下するのやめてくれないかな? ここにはあなたたちを酷く扱う人はいないから……ね?」

 お願いというにはさながら命令のような、それでいて全く圧迫感のない、優しく呼びかけるような声だった。

 その言葉にリリーは安堵の表情を、ホワイトは困惑の表情を浮かべる。

「とりあえず話を戻してもよろしいでしょうか?」

 シロエが沈黙を破る。そして彼女は誰の返事も待たずに続けた。

「私は片目だけではありますが見えています。しかしホワイトは両目とも失っているため全く見えていません。優先順位は明確だと思うのです。」

 どうか、と彼女は頭を下げる。

 僕にとってはシロエ自身が望むことであるのだから反対する余地は皆無だった。

「僕は構わないよ。理由にも納得できるし。ステラはどうだい?」

 ステラに関して言えばシロエへの恩返しの一つに他ならない。あまり気持ちのいい話とは言えないだろう。

 しかし彼女の返事は予想に反して迷いのないものだった。

「いいよ。この子もかわいそうだし。シロエさんが優しいのも知ってるから。」

 でも、と彼女は付け加える。

「実際に見えるようになる義眼はめちゃくちゃ貴重だから、今の機会を逃したらもう二度と手に入らないかもしれないの。付け替えも不可。後から返してなんてできない。……それでもいいの?」

「当然です。問題ありません。」

 即答だった。やはりシロエには一切の迷いがないと確信させるほどには。

「おっけー! じゃあ早速だけどホワイトちゃん用に調整始めたいから、ホワイトちゃんこっちきてー。あっ、アステルさん借りてくからー。」

 そしてステラはホワイトを連れ、奥の工房へと向かっていく。その場には僕とシロエ、そしてリリーが取り残された。

「あ、あなたたちの目的は、なんなんですか……?」

 先ほどの安堵の表情に困惑と不安を織り交ぜ、リリーが問いかけてくる。だが彼女たちに安堵の感情は不要だと、自分の目を濁らせる。

「後でホワイトと一緒に話そうかと思ってたが、リリー、お前には今話しておく。」

 彼女の双眸に恐怖が滲む。それでも睨みつけているのは強がりか、それとも心の平静を保つためか、まだ分からない。

「とりあえず、僕がお前をいくらで買ったか当ててみろ。」

 予想外の質問に困惑の色が強くなる。

「い、一千万……くらい?」

 この金額が彼女にとって自分と釣り合っているのか釣り合っていないのかは分からない。ただ提示金額から彼女が明らかに奴隷の相場を知らないことが見て取れた。

「冗談はよせよ、真面目に考えろ。自分の種族、性別、能力、外見、それらを鑑みてどれほどの価値がある?」

「…………わかりません。」

「五百万だ。僕はお前の人生を五百万で買ったわけだ。」

 その言葉に彼女の目が潤む。それが悔しさからくるものなのか、悲しさからくるものなのか、それとも両方からくるものなのか、それは何となく理解できた。

「で、だ。ここからが本題なんだが、条件次第でお前の人権を返してやってもいい。もちろん再登録の際の後見人にもなってやる。」

 するとリリーの潤んだ瞳が大きく見開かれる。

「条件って――」

「一千万、お前の値段の倍を耳揃えて持ってこい。それで人権を返してやる。その後も一切干渉しない。」

 どうだ? と未だ困惑のさなかにある彼女に問いかける。

「仕事の斡旋もある程度はしてやる。好きな職種を言うといい。」

「……嘘じゃないですよね?」

 彼女にとっては嘘としか考えられない話なのだろう。なぜなら奴隷を自ら手放すなど使い壊したとき以外ありえないのだから。

 しかしそれでも彼女の様子が半信半疑なのは、彼女のどこかに本当だと信じたい欲望があるからだろう。

「嘘でも本当でも、やる価値はあるんじゃないのか? まあやらないなら――」

「や、やります!」

 僕の言葉を遮り彼女は言い放つ。

「分かった。ちなみに一千万はそう簡単には稼げない。長期的に稼げる職の目星をつけとけよ。」

 リリーは返事の代わりに頷く。その表情にはやはり、未だ困惑の色が強く残っていた。

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