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過去は奴隷、未来は贖罪  作者: 海豆陽豆
第一章『彼女はうつし身』
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第一章5

 パーティーがお開きになり、僕は月明かりが照らす道を歩いていた。

 馬車を出そうか、という申し出もあったのだが、ゆっくり歩いて帰りたかったので丁重にお断りし、今に至っている。

 ふと立ち止まって、空を見上げる。

 今日は雲一つない夜空のため、丸い月と降り注ぐ星々を存分に堪能することができた。

「変わらない、な。」

 ぼそりと、誰にも聞こえないように呟く。

 十数年前この国では革命が起こり、法律や政治、経済など身の回りのあらゆるものが大きく変化していった。

 変化していないものなど、なかった。

 しかし今も昔も空を見上げると、太陽も月も星も決まった動きを繰り返すばかりで変化していない。

 それが心の拠り所だった。

 しばらく歩いていると自宅の前までやってきていた。

 窓からは明かりが漏れている。

 音をたてないようにそっと鍵を開け、中に入る。

 そのままリビングへと向かうと、シロエが椅子に座ってどこかを見つめていた。

 と、彼女の視界に入ったのか視線がこちらへと向く。

「お帰りなさいませ、夕食はいかがなさいましょう?」

「僕の分があるのか?」

「はい。おそらく食事にはありつけていないと思われたので。」

 カトレア商会の立食パーティーには今回で六度目の参加となる。

 彼女は二回目のときから僕の分の夕食も作って待ってくれていた。

「ありがとう。温めなおしていただくとするよ。」

 そして僕は上着を脱いでキッチンに向かおうとする。

 しかしそれをシロエが遮った。

「私が準備を。アステル様は着替えをしていらしてください。」

「……わかったよ。」

 椅子に投げ捨てた上着とカバンを持って二階の自室へと向かっていく。

 そして手際よく着替えるとリビングへと戻る。

 ダイニングへ目を向けると既に二人分の料理が並んでいた。

「アステル様、どうぞお席に。」

 彼女は僕の椅子をひいて着席を促す。

 その姿を見てひどい罪悪感に襲われた。

「椅子はひかなくてもいい。それと先に座ってくれて構わない。そもそも僕を待たずに夕食を食べても構わない。」

「申し訳、ありません。」

 するとシロエは反対側の自分の席の傍まで向かう。

 しかし一向に座る気配がないので僕が先に座った。

 今日の夕食はホワイトシチューにサラダ、それに加えパンだった。食器には箸とスプーンが並んでいる。

 互いに着席すると、食前の挨拶を済ませ食べ始めた。

 スプーンでシチューを口に運ぶ。まろやかなコクが口いっぱいに広がった。

「食事の後は、お風呂に。」

 シロエが口を開く。

「分かった。」

 僕は返事をする。

 その後、食事中に会話が生まれることはなかった。



 食事を終えるとシロエはゆっくりと立ち上がった。

「食器の片づけをします。アステル様は入浴を。」

「いや、待ってもらったわけだから僕が――」

「これは私の仕事ですので。」

 僕の声を遮り、彼女は申し出を拒否する。

「分かった。先に入っているよ。」

 諦めて自室へと戻り、着替えとタオルを持って浴室へと向かう。

 浴室はとても広い作りになっていて、脱衣所も合わせるとリビングほどの広さを誇っていた。

 脱衣所で服を脱いでいると、鏡に映る自分と目が合う。

 金色に輝く髪、瑠璃色の双眸、整った顔立ち。これらすべては両親の唯一の恩恵だった。

 あるいは恩恵などではなく、あの血が流れているという動かぬ証拠なのかもしれない。

 扉を開けて浴室へと入る。既に湯は張られており白い湯気を立たせていた。

 桶で湯を汲み、頭からかぶる。

 髪を梳きながら何度かそれを行うとようやく整髪剤が落ち始める。

 手にシャンプーをとり、頭を洗っていると扉の向こうで脱衣所の出口が開く音がした。

恐らくシロエが片付けを終え、やってきたのだろう。

 とは言えすぐには入ってこない。彼女は肌をさらすことを極端に嫌うため、タイツなどを着込んでいる。そのため衣服の着脱に人一倍時間を要した。

 頭の泡を洗い流し、次に身体を洗い始める。

 丁度泡を湯で流し終えたところで扉の向こうから声が聞こえてきた。

「アステル様、失礼します。」

「…………わかった。」

 シロエは僕の声を聞くとドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。

 扉を閉める音が響いたと思うと、今度は彼女が濡れた浴室の床を歩く音が聞こえてくる。

 ペタペタ、ペタペタ、と。

 徐々にその音が大きく、鮮明に聞こえてくる。

 この足音が、僕にはギロチンの刃が鎖に引き上げられるときの音に聞こえてならなかった。

 やがて足音が止まる。

 真後ろに彼女の気配が感じられた。

「アステル様、お願いします。」

 彼女の冷たい声が浴室に響く。

「ああ。」

 そして僕はゆっくりと振り向いた。



 両手首の手錠の痕

 両足首の足枷の痕

 左わき腹から斜め下に続く大きな切創痕

 右わき腹を覆う裂創痕

 左腕の無数の刺創痕

 右肩から腕へ続く火傷痕

 右腕の無数の小さな切創痕

 左足の火傷痕

 右足の咬創痕

 腰から左膝まで続く大きな切創痕

 腰から右膝下まで続く火傷痕

 眼球の無い左目

 これらが彼女の身体の傷痕。


 暗闇への恐怖

 閉所への恐怖

 刃物を向けられることへの恐怖

 フォークへの恐怖

 ナイフへの恐怖

 犬への恐怖

 孤独への恐怖

 あらゆる毒虫への恐怖

 薬品への恐怖

 枷への恐怖

 威圧への恐怖

 殴打への恐怖

 身体接触への恐怖

 逆らう恐怖

 元主人への恐怖

 これらが彼女の心の傷痕。


 そしてそれら全て、僕が彼女に与えた傷痕。

 忘れたくても忘れることができない。何より忘れてはいけない、過去の過ち。

 僕の罪。


 シロエと視線を合わせる。

 真紅の隻眼に恐怖が滲んでいくのが見えた。

 そして左目の空洞は相変わらず僕を睨み続けている。

 手に泡をとり、彼女の身体をゆっくりと洗っていく。

 指先に醜い傷痕の感触を覚えながら。

 僕はその度に自分の罪を自分の心に刻み付ける。

 彼女は酷く震えていた。

 両足は立つこともままならず、歯は割れんばかりに音を立てている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 浴室には彼女の声と歯を鳴らす音が響く。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 彼女はいわば、僕の罪の塊だった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 醜い僕の、醜さを映し出してしまった鏡だった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 彼女はこうして、僕に罪の意識を何度も何度も何度も植え付ける。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 償うことのできない罪に対して、何度も何度も何度も罰を与え続ける。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 僕はその罰を、人生を賭して受ける義務がある。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 そうすることでしか、清算できない過去を計上することも叶わないから。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 そして僕は待っている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 彼女が引き上げた、錆びたギロチンの刃が。

「——――――――――――——」

 僕の首を、時間をかけて落とす、そのときを。

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