第一章4
クロクス国はクロクス山脈の中腹に位置している。
しかし、だからと言って平地がないわけではなく、少なからず平地も存在していた。
そしてその貴重な平地は、革命前から現在に至るまで富裕層の邸宅街となっている。
その一角にある、いくつかの邸宅のなかでもひときわ大きい邸宅の呼び鈴を鳴らす。
すると奥の方から執事のセランが優雅な歩調で歩いてくるのが見えた。
「アステル様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」
「こんにちは、セランさん。」
「はい。こんにちは。」
彼に促され、庭の中を進んでいく。
草花は綺麗に切り揃えられ、大きな噴水からは優雅に水が流れ出していた。
「シバ様との商談はいかがでしょうか?」
「商談というよりも、シバさんに仕事を回してもらってるって感じですよ。」
「でも最近はお忙しいのでしょう? 正直、カトレア商会との取引による利益は他に比べて少ないかと。」
薄く目を開き、彼は視線を送ってくる。
セランは執事だけでなくカトレアの秘書も兼任しているため、商会の内部事情にも精通していた。
「この職に就き始めたころ、今と同じ条件で仕事回してもらってたんですよ。」
「それは……一年目にしては破格の報酬ですね。」
二年前に国の試験に合格し魔具取引の職に就いたものの、この手の個人経営の職は何より人脈がものをいう職だったため、なかなか仕事が取れずにいた。
その頃の数少ない取引先の一つがカトレア商会だったわけだが、そのときシバの御眼鏡に適い、契約を持ち掛けられた。
曰く、二年間同じ報酬で取引を続けないか、と。
当時仕事探しに翻弄されていた自分としては二年間の長期契約は願ってもないことだった。それに加えカトレア商会という名の知れた商会に関われば、富裕層と人脈を作ることもある程度容易になる。
故に二つ返事で承諾した。
今となっては報酬は取引のなかで比較的低くなった。しかし当初貰っていた報酬と差し引けば僅かにマイナスであり、何よりも多くの人脈を手に入れ、取引先を増やすこともできたため、カトレア商会、ひいてはシバには感謝している。
「しかし最終的な報酬ではカトレア商会が安くアステル様と取引しているのでは?」
「人脈はプライスレスですから。むしろ僕の方が莫大な利益を得てますよ。」
その言葉にセランは僅かに沈黙した。
「カトレア商会としても、あなたとの人脈は非常にありがたいものですよ。さて、社長室でシバ様がお待ちです。屋敷に参りましょう。」
そして目の前の重厚な扉が開かれる。
中には執事やメイドが一様に並び、僕に向かって礼をしていた。
「……ここまでしなくてもいいと言ったんですけどね。」
「シバ様としてもあなたのような客人は丁重に迎え入れたいのでしょう。何度も言いますが、諦めてください。」
「分かりました。諦めますよ。」
頭上にはシャンデリアが煌めき、足元には絶妙な加減でふかふかの紅いカーペットが敷かれている。
廊下にならぶ調度品の数々も嗜好を凝らしたものばかりだった。
ゆっくりと歩みを進めていると大きな両開きの扉の前にたどり着く。
「シバ様、アステル様がお越しです。」
ノックの後に落ち着いた声音で呼びかける。
するとすぐに返事があった。
「うむ。入りたまえ。」
セランは失礼します、と静かに扉を開けると、僕を招き入れる。
視線の先には初老の男性が革張りの大きな椅子に鎮座している。
彼がアステル商会の現会長である、シバ・カトレアだ。
表情は常ににこやかで威圧感を全く感じさせない。未だ慣れないカトレア商会の屋敷であったが安心感を覚えるほどだった。
「やあ、アステル君。ご足労、感謝するよ。」
「いいえ。こちらこそ、今夜のパーティーにお招きいただき、ありがとうございます。」
「いやいや。こちらとしても大変お世話になっているアステル君を招かないわけにもいかないよ。料理は最高のものを用意しているから、楽しんでくれたまえ。とは言え、挨拶まわりでそれどころではないかもしれないがな。」
シバは楽しそうに笑う。この人当たりの良さが交渉を上手に進める一つの秘訣なのだろうと心の中で納得していた。
「おっと。声を出して笑ってしまってすまないね。早速だが、本題に入ろうか。」
そう言ってシバは椅子から立ち上がると僕に着席を促す。
それに従い、僕は手前の一人掛けのソファーに腰を下ろした。
革張りのそれは程よく沈み込んでいく。その感覚に身体を預けたくなってしまうが当然その感情は律した。
シバが目の前の二人掛けのソファーに座る。
それを確認するとセランが僕とシバの目の前に資料を一部ずつ置いた。
それを手に取って確認する。
空調設備や料理用の火を発生させる設備、食料保存のための入れ物など、普段と変わらない魔具が殆どだった。
「依頼品に特段変わったものはない。いつも通り一ページ目のものは国外に出すものだから留意してくれ。まあ心配はしていないがな。」
ちなみにクロクス国製と銘打って魔具を売買する際には一つ一つ国の検品を受けることが必須になる。この検品には当然費用と手間、時間がかかるのだが、それを補って余りあるほどの付加価値を国外ではつけることができるらしい。
そのためカトレア商会では国外輸出品に限って必ず検品をしているのだ。
「分かりました。手配します。」
「うむ。頼むよ。」
もう一度、資料に目を通す。質問事項がないかもう一度確認したが、やはり大丈夫だった。
「いやあ。来週でアステル君との二年間の取引は終わりになるねぇ……」
しみじみと、シバは呟く。
「そうですね。本当にこの取引を持ち掛けていただいたこと、感謝しています。」
資料をテーブルに置くと、頭を下げる。頭が上がらないほど、シバには仕事に関して恩がある。
「アステル君、頭をあげてくれたまえよ。商会としても優先的に二年間、多忙な君と取引できたことはありがたかった。お互い様というやつだよ。」
それで、とシバは続ける。
「ここからは商談だ。君には今までの報酬の三倍を出そう。それで三年間取引を更新できないだろうか?」
にこやかな表情はそのままに、声のトーンが若干下がる。
「こちらとしてもありがたい条件ではありますが、お断りさせていただきます。」
「額が不満かね? ならば五倍でどうだろうか。」
「いいえ。報酬の問題ではありません。僕には時間が必要なのです。」
今の五倍の報酬ともなれば国のなかでもトップクラスの収入を手にすることができるだろう。このあたりの一等地に住むことも夢ではなくなる。
しかしこの契約において欠点があるとすれば、大きく時間を割かれることだった。
「時間か。……何か新しい事業でも行うのかね?」
「はい。一年半前からやってきたことを本格的に始めようと。」
真っすぐとシバを見て答える。彼の口角は上がっているが、青い眼差しは真剣そのものだった。
数秒の沈黙の後、シバはゆっくりと目を閉じる。そして大きく息を吐いた。
「その様子では、強固な信念をもってその事業に取り組むようだね。説得は諦めるとするよ。」
「しかしアステル様。魔具関連の仕事は継続なさるのですよね?」
今まで黙っていたセランが口を開く。
シバが取引中の際は一言も発さない彼が言葉を発したということは、シバが取引を諦めたことの何よりの証拠だった。
「はい。まあ今と同じ量の仕事をこなすことはなくなると思いますが……」
「まあよい。新しい事業の件、仕事仲間として応援しているよ。それと、今後も君に仕事を頼むこともあるだろうから、よろしく頼むよ。」
そう言ってシバは握手を求めてくる。
差し出された手を、僕はしっかりと握った。
「はい。よろしくお願いします。」
そしてゆっくりと握手を解く。
「さて、君との挨拶と商談が終わったところだ。私はパーティーの身支度をしようと思うよ。セラン、アステル君を会場に案内してくれたまえ。」
セランはその指示に対し返事をする。僕はソファーから立ち上がった。
「アステル君。パーティー、楽しんでくれたまえ。」
シバがにこりと笑う。その笑顔に対し、僕も笑顔で返した。
「はい。最大限、楽しんできます。」
そして僕はセランに連れられ、パーティー会場へと向かっていった。




