第一章3
大通りまで一旦戻り、さらに城の方向へ足を進めると噴水が中心にある大きな広場に出る。
そこには何人もの客で賑わっているカフェがあるが、目的の場所はそこではない。
そこから細い路地に入り、真っすぐ進んでいくと、正面に白い木造の建物が見えてくる。
先ほどのカフェよりも小規模ではあるものの、テーブルや観葉植物、生垣を見るに負けないくらいのこだわりを持っているようだった。
あたりを見渡してみるが、玄関のようなものはない。
なので『CLOSE』という札のかかった扉をノックするしかなかった。
「すいませーん!」
近隣住民に迷惑にならないように、かつヘレンたちには聞こえるように声をはる。
すると中から返事が聞こえてきた。
「ソニアもオリバーもちょっと待っててー。はいはい何か――」
扉がゆっくりと開き、このカフェを営む店長であるヘレンが姿を現す。
染髪によって手に入れた金髪は相変わらず発色が悪い。
そして言葉の途中で僕の姿をとらえると彼女は言葉を失っていた。
「ア、アステルさん! こんにちは!」
「こ、こんにちは。」
「もしかして、ステラに言われて?」
「まあ、はい……」
「あの子やるじゃない! ささっ、入って入って。」
彼女の勢いに負けて、背中を押されながら店内に入っていく。
数ヶ月ぶりにこの店に入ったわけだが、やはり外観同様、壁に飾ってある絵や時計などに強いこだわりを感じた。
「なんか店内の雰囲気変わりましたね。」
前回ここに来たときは外の生垣も切り揃えられておらず、調度品に関しても何かしらのセンスが欠如していたため、お世辞にもオシャレなカフェとは言い難かった。
しかし今では生垣は美しく切り揃えられ、調度品は落ち着いた店内の雰囲気を存分に作り出していた。
「ほんと、あの子たちには助かってるわ。あの子たちのことで、いろいろ報告したいことがたくさんあるのよ。」
好きな席に座って、と指示されたので近くのテーブルの席に着く。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃあ、コーヒーをお願いします。」
すると直後にコーヒー豆を挽く音が聞こえてくる。そして店内にはおいしそうなコーヒーのにおいが漂っていた。
「二人は、元気にやってますか?」
「もちろん、と言いたいところだけど、それは私の主観でしかないからねぇ……ソニアもオリバーも表情に全く出さない子だから、不安ではあるわ。」
「心配症は変わらず、ですね。」
「まあねー。これも染みついた性ってやつなのよ。」
コーヒーの香りが一層強くなる。どうやらコーヒーを淹れ始めたようだった。
「まあ、二人には本当に助けられてるわ。ソニアちゃんはおしゃれだし、愛嬌もあるし。紅茶の淹れ方がほんとに上手で驚いたわ。最初から私より上手なんですもの。」
それに、とヘレンは続ける。
「オリバーくんはほんとに器用なのよ。料理も植物の手入れもできるし、生垣の剪定までできるなんて驚いたわ。今では簡単な料理は彼に任せてるくらいよ。」
それにそれに、と彼女は続ける。
「二人とも美男美女でしょ? だからあの子たち目当てで通ってくれてるお客さんもたくさんいるのよ。」
「二人とも社会復帰できてるみたいで何よりです。それにヘレンさんの人柄は信用してますから、きっと二人とも楽しく元気にやってますよ。」
「そう言われると、心強いわ。」
両手にカップを持ち、ヘレンがこちらまでやってくる。
そしてコーヒーを差し出されたため、礼を言って一口飲む。
「そういえば、二人は今なにを?」
向かいに座った彼女に対して問いかける。
すると丁度今思い出したように声を上げると、
「ちょっと待ってて。」
そう言い残し店の奥へと向かっていった。
「ソニア! オリバー! ちょっと臨時でお客さん入ったから手伝って!」
「「はーい」」
二人の返事が聞こえてくる。
「いらっしゃ――」
エプロン姿の少女が奥から入ってくる。
長いブロンドヘアーを後ろで結った彼女――ソニアは奥へと続く扉の前で立ち尽くしていた。
「姉さん? 通れないから早く――」
その後ろからエプロン姿の少年が続く。
短いブロンドヘアーをなびかせている少年――オリバーもその場で立ち止まると茫然としていた。
と、立ち尽くしていたソニアが動き出す。
「ア、アア、アステルさーーーーん!!」
そして走り出すと座っている自分に抱き着いてきた。
「アステルさん! お久しぶりです! アステルさん!」
「あ、ああ。久しぶり……」
強く抱きしめてくる彼女の対処に内心で困っていると、オリバーも我に返ったのか歩いて傍まで来ていた。
「アステルさん。お久しぶりです。」
彼はそう言うと、お辞儀をする。
が、いつまで経っても顔を上げようとしないので
「そろそろ、お辞儀をやめてもいいんじゃないか?」
と指摘すると、彼はゆっくりと顔を上げた。
「いいえ。これでも、足りないくらいですよ。」
「全然足りるよ。挨拶だからな。それもせいぜい年齢くらいしか差なんてない。もっと気軽でいいんだよ。」
「なら、僕はあなたにこの態度で接するのが精神的に一番楽なので――」
と、どこかで聞いた文句がとんでくる。
「シロエの受け売りか?」
「まあ、そうですけど。本心でもあるので。」
そう言って彼は笑ってみせる。
口角の上がり方、目じり、そして目、どれを見ても彼は本心から笑っているようだった。
「楽しく……やってるみたいだな。」
「はい。姉弟ともども。」
「むー。オリバーばっかり話しててズルい……」
オリバーと話している間ずっと抱き着いていたソニアがようやく口を開く。けれどもその一声は弟への嫉妬だった。
「それは姉さんが抱き着いて顔をなすりつけてたからでしょ。アステルさん、服、大丈夫ですか?」
ソニアを引きはがしながらオリバーが問いかけてくる。
彼女が顔を押し付けていた胸辺りを見てみると、特にシワもできていないようだった。
「ああ。大丈夫。問題ないよ。」
「それなら良かったです。」
「アステルさん! アステルさん!」
引きはがされて大人しくなっていた彼女だったが、近くの椅子を持ってきて隣に座ると丸い碧眼を輝かせてこちらを見てくる。
その無垢な目を見て、心が傷ついた。
「話したいこととかたくさんあるんですよ! それにお礼もたくさんしたくて!」
やや暴走気味な彼女を横目にオリバーを見やる。
しかし彼はにっこりと笑うだけだった。
「アステルさんも、お昼は食べていくわよね?」
ようやく奥に行っていたヘレンが戻ってくる。にやけ顔をみると陰に隠れて終始見ていたようだった。
「いやそこまで迷惑をかけるわけには……」
「あら、もう材料は全員分切っちゃったわよ?」
「それだと、アステルさんが食べなかったら無駄になっちゃいますね。」
先ほどの笑みを崩さずにオリバーは口を開く。このあくどい笑みは明らかに作っているものだった。
「……じゃあ、いただきます。」
「ぜんぜんいただいちゃっていいわよ。今から作るから少し待っててね。」
「ヘレンさん手伝いますよ。」
そう言ってオリバーは会釈すると、カウンターの向こうのキッチンへと向かっていった。
「あ! 私も――」
ソニアも手伝おうと席を立とうとするが、ヘレンがとめた。
「三人もいたら流石に狭いわよ。それに話したいこと、あるんでしょ? 待ち時間、二人で話してなさい。」
すると彼女はその申し出に嬉しいような、だけども申し訳なさそうな表情をする。
ソニアはここに預けた当初よりも、だいぶ表情が豊かになっていた。
「私、料理できないわけじゃないですからね?」
少し不満げに、彼女は弁明する。
「分かってるよ。とりあえず、食後にでも紅茶をお願いするから。それまでは……話して待ってようか。」
「はい!」
そして食事が運ばれてくるまで、ソニアと二人で会話を続けていた。
ほどなくして昼食を食べ終え、四人揃ってソニアの淹れた紅茶を飲んでいた。
「アステルさん、おいしいですか?」
ソニアが問いかけてくる。
「ああ。おいしいよ。」
即答すると彼女は安堵の表情を浮かべる。
「で、アステルさんがその恰好してるってことは夜にパーティでもあるのかしら?」
紅茶に口をつけながらヘレンが問いかけてくる。
「はい。カトレア商会が主催する立食パーティーに。」
「それは……羨ましいわね……」
彼女は再度紅茶に口をつける。飲み込む仕草は生唾を飲んでいるようだった。
「立食とは名ばかりの挨拶まわりですよ。シロエには夕食いらないって言ったんですけど、正直パーティー中に食べられるかはわかりません。」
「じゃあ早めの夜ごはんも食べていきますか?」
ソニアが期待のまなざしで問いかけてくる。
しかしその期待には応えることはできなかった。
「食後の紅茶で一服したら出発するよ。実は別件でも商会と話しあわないといけないことがあるんだ。」
「そうですか……次こそは料理をごちそうしたかったのですが……」
そう言って彼女はがっくりとうなだれる。
「それなら、また来てもらえばいいじゃないですか。ね? アステルさん。」
にっこりと笑いながらオリバーは口を開く。
「とは言っても仕事も立て込んでて……」
「じゃあ今度、アステルさんのおうちにお伺いしますね。」
「どうしてそこまでして会いたいんだ――」
「決まってるじゃないですか。」
僕の言葉を遮ってオリバーは口を開く。
「生涯、あなたに感謝をなるべくたくさん、伝えたいからですよ。僕も、姉さんも。」
そして姉弟は満面の笑みを浮かべる。少し恥ずかしいのか頬が紅潮していた。
「まあ、アステルさん。もちろん無理にとは言わないから。たまにはこの子たちも気にかけてくれないかしら? 生涯をかけても返しきれない恩をなるべく多く返したい気持ち……あなたならわかると思うわ。」
微笑みながらヘレンは問いかけてくる。ソニアとオリバーの二人に向けられた視線は実に穏やかなものだった。
「返しきれない恩をなるべく返したい気持ち、ですか。」
その言葉を脳内で反芻する。
確かに彼女の言う通り、理解できなくもない。似たような境遇に自分も立たされているからだ。
もっとも『恩』を別の言葉に変えて、だが。
「好きなときに来てもいい。シロエも喜ぶだろうしな。」
「「……はい。」」
二人の返事を聞くと、残りの紅茶を飲み干す。
「ソニア、おかわり貰えるか?」
「はい!」
出発する時刻までの間、僕は三人と会話をして過ごした。




