第一章2
アバロ夫妻の酒蔵を視察し、魔法道具の点検を終え、僕は城下町に来ていた。
城まで一直線に続くこの大きな道路は山脈を斜めに上っているため傾斜が緩く、左右には多くの店が立ち並んでいた。
溢れんばかりの声で賑わっている大通りを逸れ、閑静な住宅街へと進んでいく。
住宅街はとりわけ急勾配の斜面に位置するため、皆一様に日当たりが良い。
少し辺りに視線を向けると、洗濯ものをしている女性やちょっとした広場で遊んでいる子供たちが見受けられた。
そんな日の当たる明るい住宅街からさらに逸れると、比較的日陰の多い地域にやってくる。
この辺りには夜に開店しているバーや美容にいいと言われるマッサージ店などが並んでいる。
また、この辺りは日当たりの良い住宅街よりも土地の価格が安いため、人間よりも平均して所得が低い亜人が多く住んでいた。
その一角にある、この辺りでは珍しい一階建ての建物の扉をノックする。
数秒後、返事がないことを確認すると再度扉をノックする。
これを三度繰り返したが、出てくる気配が一向にしなかった。
「おいステラ! 入るぞ!」
そう言ってドアノブに手をかける。案の定、鍵はかかっていなかった。
建物の中に入ると、一番最初にありとあらゆる魔法道具が目に入ってくる。
ステラは魔法道具の製作を行っている数少ない魔法使いの一人だ。
そして彼女は僕の扱っている魔法道具の殆どを製作している、とても大切な仕事仲間の一人だ。
天井まで伸びている棚の間を進んでいくとドアが目に入ってくる。
窓が取り付けられ、互いに外が見渡せるようになっているのだが、そこには部屋の内側からカーテンがしてあるため、室内をうかがうことはできなかった。
そのドアの前に立ち、ノックをする。
すると中から大きなもの音が聞こえてきた。
すると、覚束ない足音がゆっくりとドアまで近づいてくる。そしてその前で止まるとカーテンを一思いに開けた。
窓越しに、真紅の双眸と対峙する。
眠たそうな眼からは覇気など微塵も感じられないが、澄んだ宝石さながらの瞳は爛々と輝いていた。
数秒間、互いに見つめ合う。すると彼女は何か思い出したように目を見開いた。
「あっ、ごっめーん! 今日会う予定だったの完璧に忘れてたわー。」
ステラは謝りながら部屋から出てくる。
その姿は下着姿にTシャツを着ただけの、だらしのない姿だった。
美しい銀色の髪も所々はねてしまっていて、その美しさを損ねている。
「お前、今の今まで寝てたのか……」
「だってー、昨日は夜中まで魔具いじってたしー、今日は休日だと思ってたし。」
特に悪びれた様子もなく、ステラは答える。
自分の仕事の関係上、基本的に彼女が予定を合わせてくれているのだが、それでも毎回このような状態だと流石に不満も募ってきていた。
「あのな、別に昼まで寝てることをとやかく言うつもりはないけど、せめて人と会うときぐらいはそれに間に合うように起きたらどうだ?」
「まあ、いいじゃん。あたしとアステルの仲なんだし。」
大きく伸びをしながら洗面台の方まで彼女は歩いていく。その背中に声をかけた。
「……いったいどんな仲なんだよ。」
その言葉に彼女は立ち止まり、半身だけ振り向く。
そして着ているTシャツをめくりあげた。
「どんな仲って……下着を見られても恥ずかしくない仲?」
「とりあえず顔洗ってこい。そしてローブでもはおれ。」
そう言って部屋の入口付近にかかっていたローブをハンガーから取り、彼女の顔めがけて投げつける。
すると彼女はローブを抱きしめながら不満そうに口を開いた。
「あーあ。前はアステルも敬語で割れ物扱うくらい丁寧に接してくれたのに。」
「それはお前が割れ物じゃないって気づいたからだよ。それに自分自身の僕に対する態度も少しは考えてみろ。」
「うーーーーーーん……」
そこで彼女は立ち止まって考え込む。
「……とりあえず、顔洗ってきたらどうだ。ご飯も食べるんだろ?」
「うん、分かった。そうするー。」
そう言い残すと彼女は小走りで今度こそ洗面台へと向かっていった。
「――と、以上が頼まれてた魔法道具の開発の進捗だよ。」
つかれたー、とステラは書類が山積みのテーブルに突っ伏す。
「まだだろ。これは設計図段階のやつ。組み立て途中のものとか、完成したものがまだ残ってる。」
早く終わらせるぞ、と立ち上がって奥の工房へ向かおうとすると、ステラが腕を引いて止めてきた。
「い、いやー。それがですねそれがですね。やっぱり乙女の花園に殿方が入るのはいかがなものかと……」
終始のんびりだった彼女の言葉に緊張が走る。この態度をとるときは決まって作業が進んでいないときだった。
「またか……ステラ……」
「で、でも! 今回は! 今回ばかりはちゃんとした理由があるんだって!」
すると彼女は工房の方へと足早に去っていく。そして中に入ったと思うと、一つの小さな箱を携えて出てきた。
「アステルの依頼してた義眼なんだけど、ようやく形になりそうなんだよ! 半年以上かかっちゃったけど、糸口を掴めて……」
「それで、他の期限付きの作業は終わってないと。」
コクリと、彼女はうなずく。
「僕が依頼した義眼は、いつまでかかってもいいからって話だったと思うんだが。」
「この義眼って、シロエさんへのプレゼントでしょ? だから早く、それも最高のものを作らないとって思って……」
申し訳なさそうに言いながらも、彼女の目は真っすぐで、自分は間違ったことを行っていないと主張しているようだった。
「分かった。今回は不問にするから。お前の優しい心に免じて許してやる。」
「ほんと!? いやー、たぁすかったー。」
と、今までの真面目な雰囲気はどこへやら、ステラは安堵の表情を浮かべる。
「そんな態度を後になってからとると、さっきまでの態度が嘘っぽく感じるぞ。」
「いやー、んなこと言われても今もさっきも素だし、嘘つくの無理だし。」
愚痴をこぼしながらも、箱を大事そうに抱えながらシロエは椅子に座る。
そして手袋をはめると蓋を開け、中に入っているものを取り出した。
それは蒼く輝き、白く煌めき、奥に紅く影を落とした、どこまでも美しい義眼だった。
「シロエさんって、左目が義眼だったよね?」
「ああ、そうだ、まあ正しくは義眼はつけてなくて、派手な花の髪飾りで隠してるだけだけどな。」
もう一度、ステラの手にある義眼をゆっくりと見つめる。
蒼い空間に輝く白い光は星のようで、蒼い空間にどよめく紅い靄は星雲のようで、この義眼はどこか宇宙を内蔵しているようにも思えた。
「一応左目の確認を取りたかったってのと、あとは最後の仕上げにシロエさんの血が必要ってのを伝えたかったんだ。それと、もう少し調整を終えれば完成っていうことを、ね。」
「それで、シロエの左目は見えるようになるのか?」
「うん。それどころか、あらぬものまで見えるようになってるよ。」
にやにやと笑いながら、ステラは答える。
けれども僕はそんな彼女に構っている暇はなかった。
「よかった……よかった……これで、また一つ償える……」
涙があふれてしまいそうになるが、いかんせんステラの目の前なのでぐっとこらえる。
ただ、あふれ出る言葉を止めることはできなかった。
「まだ、気に病んでるの?」
彼女の顔からは既に笑みが消え失せ、憐れむような視線を送ってくる。
「まだ、とかじゃない。いつまでも、だ。」
「私の立場からしたら、少しは許す気にもなるけど――」
「そんなわけないだろ!」
ステラの言葉を遮るように僕は大声で言い放つ。
彼女なりの慰めの言葉なのだろうが、その続きは意地でも聞きたくなかった。
「二度と取り返しのつかない、数々のものを奪ってるんだよ……お前と元主人の関係は僕も知らない。もし仮にお前が元主人を許すようになっているのなら、それは既に自身が壊されている証だ。」
「壊れてるって、そんなの私たちに失礼じゃん!」
僅かに目に涙を浮かばせながら、ステラは大声で言い放つ。
「気に障ったのなら謝る。でも事実だ。人としての尊厳、限られた寿命の中の貴重な時間、そして何より壊された心。常人だったらその加害者を一生憎み、殺してやりたいと思うはずだ。」
違うか? とステラに問いかける。
すると彼女は何も言わずに義眼とその箱を持って、奥の部屋に入っていった。
そしてドアを閉め、鍵をかけて閉じこもる。
少しの間待っていると、部屋の中から彼女の声が聞こえてきた。
「今日報告したいことはそれで終わり。来週にはステラさんも連れてきて。義眼の最終調整やりたいから。」
「それもいいけど、溜まってる仕事優先でな。」
「分かってるし。」
会話が途切れたところで身支度をする。すると再度中から声が聞こえてきた。
「私、アステルの償い方、絶対間違ってると思ってるから。」
沈黙が流れる。ドアの向こうで衣擦れの音が聞こえるほど、辺りは静かだった。
「最初から間違ってるから。もういくら軌道修正しても、正しい道には戻れないよ。」
そう言い残し、玄関へと足を進める。
取っ手に手をかけたところで背後から声が聞こえてきた。
振り向くとステラがドアから半分だけ顔を覗かせている。
「この後、時間できちゃったでしょ? ステラさんがたまには顔出せって。たまにはソニアちゃんとオリバーくんの様子見に来いだって。」
「通ってるのか?」
「まあ、頻繁にじゃないけど、週に五、六回くらい?」
「元気だったか?」
「うん。二人ともいたって健康だったよ。」
「じゃあ。元気で何よりだと、伝えておいてくれ。」
そして扉を開けようとすると、ステラが静止の声をかける。
「待ってって! 直接顔を見せることに意味があんの! 私のせいで魔具の調整に回す時間が空いてるでしょ? 昼食がてら行ってきてよ。」
「ステラは行かないのか?」
そう問いかけると、彼女はバツが悪そうな顔をする。
「わ、私は昨日夜中まで居座ってて……さすがに行きにくいというか……」
「あそこ、夜はやってないよな?」
「ま、まあ今日定休日だし! ヘレンさんも快諾してくれてたし!」
誰かに必死に言い訳するように彼女は言い放つ。
「まあ、いいんだけど。定休日だと僕が行っても無駄足じゃないか?」
「アステルさんは客じゃないでしょー。知り合いなんだし。それにヘレンさんのカフェは大繁盛してるから、むしろ定休日の今日が一番だよ。」
「でもいきなり行くのは――」
「あー! めんどくさいなあ! いつでもいいって言ってたし! じゃあ私に癇癪おこしたこともそれでチャラにするから行ってきて!」
じゃあね! と、言いたいことだけ言うと彼女はドアを閉めてしまう。
「わかったよ……行くから! じゃあな!」
そう言い残して、僕はステラの家を出た。