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過去は奴隷、未来は贖罪  作者: 海豆陽豆
第一章『彼女はうつし身』
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第一章1

 ターン、と薪が気持ちの良い音を立てて割れる。

 薪割りを習慣にしてから、いくつもの手に出来たまめを乗り越え、ようやく上手にできるようになっていた。

 近所の人たちは小さい頃から習慣にしているからか、自分よりも圧倒的に早く終わらせることができる。その域に達するまではまだまだだと思った。

 木々に囲まれたこの場所は城下町より少し離れたところに位置している。今のような早朝の時間帯は小鳥のさえずりも聞こえてとても心地よい。

 薪割りを終え、道具などを納屋にしまい家に戻る。

 扉を開け、中に入っていくと何かを焼いている音が聞こえてくる。

「ただいま、シロエ。今日の朝ご飯はなにかな?」

 キッチンを覗きこみ声をかけると、真っ白な髪をくくり上げた少女が真っ赤な片目をこちらに向けてきた。もう片方の目は髪飾りですっかり隠れてしまっている。

「おはようございます、アステル様。朝食はハムエッグにトースト、サラダ、コーンスープを用意しています。」

 そして小さく会釈すると、料理に戻っていく。

「なにか手伝うことはある?」

「いいえ。家事全般は私にお任せを。ですから朝食を召し上がる前に服を着替えたらいかがでしょうか?」

 相変わらずの鉄仮面を崩さずに、彼女は淡々と言葉を発する。

「じゃあそうさせてもらうよ。」

 そして僕は二階の自室へ足を運ぶ。

 机に椅子、衣類をしまうタンス、それにベッドが置かれているだけの部屋だ。人によってはものが少ないと思うかもしれないが、娯楽をたしなまない僕にとってはこれで十分だった。

 少し汗を吸っている衣服を脱ぎ、タンスから出した新しい服に着替える。時計を見て時間に余裕があることを確認すると洗濯物をもって部屋を出た。

 ダイニングに戻ると既に朝食が並べられ、シロエが立って自分を待っていた。

「待っててくれるのは嬉しいんだけど、せめて座って待っていてくれよ。僕と君は主従関係にあるわけじゃないんだしさ。」

「いいえ。これに慣れてしまったので。先に座ってしまうとどこか罪悪感を感じるのです。」

「……敬語も多少は良くなったけど、別に気を使わなくていいんだよ?」

「それならば敬語のままで。砕けた言葉で話す方が余計に気を使うので。」

 僕が着席するのを見て、彼女は席につく。

 これらのことを言ってはいるのだが、彼女は主従の間柄をひどく気にしているため抜け出すことは出来そうにもなかった。

 ただし進歩がない訳ではない。敬語も少しずつ砕けてきているし、それに以前までは椅子をひくことまで彼女が行っていたのだから、僅かに主従の間柄は解消されつつあった。

 食前の挨拶を済ませ、お互いに食べ始める。

 ちなみに一般的な西洋の食事が並んではいるのだが、使用しているのはフォークやナイフではなく、東洋のものである箸を使っている。ただし全てが東洋の食器ではなくスープに限ってはスプーンを使用していた。

 シロエ曰く、フォークとナイフよりも箸の方が慣れれば使い勝手がいいらしい。

 箸でハムエッグを半分に割ると、中からトロリと黄身が顔を出す。薪割りの作業で空腹だった僕はその片割れを一気に口に放り込んだ。

 すると塩コショウのシンプルな味付けと卵のまろやかさが口いっぱいに広がる。テーブルマナーが求められる席では言語道断な行為だが、いかんせんここではマナーを求めていない。

 しかし正面のシロエは別で、終始上品に料理を口へ運んでいた。

 スープを静かに飲むと口を開いた。

「アステル様。今日のご予定は。」

「今日は出ずっぱりだ。まずアルスさんとこの酒蔵に行って先月卸した湿度管理の設備の状態確認、昼はステラのとこに行って魔具の確認と新作の調整、夜はカトレア商会の立食パーティーに出なくちゃならない。だから帰りは遅くなる。夕食もいらない。」

「……かしこまりました。では、お待ちしておりますので。」

「先に寝ていてもいいんだぞ。」

「いいえ。お待ちしております。」

 彼女は仏頂面のまま即答する。こうなってしまっては考えを改めさせるのは不可能だった。

「分かったよ。無理しない程度に、待っててくれ。」

「はい。」

 その後、僕とシロエ二人の食卓には食器の音ばかりが響いていた。



◇  ◇   ◇



 僕たちが住んでいる国はクロクス国という、クロクス山脈の中腹から山麓に広がる、このあたりでは珍しい資本主義国家だ。

 過去、奴隷国家と呼ばれるほどに奴隷の売買が国王の名のもとに行われていたが、八年前の革命により平等を謳う民主主義国家となり、今に至る。

 いわば自分の能力と知恵がものをいう国で、僕は魔法道具という代物を売る仕事をしていた。

 魔法道具はしばしば省略されて魔具と呼ばれ、魔法を使えない人間や亜人種でも魔法が使えるようになるものである。便利な反面、危険性も高いため、それら魔法道具を取り扱ったり製造したりするには国からの許可が必要だった。

 そしてその許可を得るためには高難度の試験を突破しなくてはならず、未だ魔具を扱う職に就いている人間は少ない。

 そのため商売敵は少なく、故に商才のない僕でも生活をすることができていた。

 ブドウ畑を抜け、大きな木組みの倉庫までやってくる。

 その隣に隣接した木組みの一軒家のドアをノックした。

「すいません、アステル魔法道具販売店のアステルです。」

 すると中から男女二人の声が聞こえてくる。

 その後ドアが開くと、この酒蔵を営むアルス・アバロが笑顔で受け入れた。

 茶色の髪の毛が相変わらず逆立っている。さながら一本一本が鋭い針のようだった。

「おお! アステルさん。お待ちしてました。とりあえず中にどうぞ。」

「では、お邪魔します。」

 挨拶をして中に入る。すると紅茶のいい匂いが鼻腔をくすぐった。

「今、家内がお茶を淹れてますんで。とりあえずそちらに座ってください。」

 着席を促され、椅子に座る。

「いやー! ほんとにいいですね! あの魔法道具! 今までの湿度と温度の管理の苦労が嘘のようですよ。」

 満足そうにアルスは口を開く。どうやら先日卸した魔法道具は好調のようだった。

「それは良かったです。でも魔法道具は危険なものですから、何かあったらすぐに知らせて下さい。」

 はい、とアルスは元気よく返事をする。今も昔も元気なところは変わりなかった。

「あと一つ。……ご近所付き合いは大丈夫ですか?」

 その言葉に彼は言葉を失う。すると次の瞬間、大声で笑い始めた。

「心配無用ですよ。アステルさん。」

 ことりと紅茶が目の前に置かれる。美しい黄金色のそれは高価であることが一目でわかった。

「この辺りは郊外で亜人も珍しくありませんし、人間の方たちも思いやりのある人ばかりです。」

 黒髪の中に埋もれた獣の耳をぴょこぴょこしながら、アルスの妻であるガーベラ・アバロは答える。

「アステルさん! それは心配しすぎですよ!」

 未だに大声で笑い続けるため、閉じた状態ではある程度隠れている発達した犬歯が露わになった。

 彼女の耳も、彼の鋭利な歯も、人間のもとは異なる。

 彼らは亜人種だ。

 大声で笑うアルスをガーベラがなだめているのを横目に、アステルは紅茶を口に含む。

 やはり見立て通り、とても美味しかった。

「いや本当に、アステルさんにはどこまでお世話になればいいんだか。」

「本当に、感謝してもしきれません。」

 アルスが一旦落ち着くと、二人は改まって深々とお辞儀をする。

 来るたびにお礼をされるのだが、その度に困惑せざるを得なかった。

「もう良いですって。今は僕の大事な顧客の一人ですし、せめて対等な関係でいましょうよ。」

「いいや、これからも言い続けますよ。」

大きな犬歯を見せつけるように、アルスはニコッと笑う。

「私も、です。」

 頭の耳をピコピコ動かしながら、彼女は微笑む。

「……僕に騙されても、知りませんよ?」

「はっはっは! 安心してくださいよ! そこらへん抜け目ないのはご存知でしょう!」

 終始大声で話すアルスの言葉を聞き流しながら、残りの紅茶を全て飲み干す。

「おかわり、いりますか?」

 ガーベラの申し出を断り、僕は席を立った。

「アルスさん、一応僕自身の目で魔具を確認しておきたいので、倉庫の方に案内してもらえませんか?」

「おっ、分かりました。じゃあ行きましょうか。」

 アルスも僕に続いて立ち上がった。

「では、私は家事に戻ろうかしら……アステルさん、お昼ごはんはいかがなさいます?」

 黄色の双眸を輝かせながらガーベラは問いかける。目の奥の縦長の瞳孔が徐々に広がっていくのが見て取れた。

「今回も、この後予定があるので。お気持ちだけ頂いておきます。」

「……そうですか。でも――」

「そうですよ、アステルさん。今日は無理ならばまだしも、いつかご飯をご一緒する約束じゃないですか。」

「もちろん、シロエさんも一緒にですよ。」

 まさか普段は宥める側のアルスが、今日はガーベラに便乗するとは思っていなかった。

「分かりましたよ。今度の休日、一ヶ月ですけど約束します。」

 途端に、二人の顔が喜びに満ちていく。

 そして二人は篤い抱擁を交わした。

「絶対ですよ!」

「絶対ですからね! じゃあ倉庫に向かいましょう!」

 そしてガーベラはキッチンへ、アルスは玄関へ、意気揚々と向かっていく。

 僕は礼の意味を込めてガーベラと視線を交わすと、アルスの後をついていった。

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