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過去は奴隷、未来は贖罪  作者: 海豆陽豆
第二章『新たな贖罪』
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第二章9

 翌日の早朝、予定通りソニアが家に来ていた。

 ただ予想外だったのが、ヘレンとオリバーもついてきていることである。

「いや、今日は休みにしててね。暇だしソニアが帰ってくるまでお邪魔しようかと。」

「ええ。私は一向にかまいませんよ?」

 早朝だというのに眠気を全く感じさせないシロエが口を開く。

「僕も構いませんけど、明日の昼まで僕いないんでもてなしとかできないですよ?」

 その言葉を聞いてヘレンの後ろにいるソニアとオリバーが唖然とする。恐らくソニアを連れてくるついでに前回の宣言通り遊びに来たのだろうが、今回はタイミングが悪かった。

「全然かまわないわ。こちらこそ突然押しかけてごめんなさい。」

 そして彼女は軽く頭を下げる。

「いえいえ。僕たちはもう出発しますけど。シロエとリリーと楽しくやっててください。」

「アステル様、カトレア商会でのご予定が済んだ後、ソニアは送っていくのですか?」

「そのつもりだけど。」

「ならばお昼をご一緒しましょう。」

 その提案にあからさまな反応を見せたのはソニアだった。

「そうですよ! リリーさんとは仲良くなったけどホワイトさんとは会ったこともないし! お願いしますアステルさん! 一度帰ってきて食べましょう?」

 一歩前にせり出しながら矢継ぎ早に説得の文句を上げていく。とても必死であることは理解できた。

 これも彼女たちの、『返せない恩を少しでも返したいと思う心』の一端なのだろうか。

「分かった。まあ少し移動は長くなるが魔具点検の道具や資料を置いてけるからな。昼食は一緒に食べよう。」

「はい!」

 相変わらずソニアは元気に返事をする。この底抜けな明るさにリリーも救われている面があるのだろう。時にやかましいことがあるとはいえ、光とは人間に必要不可欠なものなのだ。

「アステル、準備が終わった。」

 後ろから声をかけられ振り向くと、そこには正装に身を包んだホワイトの姿があった。

 左目は朝日に照らされ美しく輝き、右目につけられた眼帯は黒の薔薇をベースに落ち着きのある装飾がなされている。

 伸び放題だった髪は腰ほどの長さまで切り揃えられ、リボンで軽くまとめられている。

 当然、肌の露出は顔と手だけだった。

「シロエ、確認をお願いしたい。」

「分かりました。ではこちらに。」

 玄関に取り付けられている鏡を前に二人はホワイトの服装の最終確認をする。着用に技術が必要な服装なのだが、それを一度で覚えられることからもホワイトはすこぶる優秀だった。

 それこそ全うな人生を送っていれば歴史に名を遺したであろうほどに。

「アステルさん、アステルさん!」

 僕の袖を引っ張りながら隣に立つソニアが声をかけてくる。

「なんだ?」

「あの人がホワイトさん?」

「そうだ。今回は馬車で商会に向かうから、そこで自己紹介なりなんなりするといい。」

 ホワイトに関しては未だ人間関係が閉鎖的だった。ソニアとの接触をきっかけにより多くの人間と関係を築くことができればホワイトの未来も明るいはずだった。

「それとアステルさん、もう一つ。」

 すると彼女は一歩下がり、自身の服装を確認する。彼女の服装も前回町で会ったときのものとは大きく異なり、しっかりとした正装だった。

「あ、もしかして私のお古じゃやばいかしら?」

 ヘレンが不安そうに口を開く。

「いいえ。全く問題ありません。ヘレンさんの着付けも大丈夫ですよ。」

「よかったわ。正装なんて数年前に着たっきりだったから。いろいろと心配だったんだけど。杞憂のようね。」

 そして彼女はほっと胸をなでおろした。

「アステル様。準備の方、整いました。」

 ホワイトが落ち着いた足取りでこちらへとやってくる。

 丁度通りの方で馬の嘶きが聞こえた。

「馬車も来たようだし、行こうか。」

 ヘレンたちに再度挨拶をした後、僕はホワイトとソニアを連れ馬車へと向かっていった。



 今回はホワイトが片目の視界に慣れていないことを鑑みて馬車で向かったのだが、やはり徒歩に比べると早く、そして楽だった。

 家を出発して数十分後、既に僕たちはカトレア商会の屋敷の中に通されている。

 そして案の定、ソニアの様子が僅かにおかしくなった。

「? どうしたソニア。具合が悪いのか?」

 因みにホワイトとソニアだが、ものの数分ですっかり打ち解けていた。

 友のような存在には自分やシロエでは決してなることができない。ソニアは願わずともホワイトにとって大きな存在になりつつあった。

「いや、その、ね? 私、ギラギラしたシャンデリアとか、柔らかい絨毯とか、辺りに並ぶ高級な調度品とか、そういうのに囲まれると、なんだか人の醜い欲望に睨まれてる気がして、なんだか怖いんだ。」

 ソニアは僕が買い取る前は富裕層にて飼われていたのだという。

 その用途は生きた人形。

 生きながらにして人の作り出した完璧な造形美を求められた。

 病的なまでの白さと細身を維持するために栄養失調一歩手前の食事制限、小さな身体を保つために定期的に外から物理的な圧力をかける、理想のポーズのために間接をあらぬ方向に曲げる、そしていくら苦しくても表情をゆがめず、声も出さず、平然としている。

 彼女にとって飾るもの、特に富裕層が好むようなきらびやかな装飾は過去の恐怖の対象だった。

「駄目だね……私だって乗り越えたいのに……」

 リリーやホワイト、そしてシロエのように恐怖に押しつぶされるようなことはないが、ソニアの精神に大きな負荷をかけていることは明らかだった。

「……ごめん、ソニア。僕が間違っていたのかもしれない。」

 向き合うことは必要だ。しかし向き合った後、乗り越えるか付き合い続けるかは当人の自由であり、どちらが正解であるということはない。

 一週間前の自分の失言に今更ながら後悔する。

「ううん。いままで私は逃げてただけだから。私の夢はね、みんなのお部屋のデザインをすることなんだ。だから、私は乗り越えるって決めたの。」

 その覚悟を告白されては、僕は背中を押すしかできることはなかった。

「倉庫は殺風景だから大丈夫だ。そこでお付きの人と一緒に一人で選んで来い。……その手を離して、な。」

 視線を後ろにずらすとソニアが僕の上着の裾を力強く握っていた。

 そしてその手がゆっくりと離れていく。

「アステル様、ホワイト様、ソニア様、お待たせいたしました。アステル様とホワイト様はこちらに。ソニア様はそちらのメイドと共に倉庫へ向かってください。」

 セランが一人のメイドを従えやってくると、自分についてくるように促す。

「分かりました。ホワイト、行くぞ。ソニア、まあ、頑張ってこい。」

 精一杯の言葉を送り、僕はホワイトを連れ、セランについていった。

 商談を行う部屋に向かう途中、前を歩くセランは口を開いた。

「歩きながらで失礼します。私は当屋敷の執事を務めております、セランと申します。ソニア様、以後お見知りおきを。」

「いいえ。時間も限られているようですし。私はホワイトと申します。アステルの助手兼魔具取り扱いの見習いです。よろしくお願いします。」

「アステル様、助手をとることにいたしたんですね。」

 驚きを含みながらセランは続ける。

「もしや先週言っていた事業とは、後発の育成……でしょうか?」

「違いますよ。」

「そうでしたか。いやはや、アステル様ほどの優秀なお方がどのような事業に取り組むのか興味があったものですから。出過ぎた真似をお許しください。」

「まあ、今は聞かないでもらえると助かります。いつかその件でお話を持ち込むこともあるかと思うので。」

「そのときを、主人ともども楽しみにしております。」

 セランは立ち止まり、重厚な扉を開ける。そこは前回とは異なる部屋で、中には誰もいなかった。

「こちらでもう少々お待ちください。紅茶など、用意しておりますので。」

 中にはティーセットが揃えられている。セランに続き中に入り、着席を促されたため僕とホワイトは二人掛けのソファーに座った。

 丁寧、かつ素早く紅茶を二人分注ぐとセランは一礼し、部屋を去っていく。

 僕は出された紅茶にゆっくりと口をつけた。

「ソニアはとても強いね。」

 ホワイトが言葉を発する。それは僕に問いかけるようなものでもあり、一方で独り言のようにも思えた。

「羨ましいのか?」

「…………うん。」

「どうして?」

「ソニアは乗り越えようと努力している。自分の過去に囚われていると感じているから、そこから解放されようと努力している。私は……私は、停滞したまま。」

 隣に座る彼女の顔は伺うことができない。しかし声と委縮した態度で、思い詰めているであろうことは推測できた。

「ホワイトは向き合ってる。逃げていないのなら、停滞しているわけじゃない。緩やかに進んでいるから、止まっているように見えるだけだ。」

 ホワイトは何も言葉を発さない。その様子を見て僕は続けた。

「今は他人から与えられる存在意義しか認識できないだろう。それは当然だ。なぜなら人間は誰しも、最初は自分で存在意義を見出すことができないからだ。生まれたとき、恵まれている生物はその親によって存在意義を与えられる。ホワイトは悲しくも、その対象が非道な主人だっただけだ。」

 再度、紅茶に口をつける。カップをソーサーに置く音だけが部屋に響いた。

「その後人は成長するにつれ能力を獲得してゆき、やがて他者だけでなく自分で自分を認められることができるようになる。それが自分の存在意義を認識するということだ。お前は能力の成長なしに精神ばかりが成長して存在意義という言葉を知ってしまったいびつな状態。少し遅くなっただけで、これから能力をつければいい。それまでは僕が存在意義を与えてやるよ。それまでは、僕に存在意義を依存しても構わない。」

 僕がホワイトとリリーの二人と向き合うこと。これが最大限できることだと僕は思っている。

「紅茶飲んだらどうだ? シバさんが来たら飲む余裕もなくなるだろうし、それにうまいぞ?」

 その提案に対しホワイトは首を縦に振って答えるとカップを手に取り、一気に紅茶を飲み干した。

「……冷めてる。」

「飲みやすくていいだろ?」

 と、扉をノックする音が響き、直後に「失礼します。」とセランの声が聞こえる。

 扉が開くと同時に僕とホワイトは立ち上がった。

「待たせて悪いね。アステル君、それにホワイト君だったかな? 初めまして。私はシバ・カトレア。このカトレア商会の会長をやらせてもらっている。よろしく頼むよ。」

 シバがホワイトに握手を求める。

「自己紹介、恐れ入ります。仰せの通り、私はホワイトといいます。現在アステルの下で助手兼見習いをしています。どうぞよろしくお願いします。」

 そして二人は握手を交わす。

「ほほう。アステル君、助手を雇ったのかね?」

「助手、というより見習いの方が近いです。ホワイトの同伴を許していただき、ありがとうございます。」

「いいんだよ。私としてもアステル君の御眼鏡に適った人間と知り合っておきたいからね。……さて、とりあえず座ろうか。」

 シバの提案に従い僕たちはソファに腰を下ろす。そしてテーブルにはセランによって三部の資料がそれぞれの目の前に並べられた。

「やっぱりこの時期は多いですね。」

「お祭りだからね。魔具といえど、入用なんだよ。ああ勿論、今回がアステル君との契約最終日だからといって増やしているわけじゃないよ?」

 茶化したようにシバは笑う。その真意としてはちょっとした照れ隠しだろう。去年に比べて魔具発注のリストが紙二枚分少ない。陰ながら僕の事業を応援しているという気持ちの表れだった。

「まあ、今回もいつも通り、味気ない確認作業なんだけどね。ところでホワイト君。その義眼は魔具かな?」

「はい。おかげで視界を取り戻すことができました。」

 ホワイトは資料をテーブルに置くとシバを真っすぐ見て答える。彼女の態度は既に奴隷のものではなく、芯を持って生きる一人の人間だった。

「……セラン、資料を。」

「かしこまりました。」

 僅かに驚きながらもセランは手に抱えていた資料を三部、それぞれの前に並べる。

 僕は確認を丁度終えたため、その資料に目を通す。その仕事内容は僕が二年前に快諾したものと似たようなものだった。

「資格は未だ持っていないようだからね。資格を必要としない魔具の仕事の数々だ。二年前のアステル君は一部は違えど似たような仕事を十二分にこなしてくれたよ。」

 その一部とは魔具取り扱いの資格を持たなければ行うことのできない、魔具の点検などに関するものだ。

「この仕事を完遂できたのなら、君と二……いや三年間、優先的にこちらの仕事を行う契約を交わしたい。報酬は納得できる額を約束しよう。」

 どうだね? と一度も目をそらさずにシバは言葉を発する。

「ああ、師匠のアステル君の許可が先だったね。申し訳ない。」

 そこで初めて瞬きをして前かがみになっていた背筋を伸ばす。隣に座るホワイトからも緊張が緩和されたことが感じられた。

「師匠……としては最高の経験の場ですから、二つ返事で了承します。ただ……僕の許可は必要ありません。ホワイトは自分で考え、責任を背負って行動できる人間ですから。」

「……なら、安心だね。どうだろうか? もし考えたいのなら一週間の――」

「や、やらせてください。」

 ホワイトは言葉を振り絞るかのようにして答える。彼女は今、一歩を踏み出していた。それこそ自覚できるほどに大きな一歩を。

 その返答にシバは満面の笑みを浮かべる。そこに邪な感情は一切感じられなかった。

「では、お願いするよ。なあに分からないことがあればアステル君に聞くといい。そのための師匠なんだからね。」

「失礼します。アステル様のお連れのソニア様ですが、もう少々時間が欲しいとのことです。」

 商談が終わったのだろう。セランが口を開く。

「そうかそうか。アステル君、ホワイト君。良かったら倉庫を見ていくかね? 良かったら格安で譲るよ?」

「いいえ。遠慮させていただきます。彼女の邪魔をしたくはないので。」

 その言葉に再度シバは笑う。実に朗らかな笑い声だった。

「アステル君も大変だね。」

「いえ、好きでやっていることなので。」

「ならソニア君がこちらに来るまで、語らおうではないか。セラン、紅茶の用意を。」

 その後憑き物が取れたような顔をしたソニアがこの部屋にやってくるまで、僕、ホワイト、シバ、セランの四人は会話を楽しんだ。

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