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過去は奴隷、未来は贖罪  作者: 海豆陽豆
第二章『新たな贖罪』
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第二章6

 城外からは怒号が聞こえる。

 母に連れられるがまま城の中を逃げ回っていた僕だったが、ついに革命を果たさんとする兵士たちに囲まれてしまった。

 オズキは僕と母と国王である父を逃がすために命を落とした。

 父は僕と母を逃がすために一人王座に残った。

「アステル、逃げなさい。」

 僕はこのとき、逃げないくらいに賢い子供でありたかった。

 しかしバカ正直な自分は己の恐怖心に愚直に従い、城の逃走用の道から森へと逃げだした。

 母は僕を逃がすために兵士に槍で貫かれた。

 背後から鎧の音が聞こえてくる。その音が聞こえなくなるように、必死に走って逃げ続けた。

 それでも音は大きくなるばかりで。挙句、たどり着いたのは断崖絶壁の大きな谷だった。

 逃げ場はもうない。

 振り返る。

 数人の兵士が剣や槍を構え、僕を殺さんとにじり寄ってきた。

 僕はあまりの恐怖に後ずさりする。……後ろが崖であることを全く考えずに。

 右足が地面ではなく空を踏みしめようとする。しかし踏みしめられるわけもなく、体は谷に投げ出された。

 ここの谷はとても深く、生身の人間がそのまま落ちて助かることはまずない。

 そして仮に踏みとどまっても、槍で串刺しにされ、剣で首を切り落とされるに違いない。

 つまり、死からは逃れられないのだ。

 これが罰なのだと、そのときは思っていた。

 反旗を翻した兵士たちの、憎しみと怒り、そして殺意のこもった視線をみて自分たち王族がどれだけの罪を犯していたのかを理解した。

 罪を犯したのならば罰を受けなくてはならない。

 僕に対しては命をもって償えと、そういうことだろう。

 ゆっくりと目を閉じる。体が落ちていくのが分かる。もうじき谷底だろう。

 これで彼女も自由だとそう確信した。

 その直後だった。

 体を纏う落下感が浮遊感に変わったのは。

 明らかに体が浮いている。しかしながらゆっくりと、谷底に下ろされている。

 そして背中や後頭部に硬いものが当たる感触がやってくる。その感触は紛れもなく、石で覆われた谷底のものだった。

 ゆっくりと目を開ける。視界の中央には細長い青空、両端には絶壁が広がっている。下を覗く兵士が見えないことから、僕の死を確認してどこかへ行ってしまったのだろうか。

 と、横たわる自分の上の方から足音が聞こえてくる。それは一人分のものだった。

 恐らく僕の死体を確認、あるいは生きていたら殺すために下まで降りてきたのだろう。ただの人間ではなく、魔法を使えるものならば、この崖など些細な段差にすぎないのだから。

 もう逃げる気力もなかった。

 そもそも既に死んだと思っていたのだ。わずか数分寿命が延びた、この出来事はその程度でしかない。

 耳元で地面を踏みしめる音が聞こえる。

 そこで僕は再度、自分の死を覚悟した。

 沈黙。

 いつまで経っても何かしらの凶器が僕に襲い掛かってこない。不審に思った僕は恐る恐る目を開いた。

 …………そこには、左目に包帯を乱雑に巻いた、みすぼらしい薄布を纏った隻眼の少女が立ち尽くしていた。

 初めて見る日にさらされた彼女は、真っ白な髪を白金色に輝かせていた。

 それと同時に、無数の醜い傷痕をくすませていた。

 彼女が兵士によって解放され、ここに来た真意が最初は分からなかった。

 しかし彼女の残された右目と視線を重ねて過去の光景を思い出す。

 憎しみと怒りに震え、目の前の自分を殺さんと睨みつける彼女の姿を。

 そして真意を理解したのだ。

「……逃げる気はもうないから、好きに殺すといい。」

 最も苦痛を感じる方法で、最も人間としての尊厳を奪われる方法で、僕は命を差し出すのだろう。

 恐怖を感じなかったと言えば嘘になる。しかしそれ以上に激しい罪悪感と己をどこまでも律する義務感が思考の大半を占めていた。

 彼女を見る限りでは凶器の類を持っているようには見えない。それでも彼女は魔法を使うことのできる希少な存在であるため、僕を殺すことなど容易いはずだった。

 ゆっくりと目を閉じる。そして全身の感覚を最大限にまで研ぎ澄ませた。彼女の感じた痛みと苦しみを自分がより多く味わうことができるように。

 地面を軽く踏みしめるような音が聞こえる。

 その直後に僕が感じたのは、体全体を優しく包み込む感触だった。

 困惑しながらも目を見開く。視界には彼女が現れる前の青空と崖と、そして彼女の傷だらけの肩が収まっている。

「なにを……なにをしてんだよ!」

 体に力を入れて抱き着いている彼女を引き離す。恐ろしく軽いその体は非力な僕でも吹き飛ばせるほどのものだった。

 地面に投げ出された彼女は震えながらも上体を起こす。

 そして視線が重なる。

 真紅の眼からは安堵と喜び、その二つしか読み取ることができなかった。

「ご無事で……ご無事で何よりです。」

 その場に直ると彼女は跪き、頭を下げる。

 僕は彼女の行動の動機と意味が全く理解できなかった。

「どうして助けたんだ……どうして助けたんだよ!?」

 この瞬間、僕は怒りに身を震わせていた。寿命が延びた運命に対してか、僕を助けた彼女に対してか、それとも自分自身に対してか。あるいはその全てにおいてなのかもしれない。

「ここでお前が僕を殺せば、お前は暗く陰鬱な過去から脱却できるかもしれないだろ! それに憎くはないのか? 怒りを感じてはいないのか? 殺してやりたいと、苦しめて、苦しめて殺してやりたいと思ってないのかよ!?」

 問いかけている。そのはずだったのにも関わらず、どこか自分の思うようであってくれという、醜い願いを彼女に吐露しているようだった。

「答えろよ!!」

 未だ沈黙を貫く彼女に怒鳴りつける。

「過去の浅はかな私は、そう思っていたかもしれません。それでも今、ここにいる私は心の底からアステル様の無事を喜ばしく思っています。」

 彼女はゆっくりと顔を上げる。

 僕はそこで初めて、怒りと恐怖以外の感情を浮かべる彼女の表情を見た。

 そして僕はこのとき、自分の犯した罪の大きさと、それに見合うだけの受けるべき罰がないことを知った。

 片目を奪う瞬間まで彼女が抱いていた巨大な殺意。今ではその片鱗さえ見つけることができない。それはつまり、僕たちに捕まる前の本来の彼女を殺したことと同義なのではないだろうか。

 ならば今、目の前で安堵の微笑みを浮かべている彼女は何者なのか。

誰によって生み出された人間なのか。

 その行為は、どこまで冒涜的で非人道的なものだろうか。

 長い沈黙が二人の間を流れている。なぜなら僕も彼女も、お互いにかける言葉が見つからなかったからだった。

 罪を償うためには、自分が損失させただけの対価を払わなければならない。

 この場合ならば、どうなるのだろうか。

 彼女が豊かに生を全うできるだけの資金、身体に刻まれた傷痕をできる限りもとに戻す、損失した左目を返す――こんなことは些細な義務でしかない。

 僕は自分の一生を彼女に委ねるべきなのだろう。生きるも、死ぬも、全て彼女に委ねるべきなのだろう。

 そして最期には彼女が彼女自身を取り戻し、僕に憎しみと怒りと殺意をぶつけ、僕を殺すこと。

 これが僕のできる最大限の償いなのだと、確信に似た安心感を覚えていた。



◇  ◇   ◇



 今まで僕は奴隷たちの自由意思に則って彼らの更生を進めていた。

 なぜなら仕事内容などあらゆることをこちらが決めてしまっては、受動的な社会復帰になってしまう。

 他者に依存したままでは、そのものはいつまで経っても主人に隷属する存在でしかないのだ。

 このことをよく言えば放任主義、あるいは本人意思の尊重となる。しかし悪く言えば無責任な放置、彼らの抱えるものからの逃走となる。

 果たして僕の彼女たちに対する行動は本人意思の尊重だったのだろうか。向き合うことから逃げ、目を背けていたのではないだろうか。

 人は必ず誰かに依存して生活を送っているらしい。仮に依存が他者からの独立に必要不可欠なものであれば、隷属に及ばない依存を彼女たちに与える必要がある。

 その人の人に対する『隷属ではない依存』がどんなものなのか、僕にはわからなかった。

 大きくため息をつく。低い位置から差し込む朝日が眩しかった。

目下やらなければいけないことは、ホワイトに義眼を取り付け、彼女の視界を回復させることである。字を習う、働くにも目が見えると見えないでは天と地ほどの差があるからだ。

 木製の扉の前まで来ると中の人物に聞こえるようにノックする。すると珍しく、直後に家主からの返事が聞こえた。

「はーい……」

 ややけだるげな声とともに目の前の扉が開かれる。そこにはステラが眠そうな目をこすりながら立っていた。

「おー、アステルさん、丁度よかった。義眼の調整、徹夜で終わらせたんだー。」

 まあ入って、と彼女に入室を促されたためそれに従う。

「昨日の今日でもう調整終わらせたのか?」

 言外に驚愕と称賛を含ませながら問いかける。シロエ用のものをホワイト用に変更してほしいとシロエが申し出たのが昨日の夕方であり、現在が翌日の朝。睡眠をとっていては到底終わらせることのできない作業量だ。

「徹夜したからね……だから今とっても眠い。」

 やはり彼女が眠たそうにしているのは夜通し作業をしていたことが原因だった。

 しかし、腑に落ちない点が一つある。

「もちろん早く調整が終わるに越したことはなんだが……別に急がなくてもよかったんだぞ?」

 普段の彼女は余程の窮地に追い込まれない限り、徹夜までして作業をする人間ではない。例外としてシロエのことに関しては普段の倍以上の頑張りを見せるが、今回はホワイトのためである。例外には当てはまらない。

「そう? ホワイトちゃんが働くには目が見えてた方が全然いいと思うけど。」

「ホワイトに同情でもしてるのか?」

 その言葉に彼女は目をこすり続けていた手を止める。未だ輝き続ける真紅の双眸は僕の視線を捉えて離さなかった。

「同情ってのは違うかな。」

 ステラはその場で立ち止まる。それに合わせて僕も足を止めた。

「まず一つ、同族嫌悪が湧くんだ。特にホワイトちゃんが奴隷としての扱いを求めてるのを見ると。だから彼女には一人で生きていける自信をつけてほしい。」

 それともう一つ、と彼女は続ける。

「シロエさんがね、なるべく早くってお願いしてきたんだ。どうしてって聞いたら、手遅れになる前にだって。私もそれには賛成だし、何よりもシロエさんの頼みだから喜んで徹夜したわけ。」

 彼女は視線を横に流し、僕と目を合わせる。そしてウインクすると再び前を見て歩き出した。

 その後ろ姿には、過去のしがらみがそっと後ろから寄り添う形で歩み寄っていて。

 彼女は隷属から抜け出しているのだと確信が持てた。

 それとともに僕の奥底から強い安堵感が湧き上がってくる。

 しかしそれは決して享受してはいけないものなのだ。僕自身が罪への隷属から抜け出すためには。

「アステルさん? どうしたの?」

 未だ立ち止まる僕に対し彼女が声をかける。

「あ、もしかして私のウインクに悩殺されちゃったぁ?」

「……眠たい目でやるウインクほど見苦しいものはなかったぞ。」

「え。」

 僕はステラに追いつくために歩き始めた。

 湧き上がった安堵感を押しつぶし、心の片隅にしまい込んで。

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