第139話 手旗信号
ムイースからの依頼事項は前夜に確認していた。
最近になってこちら側の塔の中にモンスターが棲みつくようになったので、オレたちにボディガードをしてほしいというものだ。
一応どんなモンスターが出るのか訊いてみたが、オレたちの手に負えないレベルではなさそうだ。
北の大陸に渡るためにも高地の北辺をよく調査する必要がある。
オレたちはムイースの護衛を二つ返事で引き受けた。
言うまでもないが、このクエストは報酬なしだ。ムイースは無料でオレたちを泊めてくれたし、そろそろオレたちはお金には困らなくなっていた。最近では手持ちのゴールドを宝石に変えるのに苦労しているくらいで、重い金貨は全てオレが持たされている。
ムイースによると、塔は5層になっていて、一番上は屋根のない吹きさらしの屋上になっているらしい。
ムイースはまだ子供の頃から塔の屋上に登っては北の大地を眺めていた。
ところが2年ほど前、反対側の塔にも人影があることに気づいた。毎回というわけではないが、かなりの頻度で目にする。
ただ距離が遠く、細かいところはよく見えない。分かるのは男であることだけだ。
向こうもこちらをじっと見ていて、ムイースのことは認識しているようだった。
ある日ムイースは塔の屋上から大声で呼びかけてみた。本来声が届く距離ではないが、風向きによっては届くかもしれない。
しばらくすると相手が何か言っているように見えた。残念ながら何を言っているのかは聞き取れなかった。
ただ少なくとも相手はこちらのアクションに対して反応を示していることは分かった。
ある追い風の日、ムイースは白い手旗を二つ持って塔に登った。
追い風なので相手の声はまったく聞こえない。しかしその分こちらの声が相手に届く可能性はある。
ムイースはそれを信じて、大声でアルファベットを順番に叫びながら、手旗でそれぞれの形を表現していった。
これを3回繰り返した後、ムイースは塔を降りた。
「初めて意思疎通ができたときは興奮しましたよ!」
ムイースはそう言って、当時のことを話してくれた。
ムイースが手旗を持っていた次の日、相手も手旗を持っているのが見えた。
ムイースは手旗で短い挨拶の言葉を表現した。相手も同じことをして返してきた。
(このとき初めて北の大地でも言語体系がほぼ同じであることが分かった)
その後も時間はかかったが、手旗でコミュニケーションを続け、ちょっとずつお互いのことが分かってきた。
「驚いたのはたった3回アルファベットの形を教えただけなのに、相手がそれを完璧に記憶していたことでした。ひょっとしたら手旗信号のルーツはとても古く、南北に分断される前からあったものなのかもしれません」




