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猫牙族の少女


「……」


 自分の身体を抱くようにして小刻みに震わせる猫牙の少女は、まだ一〇歳にも満たない幼さ。なぜこれほどまで怯えているのだろう。

 ヘルトが少女へ近づこうとすると、その動きに合わせるように後方へ身を引く。やがて車内の壁に背を押され前にも後ろにも行けないもどかしさしか残らないというのに。


 ……まだ五、六歳ってところじゃないか。こんなに小さな頃から奴隷として売られるのか?

 

 ヘルトへ視線を合わせた少女の身体が動くたびに響く金属の音。

 ジャリ、ジャラリと生々しい。

 首へ繋がれた拘束具、その首元から伸びる一本の鎖は両腕を不自由にした手首へ。数歳の少女へここまでする必要があるのだろうか。


「や、やあ。こんにちは」


 少女へ挨拶を贈るヘルト。

 見ているだけで辛さを感じたヘルトの笑いは、どこか濁りを帯びてしまう。

 

「ァ――……」


 少女の声は判然とせず、小さい。

 手を伸ばせば触れる距離まで近づいたヘイトでも、聞き取ることは出来なかった。


「ミ――ァ……」


 少女は猫であって猫では無い、動物の鳴き声のような声を洩らす。


「……この子、話せないのか?」


 キャリッジの外から眺めていたスノウ。

 少女の様子を見て何かに気づいたようだ。


「ヘイト、この猫牙のコ言語が遅れているようね。きっと誰からも言葉を教わっていないのでしょう」

「ん? 言葉って、親の言動を見て自然に覚えるものだろう?」


 ヘルトは「会話できるほどの言葉なら、教わる必要も無く覚えるものではないか」と言いたいようだ。


「そうよ。けれど、その親と暮らす(とき)がほとんど無かったのでしょうね」

「んー……けどさ、他に言葉を学べる環境はあるんじゃないかな」

「ヘルト……子に優しい親なら”会話をしたい”という気持ちだけで、言葉を覚えようとするけれど、親以外で奴隷に優しくする者がいると思っているのかしら?」

「あ、そういうことか! つまり話したく無いから言葉を覚えようとしない、と」

「……漸く理解したようね」


 シンパティーアの生命は転生者のみだが、それは人間のように知能が高いものとは限らない。知能の低い動物もいれば、草木なども同様である。

 しかし、それには”ある”(ことわり)があり、人間又は人間に()()()ものは人間へ転生。野生動物などはそのまま野生動物へ、と草木も基本は同じ。


 ここでいう近しいものへの転生とは――

 転生後の世界に自分の種族が存在しなかった際『それに最も近い生命体へ転生を遂げる』という事だ。

 

 獣人の場合、例えば転生前がただ鳴くだけの普通の猫なら『猫』又は『猫牙』へ転生する。

 その逆に他の世界で『猫牙』のような種族があった場合、転生は『普通の猫』となってしまう可能性もあるだろう。


 そして、肝心な馬車にいる猫牙の少女は、転生前が普通の猫だったと考えられる。転生前が同じ獣人であれば、話すことなど容易いからだ。

 もとの知能が低かったことから、転生後に猫牙となったのは知能が上がるため悪い事ばかりでは無いのだが……猫だった時の記憶だけでは順応性に欠け成長速度は遅め、と言ったところか。


 少女と会話が成立しないこともあるが、怯えっぱなしの姿は目を背けるほど痛々しい。

 そう思うスノウはヘルトへ言う。


「それよりも、無理に刺激するのは可哀想だわ。とりあえず街を出ましょう」

「……それもそうだな。行こう」

 

 ヘルトが手綱を握り、少女とスノウがキャリッジへ。

 手綱の動きに合わせ、馬車はガラガラと走り始めた。


 ――――――


 ――馬車を走らせること数時間。

 陽も暮れて来たので馬車を止め、野宿の準備を。

 毎度のことだが焚き火をして身体を暖めつつ夜を過ごす。

 

「そろそろ食事にしようか」

「そうね。いただいた食糧ならキャリッジへ置いてあるわ」


 検問の兵士から調達したのは馬車だけでは無い。

 スノウが上手く言い包め食糧も貰い受けてきたのだ。


「わかった。持ってくるよ」

「ヘルト……それと――」

「わかってるよ。あの子も連れて来て一緒に食事するんだろう?」


 スノウは静かに頷いた。

 馬車まではそれほど遠く無く、焚き火の位置から視界で確認できる程度の距離。走る必要はないため、のんびりと馬車へ向かうヘルト。


 そのヘルトの姿がキャリッジへ消える。

 スノウはヘルトを待ち望んでいるわけでは無いが、とくに目をやる場所も無くそれを見守っていた。


 ――すると。

 ガンッ、ガンッ、ガンッ

 と、鳴り響く何かを殴りつけるような音が……

 スノウは音が気になり耳を澄ますと、明らかに馬車のほうから聞こえてくる。


 ガンッ、ガンッ、ガンッ

 鳴り止むことなく何度も、何度も。

 

 ……ヘルト? 何をしているのかしら?


 心中で思いながら、スノウは馬車へと向かう。

 周りに人の気配がない事もあり、何者かに襲われている可能性は低い。

 それゆえに、この音の正体が気になったのだ。

 馬車へ近づくと音はキャリッジから洩れていると知れる。


 ゆっくりとキャリッジを覗き見る――

 そこには石で少女の鎖を叩きつけるヘルトがいた。


「……アナタ、何をやっているのかしら?」

「ん? ああスノウか。 いや、この鎖をどうにかしてやろうと」

「その小さな石で? その太い鎖が切れるとでも?」

「やっぱダメ、か?」


 ヘルトは少女の拘束具を何とかしたかった。

 それは分かるスノウだが、そんな小石で何とか出来るわけがないと。

 更に、もっと重要なこともある。


「アナタ、奴隷の鎖を切る行為がどれほどの罪か分かっているのかしら?」


 アストラータ王国では、奴隷の鎖を切ることは罪とされている。

 鎖を切る行為は奴隷の解放につながるとされ、たかが鎖を切っただけで死罪ととなった者も。 

 しかし、その罪の重さを知らないヘルトではない。


「ああ、知っているさ。けどさ、オレもう罪人だし? 今さら何しても罪は変わらないんじゃないかな?」

「……そう言われると、反論できないわね」

「この子の怯えようはどうにもならないけど、せめてこの鎖は切ってあげたいし、出来れば逃がしてあげたい、ってな」 


 スノウは「アナタの好きにしなさい」と言いたげな表情を見せ。


「どちらにせよ、そんな石では無理だわ。仕方がないわ……ワタシがやってあげるからそこをどいてくれないかしら」


 こう言ってヘルトを自分の後方まで移動させた。


 次にスノウは少女を見つめながら前方へ右手を差し出す。 

 少女を見つめた深緑の瞳が色濃くなってゆく――


 ――スノウの瞳が……なんて綺麗な瞳なんだ。


 ヘルトは心が吸い込まれていくような感覚へと陥った。

 スノウは差し出した右手の指を何度か動かし始める。

 何かを模索するように指を動かすこと十数秒間、ヘルトはそれを沈黙のまま見守った。

 

 カチャッ、カチャッ、カチャッ

 と、三回ドア鍵を開けるような音が聞こえ――

 ――その刹那、少女の拘束具は外れ重々しく床へ落ちた。

 

「ァ――……」

「ふう。何とかなったわね」


 安心したのか、ひと仕事終えたとスノウはひと息つく。

 少女は状況が把握できずキョトンとした様子だ。

 ヘルトは拘束を解いたことよりスノウの瞳に心を奪われていたが、ふと我に返り問う。


「……あ、え? なにをしたんだ、スノウ?」

「直接、鍵穴を……と、いうよりも”鍵穴の内部”から外した、という感じかしら」

「なにそれ?」

「話は後よ。とりあえずは食事にしましょう。このコもお腹が空いているでしょうから」

「そう……、だな」


 ここで、ふたりの間にテクテクと歩み寄る少女。

 少女はふたりの顔をしかと見つめ言った。


「ァ……リ、ガト」


 言語の遅れはあるが、確かに「ありがとう」と聞こえた。

 ふたりの心が暖まってゆくのを感じる。

 「この少女は全く話せないのでは無く、人間と話したくなかっただけなのだ」と気づかされた。

 ヘルトとスノウの表情が綻びへ変わった。


「オ、オレは何もしてないんだけどなあ」

「そうね。けれども、アナタの行動はこの子の心を開いたわ」

「そ、そうかな?」


 ヘルトは「よしよし」と少女の頭を撫でている。

 ふわふわとした毛を逆立てるようにして喜ぶ少女。

 そのヘルトを見てスノウは思う。


 ……ヘルト、アナタは本当に不思議なひとね。

 奴隷の拘束を解くなんて、今までのワタシでは考えられなかったことなのだから――


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