参戦
戦況は防戦一方だが、悪くはないだろう。
平民へ剣術のような鍛錬を要するものを、今すぐ求めることはできない。ハルバトーレはそれを考慮し、平民たちへ伝えたのは「一人の敵につき複数人で戦え」だけだった。
もともとスノウの救助が目的であり、攻め入る気もないフィアーバは守り続けていればいいとの考え。そこに勝機があるのではないか、と。
現在、アストラータの兵士数は約二万名弱、フィアーバは約二万三千名強。
近距離戦でのアストラータ軍勢は二万名ほどだったと考えると、武力的には負けているが、残りの総数だけなら優っている。
つまり、現在において仲間討ちを回避するため、遠距離攻撃をしてこないアストラータの兵士数は、歩兵、槍兵、騎兵、合わせて一万にも満たない数となっている。それに対しフィアーバは二万三千名以上。一万対二万三千の差は大きい。
更には攻めずに守るだけだ。それはフィアーバ軍がバラバラで行動しないことを指す。従ってアストラータ軍は、常に二人から三人と相手しなければならない。
とにかく弓兵や魔術師からは距離を置き、向こう側から近づくのであれば、後退してまた距離を置く。攻め入る気のないフィアーバ軍は、これで十分なのだ。
問題はアストラータ軍が増員されてしまうことだが……
それは無い、とハルバトーレは”信じている”。
その鍵はアドリエンヌの交渉。現時点でのアストラータ軍は『フィンネルが勝手に用意した者たち』であり、アドリエンヌが交渉を成功させれば、そのアストラータ側から退く可能性もあるだろう。
結局のところ、その時間稼ぎをしているということ。まずは防戦一方でもスノウを待ち、合流すれば退却することも可能だろう。それでもアドリエンヌの交渉を確認してから、との思いは強い。
仮に失敗してしまえば、即座にアドリエンヌが囚われるかもしれない。そうなってしまえば……今のフィアーバ軍なら、死を覚悟してでもアストラータ王都まで攻め入る事を選ぶに違いない。これこそが最悪の事態である。
とにもかくにも、団結力ならフィアーバ軍のほうが何倍も高い。我が儘なフィンネルからの指示で動いた軍など、所詮「命令されたから」と思う者ばかりだ。劣勢となれば後退、退却する可能性もあるだろう。
この状況下で、魔術師や弓兵が攻め入ってこないことからも『他人任せ』との考えは否めない。基本的に遠距離を目的とし、迎え撃つことが彼らの仕事。臆病なものたちも多く、わざわざ危険をさらすようなことは極力避けたがる。それに加え、兵士たちに『驕り』があるのだから、現状況はアストラータが自ら作り出したものとも言える。
――しかし。
この接近戦において将軍ラクタールだけは別だ。
彼はフィンネルの指示がなくとも、戦火を好む戦闘狂である。現在も、フィアーバ軍の防壁を強引にも突破し、宿敵オルマムを探してはいるのだが……
「――む? これはこれは……オルマム殿を探しておったのだが、まさか王女様がここにもいるとはな。思わぬ収穫を得たようだ」
「あ、あなたはラクタール将軍っ!?」
乗馬し、見下ろすようにしてコリンヌを眺めるラクタール。
ニヤニヤといやらしく口角を上げた。
――そこに射る矢。
ラクタールは振り払うようにして矢を打ち落とした。
「ほほう……フィアーバは”雑種”まで飼い慣らしておるのだな」
「あなたのお相手はこのわたくし、で御座います」
ラクタールのいう雑種とはセイラを指す。以前、アドリエンヌがセイラのことを混血と罵ったことがあるが、この雑種は更に上を行く罵倒。
セイラは弓を構え、ラクタールを狙う。
「コ、コリンヌ様っ!」
コリンヌの危機を知り、セイラの加勢へ向かう兵士たち。
それもつかの間、まるで寄ってくる虫を振り払うかのように、軽々と切り捨てた。セイラは立て続けに複数の矢を射る、射り続ける。矢が無くなれば、屍となった仲間兵の矢を奪い取ってでも。
「がっはは! そんな臆病な者の使う武器などで、私を傷つけることができるとでも?」
ならば、と嘲笑するラクタールではなく馬の足を射った。
馬の膝が折れ、大地を打つ。
ラクタールは「おおっと」と、極わずかな声を上げただけで地へ足をついた。
そんなラクタールは「馬など無くても問題ない」という表情で、セイラへ歩を進める。矢を何度放っても、その歩みは速度を変えない。
「雑種の女よ。私はな、強い者なら誰でも良いのだ。キサマは強い、そして美しい……見たところ一七〇、一八〇歳か? 長命とは羨ましい限りだな。どうだ? 私の従者となって奉仕する気はないか?」
ラクタールは当然ながら、不純な考えで言っている。
セイラのもと主人であるハルバトーレは、女性に興味を示さないことから純潔ともいえるが、通常混血種を従者に置く者とは不純な考えで雇う者ばかり。ハルバトーレやヘルトのような主人は、少数派である。
「わたくしの主は、ヘルト様のみ。一生涯、その決意は変わりません」
「我々人間など、キサマらの寿命に比べたら一握りのことだろう? すぐに年老いて醜く死を迎えるのだ。より楽しめる主人の元へ行くのが普通なのだぞ。そのヘルトとやらが死んだらどうする気だ?」
「わたくしは一生涯、と言いました。ヘルト様が死を遂げるときには、わたくしも付き添うつもりです」
このセイラの言葉を聞き高らかに笑うラクタール。
「がっはっはっはあっ! キサマ、雑種の癖に人間である主人のことを? これは滑稽だ……年老い、心までもが醜くなってゆく我々人間と、この先何十年と共に歩めるわけなかろう! いったい幾らで雇われたのだ? 私なら二倍、いや三倍の金額を出そうぞ。全く以て冗談にも程が――」
セイラはラクタールの言葉を遮り、腰に据えた短剣で斬りかかる。
――交わる金属音。
ラクタールとセイラの距離は触れるほどに近い。
「……冗談などでは、御座いません。これ以上、主を愚弄するのならば――」
ここでラクタールはセイラを前方へ弾き返す。
「人間など、皆同じだろう? 雑種……」
コリンヌが叫ぶ。
「セイラさん! 幾らあなたでも、ラクタール将軍には敵いません! ここは一旦身を――」
「いいえ。わたくしが、この者を相手にしなければ誰が相手をするのですか? それに――この男だけには退けませんので」
「……セイラさん」
ここでセイラは思う「この男には勝てない」と。
それでもヘルトを愚弄したラクタールが許せなかった。このラクタールの言葉は、ヘルトのみならず全ての人間に対して言ったことだが、その人間と同じにされたのが許せないのである。「ヘルトのことを何も知らない癖に」こう怒りを感じた。
セイラの矢は尽きた。
ぎりぎりの回避で防戦のみ。セイラの肌に少しずつ生傷が増えてゆく。
「なかなか頑張るではないか、雑種よ。キサマがこれほど想う主人とやらに、一度は会ってみたいものだな。だが……その頃にはもう、キサマはこの世に居ないだろうが――、な」
突かれた槍。
セイラは短剣で支えるように右頬を掠めたが、身体がよろめく。
片膝が地へ突き立てられ、その動きを失った。
……勝てないのは知ってのことです。
それでも、時間稼ぎにはなるかと思いましたが……
どうやら、わたくしでは力不足だったようですね。
申し訳ありません――ヘルト様……
――と、セイラが諦めた刹那だった。
前方ではなく、後方でもなく、上方から聞こえる声。
「――おっさん。オレに会いたいなら、今すぐ会ってやるよ」
この戦場へ飛び入るようにして現れたのは、ヘルト一行。
オレハへ掴まり、着地点にて土煙を上げた。
待っていたかのように、その名を叫ぶコリンヌ。
「ヘルトさん! スノウ!」
続くはハルバトーレ。
「――君を待っていたよ、ヘルト君」
力なく声を漏らすセイラ。
「……ヘルト、様――」
そして……
それを遠目から見つめるビアド。
「彼が……我々フィアーバを救ってくれる英雄なのだな」
スノウは、ビアドをしかと見て心で伝える。
お父様……
このヘルトがお父様の予言した、
フィアーバ王国を救える唯一無二の存在。
待ち望んでいた英雄スーラの記憶を持つ者なのです――




