本音
無言を通していたスノウも、この言葉には驚き、戸惑う。
そんなスノウの露わにした表情に嘲笑し、フィンネルは会話を続けた。
「あはっ――、あはははァッ! やっと本性を現したようだなユキィ」
ここで周囲の民は、混乱と呼べるほどに膨れ上がったが……
「さあ、ユキよ。我に永遠の愛を誓うのだ! ここに集まる民たちだって、フィアーバと戦うことなど望んではおらぬだろう?」
この言葉を聞き入れ、皆顔を合わせるようにして頷いた。
フィンネルは静かな笑みを浮かべ「上手くいったな」、と。
更に――民の声がスノウを急かせ始める。
「スノウ様! 急いで誓いをたててください!」
「わ、わたしの両親はフィアーバの者なんです! どうかご慈悲をっ!」
「王族なんだから、愛なんてどうでもいいだろ! 贅沢な暮らしが出来ると思えば、この先良いことしかないんだからさ!」
人それぞれ考えは違えど、たった一六歳の少女へ向けられた言葉の豪雨。
それは決して止むことのない雨だった。
理不尽であって、理不尽ではない。普通であって、普通ではない。
ここで誰の言葉が正しいのかなど、答えは出るものではないだろう。
耳を強く塞いでも聞こえてしまう……
「あはははははは、はぁああっ! いやあ、民たちが一番よく分かっているようだねえ。もうおまえに考える時間などないぞ、ユキッ!」
スノウただ一人に対し数十万の様々な声。
……そして。
全ての考えを捨て、降り注がれた声の止まぬ中スノウの口が開き始めた。
「ワ、ワタシは――――」
その刹那である。
スノウの耳に聞こえてきたのは、この騒ぎにも拘わらず一人の男性の声だった。それもはっきり、と。
【スノウ、耳を……今すぐ耳を塞ぐんだ】
「……――えっ? ヘルト、なの? 耳ってもしかして……」
そこで、紛れも無く聞こえたヘルトの声。
スノウには、この「耳を塞げ」という言葉だけで何をするのかが知れた。
耳に手を当てたことを確認したように――
――狂奏曲【高音域】[ソプラノ]
耳を貫く高音。
大気が、その音に打ち負けるかのように。
言葉で表せば『鶏の鳴き声』に近しいものを耳元で聞いた、だ。
中央広場、全体を揺るがす高音は――民衆の声を掻き消した。
静寂した空気のなか、ここで広場の中央へ歩み寄ってきたのは……
ヘルト、オレハ、ケイツア、ガイム、ミリィの五名である。
「あなた達……なぜ。それに今のは――」
皆耳鳴りが酷く、スノウが何を言っているかさえ分からない。
そしてフィンネルも同様に、何が起こっているかという表情で身体も固まっているようだ。
スノウの言葉へ、いち早く答えのはガイム。
「そうですじゃ。このガイムのビフォアで御座いますじゃ、スノウ様」
従者ガイム=ダインのビフォア、その名も――
――絶対音感。[パーフェクト・ピッチ]
ガイムの転生前は音楽家である。
手と手を胸の中心……つまりは鳩尾の辺りで拝むようにして手を合わせると、低音から高音域まで複数の音を奏でることを可能とするビフォア。これは手を合わせるというより『拍手のように鳴らす』と言えば分かり易いだろうか。
その音は動物の鳴き声に近しいもの。
ロバ、犬、猫、鶏……この辺りが最も”それらしい”音だろう。
かつては『ブレーメンの音楽家』と呼ばれたガイムならではのビフォアである。
「ガイム……全員へ帰国を告げたはずよ。なぜ、まだ王都へいるの?」
「ふぉっふぉっ。スノウ様、まだ誓いの儀は終わってませんですじゃ」
「そうですの、スノウ様あ。終わるまではまだ従者なのですからね!」
「……確かに婚儀を終えてからと言ったけれど――」
ここで口を開いたのは、聴覚を取り戻したフィンネル。
「ふ、ふざけるなっ! フィアーバの従者がこんなことをして、タダで済むと思っているのか!」
このフィンネルへ合わせるように、再び騒ぎ立てる民衆。
「「「「「帰れ! 邪魔しないでちょうだい! 早く続きを始めろ!」」」」」
「アストラータの民たちのほうが頭が良いようだな。さあ、続きを始めようではないか!」
再度荒れ狂う民衆のなか、ヘルトが言う。
「……爺さん。また頼めるかな?」
「ですな。何度でも――」
こう言ってガイムは腕を捲り上げ――
――狂奏曲、高音域
パン――ッと手を合わせ、鳴り響く高音。
皆、縮み上がり耳を塞ぐ。
「な、なんなんだ、このジジイ!」
「ふぉっふぉっ。ジジイはどこへいってもジジイとしか呼ばれませんですじゃ」
「ひゃあ。しっかしウッセエな爺さんの、ソレ」
高音域が来ると分かっているオレハにとっても、この音は辛いのだろう。
そんなフィアーバの五名であるヘルト一行を余所にスノウは……
「もう……もう止めて欲しいの。ワタシのことはいいから――」
スノウはヘルトたちが来てくれたのを、言葉に表せないほど嬉しかった。
それでも、この婚儀を止めることなど無理なのだと……
……それを知った上でヘルトは抗う。
「良くない、全然良くないさ。スノウ……様さ、このオカッパ王子様のことが好きなのか?」
「オ、オカッパ王子だとぉおお!」
スノウは心の鏡を使用して答える。
「……勿論よ」
「あははっ! 聞いただろう、フィアーバのゴミども! この女は我を好いているのだ」
「――スノウ、てめェ本気か?」
「そうなのン? スノウ様」
「そんなことってあり得ないですの」
「このガイムが……見誤っていたなんて」
スノウは全員スノウへ注目していることを利用して、心の 鏡で信じ込ませた。この方法が良いか悪いかではなく、このままだとヘルトたちは囚われてしまうのではないかと。
今更ながら伝える必要もないが、ヘルトだけは違った。
「スノウ……様。そうやって人を騙し続けて楽しいのかな? いい加減にしてほしいんだけどさ、なんかイライラするんだよね、ソレ」
「……ヘルト、あなたには分からないわ」
「いや、分かるさ」
こう言ったヘルトは、次に民衆へむけ声を張り上げる。
「あんたらもさ、いい加減にしてほしいんだけど。
みんな自分のことしか考えてないよね?
国がどうとか、家族がどうとか……
それは分かるんだけど、なんでアストラータの王女でもない、
フィアーバの王女様が、あんたらの考えに従わなきゃいけないの?
そんで、フィアーバの人たちには帰れだって?
頭可笑しいんじゃないの、あんたら」
「そんなこと言われても……」
と、民がヘルトへ反論しようした時。
「あ、なんか言ったらまたお仕置きだから」
「お任せください、ですじゃ――」
もう、あの音は聞きたくないと口を閉ざす民たち。
「……ヘルト。あなた――」
スノウは心の奥に潜む、自身が言いたいことを全て代弁された気分だった。
まるで心を読まれているかのように。
ここで初めて気づかされた悩みの種。
今まで心の 鏡により偽り続けていたからこそ、心に深い闇をもっていたのだと……
「そ、そんなことを言ってもユキは我のものなのだ! 兵たちよこの者たちを捕らえよ!」
「「「「「は……はっ!」」」」」
慌てて護衛兵たちが動き出す。
そしてヘルトは。
「スノウ……様。もう後には引けないと思うんだけど……どうする――、ってこれは違うか」
スノウへ手を差し伸べ――
【――どうしたいのかな?】
スノウはこの言葉を待っていたのかもしれない。
それほどに心に響く言葉だった。
だからこそ、スノウは言う。
「……ヘルト。その”様”って付けるのは止めてほしいのだけれど。なんだか馬鹿にされているようで、アナタの笑顔くらい腹ただしいのだけれど? 謎だわ」
「お、おう。なるべく笑わないように努力してみるよ……スノウ」
二人は寄り添うようにして手を取り合った。




