婚儀の前夜に
◆
――婚儀、前夜。
それぞれの思惑によって経過してきたこの約二ヶ月間も、明日の婚儀を経て終わりを告げようとしている。
まずは……
一番の主犯格であるフィンネルと、その被害者スノウ。
場所は雲にも手が届きそうな王城のバルコニー。
「ん~雪姫よ。明日の婚儀ことで眠れないほどに緊張しているのかな?」
「……そう、かもしれません。フィンネル王子殿下」
スノウは只々独りになりたかった。
それは、叶わぬ夢。先日の一件でオレハに命を救われたのはフィンネルだが、より一層フィアーバ王国を嫌うこととなってしまった。その原因はエルザが漏らした言葉だった。
――あの貴族なら、もうこの世にはいないさあね。
恨むならフィアーバを恨みな!
この二言である。
自身はフィアーバの思惑により狙われ、ヴォルツはそのフィアーバへ雇われたエルザに殺された――、と思っているようだ。
それゆえに、フィアーバが妙な動きをしたら皆殺しにするとまでスノウへ伝えている。
そんなフィンネルの心中は……
【――知れているのだぞ、スノウ!
平民ばかりのちっぽけな軍で我に敵うとでも思っているのか?
我も舐められたものだ――、だがなっ!
明日の婚儀で妙なことをしたら、全員殺してやるぞっ!
……既に手は打ってある】
スノウはこのフィンネルの思惑に気づいてはいないが、仮に気づいていたとしても心の 鏡で心を操作することは難しいだろう。例えスノウの言葉は信じても、他の人物を信じていないからである。
「あははっ! いやあ我も楽しみだ。くれぐれも妙な考えはやめてくれよ?」
「……はい。では明日の婚儀で――」
スノウは、すっと立ち去り自室へ向かう。
フィンネルは城のどこにいても、すぐに姿を現す。独りになりたくても、決して独りにはなれない。婚儀を終えたら更にひとりになれる時間などなくなるだろう。
会いたくないと思う者はいても、逢いたいと想う者のいない孤独感。
明日からはもう、二度と逢えないだろう……、と。
自室へ向かうスノウの瞳に涙はない。姉アドリエンヌと最後に会話を交わしたあの日から、もう二度と涙は流さないと決めた。
明日の婚儀で再び現れるであろうヘルトに、悲顔の面影を少しでも見せたら、きっと無茶をするのではないか……ヘルトの無茶ぶりを既に経験済みなスノウは「ヘルトだけには決して気づかれてはいけない」と、細心の注意を払う。
ヘルトを心の 鏡で信じ込ませることができないからこそ、顔色一つ変えず婚儀を終えなければならない。スノウ自ら二度と逢えなくしているのを、重々承知の上で……
自室の扉まで辿り着くと、扉を挟むように従者ガイムと待女のミリィが静かに立っていった。
自室へ入ってすぐガイムは一礼し、首を垂れたまま言う。
「スノウ様……爺やは――」
続いてミリィも。
「……御労しい、ですの」
ガイムの声は小さく震え、ミリィの瞳には大粒の涙が浮かぶ。
そんな二人へ向け、スノウは……
「二人ともワタシは大丈夫。今まで苦労かけたわね……二人とも、明日の婚儀を終えたら国へ帰りなさい。ケイツアやオレハにも、そう伝えておいてくれるかしら?」
こう帰国を告げたスノウへ、慌てて返す二人。
「こ、このガイム。スノウ様がどこにいても、従者として付き従うと誓っておりますじゃ!」
「スノウ様。わ、わたしもですの!」
二人の気持ちは痛いほど分かる。
それでも、婚儀を終えたらフィアーバ王国の者では無くなってしまう。
明日からの二人は、もうスノウの従者ではないのだから。
「爺や、ミリィ。お願い、我が儘を言わないでほしいの……」
「……なぜ、スノウ様だけが」
「スノ――ウ、様あ……」
ガイムは俯き涙を見せず、ミリィは両手で顔を覆い涙を堪えた。
そしてスノウは思う。
……二人ともありがとう。
ここまで、この城で頑張ってこれたのも、
あなた達のお蔭だわ。
国へ帰っても元気で暮らしてちょうだいね。
これを今、二人に伝えたらスノウ本人も悲涙してしまう。
だからこそ口には出さず、二人を優しく見つめ、無言で伝えた。
――――――
――同刻。
処変わり、ヴォルツ別邸では……
「……マズイ、まずいことになってしまった」
こう、ヴォルツがこの世の終わりを告げるかのように、独り言をいっているのには理由がある。今回の暗殺が失敗に終わったことにより、決してあってはならない立場となったからだった。
――それは。
自分が死んだことになっているからである。自分がエルザに言わせた台詞が、自身の墓穴を掘る結果に。今さら「生きていました」では済まないのだ。
他の貴族から伝えられた現状は……
ヴォルツ卿の死によって、
フィンネル王子殿下は、ついに兵を動かし始めた。
いやあ、よくやってくれたよ君は。
更には――
すまんが、ヴォルツ卿にはこのまま死んでいてもらわねば困る。
君の行いには感謝しているが、悪く思わないでくれ。
どこか遠い国へでも赴き、静かに暮らしてくれないか?
ヴォルツは、にべもなく告知された。
計画では、フィンネルの死が確定していたのだから、何を聞かれても問題はない――つまり、死人に口なし。エルザへ言わせたのは”あくまでも”周囲の民に聞かれたら困るからである。それが、フィンネルのみならずスノウの暗殺までもが失敗に終わった。
これを以て、ヴォルツは貴族としての階級すら失ってしまったといえよう。
従って……
「なぜ、何故わたしだけがっ!」
こうなってしまう。
それでも現状のヴォルツからすれば、死んでいると思っている者に見つかれば確実に他の貴族たちが、自身の命を奪う。せっかく作り上げた好機を、他の貴族たちが見逃す筈も無いだろう、と。
今のヴォルツは『生かされている』と、いうことになる。
もう、持てる限りの資産を纏め辺境で、ひっそりと暮らすしか方法はないだろう。
しかしながら、抗いたいのが心情なのである。
「エルザァ……カーランドォ……使えない奴らめっ!」
既に酔いつぶれ、怒りを露わにしたヴォルツは手に持ったワイングラスを壁へ投げつけた。ヴォルツには怒りをぶつける者は、この二人しかいないのだ。
――その時だった。
ヴォルツのいる居間の扉から、すうっと。
まるで幽霊のように現れた男がひとり――
「――だ、誰だぁあ!」
ここでヴォルツが驚いて当然だろう。
なぜなら、この別邸のみならずヴォルツの従者は全ていないからだ。これから身を隠し、収入源もない者が従者など持てるわけがないのだ。それはつまり、全員解雇した、ということ。
その殺風景な屋敷に、突如として男が現れた。
ヴォルツへ近づく男の口が開く。
「私なのだよ、ヴォルツ伯爵」
「おまえ……生きていたのか!?」
姿を現したのはカーランドである。
「勝手に殺してもらっては困るのだよ」
「な、なぜ生きている! そんなことよりも、お前のせいでわたしは――」
「それは私としても心外なのだよ。”キサマ”が生きていることに」
「なん、だ、とぉおおおっ!!」
怒り狂うヴォルツ。
目の前に怒りをぶつける者が現れたのだ。言わば発狂。
「キサマは、もう私の主ではないのだよ。それを分かって怒鳴っているのかね?」
「そういうお前は、今までの恩を忘れたというのか!」
「馬鹿にしてもらっては困るのだよ。私が死んでると思っても尚、私のせいにしていたのだからね。そんな者に恩義など、あるわけがなかろう」
カーランドは、わずかでもヴォルツが死者を労わる心を持っていれば、このまま身を引くつもりだった。しかし、そんなカーランドの気持ちを余所に「使えない」とまで言い切ったヴォルツが許せなかった。
まがいなりにも自分は信用され、常にヴォルツへ期待されているのだと思っていたから。今までヴォルツに従ってきたのは、そう信じていたからなのだ。
カーランドは怒りよりも、後悔の念が宿る。
ヴォルツを睨みつけ腰に据えた片手剣を、ゆっくりと……
「お、おまえ。わたしをどうしようというのだ!」
「決まっておるであろう! キサマには罪を償ってもらうのだよ……二度と私やエルザのような者を作り出さないようにね」
カーランドは殺気を宿した眼差しで、ヴォルツへ告げた。




