朝と昼と
◆
――明朝。
朝陽の光に誘われヘルトを目を覚ます。
目の前には消えた焚き火、もう燻った残火も見当たらない。
もう朝か、と思い焚き火を前に座り込んだまま眠ってしまった事に気づく。
ヘルトは昨晩から深夜にかけて、追っ手が来ないかと警戒していた。
野生動物から身を守るためにも焚き火は必要不可欠なものであり、その火を絶やすことは得策では無い。
――何も無かったようだ。とりあえず、一安心だな。
警戒心を解き、胸をなで下ろす。
そんな安心感から周囲を見渡し、近くで眠っているはずのスノウへと目を向け――
「あれ? あの子は?」
そこにスノウの姿は無かった。
ヘルトは急ぎ腰を上げ、再び周囲を見渡す。
ヘルトの身に何も無かったのだから考え難いが「まさか」もある。こう、悪い事ばかりが脳裏をよぎる原因は、ヘルトの性格などではなく無能者として日々蔑まわれてきたから。
ヘルトは岩陰から身を乗り出し、スノウを探すため走りだそうした時だった。
凛とした姿勢で遠くを見つめる少女が視界に入ってきた。
スノウだ。
朝の涼しげな風で優雅になびく黒髪。
何も話さず、決して表情を浮かべる事は無いが、そんなスノウの姿がヘルトには美しく見えた。
……スノウ。
ヘルトは暫し時を忘れ、目を奪われる。
今まで感じたことの無い感情だった。
只々、立ちすくむヘルトの”お熱い”視線に気づかないスノウでも無く――
「……起きたのね、ヘルト」
今、目が覚めたかのように我に返るヘルトは、慌てて挨拶を贈る。
「え? あ、ああ。おはよう、スノウ」
朝陽が眩しい男女の爽やかな挨拶。
と、まではいかないようだ――、スノウには。
「アナタ……さっきからワタシの事を不純な目で見ていたのだけれど? ワタシが朝から裸で寝ていたり、況してや意味も無く水浴びをするとでも? お着替えでバッタリ出くわし頬を染めるとか、そんな不確かなお色気シーンは期待しないで欲しいのだけれど?」
い、いやそこまでは、と思いながらも。
「お、おう……」
ヘルトは力無く応えた。
それと同時に、先ほどまでスノウへ向けていた感情は偽りだと、心に”しかと”言い聞かせる。
然るところ、現状で最優先されるのは今後の問題だろう。
そう思うスノウはヘルトへ問う。
「ヘルト。アナタ、このままどうする気なの?」
「んー……そうだな。とりあえずガーゼルへ行こうかな。ガーゼルなら冒険者も多いし、身を潜めるには良いと思うからな」
――『開拓都市ガーゼル』
この世界には複数の国が存在。
その中でも三つの大国の権力は絶大とされている。
現在ヘルトのいる国は『アストラータ王国』で、その三大勢力たる大国の一つだ。ガーゼルは、アストラータで最も冒険者の集まる都市とされ、アストラータ王都の次に大きな都市である。それゆえにヘルトが身を潜めるのには「持って来い」と言えるだろう。
「……ガーゼル。そう、悪くはないわ、行きましょう」
ガーゼルと聞き、頷きながら判然と「同行する」を告げたスノウ。
「スノウも行くのか?」
「当然でしょう。ワタシはアナタに興味があって近づいたのだから」
「オレに興味だって? 参ったなあ……ははは」
ヘルトは頭を掻きながら、ほんのり頬を染めた。
「勘違いしないで欲しいのだけれど。ワタシが興味を持っているのは、アナタでは無くアナタのビフォアなのよ」
「べ、べつに勘違いしてないしぃい?」
どうやら勘違いしていたようだ。
しかし、ヘルトは喪失者なのだからと疑惑は深まる。
「――って、オレは無能者なんだけど?」
そんなヘルトに対し、スノウは言う。
「ヘルト、ワタシがアナタを無能者扱いした覚えはないのだけれど? アナタにはビフォアがある……それは間違いないわ。ただ、それを使える記憶がないだけ」
「え……?? そんな”才”使ったこと無いし、その使い方も知らないし……」
「でしょうね。アナタのビフォアは、常に発動しているものだから」
ヘルトはスノウの言っている事が理解できない。
もしかしたら回避する能力のことを言っているのか、と。
「それは、オレの回避能力のことかな? あれは逃げてばかりいたら勝手に身についたものなんだ。子供の頃から備わった力じゃないん、だけど……」
「それもアナタのビフォアなのだけれど? ただ修練を積んだだけで、あれだけの回避能力を引き出せると思っているのかしら? それにその軟な身体ではビフォア抜きにできることでは無いのだけれど」
確かに優男の部類に入るヘルトの身体では、修練だけでは不可能だろう。そう分かっていても「強さとは攻撃力」と思うヘルトには、胸に物が詰まった気がして納得できなかった。
「そう言われても……結局は逃げてばかりなんだから無能と同じなんじゃないかな?」
スノウは、向上心の無いヘルトに大きなため息をつく。
「……もういいわ。本当はアナタの回避能力の話ではないのだけれど、まずはガーゼルへ向かいましょう」
◆
――ヘルトとスノウが大陸の東『ガーゼル』へ向け旅立ち、数時間経過した昼時。
黒の双頭が集まる拠点では……
「なんだってんだい、カーランド! アンタたち無能者に逃げられるなんて、恥ずかしくないのかい!」
エルザが声を荒げていた。
彼女のいう『カーランド』とは、口ひげの近衛兵である。
「じゃ、邪魔が入った。妙な術を使う魔術師だ」
カーランドは震えた声で、エルザへ怯えた様子を見せる。
「妙な術? なんだいそれは」
「ああ、そうだ。身体を束縛する術であった。魔法陣を描かず、更に詠唱もしていなかったのだよ」
「はあん? そんな術があってたまるかい。言い訳にも程があるよ、まったく使えないねえ」
魔法は魔法陣描く、または詠唱しなければ発動できない。
これはシンパティーアにおける理であり、これを覆すこともできないのだ。魔法の威力は絶大だが、その対価として発動時間が必要とされる。
「――くっ!」
カーランドは真実を伝えたつもり。
しかし、エルザへ言い返せなかった。
「アンタ分かってるのかい? 伯爵暗殺の件……王国騎士団も動き始めたそうじゃないかい。このままだと、アンタの首も――」
エルザは右手を使い、首を斬るような仕草をした。
震えあがり、青ざめるカーランド。
「あ、彼奴が、”東”へ向かったという情報がある。東なら行ける場所も限られているのだ、すぐに見つけ出すであろう。エルザ、力を貸してはくれないか?」
「結局、アタシがアンタの尻拭いかい? 何のための近衛兵なんだか」
黒の双頭の拠点がある街の名を『ティカ』と言う。
ヘルトが近衛兵と揉めたのも、このティカである。
ティカはアストラータの東に位置した街であり、東の国境までに街や村はそれほど多くはない。カーランドは「罪人が国境を超えることは不可能だろう」との考えから「すぐに見つけ出す」と言ったのだ。
しかし、エルザとしては苛立ちを隠しきれないのか、カーランドを睨み続けている。
そんな時、ゆらりと口を開いたのは右肩の古傷が目立つ大男だった。
「分かった、おっさん。だが、責任をもってヘルトの行先は突き止めろ。いいな?」
「おっさ……、任せてくれ給え。後は頼んだよ」
カーランドは何か反論したいことがあったようだ。
しかし、これ以上この場に居たくないのか、そそくさとこの場から去っていった。
エルザは苦笑いし口を開く。
「バリュム、アタシを無視かい? 勝手に決めたりして、ホント生意気だねえ」
「ん? エルザ、おまえが決めなくても同じこと――、だろう?」
大男の名は『バリュム』と、言う。
黒の双頭でエルザと並ぶリーダーのひとりであり、この傭兵団のみならず傭兵としては名高い男。屈強な肉体と、背中には二メートルはあろう大剣と背負う闘士である。
「ふん! 分かっているさあね、やりゃあいいんでしょ!」
「そうだ、おまえが自ら赴きヘルトを殺れ。それが俺たちの決まり、だ」
「ちゃんと責任はとるつもりだよ。決まり、だからねえ」
エルザは二〇代後半、バリュムは二〇代前半といったところか。
エルザが苛立っているのは、年上としての威厳があるのだろう。
「はははっ。エルザ……おまえにヘルトの回避を”とらえられる”、とでも?」
「ば、馬鹿にするんじゃないよっ!」
エルザは座っていた椅子を後ろへはじき出すように立ち上がった。
「まあ、そう短気を起こすな。おまえの鎌の恐ろしさなら良く知っているつもりだ。だが……狩れればの話だろう?」
エルザのビフォアは普通の”人間”が扱えるものでは無い。
しかし、そのビフォアは近戦攻撃である。
攻撃が当たらなければ意味がない、バリュムはそう言いたいのだ。
「……アタシのビフォアはモーションが大きすぎるから、ってことかい?」
「そう言うことだ。つまり、ヘルトとの接近戦はなるべく避けるべきだと俺は言いたいんだ。その……妙な術を使う奴も警戒するべきだろう?」
エルザは荒げた心を落ち着かせるように、再び席につく。
「ふん! アンタ、そんな大きな身体なのに相変わらず慎重だねえ。でも……アンタがそこまで言うんだから、どうせ何か考えがあるんだろうけど」
これを聞き、バリュムは察したように笑みを浮かべた。
その笑みを見てエルザは言う。
「やっぱりかい? まったく何度見ても胸クソ悪い笑みさあね。さあ、お言い、聞いてやるよ」
「まあ策略ってほどのことでは無いんだが、簡単だ。広範囲の魔法攻撃が使用できる魔術師を数名用意し、回避不能にすればいい。それで妙な術師もろとも……ボンッだ!」
バリュムは指をはじくようにして嘲笑する。
「そういうことかい。確かにアタシが直接殺る必要はなんだけどねえ」
「俺たち傭兵は脳筋だから、接近戦しか考えてないんだよ。だが、魔術師だけに頼っていてもダメだ。保険はつくっておけよ?」
「逃がさないように周囲を囲えってことかい? そんなこと言われなくたって分かっているさあね」
エルザはバリュムから目をそらし、眉間にシワをよせた。