英雄スーラの童話
三人が会話をするなか、ゆるりと舞い戻ってきたのはハルバトーレ。
ほんのり頬を染め、俯くコリンヌを見て――
――閃き。
片眼鏡を持ち上げ言う。
「僕がいない間に、興味深いことになっていたのだね……」
「いや、なっていませんし、眩しいからやめてくれないっすか、ソレ」
こんな無駄にビフォアを使用するハルバトーレには、その興味より伝えたいことがあった。
「そんなことよりもヘルト君。きみは英雄スーラの童話を読んだことがあるかい?」
「そりゃもう、何度も。トトとカカ……ていうか両親が英雄みたいになってもらいたいって意味合いで、この名を付けてくれたから」
「そうか、それなら話は早そうだね。わざわざ童話をこの宿の主人から購入してきたんだが……金貨一枚で。最近の童話は値が張るんだなあ、驚いたよ」
金貨一枚あれば、童話など百冊以上は変えるだろう。
普通の者ならこう思う。
――その為だけに席外したんだ……
……っていうか童話一冊に金貨一枚とか、
あんたボッタくられすぎだろっ!?
と、ヘルト、セイラは”普通”の考えに至った。
その普通の考えでは無い者があと一人。
「そう、なのですね。童話がそれほどに高価だったとは……勉強になります」
――王女知らなすぎだろっ!?
納得してんじゃ無ェ!
その二人の心中を余所に会話は続く。
「この童話の最終局面は覚えているかい?」
「雨のように降り注ぐ矢を踊っている……とかですか?」
「いいや、その後だね」
ハルバトーレの言うその後、とは……
【天空から眺めれば『柵』と称するべきだろう。
これが正に天の啓示が成し得たとも思える奇跡。
己のみではなく全ての命を救う希望の『柵』である】
「それは『柵』のことかな? よく分からなかったけど」
「だね。その柵なんだが、なぜ策略の『策』と記されていないのか気になってたんだよ」
「……ハルバトーレ様。つまりは作戦や策略では無いとおっしゃっているのでしょうか?」
さすが王女の知性と言うべきか、いち早く察したのはコリンヌだった。
「そういうことです、コリンヌ様。この童話に『天空から眺めれば柵と称するべき』加えて『天の啓示が成し得た』と記されていることから、ヘルト君の天啓には未だ隠された”才”があるのではないかと」
「かつての英雄スーラは、大軍勢の戦闘にも拘わらず互いの血を流さずして勝利を得たとも聞いております。どうしてそこまで出来たのかは知りませんんが……」
英雄スーラが千年の時を越え、未だ英雄と呼ばれ続ける所以は平和的解決で世界を統べたからである。この千年間、勇者と称された者は数多くても英雄と称されたのはスーラただ一人。
それは勇ましい者である勇者と、英傑は違うものなのである。
これは言い方の問題かもしれないが、このシンパティーアでは勇者はその場限りでも英雄は語り継がれる者であり、そこに大きな差が生じるのだ。
「んー……オレだけ回避してても、周りは無防備だってことかな? だから戦火になればオレ以外は傷つくはず――で、あってる?」
「その通りだよ、ヘルト君!」
ヘルトは誰でも分かることに照れた。
「それでは、その柵の正体が知りたいのですね。ハルバトーレ様」
「そうなりますね。もともと英雄スーラの根源は『柵または壁により囲まれたもの』を言うようです。ですから、そこに何か答えがあるのではないかと思ってはいるのですが――」
ここでヘルトは全てを察したわけではないが、英雄スーラならこう言うのではないかと……
「オレが……その柵の正体さえわかれば、フィアーバ王国が救われ――いや違うな、スノウ王女の力になれると考えてもいいのかな?」
「ああ。それはスノウ様が、きみを利用していたことに繋がるのだと確信しているよ。仮にそうではなくても、ヘルト君にその力があるのは事実なのだからね」
ヘルトに迷いはない。
スノウを救うためだけにここまでやってきたのだ。
その心意気は、他三人にも言わずとして知れた。
そして……
ヘルトを想いながらもコリンヌは言う。
「ヘルトさん。どうか、スノウをお救い願えませんでしょうか? 救っていただけるのならば、わたくしは何事でも――」
ヘルトはコリンヌの言葉を割って……
「コリンヌ様、オレは誰の願いや命令に従うつもりはないよ。自分の意思でスノウを助けるからさ。アドリエンヌ様だって、コリンヌ様だって、セイラさんやモモとか……この天啓で救うことができるっていうなら、オレやってみようかと思うんだ」
「……ヘルトさん」
「今のあなた様ならそう言うだろうと思っておりました。さすがはヘルト様で、御座います」
コリンヌは姉としての想いから言ったことだった。
それを完全に否定され、自分の意思で手助けすると言ってくれたヘルト。
感動、感涙、などと表していいのだろうか、纏まりのつかない感情が胸を熱くする。
その感情はセイラも同じであり――
「ヘルト様。ならば、あと四日お待ちくださいませ」
「なんで? それだと婚儀の当日になるよね? 間に合わないんじゃないの?」
ヘルトとしは時間が無いとの考えから漏らした言葉ではあったが、セイラの考えは違うようだ。
「失礼とは思いますが、ヘルト様。何か勘違いしているのでは? スノウ王女殿下様を救う方法も知らずに、その弱々しい戦力で国を救うとはあまりにも自信過剰ではないかと。そんな考えで王都へ行こうと言うのであれば、あなた様の命を奪い、わたくしも御供させていただきますので」
「ごめん、オレ調子ブッこいてました。まだ死にたくないです」
セイラ、泥愛。
「至って冷静な判断だよ、セイラ君……今のヘルト君では無理だろうね」
「セ、セイラさん。もしかして、あなたもヘルトさんのことが……」
セイラは婚儀まではまだ時間があるのだ、と言いたかった。
今は鍛錬を積みあげ、天啓の答えが導きだせる可能性も考慮して。最善の対策もせずに、主人であるヘルトを戦火へ向かわせることなどできなかったのだ。セイラは己の命よりも大切な主人なのだから……
「コリンヌ女王陛下様。わたくしはヘルト様の後にも先にも待女で、御座いますので……勘違いなさいませぬよう願います」
「ん? ソレって何の話かな?」
セイラはヘルトが主人だからなどではなく、ハーフエルフであるがゆえに人間との恋が難しいことはよく知っている。この先何十年後には、はっきりとした年齢の差がでてくるのだから……それは寿命であり、必ず残されるのは自分なのだと。
だからこそ、人間のヘルトを決して愛してはならないのである。




